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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第五章
220/630

26.池ぽちゃで濡れ狐、蛇とこんにちは ~引越しのご挨拶/紐っ子~

 

 暑いので外遊びも、涼を求めての水遊びをしようということになった。

 わんわん三兄弟は留守番を買って出た。そのうち、水を克服してくれると良いと思う。

 湖に出掛ける際、島を管理するセバスチャンに何気なく尋ねた。

「ここの湖は大きいし、魚も釣れるんですね」

『さようでございます。シアン様たちは魚釣りをされるのですか?』

「以前、アダレード国にいた時にしたことがあります」

『ぼくもシアンとティオと一緒にやったよね!』

 リムも元気よく話す。

「そうだね。魚釣りというよりも捕獲していたね」

 言って、シアンは笑みを漏らす。

「ピィ?」

「キュア?」

 ティオとリムが揃って小首を傾げる。

「ちょっと思い出しちゃって。ティオはまさに漁獲という感じで、熊が魚を獲るのってあんな感じかなって思ったから」

『ティオ様は魚を獲るのもお上手そうでいらっしゃいますね』

 セバスチャンが称賛する。

「はい」

「キュィ!」

「キュア!」

「きゅ!」

 四人の声が揃った。

 なお、いつも冗談口の多い九尾だが、セバスチャンの前へ出るとおとなしくなる。島の管理と幻獣の世話をする家令はシアンとリムには特に恭しく接する。下手な対応をしようものなら、ティオと同等かそれ以上の制裁が返って来る。


『それでは、本日のご予定がないようでしたら、魚釣りに興じられては?』

「ああ、いいですねえ。良いお天気だし」

『それでは、船を出しましょう』

「船⁈」

 湖に船を浮かべて乗り込み、湖上から景色を楽しんだり釣りをしたりするのだと言う。

 提案したセバスチャンにシアンは船まで貰っては、と遠慮したが、島や屋敷と共に既にシアンの所有物となっていると言われた。

『船ってなあに?』

『水の上に浮かべる乗り物で、それに乗って移動するんだよ』

 セバスチャンとのやり取りをする傍ら、リムが小首を傾げ、九尾が答える。

『黒い深遠に乗ってぷかぷかするみたいなの?』

『そうそう』

 リムが言うのは楕円形の弾力性のある姿を取った闇の精霊を水に浮かべてその上に乗るということだろう。浮き遊具のようなものだと言っているのだが、果たしてそれで良いのだろうか、と思い悩むシアンに、実物を見せるのが早かろう、と湖で船を浮かべることにした。


 水を怖がるわんわん三兄弟に見送られてやってきた湖は広さも水深も申し分なかった。

 そして、船は小舟ではなく、ティオが乗って歩き回れる大きさがある。外洋船ではないが、帆がついている。

 早速、乗り込む

 海上ほど風は吹かないので魔力が必要だが、そこは風の精霊を頼ることにする。

 岸で見送るセバスチャンに、リムが手すりの上で後ろ脚立ちし、ぴっと前脚を上げて左右に振る。家令は丁寧に一礼し、木陰にするりと身を滑らせて溶け込み、館へと戻っていった。


 広い湖をゆるやかに進む船の上から、シアンは釣り竿で糸を垂らした。リムは水面間近を飛んで、魚影を見つけたら素早くとびかかり、もがく魚を器用にホールドして船にしつらえた生け簀に運んでくる。

 ティオはさらに離れた場所でその影が完全に岩陰にのように見えるほど静止し、前足を水面に向けてふるう度に魚が飛び上がる。それを嘴で捕まえ、運んでくる。以前と同じく、機を窺って水面を眺める様はどこか悟りを開いた雰囲気がないでもない。

