25.守護竜の国と女王
※多少のグロテスクな表現を含みます。
ご注意ください。
金色の髪を根元から細く幾筋も編みこみ、金鎖のように豪奢な感を与えた。薄い褐色の肌によく映える。
まくられた裾から覗いた膝下は滑らかで、黄金色の艶で彩られていた。髪がアクセサリーとなっている。
「わたくしは綺麗好きだから五日に一度は髪を洗うの。その後は侍女たちが編みこむのよ。とても時間がかかるの」
ご機嫌伺いに訪れた隣国の王子の追従に婉然と微笑みながら、女王は言う。
王子は感じ入った風を取り繕いながら、内心眉をしかめていた。自国は以前、この国に攻め入り、守護する竜に壊滅状態に陥らされた経緯を持つ。手痛い返しを受けた形で恭順を示す必要がある。今はまだ。
その弱い立場の自分を誘惑するその真意を掴みかねる。
第一、政治も軍事もお粗末なものだ。
女王のご自慢の肌はボディオイルをふんだんに使い、艶を出していたが、それに含まれる毒素が徐々に浸透し積み重なっていき、内部からむしばみ、肌がぼろぼろになっていると聞いている。金髪は染めていて、髪を強く引っ張り過ぎ、薄くなる。また、白髪を見つければ蛇蝎のように疎み、抜き、更に薄くなっているとも。
全て、この国に放った間諜がもたらした情報だ。
女王のプライベートまで簡単に分かる。政治経済も手に取るようにわかる。
それほど無防備で無為無策な首脳陣が運営する国であっても、領土を増やし続けてきた。
全ては守護竜が守っているせいだ。
白く長い体、丸い顔、短い前肢には鋭い爪を持つ。強大な力をふるい、敵兵を屠って来た。
ぬっと大きく鎌首をもたげ、大波が崩れるように覆いかぶさって来て、頭から喰われる。それを間近で見た兵士たちの心は砕け、散り散りに敗走した。
王子と言えども二十代後半ともなれば、先の戦ではとうに成人しており、戦場にも出ていた。
そう、王子は間近で目にしていたのだ。自国の兵士たちが鈍い音をたてて食い殺されるのを。 同じ光景を目の当たりにした兄弟の一人は心を病み、一人は恐怖で潰された。残ったのは戦場には出なかった王太子と末っ子の自分である。そこそこ見目の良かった自分に女王が秋波を送って来るので、大使としてこの国に送られることが多かった。人質になった気持ちで懸命に吐き気をこらえて国のために頭を下げる。
王子はよほど守護竜よりも女王の方が怖かった。
淡く輝く金糸のような髪に、薄い水色の瞳、白い肌、バラ色の頬と唇。
美しい姫君だった。そして、美しい彼女には常に騎士が付き添っていた。
恭しく仕えられる姿に、姫をどれほど羨んだことか。
しかし、彼女は下級貴族の娘の自分に言った。
「羨ましい? 彼らがかしずくのは私に犠牲を強いていて、それをまっとうさせるまでは生きていて欲しいからでしてよ」
腹が立った。
お追従のために言った言葉に、義務を果たさず権利を求めるなと冷静に返って来た。
自分こそどうなのだ。嫌な気持ちになったことなんてないじゃないか。
私のように下級貴族の娘と蔑まれ、古い型のお下がりのドレスしか着せて貰えず、年の離れた難ありの男に嫁ぐしかない、そんなみじめな思いはしたことがない癖に。
何の苦労も知らずに暮らしているのに。
美しい容姿に高い身分、国でも有数の騎士たちに取り囲まれてちやほやされているのにだ。
なのに、あの形の良い唇で淡々と言い放ったのだ。
業腹だった。
褒められたことのある茶色の髪も、ちっぽけなものにしか思えなかった。
むしゃくしゃして、でも、気晴らしをする金銭もなく、しょう事無しに出かけた森の中で卵を見つけた。
一抱えもある巨大なもので、何の卵か分からないが、売れば幾ばくかになるのではないかと咄嗟に持って帰って来た。小走りになったのは、卵の親が気づいて追って来るのではないかということを恐れたからだ。
あちこちの店に持ちこんでみたが、売れなかった。無駄な労力を使っただけか、と肩を落とした後、卵をどうするか途方に暮れた。
これほど大きな卵だ。
もし、割った後、孵化しかかった何かが出てきたら気持ち悪くて仕方がない。
色々考えたが、森に返しに行くなど面倒くさい。
どこか適当な所へ捨てようかと考えたが、何となく、人目がある所では捨てにくい。何か落とされましたよ、などと言われてしまったらばつが悪い。
考えあぐねるうちに、家に到着してしまった。
国都の貴族たちの住居の端っこにある、小さな館だった。商家の方がよほど大きく立派だ。
森へ出かけて街中をうろついたせいか、酷く疲れていた。
そこで、使われていない納屋に卵を放り込み、ひと先ず後で考えることにした。
その日は良く動いたせいで、食事が美味しく、ぐっすり眠ることができた。
ひと時なりとも、姫の心無い言葉を忘れることができたのは真実、卵のおかげだったのかもしれない。
寝て起きたらすっかり卵のことを忘れていて、二、三日後に思い出して恐々納屋を覗くと、そこには卵の殻しかなかった。ばっくりと割れた中には何もない。
何かが孵化して逃げて行ったのだと思っていた。
すぐにそんな考えは打ち消された。
すぐ近くで物が動く音がして、飛び上がりそうになる。
ごちゃごちゃと置かれた物の影からぬるりと細長い体が出て来た。
「ひっ」
初めは蛇かと思った。
「脚?」
しかし、違った。
