19.サルマン国都 ~わんわん狩猟本能の巻~
四角いベージュ色の石造りの家が並んでいる。
窓も四角く切り取られているので、角ばった直線ばかりの風景だ。道もまっすぐだし、前庭を囲む壁も直線で四角く覆っている。
大体二階か三階ほどの高さで、どの家も屋上に出られるようになっており、防護柵ならぬ防護壁が四角くせり出ている。
『かくかくだね~』
「はは、うん、本当。四角がいっぱいだね」
リムが徐々に近づいて来た街を眺めて言う。
『かくかく四角、か』
「どうかした? ティオ」
『ううん、この上を初めて飛んだし、初見の街だけど、今までならぼくは何も感じなかっただろうな、と思って』
『今はどう思ったの?』
リムの問いはシアンも気になったので、ティオの答えに耳を傾けることにした。
『街によって、建物だけで全然違うんだなあって思った。この近くで採れる石とかの素材が違うからかな?』
「きっとそうだろうね。あとは、気候によって造り方も変わってくるんだろうね」
すごいことに気づくなあ、と感心しながら答える。
『わ、我らは初めて見る景色を楽しんでばかりいました』
『ティオ様の深謀遠慮などつゆ考え及ばず』
『わ、我などは時折うたた寝しておりましたっ』
わんわん三兄弟がしょげるのに、感じるままに世界を楽しむので良いと言うと、揃ってシアンを見上げて短い尾を振る。
なお、九尾は彼らの会話を他所に船をこいでいた。
サルマンの国都はエディスほど大きくはなく、また雑然と入り組んだ街並みだった。
活気があり、あちこちの工房で賑やかに営業している。エディスの冒険者ギルドが通達しておいてくれたお陰で、冒険者証を見せるだけで入市の審査もすんなり済んだ。
ゼナイドとサルマンの国都同士行き来する商人は多く、ここでも翼の冒険者の噂は届いているらしく、街中をグリフォンを連れて歩いていても無用に怯えられることもない。
バスケットの中でわんわん三兄弟は物珍し気に辺りを見回していた。
まずは各神殿を回って転移陣登録を行っておく。
どこでも恭しく、魔道具の登録の際に起きる事象に食い入るように見入られる。
そして、一応、冒険者としてギルドへも顔を出しておいた。
エディスの冒険者ギルドから連絡が入っており、歓待してくれる。
厩舎で待機するティオをわざわざ見に行く職員もいた。すぐに戻って来て、不機嫌そうに唸られた、と嬉しげに同僚に報告していた。
シアンがカウンターでフォマーと言うドワーフの職人を探していると告げると、手の空いた職員に声掛けして知っている者はいないかと聞いてくれた。
流石は国都のギルド職員だけあって街の情報に詳しく、知っていると答えた者が二人いた。
大通りから二本筋を入った工房で働いていると教わる。
ギルドに入る前に街中でちらほらと背の低い筋肉の発達した者たちの姿を見た。職員から一見してそうと分かるドワーフの他、人型異類もこの国では普通に暮らしていると聞く。マティアスはだからこの国へとやって来たのだろうか。表立っては迫害しないが、難癖をつけて人型異類の村を破壊したゼナイドを一旦捨て、サルマンへ来た。そして再びゼナイドへ舞い戻った。その心境はどういったものだったろうか。
礼を言って冒険者ギルドを後にし、ティオを伴って工房へと向かった。道すがら、串焼き屋や果物屋、パン屋で買い食いし、幻獣たちと初めて食べる味を分かち合う。
リムは体が小さいがよく食べる。
わんわん三兄弟も体つきのわりには食べるが、人間の成人男性の半分ほどの分量だ。色々なものを食べるために、半分ずつ食べた。シアンもそちらの方が良かったので、わんわん三兄弟の一匹と分けて食べた。初めは目の前の食べ物に夢中で一つ丸ごと食べようとしたが、折角だから、とシアンが半分ずつ食べるのを提案すると案外あっさり受け入れてくれた。そして、実践してみると、色んなものを味わえるのでそちらが良いと学習したようだ。
「小さな竜?」
