33.家に着くまでが ~わんわん狩猟本能再びの巻/角滑り~
美味しいものと美しい音を楽しんだシアンたちは、わんわん三兄弟を闇の神殿へ送っていった。
リムの提案通り、ユルクには応用を用いた隠ぺいを掛け、その巨大さが人の腕くらいの大きさに認識されるようにして貰ったとしても、実体積分のスペースは必要で、人通りの多い所の移動は難しいだろう、ということで浜辺で待機して貰うことにした。
一角獣はその角を隠ぺいして貰い、大きい白馬に擬態している。それでも立派な馬体であり、盗まれないように気を付けるよう、九尾に忠告される。
『まあ、ティオが近くにいるのだから、誰も手を出そうとしないでしょうが』
そこで、ティオは気配を薄めるのを一時中断することにした。暴漢除けである。
途中、波止場近くを通った。
埠頭に整然と並んだ大小の船、怒鳴り声にも思える威勢の良い声が行きかう。
港町の人間は気性が荒いと言うが、実に活気と熱気に溢れている。
大きな荷を抱えた荷揚げ人が船着き場を忙しく行きかう最中、ともすればのんびり歩く観光客を邪魔だと怒鳴りつける輩も、シアンに関しては、すぐ傍らにいるティオの威容に遠巻きにする。
興味深そうに肩から半身を伸ばして眺めるリムを片手で支えながら、邪魔しちゃ駄目だよ、とそっと囁く。
元気良い鳴き声が返ってくる。
途端に行きかう者の視線を集めるが、当の幻獣は何のそので、せわしなく辺りを見渡している。ふわふわの毛が首筋を涼しくくすぐる。精霊に願って暑い気候の時には、シアンの肩に乗っても涼しく感じるようにしてくれている。
後方で大きな声が上がり、シアンたちの脇をすり抜けて男が走っていった。後ろから泥棒だ、捕まえてくれ、という声が追いかけてくる。
ここでもまた、兎を追いかけた習性が出た。
わんわん三兄弟が男を追って走って行ったのだ。
そのすぐ後から屈強な男たちがついて行く。
シアンも慌ててわんわん三兄弟を追いかける。
波止場の行き止まりが目前に迫り、窮した泥棒は停泊していた船の渡し板を踏み越えた。
追っ手も続く。
マストをするする登って逃げる泥棒を、わんわん三兄弟がついていく。
あれよあれよという間に斜め上に伸び上がった帆桁を駆け上がる。船体と同じ長さで三十メートルほどもある。相当高い。
先まで行きつく前に、泥棒は足を滑らせ、海に落下した。
追っ手は小舟を下ろしたり、長い竿で泥棒を突いたり、忙しい。
わんわん三兄弟の方はと言えば、勢い余ってマストに登って降りられなくなっていた。
ぴすぴす鼻を鳴らして怯えながらマストの先の方にしがみ付いている。今にも落ちそうで、シアンははらはらする。
『降りられないのに何で登ったんだ』
『ティオ、動物の性です。正論をぶつけても仕方がないですよ』
無表情でぽつりとつぶやくティオに九尾がいなす。
リムが間近に飛んで行って、助けようとするが、恐怖のあまり体が硬直して、マストにしがみ付いて離れない。
『我が降ろしてくる』
言って、一角獣が一瞬にしてわんわん三兄弟の元へと浮かび上がる。
『いやはや、本当にすごいですねえ。瞬間移動のようです』
わんわん三兄弟は突然巨躯が身近に現れたことに、ますます混乱している。
「お、落ちる、落ちる」
シアンも混乱した。
一角獣が角をわんわん三兄弟に向けたので、更に怯えて震えあがり、マストにしがみつくが、不安定な体勢から、真っ逆さまに落下しそうだ。
思わず声を上げたシアンをちらりと見た一角獣が、そのまま角を突き出し、あわや突き刺さるかと思いきや、わんわん三兄弟の一匹の体の下に角を差し込み持ち上げ、するりと角を伝って、額、後頭部、首を経由して背に送り出した。同じく、二匹、三匹とあっという間に背に乗せた。
と、その様子をじっと眺めていたリムと一角獣の視線が絡む。しばし、見つめ合う。
