32.誇り高く獰猛、多くが憧れる ~可愛いの為に/血まみれ大慌て~
シアンはなるべく最短でログインした。
驚かされたとはいえ、シアンもあの世界で幻獣たちが狩って来た獲物を食べてきたのだ。一角獣の狩りの仕方が独特なものだとはいえ、それを責める気は毛頭なかった。脆弱な精神を持つ自分が歯がゆい。
『ほら、目を覚ましたわ』
『でも、でも』
まず真っ先に、水の精霊と一角獣の声が耳に飛び込んでくる。一角獣の声には焦燥が滲んでいる。
こちらの世界で目が覚めたシアンの脳裏に、近寄ろうとする存在があるが許可するかどうか、というアナウンスが流れ、もちろん是と答える。
「キュア?」
一番にリムが駆け寄って来る。上半身を起こしたものの、座り込んだままのシアンの腿に両前足を掛け、伺うように小首を傾げる。
「大丈夫だよ」
手を差し伸べると、身軽に掌に乗りあがり、腕を伝って肩に移動する。
ティオもすぐさま近寄ってきて、四肢を折って座り込んだシアンの胸に頬を寄せる。その首筋を撫でながら、一角獣に声を掛ける。
「一角獣さん、ごめんね、驚いてちょっと異世界の方に意識が飛ばされたんだよ」
ログアウトしている際、プレイヤーが置き去りにした体に、一定の距離近寄ることができない。急に倒れられ、距離を取って様子を伺うしかできなく、さぞかしやきもきさせただろう。
そう思わせるほど、一角獣は取り乱してせわしなく蹄で地を掻き、顔を動かし、その都度長い角が振られる。鋭利な切っ先がさまよい、わんわん三兄弟が驚いて逃げまどっている。
九尾は安全な場所まで退避しており、ユルクはすぐにシアンが目を覚ましたのに安堵の表情を浮かべている。
精霊たちはそれぞれの表情を浮かべてシアンがログアウトログインしたのを見守っている。
『シアン、大丈夫? 脳波は安定しているようだけれど』
精神を司る闇の精霊が気遣わし気な表情を浮かべる。
『急に君の脳波が途切れたから、私も少し不安になったよ』
風の精霊は言葉と裏腹に落ち着いている。
『よほど驚いたのかの』
そんなことで気を失うとは、と大地の精霊の方が驚いている。
『人間は脆弱だって深遠が言っていたからなあ』
光の精霊は人間に興味がなくても、シアンは例外であり、闇の精霊の言は覚えている。
『安心なさいな。シアンはいなくなったりしないわ』
水の精霊が一角獣を面白そうに見やっている。
高位幻獣の多くは長命だ。
昔、人間の少女の願いを聞き入れ、彼女がいなくなっても一角獣はその力を使ってきた。彼の生の中ではほんの僅かな間、一緒に過ごしただけの相手だった。彼ら高位幻獣たちはそうやって幾度も別れを経験してきたのだろう。そして、何度経験しても、別れとは辛いものなのかもしれない。
「みんな、ごめんね、心配かけて。もう大丈夫だよ」
シアンはゆっくり立ち上がると、一角獣の元へ近づこうとした。
『殿にはやや刺激が強すぎたのでございます』
『主様は可愛い幻獣がお好きなのです。そこなグリフォンのティオ様ですら、可愛い言動をさせてしまわれる御方ですから』
『だからこそ、我らも地獄の番犬と称される姿から、このような小さき犬の姿に変化したのです!』
わんわん三兄弟の言葉に、一角獣が目を見開く。
『そうなの? ど、どうしよう。水明、血を落として! こんな格好じゃあ、怖がられてしまう!』
「そんなことはないよ。すごい突進だった。本当に一瞬で。姿が消えたと思ったよ」
青ざめる一角獣を宥める。どう言えば伝わるかと懸命に言葉を重ねる。
『そんな幻獣の中でも一番の可愛いらしさを誇るきゅうちゃん!』
フォーエバーポーズを取る九尾に、リムが『きゅうちゃんは可愛い狐だものね!』と同調する。
『ユルクのことも、立派な体をしているけれど、紐っ子って表現は可愛い感じがするね、ってシアンが言っていた』
『え、私?』
そう言えば、とティオがユルクを見やり、言われた本人は嬉しそうに鎌首を揺らす。紐っ子とはユルクが祖父に力不足を揶揄された言葉だが、それをプラスに捉えられて今の自分を認められ受け入れられた気持ちになる。
『わ、我は美しいと言われたことがあるくらいで可愛いと言われたことはないよ! あ、でも、汚れてしまって美しくもないっ! 水明! どうしよう!』
小さな幻獣たちは言わずもがな可愛い姿をしている。
一角獣は慌てふためいて水の精霊にせめて体の汚れを落としてくれと願った。
『まあ、大変だわ! 確かに美しい白い体が見る影もないもの。いいわ、突進しても汚れないようにするわね』
どこまで本気なのか、水の精霊は一角獣の願いを聞き入れる。
「そ、そんなこと気にすることはないよ。そうだな、君の突進は本当にすごいから、僕の一番槍になってくれる? ティオも一撃で魔獣を倒すけれど、僕を乗せていることが多いから」
『もちろんだよ』
『でも振り向いたらその角に獲物をぶら下げているのもどうかと』
言葉を重ねることでようやく落ち着きを取り戻した一角獣に、九尾が要らぬことを言う。