「そうだよ。これは珍しいハーブさ。だからちょいとばかりお高めなんだがね。その分、良い香りをもたらしてくれるのさ」
遠方より輸入した中々手に入らない貴重なものだという売り子の口上に、シアンは興味を惹かれてハーブを眺めた。
細長い葉を乾燥させたものだ。
「小さい竜だって」
肩の上のリムに視線を移す。
『ぼく?』
小首を傾げるリムの頬を撫でる。嫌がるそぶりを見せず、目を細めて頬を寄せてくる。
『小さな竜という名が付いたのは、葉がとぐろを巻いた蛇のように見えるからだとも、蛇毒を治す薬となるからだとも言われている。また、洗練された香りを料理に与えるため、「魔法の竜」とも呼ばれる』
「魔法の竜か、ますますリムにぴったりだね」
風の精霊の説明に小さく呟き、売って貰えるだけ買い込んだ。
『食欲増進、消化促進、免疫力強化、高血圧予防になる。生クリームやトマトを使ったソースとも相性が良い』
『トマト!』
『生クリーム!』
リムとティオがそれぞれ歓声を上げる。
良い買い物ができた。
人間の街を味覚や嗅覚、視覚で堪能したシアンたちはようやくフォマーの工房にたどり着いた。
隙間なく工房が並ぶ通りで、ティオたち幻獣が待機する場所を探す。あちこちを見回していると、件の工房から人が出て来て、まずはグリフォンに驚く。そして、シアンが声を掛けるとより驚いた。
「あんたがあの翼の冒険者!」
噂は一工房にまで噂が届いているようだ。商人の行動範囲は驚異的なものである。情報の重要性を感じずにはいられなかった。
噂のお陰で、裏手にある厩舎を借りることができ、幻獣たちに一時、待機して貰う。シアンを一人にすることへの懸念が上がったが、風の精霊がその安全を請け合ってくれる。わんわん三兄弟が寂しそうに鼻を鳴らし、九尾にティオの方を指し示されてバスケットの中で丸くなった。
案内されて足を踏み入れた工房は棚に埋め尽くされ、カウンターの上も物が散乱している状況だった。エディスの魔道具の工房も器材や商品が多くあったが、掃除道具が転がっていたり、雑然とした印象だ。
シアンは工房の人間に、フォマーを尋ねて来た旨を話す。
「エディスの魔道具工房のおかみさんから言付かったものがあるって?」
カウンター奥の扉から出て来たのは背の低いずんぐりした体つきで、髭を生やした男性だ。色黒の団子っ鼻で、シアンを胡散臭そうに眺めてくる。
ナディアから預かった書簡を渡すと、ふんと鼻息を一つ漏らし、その場で読み始めた。
油紙に包まれた紹介状には、翼の冒険者がエディスのために尽力してくれた人物なのでできれば便宜を図ってほしいと記されていると聞いた。
「なるほど。おかみさんの言う通りなら、力を貸すのもやぶさかじゃねえ。それで、何を作ってほしいんだ?」
どの世界でも知人からの紹介というのは大きな効果があるようで、フォマーの態度が軟化する。特に、情報伝達が発達していないこの世界では身分証明をするのが難しい。有体に言えば仕事を請け負ったのに代金を徴収できなければ大損になるのだ。信用のない者から商品を作ることを請け負うのはリスクが大きい。
シアンはマジックバックの中からシンバルを取り出した。
「これを直したいのです。楽器なんですが、できれば、強化もお願いしたくて」
フォマーはシアンからシンバルを受け取って矯めつ眇めつしたが、眉をしかめて返してきた。
「残念ながら、俺には扱えない代物だな」
楽器は畑違いだと言う。
「そうですか。それでは、楽器を扱う方をどなたかご存知ではないでしょうか?」
いくつかの工房の名前を教わり、礼を言って別れを告げた。
工房を出ると、風の精霊が声を掛けて来た。
『シアン、ケルベロスが幻獣化した妖精を追って厩舎を出て行った。リムが追跡している』
騒動が待ち構えていた。
シアンはティオと九尾と合流するために、まずは厩舎へと急いだ。
