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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第五章
221/630

27.ユルクの故郷へ  ~もの申す!~

 

 居住権を得たユルクは海と湖を行ったり来たりしている。飛行訓練がてら、空から海にも行くのだそうだ。この島では自由にしてほしいと伝えている。

「湖で長時間過ごすのは難しいの?」

『数年くらいなら大丈夫。ただ、たまに海に戻りたくなるかもしれない。あとはやっぱり食べ物は海の方が豊富だから』

 そう言うユルクは魔獣の肉も食べた。味覚は他の幻獣と同じで、シアンの調理したものを喜んだ。

『海のものに手を掛けると、こんなに複雑で奥の深い味になるなんて!』

『生クリームを入れるだけでコクが出る』

『本当だね! それに、醤油や味噌も美味しいよ』

 ティオと生クリーム談義をし、発酵調味料に目を輝かせる。

 魔獣の肉のお礼にと、ユルクが獲ってきた海鮮を浜辺で焼いて楽しんだ。

 ユルクは地上の獣を狩る発想はなかったが、水中での狩りは得意らしい。


『地表や地層内に分布するミネラルは海に流れ込み、その濃度が高い。そのため、魚介類や海藻にはたくさんのミネラル分が含まれている』

『じゃあ、いっぱい食べるね!』

 風の精霊の言葉に、リムがぴっと片前足を上げる。

「そうだね、今まであまり海産物は手に入らなかったし」

 網の上で焼く貝は、醤油を垂らすと得も言われぬ匂いを発する。

 ティオは殻ごと噛み砕いている。

 リムと九尾は器用にカトラリーを操り、中身を取り出す。

 わんわん三兄弟はセバスチャンに殻から外してもらった貝の中身を、激しく尾を振りながら食べる。


『これ、人間が釣りたがっているのに中々釣れないっていう魚だよ。数はいっぱいいるのに、頭が良いから人間ではちょっと難しいみたいだね』

 漁師が話していたことを覚えていたユルクが美味しいのだろうと獲ってきた魚は、体の縞が消えかけ、口の辺りが黒っぽい。大漁だったので、昆布締めや刺身、塩焼きや煮つけ、酒蒸しにする。残った頭や中骨を潮汁にする。

『この魚は産卵を控えた春から夏が旬だね』

「ちょうど今ごろかな」

 風の精霊の言葉にシアンは頷く。

 身が硬く締まり、弾力性がある。ぬめりが強く、捌く際に注意する。調理はリムと九尾、セバスチャンが手伝ってくれた。


 島に滞在するようになって頻繁に魚介類を食べるようになっていたが、ユルクと交流するようになって、より顕著になった。

 そうなると料理すること機会も増え、それらのスキルも増えた。

 魚の臭みを取る短時間でできるクールブイヨンという出汁の作り方も覚えた。水で茹でるのと比べると効果を明確に感じる。

 パセリやローリエといった香草と薄切りのセロリ、玉ねぎ、ニンジン、レモンを白ワインと白ワイン酢、水で短時間煮たものだ。


『水は中性だが、クールブイヨンは白ワイン酢やレモン、白ワインが入っているため、酸性の性質が大きい。魚の臭みの原因の一つ、トルメチルアミンは酸性の水によく溶け、アルカリ性の水に溶けにくいという性質がある。また、アルカリ性の水に溶けたときは揮発して臭いを感じる。また、魚の臭みの原因のもう一つであるカルボニル化合物はポリフェノールと結合して、魚介から取り除かれる。ポリフェノールはセロリ、玉ねぎ、ニンジンから抽出される』

 つまりは、まさしく魚の臭みを取るための出汁ということだ。

 クールブイヨンには野菜や香草の香りが移り、さらに魚を茹でると魚の臭みをとるだけでなく、魚の良い香りも含まれるようになる。それを煮詰めてバターや生クリームと香草を加えると、上質なソースに早変わりする。

 ティオがこれを殊の外好んだ。


 シアンはユルクと親交を深めるようになって、ティオに尋ねられたことがある。

『シアンは蛇は苦手だと言っていたよね』

「うん、でもユルクは意思疎通のできる幻獣だし、友好的だからね。礼儀正しいし、海の話を聞くのはとても楽しいよ」

『リムも楽しそうに聞いているしね』

 シアンの言葉にティオは頷きながら、そのうちリムが今度は海の中に行きたいと言うかもしれないね、と笑う。

 釣られて笑ったシアンだったが、少し後に思い出した。以前、蛇が苦手だと言ったシアンに、ティオは返したのだ。姿を見たらすぐに仕留める、と。ユルクがリムを頭に乗せ、九尾を咥えて湖水から助け出してくれたからこその様子見だったのだろう。

