29.港町ニカ ~もはやおかしいのが常態です~
ユルクは海中を泳ぎ、シアンたちはティオの背に乗って空中を飛び、一路、港町ニカを目指す。
作り置きの料理を沢山冷蔵庫に詰め、セバスチャンに島を任せ、わんわん三兄弟はバスケットに収まり、さあ、出発だ、となったところへ、九尾がやって来た。
ユルクの里帰りに付き合うと聞いて、面白がった九尾も付いて来た。
眼下に伸びる街道の両脇に、並木が延々と並んでいる。夏は日差しが強いので、乾燥に強い樹を木陰を作るために植えたのだという。
『シアンちゃんは他のご家庭の事情に口を挟まないと思っていました』
ティオの背の上で柔らかな日差しと清涼な風を心地よさげに浴びながら、九尾が振り向いた。
『それにしても、シアンちゃんの遠出は夏の日差しが和らぎ、風も涼しく、何と快適なことか!』
しかも、ティオの背に乗っているだけである。それだけで各地の独自の独特の風景を目にすることができるのだ。
「本当に精霊の助力はありがたいよ。ユルクは他者を思いやれる優しい幻獣だからね。リムが口添えするのを応援したいと思ったんだよ」
地上の食材を用いて料理を供すれば喜んでくれ、お礼にと、自分の特性を活かして海中の食材を獲って来てくれる。
その時、根こそぎ獲って来るのではなく、植生を考慮して広範囲にわたって少しずつ狩って来る。
『一族郎党根絶やしにしたら、種の存続が危うくなるからね』
優しい上に理性的だと感心したと話すと、なるほど、と九尾は頷く。
野生で他種族の存続のことを考えるなど稀である。
『力ある者こそ、俯瞰できると良いですものね』
種の多様性を減じることは自分の首も絞めかねないからだ。
大事のためにちょっとした労力を惜しまない。
「ユルクは彼のおじいさんが言うような呑気なのでも、ぼんやりでもないと思うんだ。心が広いんだよ」
そうやって他者との共存を自然と行えることが、シアンの感性と合うのか、と九尾は独り得心がいく。
旅の空の下でも、シアンたちはマイペースだった。
惜しむらくは、島からニカまで遠かったため、あまりあちこちの街や村へ寄る時間を取れなかったことだ。高高度での飛行が続く。
それでも休憩時間には幻獣たちが狩りをし、それを共に料理して味わい、音楽を楽しんだ。
羊に似た魔獣を解体し、ハーブオイルを塗ってニンニクとともによく焼く。塩コショウとレモン汁がさっぱりとした味わいを加える。
食後にシアンは順番に幻獣たちをブラッシングしてやる。わんわん三兄弟もわくわくと、しかし大人しく、順番を待った。シアンの膝の上でブラシをかけられて、とろとろと微睡んだ。
リムもまた長い尾の先までブラシをかけられるのを堪能した。
シアンはふと膝の上のリムの小さい足を指でなぞる。
「キュア」
目を細めて小さく鳴く。気持ち良さそうな風情に、ふふ、と笑って、曲げた指の節で小さくくっきり分かれた足指をくすぐってやる。指先で爪を優しくつまむと、反射的にく、とリムが指を曲げ、シアンの指を掴む。鋭い爪がシアンの脆弱な皮膚を傷つけることなく、生まれたての時とは数段優れた力加減を有している。
「後ろ足も前足みたいにくっきりと分かれて五本指なんだね。でも、指の長さは前足の方が長いね」
リムの前足の指は細く長く、節くれだっている。人間と同じように物を掴むことができる。
そして、ピンク色の小さな指球や掌球がある。そっとつつくとこちらもぴくりと反射的に動く。
「キュア……」
うっとりと鳴き、頬を腿にこすりつけてくる。長い体はすっかり力が抜けてくったりとしてシアンの膝の上に寝そべっている。
傍らで、前へ投げ出した両前足に顔を置いたティオが、心地よさげにシアンとリムを眺めている。
九尾は少し離れてイスに座り、後ろ脚を組み、茶を喫している。狐の体型からしてみればどこをどう取ってもおかしいが、普段通りである。
