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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第五章
230/630

36.深い深い海の中2

 

 一角獣にしろ、馬に似た形状の生物は水棲に適しているのだろうか。

 海底に大きく黒く開いた穴がある。

 いち早く見つけたリムがついと飛んで行き、穴の淵に降り立つ。

 それに合わせて幻獣たちの飛翔が緩やかになる。

 興味深そうに身を乗り出して中を覗き込む小さい姿が、穴に飲み込まれそうではらはらする。不用意に声を掛けただけで深淵に吸い込まれて行きそうで口を噤む。

『これは怪物の寝床と呼ばれる海の穴だね。洞窟や浅瀬が海に沈み込んで穴が開いている風に見える。その性質から浅瀬にできることが多い』

 風の精霊の言葉に、シアンがリムにこちらに戻ってくるように言う前に、ティオが警告を発する。

『何か来る』

『馬の姿をしているね』

 リムも視認できたようだが、それでもその場から動こうとしない。

 暗い穴の中を目を凝らして見れば、精霊の助力のお陰か、シアンの目もその姿を捕らえることができた。魔獣は確かに、馬に似た姿をしていた。たてがみと尾が長く、尾は地面に足をつければ引きずるだろう。黒く光沢のある体に白銀の斑点を持つ。蹄は大きく、割れている。

『海に棲む魔獣で、月のない夜、雌馬の匂いが風で運ばれてくる時のみ岸へあがってくる』

 歯をむき出しにし、敵意に満ちた視線で一直線に向かってくる。


 と、シアンは半身に水流を感じた。傍らにいた一角獣の姿が消えている。

 前方に視線を戻せば、一角獣が角で魔獣を貫いている光景があった。

『速いね!』

『せっかちすぎやしませんかね』

 ティオは何もなかった風情で出発を促し、水中を舞い上がる。一角獣が頭を一振りするとあっさりと魔獣が抜ける。水の精霊の助力だろうか。その白い体は全く汚れていない。戦果を口に咥えて、何事もなかったようにティオに追いつき、並走し始める。

 一角獣が仕留めた獲物を受け取り、マジックバッグに仕舞いながら、無事を確認する。

「怪我はない?」

『大丈夫。我は君の一番槍だからね』

 顔を上げて言う様子が少し得意げで、鼻息を吐いている。

 あっけなく遭遇した強力な魔獣を倒した一行は、海中を弾丸のように進んだ。


 亜沿岸帯の大陸棚を超えるだけでも数時間かかる。そこから急斜面、緩やかな斜面と経て、深海平原にたどり着くまで、相応の距離があった。

 それを、精霊の助力でぐんぐん進む。

 途中、山脈が長々と横たわり、深い大峡谷が続いていた。

 漸深海帯、深海帯と深くに潜っていくにつれ、棲息する生物も異なって来る。


 精霊の先導により、砂場に円形の不思議な模様をぼんやりと光らせるセーフティエリアを見つけ、休憩を取る。

 風の精霊から譲り受けたマジックバッグは深い海の底でも使えた。そこから取り出した冷蔵庫も同じくだ。

『すごいね、こんなに深いところで物が普通に使えるなんて』

『それに、水中で温かいものを食べられるなんて』

 作り置きの料理を光の精霊に温めてもらった。風の精霊の膜のお陰で海水に浸されることなく、食べることができた。

 ティオやリム、九尾は慣れたものだが、一角獣やユルクはしきりに驚いている。


 幾度かの休憩後、シアンは長時間現実世界に戻る。その際には幻獣たちを海の中のセーフティエリアで留めおくことになる。

「ごめんね、なるべく早く帰って来るから」

『いいえ、向こうの世界でもきちんと時間を取ってください』

 シアンがログアウト前に言うと、九尾が真剣な表情で訴えた。

『ちゃんと休息を取らないと、体を壊しますよ』

 九尾の言葉に、他の幻獣が慌てふためいてシアンにゆっくり休むように言う。

『その間、この辺りを探検しておくね!』

『私は休みたいなあ』

 元気なリムに目を丸くしながら、ユルクが疲れた様子で言う。

『セーフティエリアだから大丈夫だけれど、警戒はしておくね』

『きゅうちゃんもお肌のために寝ておきます』

『我が皆を守るから』

 ティオが淡々と言い、九尾はマイペースに寛ぎ、一角獣が気負う。

 皆それぞれに過ごすのだと知り、シアンは安心してログアウトすることができた。

 シアンがログアウトログインするのを、テントの開けた窓越しに、一角獣とユルクが興味深そうに眺める。


 ログインした後、腹ごしらえする。

 幻獣たちが狩ってきた魚介類は奇異な姿をしていた。細長い体に発達した大きな顎を持つ。

 幻獣たちは光の精霊に焼いて貰って食べていたが、それぞれ水っぽいという感想だった。温めると収縮して食べでが少ないことからも、不評だった。

 沢山作っておいた料理を出してやる。魔力の補充は精霊たちのお陰で十全であるとはいえ、水中を高速移動する幻獣たちはエネルギー補充が必要だ。港町で買い物をし、なおかつ浜辺でバーベキューをした時に作り置きをしておいたものとは別に、陸地で狩った獲物を冷凍している分もある。