 もしかすると、蛇が苦手だったのでは、というのはシアンへの確認だったのだろうか。

 返答を間違えずに済んだことに、シアンは遅まきながら胸をなでおろした。


 ユルクはシアンたちがフェルナン湖の水中、相当水深のある所にまで行ったという話を聞いて、今度は自分が海の中を案内すると言った。

『シアンには美味しいものをいっぱい教えてもらったからね。海の中も綺麗だよ。ああ、でも、視界が効かないかな?』

『その辺は大丈夫。精霊が助けてくれるから』

 ティオがさらりと言うのに、それもそうか、とユルクもあっさり納得する。

 そんな折のことだった。


 新しい幻獣の仲間のところへリムが遊びに行くと、鎌首を地面に付きそうなほど垂れさがらせたユルクが岸近くの湖で所在なさげにしていた。

『おじいちゃんが帰ってこいって言っていたの?』

『う、うん。眷属がやって来て、伝言を伝えてくれたんだ』

 事情を聞いたリムがどんぐり眼を丸くし、ユルクは気後れした風に頷く。

 どうやら、のんびりした修行に、祖父が怒り心頭なのだそうだ。

 ユルクは武闘派の祖父を苦手としている様子で、委縮しきっている。

『うう、どうしよう。家にいる時もぼんやりが過ぎるって怒られていたのに。修行が進んでいないって、尾を咥えて振り回されたり翼を引きちぎられるくらい怒られる』

 大分暴力的な指導をなされているようだ。

『ぼくが行って、ユルクはとても良い水蛇なんだよって言う!』

『リ、リム?』

『あのね、麒麟や鸞はね、とてもほんわかして他の人を優しい気持ちにさせたり、色んなことを知っていて、分かりやすく教えてくれたりするんだよ。ぼくが体が痛い時に薬も作ってくれたの! でも、戦闘はあまりできないの。それでも、とってもすごい幻獣たちなんだよ。だから、強いだけが偉いことじゃないんだって、おじいちゃんに言ってくる!』

 ユルクに強さばかりを求めず、違う美点を見るべきだと伝えてくるのだと言うリムにユルクの瞳が潤む。


 シアンがログインするのを館で待ち構えていたリムが後ろ脚立ちし、胸を張ってふんすと鼻息を漏らしながら、ユルクの里帰りに付き合うのだと告げた。

 気炎を吐くリムを不思議に思い、ユルクから話を聞こうとすると、湖まで行くまでもないとティオが代わりに話してくれた。

「そうなんだ。おじいさん、随分厳しい方なんだね」

『うん! だからね、おじいちゃんに強いだけが偉いことじゃないんだよって言ってくる!』

 リムがユルクの頑張りを自分も援護射撃してやるのだと言うのを、シアンは受け入れた。シアンにとっては友好的な幻獣は親しむ存在で、自分もまた何かしてやりたいと思う。

「ユルクの故郷はどの辺り? 遠いのかな?」

「キュア?」

 場所を聞いていなかったリムが小首を傾げる。

 そこで、セバスチャンに地図を借り受け、ユルクがねぐらにしている湖に足を向ける。


「今日はきゅうちゃんはいないの?」

『フラッシュに召喚されたと言って出掛けて行ったよ』

 ティオの言葉にわんわん三兄弟が反応する。

『九尾様の分まで我らが働きます!』

『お任せあれ!』

 そうは言うものの、わんわん三兄弟は風に揺れる花や飛び回る蝶といった動く者に意識を奪われ、あっちへちょろちょろ、こっちへちょこまかする。これでは、湖にはいつまで経ってもたどり着けない、とティオがバスケットに詰め込み、持ち手を咥えて運んだ。バスケットの中であまり動き回ると平衡が取れなくなり、すぐ近くの鋭い眼光が訴えかけてくる。よって、三匹は大人しく景色を眺めることとなる。

