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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第五章
235/630

41.港町の商人1


 少し前、その港の近海にはクラーケンが出没し、船が沈められたが、今は姿が見えなくなった。最近、活発に取引するようになった魔族の商人から、翼の冒険者が退治したのだという噂が流れてきた。

「おお、見た見た。グリフォン。でも、そんなに存在感はあったかねえ」

「確かに大きくて強そうだったけれどな」

「いくらグリフォンを連れていると言っても、海の中は入れないだろう?」

「ところが、闇の聖教司様が翼の冒険者からクラーケン使った料理を下賜されたって聞いたぜ? とんでもなく美味かったそうだ。香ばしくて弾力があって、でも簡単に噛みきれるほど柔らかくてさ」

 そこで、聞いていた男たちの生唾を呑み込む音が重なる。

 事実であるし、翼の冒険者の評判を広めようと魔族の商人は思った。情報は貴重なもので、人の口に戸は立てられない。根底には自分たちを救ってくれた感謝の念が強く根付いていた。そのため、言葉の端々に非常な尊敬の念が現れる。

「闇の聖教司様ってのもやっぱりいなさるんだなあ」

「しかし、そんな方に下賜って」

「翼の冒険者ってのは偉い人なのか?」

「もしかして、どこぞの王族とかのご落胤?」

「いやいや、世俗の理を超えるのが聖職者だ」

「ってことは、神様に近しい存在なのか?」

「よもや、聖教司様の地位ある方が世直しのために冒険者になられたとか」

 聖職者の階位には聖教司の他、副聖教司やそれらを補佐する者がいる。一般的にそういった聖職者全体を聖教司と称することがある。


 魔族のシアンへの恭しさはすぐさま知られることとなった。そして、大きな魔力を持ち、独自の文化を築き、それだけにより多くの取引を望む商人たちは魔族を重視した。大事な取引相手の嗜好を知り、相手の価値観を尊重するのはビジネスの成功への鍵の一つでもある。

 接待する際、酒を飲めない相手を酒場へ誘わないのと同じである。

 翼の冒険者は、今まで殆ど聞いたことがない闇の聖教司、彼らの上位存在と目されている風なのだ。

 魔族の商人から噂を聞いた港の商人たちは、ある意味、正しい類推をした。より正しくは、闇の神が自分たちよりも上位と遇する存在なのであるが、そんな突飛もない想像をする者は流石に現れない。

 そして、シアンは自覚しなかったが、闇の神も敬うが、より闇の精霊を慕う闇の聖教司にとって、シアン一行は身近にその闇の精霊の息吹を感じられる存在なのだ。

 魔族としては、闇の精霊に全てを捧げる闇の聖教司に選ばれなかったものの、気持ちは同じだ。彼らと取引を望む商人たちはその思いが垣間見えるが、翼の冒険者の扱いを決めかねていた。

 そんな港町ニカへ、シアンは依頼を受けた採取物を届けにやって来た。


「何だか、注目されている気がするなあ」

『ぼく、もっと気配を薄めようか?』

 ティオが言うものの、首を傾げる。自分が注目されているのではなく、シアンに視線が集まるのを感じているのだ。

『シアンちゃんが翼の冒険者なのだと知れたとしても、やはり目を奪うのはティオでしょうしねえ』

『大丈夫、シアンはぼくが守る!』

『我も!』

 九尾の言葉にリムがシアンの肩の上でぴっと前足を上げ、同意する一角獣は先んじて突進して露払いをしかねない。シアンは幻獣たちの気を静めるのに気を取られ、視線を気にしている余裕はなかった。つまり、いつもの通りである。


「早く届けてあげよう。研究が進んでくれると良いね」

 研究所に顔を出すと歓待された。

「おや、もう手に入ったのかね?」

「はい」

 シアンとしては、先にユルクの故郷へと行ったのでばつが悪いが、研究者としては小さくて見つかりにくいものを手に入れてくれ、あまつさえそれが生きたままだと非常に喜んだ。