『ティオが跳ね上げた魚をリムが運んだ方が効率がいいんじゃないですか?』

 甲板でのんびりくつろぐ九尾の言葉に、シアンはそんなに大量には必要ないと笑った。

「リムも自分で獲りたいものね?」

「キュア!」

 楽しいよ、と頷く。

『そんなものですかねえ』

 言いつつ、船べりの手すりに前脚を掛けて後ろ脚立ちし、湖面を眺める九尾の尻尾が楽し気に揺れている。

「きゅうちゃんは獲らないの?」

 シアンが吊り上げた魚を船に設えられた生け簀に放り込みながら九尾に聞く。

『きゅうちゃん、泳げないから』

 泳いで獲ってくる必要があるのか、と首を傾げる。


 ティオが船に着地した際、船体が傾いだ。音もないランディングだが、さすがに急な重さが加味されるとバランスが崩れる。

「きゅっ……!」

 短い声を上げて、九尾が船上から放り出される。

「きゅうちゃん!」

 こちらに助けを求める視線を寄こしながら、スローモーションで弧を描いて宙を舞い、九尾の白い体が湖面に着水、沈んでゆく。

 シアンは釣り竿を放り出して、船べりの手すりに手をかける。つい先ほど泳げないと言っていた。シアンは飛び込もうと身を乗り出す。

「キュア!」

 ぼくが行く、と水に沈む九尾を、すぐさまリムが後を追った。

 するりと細長い体が水の中へ入り込む。


 と、湖の底から影がせりあがって来、どんどん大きくなる。

 影は湖面に太く長くなる。船よりも長いその影に驚いていると、ティオの声が掛かる。

『シアン、船に捕まって!』

 慌てて、手すりにしがみつく。

 激しい水音とともに水しぶきが起こり、船が水面に揺れる葉のように左右する。

「キュア!」

 激しくぐらつく船体に、手すりにしがみつきながらも揺れる視線をさ迷わせ、リムの声が聞こえてきた方を辿る。

 巨大な蛇がいた。ヒュドラの一頭よりも太い。その頭の上に、リムが鎮座している。ぴっと前脚を高く掲げて左右に振っている。そして、二対の翼のある蛇は口に九尾を咥えていた。

『きゅっ……濡れ狐……』

 巨大な生物の登場に肝をつぶされたが、いつもと変わらぬ白い獣二頭の様子に、シアンは安堵の笑みを浮かべた。

「リム、助けてもらったの?」

「キュア!」

 元気よく返事をして、黒い翼を音を立てて広げる。水滴が舞い上がり、光に反射して輝く。体を長く伸ばしてこちらへ飛んでくる。

「リムときゅうちゃん、この白い小さい子と口に咥えている子を助けていただいて、ありがとうございます」

 シアンは揺れが収まってきた船でなんとかバランスを取って立ち上がり、頭を下げた。通じるかな、と一瞬懸念したが、案に反して柔らかい声音が聞こえる。

『あ、これはご丁寧に』

 釣られて水蛇も頭を下げる。その反動で九尾の体が大きく振り回される。

『きゅう~、おーたーすーけー』

『これ、前にどこかで同じようなのを見た気がする』

 ティオがため息交じりで呟く。

 その時はもっと小さい幻獣三匹だった。



 海水が石灰岩を削って洞窟を作る。そこへ地下水により岩石が浸食され、通路ができる。薄くなった地表は何らかの拍子に大きな穴が開く。

 シンクホールである。

「つまり、この湖は海に繋がっているの?」

『いや、この湖の近くにあるもっと規模が小さいものがそうだ。潮の満ち引きに合わせてシンクホールの水位も上下する』

 風の精霊の説明にシアンは驚いた。

『その幻獣が容易に通路を抜けてやって来れるほどの規模の大きさはあるね』

『うん。なんだか、穴があって、入ってみたらするするっと抜けられたから。それで、人の気配もないし、近くに大きい湖もある上、水も空気も土も綺麗で、恵まれた土地だからね。大きい湖に移り住んだんだ』

 風の精霊の登場に驚いていたが、加護を貰った精霊だと話すと納得してくれた。精霊の加護を貰うなんて、すごい人間だねと褒めてくれさえした。


 島には他に魔獣が沢山いるのと比べ、魔神は水蛇の姿をした幻獣を害をもたらす存在ではないと判断したのだろう。

 敵意はないので、彼は幻獣に分類される存在だ。高度な知能を持つため、高位幻獣となる。

 自分の温和な性質を武闘派の祖父が厭い、武者修行の旅に出され、世界各地の湖を巡っているのだと語った。

『武闘派と言うと、やはり、眼帯をして頬に傷があるとか? あとは葉巻の代わりに水草を咥えていたり?』

 九尾の想像力は貧困だった。


 彼はフェルナン湖にも滞在したことがあると言う。シアンが一角獣を開放し、湖の透明度を戻したと聞き、感激する。

『人間なのに、あの大きくて深い湖を潜るなんて、流石は精霊の加護を持つ者だね。あそこは以前、長逗留したけれど、透明度が下がって住みにくくなったから、出るしかなかったんだ』