『私に任せてちょうだい。そうね、すぐ抜けるようにしておくわ。もちろん、体液や肉が体に付着しないようにもしておくわね』
『ありがとう、水明! これで敵を貫いても、怖がられなくても済むよ』
『精霊の力をそんなことに使うなんて! 流石はシアンちゃん』
一角獣と水の精霊のやり取りに、九尾が喉を鳴らして笑う。
「え⁈ 僕なの?」
『だって、シアンに怖がられたくないもの! 我も可愛いって思われたい!』
一角獣がきかん気に主張し、蹄で地を掻く。
そんなことはない、可愛い幻獣が好きなのではないと言っても、聞く耳を持たなかった。
シアンは呆れたり辟易するのではなく、不意におかしくなって、声を上げて笑い出した。
「一角獣さん、君は十分に今のままでも可愛いよ」
笑いながら白く長い首筋に抱き着くと、おとなしくされるがままになっている。いつの間にか、蹄も静まっている。
「君は可愛くて、そしてとても勇敢だね。そうだ、ベヘルツトって呼んでも良い? 勇敢という意味なんだよ」
種を異にする取るに足らない存在の願いを、長きに渡って、自分の命を削ってまでも叶えてきた。困難を恐れず自己を貫き通す強い意志の持ち主に相応しいと思った。
そうして、一角獣は名前を得た。
勇敢を名に冠する美しい姿の幻獣は、その後、翼の冒険者の一番槍として名を馳せることを願った。絶えて久しい夢を持つようになったのだ。
バーベキューコンロで新たな魚介を焼きながら一角獣にどんな食べ物が好きかを尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「ジャガイモ?」
ゼナイドの特産品である。
『そう。昔、寒冷な土地でも育つって鸞が教えてくれたんだ。あの子が寒い土地でも育つ食べられる物を探していたから』
ジャガイモが育って嬉しそうにしていたと、自分も同じく嬉しそうにシアンに訴えた。シアンは微笑ましい気持ちになる。
「そうなんだ。じゃあ、今度、ゼナイドで教わったジャガイモ料理を作るね」
『本当?』
地面を蹄で掻きながら嬉し気に口元を緩める。
「鸞と知り合いなんだね。僕が知っている鸞かな?」
『そうですよ。鸞は今は天帝宮にいる者だけです』
同じく天帝宮の住人である九尾が答える。
『シアンは鸞を知っているの?』
「うん。薬を作ってもらったり、料理を教えてもらったりしたよ」
『シアンちゃんの島に麒麟と鸞がやって来たのです。そちらに住まいを移すので、天帝宮へ挨拶に行っていますよ』
目を丸くする一角獣は麒麟も旧知なのだという。
「じゃあ、島で再会できるね。楽しみだね」
シアンが微笑みかければ、一角獣も笑う。
ユルクはシアンたちが加護を貰った精霊が単なる下位精霊ではなく、精霊王なのだと知り、少し離れた所で小さくなっていた。
特に、水中に住まう身としては、水の精霊王などは恐れ多すぎる。
精霊たちが美味しいと食べている海産物の多くはユルクが獲って来てくれたのだとリムが言い、シアンも市場よりも良い品を獲ってくれたのだと告げると、その恐れ多い精霊たちに礼を口にされ、更に固まる。
『我も水明のお陰で水中でも普通に動けるけれど、息が続かないんだ』
『じゃあね、英知に空気の膜を張って貰う!』
一角獣の言葉にリムが風の精霊に頼むと言うと、ユルクが更に体を硬直させる。
たらふく食べた後、音楽も楽しんだ。
シアンは一角獣を回復させてくれたお礼にと水の精霊に向けてピアノを奏でた。
澄んだピアノの音が小さくさざめきゆらゆらとたゆたう。
そのはざまに遊ぶように音が跳ねていく。
揺らめきが大きくなり、徐々に波紋を広げる。
時にしぶきをあげ、大きな波となり、深く潜りうねる。
再び囁くようなざわめきが起こる。
円を幾つも作っていく。
あまりのことに恐縮しきりのユルクもわんわん三兄弟も、美しい音にうっとりと体を弛緩させて聞き入った。
一角獣はシアンが初めて見る大きな黒いもので美しい調べを奏でることに驚き、感心しかりだ。
光の精霊がバイオリンも聴きたいとリクエストしたので弾く。
素早い弓使いに合わせて、中空で後ろ脚立ちしたリムが足踏みをする。
相当速い弓の動きに、「キュア!」と気合を入れながら眼差しに決意を籠め、きゅっと口を引き締めて後ろ脚を交互に動かす。
普段から高難度超高速もぐら叩きのもぐらのような動きを見せるリムだ。
しっかりと速い動きについてくる。
目を丸くしたシアンは、ふ、とため息交じりに微笑み、リムと視線を合わせて旋律の変わるタイミングを教える。
いわば、指揮者兼奏者である。
と、太鼓の音も加わる。
ティオも早い律動はお手の物だ。
リムが更に輝かんばかりの笑顔になる。
曲が終わると、リムはやり切った、とばかりに大きく息をつく。
その様子にふふ、とシアンは笑みをこぼす。
わんわん三兄弟は大興奮である。
ぴゃんぴゃん飛び跳ね、九尾に落ち着けと諭される。
地獄の番人、ケルベロスは伝承で餌付けされ、音楽で魅了されると伝えられている。陰鬱な黄泉では音楽も欝々としたものだったのかもしれない。