青い海は浅瀬では岩が見える透明度だ。光を反射して水底に模様を作っている。
深い青、緑がかった青、砂浜を映し出す白を下地にした透明な青、グラデーションが美しい。
シアンがログアウトしている間、リムはティオと共に何度となく島の周囲の海を見ているはずだが、所変わった海の景色に興味津々だ。
わんわん三兄弟も遠目でならば水の景色は恐怖よりも美しさが勝つようで、リムと共に歓声を上げた。
港町ニカは小高い丘に張り付くようにして家々が密集していた。埠頭に向けて低くなっていく。
強い日差しに白く光る壁、そこに色とりどりの花が鮮やかに植えられている。
白壁に挟まれた狭い階段を見下ろす先、家々の赤茶けた屋根が埋め尽くす向こう側に、白くさざ波だつ青い海が広がっている。
そこからざっと湿った風が吹き込んできて、髪を後ろへさらっていく。
細い路地が奔放に伸びて迷路のようになっている。
異国情緒溢れる街のあちこちで色んな商品が売買されている。興味を惹かれるままに買い求める。
道のあちこちに猫が多くいる。
薄暗い影さす小道を音もなく歩いていく後を、つい追いかけてしまいそうになる。
ティオが咥えたバスケットの中でわんわん三兄弟が身じろぎする。視線はしっかりとゆらゆらと揺れる長い尾を持つ猫に固定されている。
「ティオが近くにいても逃げ出さないね」
『気配を薄くしているから』
「どういうこと?」
バスケットの持ち手を咥えているので、くぐもった声音になるティオに尋ねる。鳴き声に合わせた嘴の開閉によってバスケットが小刻みに動き、中のわんわん三兄弟が僅かに緊張の様子を見せる。
シアンはそっとティオの嘴からバスケットを引き受ける。
『気配を完全に消すのではなくて、何かいるけれど、それが強そうだとか体が大きいとか分からない風にしているの』
「そんなことができるの?」
殆ど、姿変えではないだろうか。そして、気配すらも変えてしまえるのだと言うのに、感心する。
シアンは明確に理解できなかったものの、それは印象を薄くするといった類のものである。
『ぼくがシアンやリムと仲が良いから、闇の精霊が力を貸してくれているんだよ』
『深遠は隠ぺいが得意だものね!』
闇の精霊の加護を受けるリムの隠ぺいはもはや消失だ。
『ぼくの姿は人の目を集めるから、何かできないかと思って。せっかく闇の精霊が力を貸してくれるのだし、色々工夫してみたんだよ』
聞けば、シアンが不在の間、狩りやリムと遊ぶ他に、試行錯誤を行っていたのだと言う。
そう言われてみれば、ここのところ初めて訪れる場所で、それほど大げさに驚かれることはなかった。
「そう。ティオはどんどん色んなことができるようになっているんだね」
すごいね、と首筋を撫でると、目を細めて喉を鳴らす。
『ぼくのせいでシアンが嫌な気持ちにさせられたら嫌だもの』
『加護ではないとはいえ、精霊王の協力ですか。それは上位神ですら得られない代物ですからねえ。シアンちゃんの傍にいる幻獣は五属性の精霊王の助力を得ることができるでしょう。ただ、加護でなければ、自分で使いこなす力がある程度必要となります。大分使いやすいようにしてくれているようですが、それでも、それを思うように身に着けるなどとは』
九尾が感心して言う。
その言に頷かずにはいられない。大きな力があっても、使い方を知らなければ、ないも同然である。
精霊たちの加護を得たシアンは自分が思い至らない部分を、要求する前に補って貰っている。
なお、一般的に神や下位精霊の加護は自分で使いこなす必要がある。よほど好かれていれば多少の斟酌をして貰える。
『まあ、シアンちゃんですからねえ。闇の上位神である魔神ですら、尽くそうとするほどです。更には隔絶した存在である精霊王たちがこぞって世話を焼きたがるのですから』
「本当に皆にはお世話になっているよ。そうだ。折角港町に来たんだから、市場で色々買い物をして、精霊たちと皆で海鮮バーベキューでもしようか。島とは違う食材があるかもしれないよ」