 移動は隠ぺいが得意な眷属にお願いし、両親が飛行を手伝ってくれたのだと言う。

『もともと、私は海に棲んでいたから、海の生物が独自の進化を遂げたあの環境は面白くて楽しかったし、とにかく広くて水深も十分だったからね』

「ここの湖も広いけれど、フェルナン湖ほどじゃないよね。深さは大丈夫?」

『うん、十分広くて深い。それに、今は特に魔力に満ち溢れていて、居心地が良いよ』


 九尾が自分の毛皮を絞って水気を除きながら、口を挟む。

『ここはシアンちゃんの縄張りになったので、ちゃんと家主に挨拶しておかなくちゃ』

 リムの体をタオルで拭き終わったシアンが九尾の体を拭きつつ苦笑した。

「僕たちがやって来る前から棲んでいたのに、そんなのいいよ」

『大家さんが代替わりしたんだから、そこはきちんとしておかないと』

 九尾の言葉にシアンははたとなる。

「確かに、新しく住むことになりました、って以前からの住人の方々に挨拶はしておいた方がいいのかな?」

 それは他に意思疎通が可能な幻獣がいる場合だ。

 

 シアンと九尾のやり取りを聞いていた水蛇が息を飲んだ。

『も、もしかして、セバスチャンが言っていた、島主様?』

「島主様?」

 おうむ返しで繰り返しながらも、水蛇が怯えている風なのが気になるところだ。

『そう。この島の主。ああ、だから、人間なのに私の言葉を拾えるんだね』

「あ、そういえば、普通に会話していた。セバスチャンとは会っていたの?」

 両者ともに今更ながらに気づく。

『うん。最近、この島の新しい主が住まわれるのだから、ゆめゆめ失礼のないようにって。住み心地が良いから引き続き住みたいって言ったら、むやみに敵対しない高位幻獣だったら大丈夫だろうって言ってくれたんだよ』

『さすがはセバスチャン、もうすでに島全体を掌握して周囲に下知済みなんですね! しかも、シアンちゃんの好みの傾向も取り入れています』

「……水の精霊の眷属っぽいから大丈夫だよね」

 シアンの呟きを聞きつけ、九尾が笑う。魔族ほど全力を傾けて敬われることはないだろう、というシアンの希望的観測を察したのだ。


「セバスチャンから先に話がいっていたようだけれど、こうして会うことができて嬉しいよ」

『いえいえ、そんな、こちらの方からご挨拶に伺うべきところを』

 頭を下げ合う。

「僕は冒険者のシアン。職業は料理人で吟遊詩人だよ。大きい子がティオ、小さい子がリム、中くらいの大きさの子が九尾のきゅうちゃん」

 シアンは改めて名乗った。

『これはご丁寧に。私には名前がないから適当に呼んでくれたら良いよ』

「そう? ユルクはどうかな。元は湖にあった島の名前なんだよ。海水が流れ込んできて海の一部となってしまったんだ」

『私も海と繋がった湖からやってきたからね』

 シアンの意図を察して水蛇が頷く。表情の変化は大きくないが、体の動きで意思疎通はできる。彼が動く度に、滑らかな鱗を水滴が滑って舞い上がり、暑い日には心地よい。


『それで、その島は海に沈んじゃってそれっきりなの?』

 リムが小首を傾げる。

「確か、運河で堤防を築いて、新しい湖ができたけれど、ユルクは埋め立てられて島じゃなくなって地名になったんだったと思うよ」

『新しい存在になったんだね』

 ティオが目を細める。

「うん、あちこち旅して、変化を取り入れていく、というところから連想したんだけれど、どうかな?」

『それは名前負けしているなあ。よく祖父にぼんやりの紐っ子扱いされているから』

 首の後ろをたわめて、顔を後退させる。気後れしている風だ。

『それはあれですかね、もやしっ子みたいな扱いをされているということでしょうかね』

 読書好きの鸞をもやしっ子呼ばわりして仕返しされた九尾が言う。

『じゃあ、おじいちゃんはユルクよりも、ものすごく大きくて太いの?』

 リムが目を見開いてどんぐり眼になる。

 長い形状から紐に比べているのだろうが、ユルクの胴体はシアンが両手を広げても一巡りできない程の太さだ。


 なお、リムは祖父という言葉を初めて聞くが、その概念は知っていたため、自分なりの言葉に置き換えて理解することができる。発信者であるユルクと受信者であるリム、双方が高度知能を持つ幻獣だからこそ、可能になることだ。

 例えば、呼吸という言葉は知らなくても、息という言葉を知っていれば、呼吸と聞くだけで息のことだと知ることができる。

 高度知能を持つ幻獣たちの会話とはそういうことだ。

『私より大きいのは大きいけれど、何倍も大きい訳ではないよ。ただ、硬い鱗に覆われていて、逆立てて突進すると岩も削れる。たまに地底の地形を変えて、海流を変化させて人間を困らせていたよ』

 わざと人間を困らせることをしたのではなく、戦闘になれば敵を倒すことしか頭にないのだと言う。

 遠慮したものの、名前にこだわりはなかったので、ユルクという名称は定着した。



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