鎌首を支える風にして、対の脚がある。奇妙な姿で、白っぽい体に丸い目、丸い顔の先にちょんちょんと鼻の穴が開いている。
愛嬌のある顔つきだった。
卵から孵化したのがこれだと直感する。
「ちょっと待っていて。今、何か食べるものを持って来るわ」
その日から、それは秘密のペットになった。
親に言えば、気持ち悪いから捨てて来いと言われただろう。何しろ、蛇も蚯蚓も嫌いな人たちだ。
しかし、すぐに困ることになる。
一年を過ぎたころから急激に成長し始めたのだ。
自分もそろそろ許嫁との結婚を考える必要がある。
何より、成長するに比例して、ペットの食べる量が増えた。
肉食のペットのために、犬猫を浚ってくる生活もそろそろ嫌気がさしてきた。
そんな折、隣国が攻めて来た。
突然の出来事だった。
姫が嫁ぐことになっていたから、攻めてこないだろうと完全に油断していた隙を突かれ、簡単に国都まで進軍を許した。
貧しい国の壁門は簡単に壊され、敵軍がなだれ込んできた。
貴族の居住区の端にある家は真っ先に踏み荒らされる、そのはずだった。
少しでも逃げる足止めになれば、と納屋の扉を開け放ってやった。
それが図に当たった。いや、予想を遥かに超えた成果があった。
十メートル近い長さの蛇がようやっと外へ出られたことと、目の前に豊富にある食料とで、喜びに満ち溢れて飛びかかって行った。
化け物だ、と言いながら敵兵たちは逃げ惑った。
簡単に進軍を許した隣国の兵士を追いやったペットは聖獣と崇められた。その口元を血肉で汚していても、自分たちの富や安穏が守られたことに比べれば何てことのない、と考えたのだ。
それまでずっと食事を与えていたことが功を奏したのか、ペットは自分にはある程度従順だった。
ある程度というのは肉食で、空腹になると自分でさえ危うくなるからだ。
ペットは守護竜として崇められ、王宮近くの離宮に遇された。何かあれば守ってくれということだろう。
自分もそこに室を与えらえた。もちろん、ペットの世話係だ。ペットの餌は次々に運び込まれた。中には仲間が目の前で食べられる光景に腰が抜けた隣国の捕虜もいた。今思えば、それが拙かったのかもしれない。
ともあれ、軍靴に踏み荒らされることを防いだ守護竜はもてはやされ、同時に自分の生活も一変した。
美しいドレス、整えられた部屋、贅沢な料理に珍しい菓子、綺麗な小物、何より、誰からも笑顔で対処され、下にも置かぬ待遇を味わった。両親でさえ、自分には頭を下げ恭しくなった。
常に人に囲まれ、賛辞を送られた。
流石は守護竜を従える姫、と。
そう、自分はもはや下級貴族の娘ではない。
一代限りとはいえ、自分自身が爵位を授かったのだ。気が乗らない許嫁とは婚約を解消した。
あの金糸の姫は隣国の暴挙を止めることができなかった、と民からの怨嗟の声が激しくなり、出奔した。よほどの身の危険を感じたのだろう。着の身着のままで、捕らえられて宮殿に連行された時にはドレスは汚れ、破けていた。
惨めだったろう。
逃げていたのをたまたま見つけた村人たちは、民のことを考えていた姫を捕まえて王宮へ引き渡し、褒美をもらおうとした。
人は嘘をつく。嘘が良いか悪いかではない。自分たちが正しい。自分たちの正当性によって利を得るために、嘘をつく。そして、それを何食わぬ顔で成してしまうのが権力だ。
自分には二の腕にうっすらと痣があった。それは見ようによっては花びらのようで、それは特別な印ではないかと幼いころから夢想していた。
自分は他とは違う、特別な存在で、その証なのだと考えていた時は自分は世界でも重要なんだと思えることができた。
だから、それよりもどう生きてどう行動し、どう考えるかが大事だと突きつけた姫が嫌いだった。
姫が捕らえられて、今度は大分年の離れたどこかの国の王族の後添いになるという話を聞いたころ、王宮に呼び出されて隣国へ遠征に行ってほしいと言われた。
自分の国ばかりが踏み荒らされてはなるものか、という気持ちが透けて見えた。渋ったが、与えられた爵位分の働きを見せよと言われた。
だったら、ということで、国境まで守護竜を連れて行き、そこでわざと餌を与えず、開戦と同時に敵軍に放り込むのはどうかと提案した。
破れかぶれの案で、まさか採用されるとは思わなかった。
世の中、馬鹿馬鹿しいことがまかり通ることもあるのだ、とこの時知った。
そして、意外とそれが上手くいくこともあるのだとも。
化け物によって、あと一歩の所で進軍が阻止された隣国はこちらの国の宣戦布告を受けて立った。弱小国が生意気な、というところだったのだろうが、まさかその化け物が現れるとは思わなかったのだろう。
攻め込まれた時よりも一層大きく育った化け物は、飢餓から暴れまわった。つまり、食いまくった。
何を?
敵兵を、だ。
つまり、隣国にとっては、自分たちの体を食べられまくった。
そんな光景に心が折れない者がいるだろうか。
あっという間に隣国軍は壊滅状態となった。
そして、領土を広げた国は、この戦法で更に国境を長くした。
そのころには、乞われて王太子と結婚し、後に、女王となった。
今では守護竜は二十メートルを超える大きさとなっていた。
人の血肉の味を覚えてしまってからは、それも餌だと認識していた。
だから、時折、離宮で働く者を食することがあった。
国を肥え太らせ豊かにし、他国の手から守ってくれる竜だ。それくらいは致し方がない。