『君もやってみる?』
『うん!』
ぱっとリムの顔が輝く。
釣られて微笑んだ一角獣がそっと首を下げると、リムが角の先に身体を乗せ、さっと一角獣が頭を上げる。すう、とリムの白い長い体が滑り落ちていく。
「キュアー!」
住処の島の斜面でころころと転がった時と同じ歓声を上げる。
『君の角は長くて鋭いね。麒麟と違う』
わんわん三兄弟とリムを背に乗せて降りて来た一角獣にティオが語り掛ける。なお、リムはご機嫌で尾を揺らし、わんわん三兄弟は恐怖で身をこわばらせたままである。
『麒麟を知っているの?』
『うん。麒麟は良い幻獣だね』
同じ一本の角を持つ幻獣が褒められ、一角獣が嬉し気に笑う。
『うん、おっとりしているから、喧嘩っ早いのにいじめられないようにしないと』
一角獣の背中からわんわん三兄弟を抱き上げ、バスケットに入れながら、シアンは一角獣がその巨体を一瞬にしてマスト付近まで舞い上がったことを、誰にも見られていなかったかと心配する。
『大丈夫ですよ、シアンちゃん。それこそ、闇の精霊王がいかようにも具合よく納めてくれます』
「そうなんだ」
そんなに状況に即した適応力のある落ち着き先に帰結してくれるとは。以前、崖の上の神殿に行き、人面鳥を退治した際にも聞いた話ではあるが、その力の柔軟さと甚大さにシアンは驚く。
『では、何事もなかったようにしておくね』
強い日差しが作るシアンの濃い影がゆらりと不自然に動く。
精霊たちは普段、シアンがあまり力を欲しないので、協力できる時を心待ちにしている風ですらある。
わんわん三兄弟をバスケットに収めてさあ再出発だと踵を返した際、男が近づいてきた。自分は商人で、一緒に泥棒を追いかけてくれたと礼を述べた。特に、傍らにいた馬が飛び上がったという認識はなく、犬が一緒になって追いかけてくれたことへの謝意を述べられた。
仕入れのための軍資金をごっそり奪われて、破産するところだったのだと言う。それで、屈強な男たちが必死に追いかけていたのかとシアンは納得する。
「船旅はやはり病気で死ぬことが多いです。でも、中には帆桁から落ちて死亡することもあります」
船員と乗客の半分が目的地に着く前に、病で死んでしまうことも珍しくなかった。
病気にならなかった者たちも、マストから落ちる事故が頻発した。
「ある時、特に強い嵐に襲われ、見習い船員が、メインマストのてっぺん付近から海に落ちてしまいました」
帆桁には脳みそが少し残っていたと言う。
その話を聞いて震えあがったシアンが、一角獣にわんわん三兄弟を助けてくれたお礼を言う。
片手でティオの背に置いたバスケットの中の、同じく震えるわんわん三兄弟を宥めるように撫でる。もう片方で一角獣の首筋から背中を撫でる。
巨大な力を持つティオがシアンとリム以外、他の幻獣は積極的に守らないのを見て取った一角獣は、自分が守ってやろうと心に決める。そうすることが、シアンのためになるのなら、と。
後に、幻獣たちと付き合っていくことによって、シアンのために、というのだけでなく、力がある自分が力を出せばよい、他の幻獣は彼らなりのやり方で役に立っているのだから、と思うようになる。
シアンは商人から他にも噂話を聞いた。
大昔、恐ろしい海賊がいたのだそうだ。
「彼らは蛮勇の持ち主で、深度計なんてもので大海に出たのです。しかも軽くおもちゃのような船に乗っていました。度胸だけで海を渡ったのですよ」
『彼らは太陽と星で位置を読むことに長けていた。操船術に優れていたことから船乗りから恐れられつつも、敬われている』
風の精霊の説明に、一角獣も感心して聞き入っている。
『蛮勇はいけませんよ。シアンちゃんたちを危険に晒します』
九尾が言うのを、一角獣は素直に頷いて聞き入れていた。