 ちなみに、リムはやる気満々でティオの背中の上で仁王立ちし、時折、えいえいおー、と掛け声を出して前脚を振り上げている。

 ティオの傍らを歩きながら、幻獣たちの様子に、口元が緩むのを自覚するシアンだった。


 湖に行き、ユルクの故郷に同行したいと言うと喜んでくれた。リムがユルクを援護すると気炎を吐くのに、ユルクの唇が横長に伸びる。

 ただ、地図を見せても何のことか分からない様子だった。

「そうか。基本的に水の中を移動するのだものね」

 陸地の絵を見せても分からない。しかも、縮小簡素化された平面図である。

 そこで、わんわん三兄弟がセバスチャンを連れて来ると勢い込んだ。

『セバスチャンを呼んでまいります!』

『あの御方ならば、うまく説明して下さるはずっ』

『格好の見せ場にござります!』

「え? いくらセバスチャンでもそんなことができるのかな」

 シアンの言に耳を貸すより早く駆けていく。小さい体で懸命に地を蹴る姿が愛らしく、何となく見送ってしまった。

『ごめんね、何だか色々手間をかけさせてしまって』

 ユルクがしょんぼりと鎌首を下げる。

 そうすることで、顔が近づいたユルクの頬や鼻先を軽く叩く。湖の水で冷やされた滑らかな鱗で覆われている。

「はは、気にしないで。皆、好きでやっていることだからね」


 近くの木立の影が揺らぐ。そこからするりとセバスチャンが姿を現し、抱えていたわんわん三兄弟を地に降ろして一礼する。

「来てくれてありがとう、セバスチャン。でも、海の中のことや海から見た陸地のことなんて、分からないよね?」

『ある程度のことは存じております』

「分かるんだ!」

 シアンは目を丸くして思わず声を上げた。セバスチャンが怜悧な瞳を緩ませ、うっすらと微笑む。

『流石はセバスチャン!』

『孤高の王!』

『憤怒の主!』

 わんわん三兄弟が誉めそやす。セバスチャンは称賛に我関せずで、シアンに一礼し、近づいて地図を指し示しながらユルクに尋ねていく。

 まずはこの島の位置、フェルナン湖の位置などを指し示しながら話していくうち、ユルクの故郷の位置が判明した。セバスチャンはユルクがどの程度の海中の距離をどのくらいの速さで進み、海面からこっそり観察した港町がどの国に位置するのかなどを聞き出して類推した。

 それを一つ一つ詳細に説明してくれたのはリムが目を輝かせて話に聞き入ったからだろう。わんわん三兄弟も興味津々で、ユルクも自分が見た光景が地図のどこの辺りか、どんな国のどんな街なのかをセバスチャンから説明を受け、感心しきりだ。


「わあ、結構、島から離れているね」

『ここからだと、一旦陸地へ向かってこの端の港町から海に入るのが良いかな?』

 いち早く地図の概念を悟ったティオが地図を眺めながら言う。鳥瞰するのはお手の物だ。

「じゃあ、このニカという港町でユルクと合流すれば良いね」

『シアン様もご同道されるのですか?』

 場所が判明した後は口を噤んでいたセバスチャンが尋ねる。

「うん。湖の中にも行ったことがあるし、英知に頼めば大丈夫だよ」

 聞けば、海の中にもセーフティエリアがあるのだと言う。


「ティオも一緒に行ってくれる?」

『もちろん。シアンを乗せて飛ぶのはぼくだもの』

 当たり前だ、とティオは平然と頷く。

「ふふ、ありがとう」

 ティオの頬を撫でたシアンはリムとユルクを見やる。

「僕も付いて行きたいんだけれど、その分、時間が掛かると思うんだ。それでも良い?」

 まず、ニカまでが遠い。

 幸い、現実世界の時間調整をつけることができるが、セーフティエリアで待機して貰う時間も長いだろう。

『もちろん! シアンと一緒に遠出!』

 うふふ、とリムと笑い合う。

『シアンも来てくれるの?』

 同心円の丸い目がきょろりとシアンを見やる。

「うん、おじいさんにお孫さんと同居しています、お世話になります、って挨拶しようと思って」

 ユルクがその種族の中でどのくらいの成長を遂げているか分からないが、遠く離れた場所で暮らす孫の傍に住む存在のことを知っておけば、少しは安心ではないだろうかと考えたのだ。

 そして、シアンは異界人で頻繁に、また長時間そちらの世界に戻る必要があることを説明した。ユルクの郷里へ行くために、都合をつけて時間を取れるように調整すると言うと恐縮されつつ喜ばれた。


『わ、我らは水の中は、その……』

『ご一緒したいところですが』

『こ、怖いのですっ!』

「うん、無理しなくても良いよ。でも、途中のニカまでは一緒に行こうよ。そこから闇の神殿で転移陣を使って帰って来れるし。ね?」

 シアンの提案に、わんわん三兄弟の表情がそれぞれ輝く。

 風の精霊に確認したところ、ニカにも闇の神殿はあると応えが返ってきた。

 永らく結界に閉じ込められていたから、世界のあちこちを見せてやりたい。そんなシアンの気持ちを汲み取って、ティオは止めることはしなかった。ただし、しっかり釘を刺しておくことは忘れない。

『ちゃんとバスケットに入っているんだよ』

『も、もちろんです!』

『かしこまりましたっ』

『おとなしく居眠りしています!』

 ティオの低い声に、わんわん三兄弟が敬礼の風情でぴんと短い尾を立てて答えた。

 セバスチャンも誘ったものの、島の管理をしたいのだと固辞される。与えられた役割を全うするのが嬉しいのだと言われれば、引かざるを得ない。

 後に九尾にそのことを漏らすと、こう返された。

『セバスチャンには土産話を持ち帰れば良いのでは?』

 楽し気に一生懸命、遠出の出来事を話すリムと、それを嬉し気に聞くセバスチャン、といった光景が脳裏に浮かんだ。

 すんなり納得する。



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