 枯れた向日葵のような形状で、爪の先ほどの大きさしかない。水中活動を得意とするユルクも苦戦したが、水の精霊の協力で見つけることができた。

「報酬はギルドを通して受け取ってくれ」

 シアンが採取してきたイソギンチャクに夢中で、ガラスの水槽にシアンが汲んできた海水ごと入れ、ああでもないこうでもないと話し出す。


 冒険者ギルドではギルドマスターが待ち構えていた。

「あんたが翼の冒険者かね。クラーケンを討伐したという噂は本当かね」

 受付の前に満面の笑みを浮かべて仁王立ちする小太りの背の低い男に、シアンは頷き、九尾に言われて取っておいた部位を見せる。倒した証明となる討伐部位である。

「いやあ、助かった! これでギルドとしても顔が立つってものよ!」

 多くの商人たちにせっつかれてほとほと困っていたのだという。

 クラーケンの脅威がなくなったことを先に報告すべきだったと反省するシアンを他所に、討伐依頼を受けてもいないのに義侠心溢れるものだと褒めそやし、こちらでもばつが悪くなる。


 採取と討伐の報酬を受け取り、茶の誘いを断ってギルドを出ると、ティオが待つ厩舎近くに立つ人に声を掛けられた。

 仕立ての良い衣服をきちんと身に着けた三十代の男性で、理知的なまなざしをしている。

「私は貴方が受けた依頼を出した者のパトロンの使いです。つまり、研究者の後援者ですが、彼がぜひ翼の冒険者のお話を伺いたいと申しておりまして」

 シアンはギルドマスターの誘いを断ったようにやんわり遠慮しようとした。

「翼の冒険者は遠方での立て籠り事件も解決されたそうですね。その際、そちらの飼い犬が追いかけた兎の所有者とも我が主は懇意にしていまして。翼の冒険者は幻獣にご興味がおありだとか。もし何でしたら、我が主が口添えすることもやぶさかではないと申しております」

「幻獣?」

 シアンはあの兎の姿をした者を妖精だと聞いていた。

 いや、と思い返す。確か、幻獣化した妖精で、シンバルを直すために訪ねた工房で雑用係として働いていたのだ。それを看破したわんわん三兄弟が、犬の性から追い立ててしまった。

 そうとは知る由もなく、ただ、シアンが幻獣に興味を示したと思った使いは笑みを浮かべて再度誘う。

 シアンはその誘いに乗ることにした。

 遠く離れた国さえ違う場所で起こったことを知っており、そのことに対しての口添えというのは一体どんなことなのだろうかと、確かに興味をそそられたのだ。


 ギルドを出ると、レンガを積み重ねた壁が続く。壁には装飾のなされた鉄の棒が突き出し、そこにランプが下がっていた。夜になれば明かりが灯され、柔らかい光で石畳を照らすのだろう。

 歩くうちに、使いの案内で足を踏み入れたのは、街の中でも特に華やかな一角だった。

 白い壁の腰から下を鮮やかな青色に塗られ、その境目に帯状の金地に青の模様が入った筋が入っている。壁をくりぬいて設えられた扉を囲う風に縁取りし、華やかに装飾している。

白い壁のアーチ状の通路も下部を青く塗られており、色味の度合いは建物によって様々だ。

 下にも置かない待遇を示して見せるためにか、ティオや一角獣を厩舎ではなく、室内へ招じ入れた。グリフォンはともかく、大柄で立派ではあっても普通の犬や馬に見える九尾や一角獣さえも部屋の中へ入れるのは、相当な寛大さとそれ以上の部屋の広さが必要だ。

 それとも、この綺麗な織の絨毯さえも簡単に買い替えることができるほど、裕福なのだろうかとシアンは埒もないことを考えた。


 部屋へ通され、茶を振る舞われるより先に、使いの主という人物がやって来た。

「呼び立てて済まなかった」

 細身で小柄な中年の男性だった。穏やかな表情を浮かべているが、目つきは鋭い。

 入室してシアンの姿を上から下までさっと見渡し、ティオや九尾、一角獣の他、肩に乗ったリムの姿にまでしっかりと見分を行う。

「君の噂はかねがね。翼の冒険者と称されるエディスの英雄。その二つ名に恥じぬ功績を上げておられるとか。君はわしを知らんだろうから、まずは自己紹介をさせてもらおう。わしはナウム・ブルイキン。この街で代々商人を生業にしておる。船をいくつか持っていて、交易を行っている」