薄暗い厩舎の扉を開けると、差し込んだ光にティオの目が炯々と光る。鋭い嘴や爪に光が滑り、艶やかな毛並みを浮き立たせ、こんな時にだが、美しい獣だと感じる。
ゆっくり起き上がり、近づいてくる動作は音もなく滑らかだ。躍動感のある筋肉の動きすら綺麗だ。
『お帰り、シアン。どうだった?』
普通の声音で問われ、戸惑いながら答える。
「う、うん。フォマーさんには会えたんだけれど、楽器の修理は取り扱えないそうなんだ。でも、出来そうな職人さんを何人か紹介してもらったよ」
『良かった』
機嫌良さそうに喉を鳴らす。
「ティオ、英知からアインスたちが妖精を追っているって聞いたんだ。その後をリムが付いて行ったとも」
『うん、さっき出て行ったよ』
全く慌てず、何てことのない風で答える。
シアンは眉尻を下げ、こちらものんびり近づいてきた九尾に視線をやる。
『わんわん三兄弟が厩舎の奥で動いていた兎に驚いたんです』
「兎? ここで飼っていたの?」
『従業員のようでしたよ。箒と塵取りを持って掃除していましたから』
「英知、初めから説明してくれる?」
九尾の端的な説明に混乱しそうになったシアンは風の精霊に助けを求めた。腹に顔をこすり付けてくるティオに、火急の事態ではないのか、と思いつつ、その後頭部を撫でる。
『この工房で雑用係として働いていた妖精を、ケルベロスが見つけて吠えたてた。妖精は人の世で働くために兎の幻獣の姿を取っていた。ケルベロスは一目でそれが兎ではないと看破した。妖精は突然犬の姿の幻獣に吠えられて驚いて逃げ出した。ケルベロスは本能からそれを追いかけ、残った幻獣で、一番目立たないリムが追跡役を買って出て行った』
非常に簡潔で分かりやすかった。しかし、この工房で働いていた、などという事情まで知っているとは。
「ありがとう、英知。とても分かりやすかったよ」
謝意を籠めて見上げると、風の精霊が唇の端に笑みを乗せる。理知的でともすれば冷たくも見える容貌がふわりと柔らかくほどける。
『なお、犬が群がり走るさまを猋と表す。猋風とは疾風のことを指す』
虚空に白っぽい靄が文字を浮かび上がらせる。
シアンの脳裡に子犬が三匹絡み合うようにして駆けていく姿が浮かぶ。姦しい犬が猋とした風となって追いかけて行ったのか。
「僕も後を追いたいんだけれど、どの辺りにいるか分かる?」
『ああ。誘導しよう』
「お願い」
ティオたちにここで待っているかと聞くと、まさかシアンを一人にはしないとばかりに双方ともついてきた。
シアンは風の精霊に導かれるまま、足を速めた。
大通りに出て、見たことがある風景だと思いきや、先ほど訪れた冒険者ギルドの建物があった。
建物の前には先ほど話した受付がおり、シアンを見つけて声を上げた。
「あ! 翼の冒険者! 良い所に」
嫌な予感がする。
「今、火急の事件が発生しました。至急、制圧に向かってください」
慌てて駆け寄って来てまくしたてる。シアンが引き受けるのは決定事項だと言わんばかりの口ぶりだ。
『制圧とは不穏ですね』
『武力で相手を押さえつけることだね』
九尾の言葉に小首を傾げたシアンへ風の精霊が説明する。
ティオの武力を当てにしての言葉だろうか。
「一体、何が起きたんですか?」
承諾しないで受付に尋ねる。
「それが、裕福な商人の子息が連れ去られ、空き家に立て籠ったのです」
「それは、犯人を拘束するよりも、そのご子息の奪還が優先されるのでは?」
「もちろんです!」
戸惑って尋ねるシアンに、間髪入れずに答える。
『なおかつ、敵を補足せよということですか。いやはやハードルを上げてきますね。賊の生死は問わないのでしょうか』
「すみません、僕も別件で急いでいまして」
言いさしたシアンに、風の精霊が待ったをかける。
『シアン、ケルベロスとリムが妖精の後を追って民家に入り込んだ。ここも空き家のようだね』
ここも、とはどういうことか。
「それって」
『ああ。その立て籠りの起きた空き家の隣家だ』