 食事を摂りながら、リムが探検した成果を披露してくれる。

『渦巻の貝殻をつけたのが泳いでいたんだよ! 真っ黒だった!』

「そうなんだ。リムと同じくお散歩していたのかもしれないね」

 深海生物は海中を漂いつつ、餌が近くにやってくると捕捉する。つまり、泳ぐエネルギーを使わず、緩やかな海流に任せて移動し、常に餌を捕まえることに終始する。

 しかし、シアンとリムが楽しそうに話すのに水を差す必要もあるまいと風の精霊は別のことを口にした。

『硫化鉄の鱗で身を鎧のように守っている。熱水噴出孔付近に生息する』

 シアンは海中に熱水が出てくることに驚く。


『それとね、赤っぽいオレンジ色の変なのもいたの。ちょっとクラーケンに似た姿をしていたよ。てっぺんが光ってちょっとずつ光が弱くなっていったの。力がなくなってきたのかな、って思ったんだけど、英知がそうやって敵に自分が遠くへ行っている風に見せかけるんだって言っていたの。そしてね、また一気にぱっと明るくしてからぴゅーっと別の方向へ逃げるんだって!』

「え、そうなの? すごいね。二段構えの目くらましなんだね」

『あの生物は原始生物で、何百万年も前から姿が変わっていない。そのころから深海に適応していたからだ。リムが話したと以外にも、袋状の全身を裏返して棘状の形態になって敵の攻撃に対応する』


 緩やかな斜面に入るとすでにそこは深海の世界だ。更に進み、水深四千メートルを超える深海平原を目指す。

 海流は水面近くだけではなく、深層水が流動していることも指す。

 この海流が世界の海を大きく一巡するのだ。この循環によって異なる塩分、温度の水が流れこむ。

 そして、緩やかな流れは生物をも運ぶ。

 シアンたちはリムが話した他にも、目が望遠鏡のように飛び出た不思議な姿をした魚を見かけた。体は白く、虹色の光沢があり、尾びれは下の部分が長く伸びている。尾ヒレの片方から長く紐状のまさしく尾を引いている。口があり得ないくらい大きく開く。

『目から光線が出そうですね』

 九尾の言葉にシアンは思わず吹き出しそうになった。

『えっ、そうなの?』

「ううん、リム、そんな感じだね、っていうだけだよ」

 ティオと並走するリムが驚いて見上げてくるのに首を振る。


『生物の目は大きくなるほど感度が良くなる。目の光を集めるレンズ、水晶体が大きくなるからだ。あの魚は目を筒状にすることによって、感度を上げている』

「あながち、望遠鏡で間違っていないのかな?」

 風の精霊の説明にシアンは小首を傾げる。

『あれは成長するまではもっと水面近くで生息するが、成長してからは深海に降りてくる。顎が軟骨化して自分より大きな獲物も飲み込める。可倒式の針状の歯が生えており、獲物を逃さない』

 その解説に生命の神秘を感じる。あれこそ、異類のようではないか。異能を持たなくとも、生命は環境に即して進化する。

 そう話すと、風の精霊は僅かに目を見張る。そして、唇の端を僅かに引き上げる。

『確かにそうかもしれない。この生物にしろ、リムが見つけた原始生物にしろ、異能と言えるかもしれないね。今は人間に認識されていないだけで、今後知られるようになったら、他の者が持たない異能を持つとして、異類に分類されるかもしれない』

「そうだね。異類って結局はその程度の線引きでしかないんだよね。きっと、英知みたいに色んな事を知っていて、だからこそ、視点が違う、より多くを見通せる存在からしたら、人間も動物もそう大きな違いはないのかもしれないね」

 風の精霊が笑みを深くした。

『私は君と一緒にいれて本当に幸運だよ。英知の研鑽ができる』

 何のことを言っているのか分からなくて尋ねようとしたが、風の精霊は眼前の魚の説明に戻った。

『この魚は住む場所が異なる他、成長すれば姿も全く異なるものになる。だから、学者たちの間ではそれぞれ別物だと考えられている』

 そこでシアンはニカで仕事を請け負った研究者のことを思い出した。

 シアンのように精霊の加護を持っておらずとも、魔力や研究の積み重ねによって多くのことを詳らかにしていくのだ。

 そんなことを考えていると、双眼鏡のような目をした魚が獲物を捕らえる場面に遭遇した。獲物の胴体を二つ折りにして大きく開いた口の中に収める。中央から一気に飲み込む。

 発達した顎、というのは聞くのと見るのでは大違いだ。

 細長い獲物を二つ折りに飲み込むことができるほど、大口を開けて、必死に抵抗する獲物を呑み込む。

 確かに、現物を見ないと分からないものだし、そこから発見や疑問点が出てくるのだろう。

 シアンは人の身では到達しがたい場所に訪れ、信じられないような眺めを味わうことができる僥倖を、改めて噛み締めた。



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