 使用人らしき女性が入室し、丁寧な動作で茶を供して退出していく。流石に幻獣たちには出されなかった。


「君たちがクラーケンを倒してくれたそうだな。何でもヒュドラ退治やドラゴンの屍を撃退したそうではないか。大したものだ」

 ナウムが取引したことのある商人から噂を聞いた際、それは大仰な噂で、尾ひれがついているのだろうと判断した。だが、ここ最近街で流れる噂に、それが事実なのではないかと思い、興味を持った。ナウムが研究資金を融通する研究者の依頼を翼の冒険者が受けたと聞きつけ、こういった機会は逃すまじ、と本人に会おうと思ったのだ。

 実際は、すべて事実であり、あまりにも事実が荒唐無稽なので、尾ひれの方がつつましい。中には美女を侍らす豪放磊落な男だと言う噂もあるが、シアンは気づいていない。

 そういった噂も耳にしていたナウムとしては、ごろつきの親分なのではないかと思っていた。

 もしそうだとしても、小さい生き物がドラゴンであったというのは複数から聞いている。とすれば、他に連れている動物も幻獣かもしれない。

 ナウムは相手の心証を良くするためにも、翼の冒険者が大切にしていると聞く動物たちを室内に招き入れたのだ。エディスの商人がそうしていたと聞いたのを模倣したのである。

 なお、そのエディスの商人ジャンは魔族であり、リムの他、ティオもまた丁重に遇する対象である。事情を知らず情報に踊らされたとはいえ、翼の冒険者の歓心を買うためのやり様は間違っていない。

 翼の冒険者は会ってみれば、細身で地味な印象で、噂のような大それたことを成す人間には到底思えない。けれど、グリフォンや白く美しい馬が大人しく付き従っていることから、見た目だけの人間ではないと認識を改める。狭く初見の場所に入れられても、動物特有のせわしなさはなく、落ち着いており、重厚な貫禄さえ感じさせる。

 仮に、力を持つのが幻獣であったとしても、その幻獣と意思疎通を行い、共に行動をすることができるだけでも、大したものなのだ。


「遠く離れた事柄をよくご存じなのですね」

「情報というのは黄金の価値を持つのだよ。君が立て籠り事件を無事解決したこともわしは知っている。あの街の商人とも取引きがあってね」

 それで知っていたのかと合点がいく。シアンはグリフォンを連れている。特定するのは簡単だろう。

「そうなんですか。でも、あまりに離れすぎているのだったら、それほど影響を及ぼすことはないと思うのですが」

「通常はね。でも、君は翼を持つ幻獣を連れている。それこそ、二つ名になったほどだ。その機動力は正直、商人としては垂涎ものだよ」

 転移陣は自分と身の回りの物を転移させるだけでも膨大な魔力と金銭を要求される。商品を運ぶには収支のバランスが取れない。過去には、マジックバッグをこっそり持ち込んだ者もいたが、聖教司に知られ、回状を回されてどの属性の神殿でも転移陣を使用できなくなった。

 翻って、翼の冒険者の行動は集めた噂を分析してみれば、驚異的な移動速度である。

 空にも危険な魔獣は出現する。

 流石は鳥類の王者、獣の王者の二つの特性を併せ持つ幻獣グリフォンである。

 そんな強者が空を行くのに便乗できるというのは、喉から手が出るほど欲しいものである。

 更には、魔族が最近積極的に行動し始め、取引きの増加を見込んでいる。技術向上の意欲も高く、ナウムとしても重要視している取引先だ。その魔族と取引きをしたいと申し出ると、口を揃えて翼の冒険者を疎かにする者とは取引はしないと言われる。そこで、翼の冒険者に関する噂を集めた。

 ヒュドラやドラゴンの屍のことなどはどこの与太話かと思っていた。言葉を重ねても一向に自分の功績を誇るそぶりを見せないことから、噂はある程度事実ではないかと思い始めていた。



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