このニカ付近の浜辺から水中に入る予定だ。なので、水を怖がるわんわん三兄弟はここで島へ帰ることになる。その前に、土地の美味しいものを一緒に食べようと思った。
「キュィ!」
「キュア!」
「「「わん!」」」
幻獣たちが異口同音に賛成の声を上げる。
『良いですねえ。では、一応、冒険者ギルドに顔を出しておきましょうよ。人目につかない浜辺や市場の場所、特産品を教えて貰いましょう』
九尾の言葉に、冒険者ギルドに顔を出すことを失念していたシアンは頷いた。
冒険者ギルドで話を聞くついでに、各地で幻獣が狩った獲物の素材を売却する。やはり、離れた場所の得物の素材は珍重され、高く買い取って貰うことができた。
ここ最近、島で過ごすことが多かったので大量の売却となり、その成果とグリフォンを連れていることから強さを見込んで、討伐依頼を持ちかけられる。
「最近、船を沈められることが多くて。それが、徐々に被害に遭う場所が港に近づいてきているんです」
港付近の海中で魔獣に暴れられ、船が近づけないとなると港町としては死活問題である。
それだけの重要事項ならば、凄腕の冒険者なり兵士なりが出張るだろう、とシアンは考える。
「僕たちには海の中の敵を倒すのは難しいと思います」
実際は幻獣たちは水の中も何のそのだ。今はユルクの故郷に行くことが優先する。ただでさえ、頻繁にログアウトするシアンの所為で旅路はゆっくりなのだ。
「そうですよねえ。翼があっても、海中まではね。それに、クラーケンの仕業じゃないかという噂まであって」
引き受けないと知った途端、不穏な情報を吐き出す。
シアンはこの街にまで翼の冒険者の噂が届いていないことに感謝した。噂が浸透していれば何としてでも討伐依頼を受けさせようと躍起になって迫られただろう。
誰だってそうだが、慣れ親しんだ者を優遇しようとする。この街を拠点にする冒険者にはギルドの受付も多くの情報を与えるだろう。シアンもエディスの冒険者ギルドで良くして貰っていた。
シアンは何気なく、依頼が明示される掲示板の隅で肩身が狭そうに隅に書きつけられて消えかかっている依頼を目にした。
内容を確認すると、とある研究者の依頼で、海中の素材採取だ。
通りがかったギルド職員が説明してくれる。成功報酬はそう高くない上、海中の採取という難易度が高い所為で、依頼が残ったままなのだそうだ。
研究者というのが鸞を思い起こさせて、何となく、シアンはその依頼を引き受けた。ユルクの故郷に行く海中の道すがらに採取すれば良いかと思った。
ところが、案に反して、採取してくるものの説明をするのでご足労願いたいと補足があった。
市場へ行く前に済ましてしまうことにする。
『流石にこの港町にまでは翼の冒険者の噂は膾炙していないですねえ』
冒険者ギルドを出て、研究員が務める工房へと向かう。研究者も職人に数えられるようだ。
『膾炙ってなあに?』
リムがティオの背の上から身を乗り出す。ティオが歩く度に筋肉が盛り上がり、ともすれば滑り落ちそうだが、リムはうまくバランスを取って、半身を九尾の方へ向けている。
『広く知れ渡ることだよ。シアンちゃんはグリフォンを連れた冒険者として有名だからね』
「リムにも翼が生えているから、そう呼ばれ出したんだと思うよ」
九尾が無言で我が背を見やり、しおしおと頭を垂れる。
普段、諧謔ばかりを口にする九尾でも、そんな姿を見せれば、シアンは慌てる。
「きゅうちゃんにも随分助けられているよ」
『九尾様は賢くお強いから』
『伝説の妖狐であらせられるから!』
『聖獣であり、凶獣でもあるのでっ!』
シアンの援護射撃をわんわんたちが懸命にする。
『人の世を熟知するきゅうちゃんあっての翼の冒険者ですからな!』
『そんなの、風の精霊と闇の精霊がいれば十分すぎるよ』
風の精霊は森羅万象を知り、闇の精霊は精神を司ることから、人の感情の機微に敏い。
『そんなことないよ。きゅうちゃんは色々教えてくれるもの!』
要らぬことも教える、とばかりにティオがぎらりと九尾を見やる。
途端に顔中に汗をかき、四つ足の歩みがぎくしゃくとぎこちなくなる。
「ふふ、リムはきゅうちゃん、好きだものね」
『うん! シアンとティオも大好き!』
『ぼくも』
ティオの視線が逸れ、九尾が息を吹き返す。
たどり着いた研究所の扉を何度か叩くと、ようやくのっそりと依頼主が姿を現した。
研究所の責任者だと名乗った男は想像よりも大柄だった。
身なりに気を使っておらず、服は汚れくしゃくしゃで、髪は伸び放題だ。自分たちでもよく採取にでかけるそうで、不健康ではなく、良く日に焼けて、ともすれば、筋肉質ですらあった。
シアンが丁寧に挨拶すると、グリフォンに驚き、興味津々で注視していた研究員がようやく視線を向けて来た。自分たちの興味が向くことに全力投球する性質なのだろう。
「いやあ、こんななりで済まないね」
三人いる研究員たちは揃って袖や裾に破れやほつれを作っていた。櫛を通していない髪を煩げにかき混ぜる。
研究所には厩舎はないが、ティオが待機するスペースは十全にあった。わんわん三兄弟は海や港町にはしゃぎすぎて、バスケットの中で寝息を立てている。
中へ案内されるシアンの肩に乗ったリムと、その後を当然のようについてくる九尾とを、研究員たちは特に咎めることはない。
「見た所、君は強力な幻獣を連れているが、海中についてはどれくらい詳しいんだい?」
「殆ど何も」
正直に話すと、一つ頷いてイスを勧めてくる。
「当たり前だが、水中では呼吸ができない。そして、深い所へ行くと圧力を感じる。これがネックで風魔法を操る者も深海へは容易に到達することはできない」
「それに、光が届かない場所では暗く、寒い」
「そのせいか、深い海の中の生物は妙な形をしている者が多い」
口々に説明する。
「深海生物は効率の良い獲物の取り方や、エネルギーの蓄え方をするようになった。生命は環境に応じて進化を続けて来ているんだ」
「成長するにつれて全く別の姿になる種もいる」
「興味は尽きないよ」
熱意を感じてシアンは頷いた。シアンもここのところ、薬の作成を手掛けている。鸞も熱心に薬を作る姿を垣間見ている。その鸞が作ってくれた薬で、リムは成長痛を和らげて貰ったのだ。
より良い物を作り出すための研究に熱意があるのは共感できる。
「それで、実物を確保してほしいという依頼を出されたのですね?」
「そうなんだ。机上の空論とはよく言ったものでね」
「百の想像よりも、一つの実物が事実を明らかにしてくれるのさ」
「俺たちも風の魔法だけでなく、水の魔法をうまく扱うことができれば、深海へ繰り出すんだがなあ」
シアンは風の魔法を極めれば、水圧にも気圧にも耐えることができるということを体験していた。しかし、人の身では実現し難いのだろう。
「何にせよ、俺たちの依頼を引き受けてくれて助かったよ」
研究員たちはイソギンチャクの一種を採取してきてほしいと言う。
「イソギンチャクは大抵、植物の根のようなもので岩なんかに張り付いているものなんだ」
「でも、俺たちが求めるやつはちょっと変わっていて、沢山の触手をしならせて羽ばたかせながら泳ぐんだ」
「足盤には筋肉はなく、触手を曲げて水をかいて進むんだ」
『彼らの言うイソギンチャクは敵から逃げたり、より良い環境を求めて移動するために泳げるようになったと言われている。その他の特性として、触手が千切れやすく、千切れた触手から体を再生することができる』
風の精霊が研究者たちの言葉を補足する。
『ふむ。すると、その再生する性質を研究しているのかもしれませんね』
確かに、薬を作ることにも役立ちそうである。
シアンは姿形や生息地などの詳細を聞き、研究所を後にした。




