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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第五章
204/630

10. お稲荷さん ~きゅうちゃんの好物が増えた~

 

 風の精霊の顕現に目を回しそうな鸞を他所に、ティオは麒麟に声を掛けた。

『リムに薬を作ってくれて、ありがとう』

 ティオが頭を下げるのに、麒麟は目を見開いた。

『ううん、我は大したことはしていないよ。鸞が煎じてくれたんだ。鸞は色んなことを知っていてとても頭が良いんだよ。我は角をほんのちょっとあげただけだよ』

『その角は君の力の源ではないの?』

『うん、そうだよ』

 ティオがもの言いたげな表情になる。麒麟が小首を傾げる。

『君はシアンのしもべになるのだろう?』

『え、どうかな』

 この時、麒麟は戸惑ったが、島に滞在するうちに、それも良いかな、と思い始めた。ティオはしもべと言ったが、彼らは友人や仲間の関係を築いているように見える。

『もっと自分を大切にして。シアンは自分のしもべが怪我をしたらとても悲しむ。そんなことでは困る』

 はっと意表を突かれたような、核心に触れられた風情の表情をする。

 麒麟は慈悲深いと言われていたが、自分は果たしてそうなのだろうか、と常々思っていたのだ。

『君はそれで良いかもしれない。でも、君を大切に思う者は心配する』

 ティオの言葉に麒麟は項垂れた。常に対成す存在として自分の傍にいる鸞に、随分心配をかけていることを知っていたし、そのことを気に掛けてもいたのだ。


『そういう時はね、ごめんなさいと、ありがとうって言うんだよ!』

 驚いて顔を上げるとリムが近寄って来ていた。

『心配してくれてありがとうって言うんだよ』

『そうだ。吾は麒麟の性質を良く知っている。その上で付き合ってきているのだ。麒麟は謝る必要などない』

『うん……。うん、らんらん、ありがとう』

『だから、らんらんではないと言うに! 全く、九尾はしょうもないことばかり言いおって!』

 涙ぐみながらそれでも笑う麒麟に、鸞は顔を赤らめそっぽを向く。

『うん、まあ、実力行使すれば止めるから。懲りないけど』

『あやつは全く』

 揃ってため息をつく。そして、互いにおや、と顔を見合わせる。

 狐に迷惑を被っている共通認識を得た瞬間である。

 ティオと鸞はそれぞれの良き理解者となった。


 それから、島に増えた幻獣たちはそれぞれ思い思いに過ごした。

 麒麟はのんびりと庭をうろつき、時には庭を出て島を歩き、砂浜を散歩したりもした。鸞は研究に没頭した。

 薬師の存在は貴重だ。

 シアンに薬作成の手伝いを乞われ、鸞は勇躍した。

 天帝宮から許可され薬の素材や書物を携えて来ていた鸞は、館の図書室を見て喜んだ。その隣の一室を研究室にして貰い、棚に容器や機材を並べ、脚立や台などまで用意してくれたことに感激した。

 薬を作るだけでなく、料理をするシアンのために、にがりを作ったりした。そこからできた豆腐料理の美味しさに驚く。



 ティオとリムが狩りへ行き、麒麟が散歩に出かけるのに九尾が付き合い、わんわん三兄弟はこっそりセバスチャンに付きまとった。

 わんわん三兄弟は手伝いの名目でよくセバスチャンの足元をちょろちょろした。傍目にも歩行の邪魔になりそうなものだが、有能な家令は全く歩みを乱すことはない。わんわん三兄弟をシアンのしもべとして位置づけしているらしく、邪険にすることなく適当な仕事を与えてあしらっている。

 最初はできてもできなくても無表情で受け入れていたセバスチャンだが、シアンが上手くできれば褒めてやり、失敗しても一緒にどうすればできるかを考えてやる姿を見習った。

 セバスチャンに褒められたり、やり方の工夫を教わり、体全体で喜びを表すわんわん三兄弟の姿を、シアンは微笑ましく眺めた。シアンのそんな反応があればこそ、セバスチャンはわんわん三兄弟の相手をしてやった。

 当のわんわん三兄弟はシアンに見つからない風に行動しているので、見て見ぬふりをするようにしている。

 そのうち、主はセバスチャンで、シアンは友人の位置づけをしてほしいと願うばかりである。


 シアンは薬師として協力を願った鸞の様子を見に、図書室に顔を出した。

 内装に合わせて装丁した皮の表紙に金の装飾が輝く。美しい天井画や手摺、本棚も調和がとれている。暖炉やクッションが置かれたイス、小さな丸テーブルが隅に配置され、居心地よく整えられている。

 深緑色の壁紙に茶色の皮表紙、艶やかに光る濃茶の書架、臙脂のカーテンや同色のイスやソファの布張りが落ち着いた色合いで、濃く深い思考へと誘う。

 鸞はちょうど本を取り出してテーブルに置いているところだった。

「お邪魔かな?」

「いいえ、どうぞ。ここの蔵書は素晴らしいですな!」

 多方面の知識が蓄えられているらしく、シアンは鸞が書架から持って来た本についての話を興味深く聞いた。

「鸞は薬の作成に詳しいんだよね」

 リムの体調不良時には本当に世話になったとシアンが微笑む。

『そうですな。シアンは薬の他、料理にも興味をお持ちだとか』

「ふふ、僕に畏まる必要はないよ。普通に話してね」

 そちらの方が嬉しいと言われ、鸞は頷いた。


「料理にも詳しいの?」

『知識に関しては多方面に興味があってな。無論、眼光紙背に徹すを心がけておる』

 表面的なことだけでなく、書物の深意を読み取ることを重要視していると言う。

『何か知りたいことでもあるのか? 吾で分かることならばお教えしよう』

「ありがとう。そうだなあ。あ、豆腐の作り方って知っている?」

『まずはにがりが必要だな』

 何気なく口にした言葉に、鸞がすかさず答える。

「え! そうなんだ。知っているんだ。そのにがりの作り方は?」

 まさか、あっさり答えが返ってくるとは思わず、シアンは身を乗り出した。

『にがりは海水から塩分を除いたものだ』

 そちらは遠心分離機と水の精霊を頼れば何とでもなる。


「豆腐の作り方は分かる?」

『大豆を水に一晩浸し、芯がなくなるまで膨らめば、細かく砕く。これが生呉なまごと呼ばれる液体だ』

 問えばあっさりと返って来る。

『沸騰した湯にこの生呉を入れ、泡が吹き上がるまでかき混ぜながら煮る』

「待って、メモを取るから」

『何なら、料理する際に付き合うぞ。吾は調理したことはないが、薬作りと似ているところもあろう』

 シアンが実際に作る気になっていることを見て取り、鸞が請け合ってくれる。

『さて、豆腐だが、次に火を止め、泡が収まったら再び火にかけて煮込む。この泡が小さくなってきたら、こち袋に鍋の中身を入れ、熱いうちに絞る。この豆乳ににがりを加えよくかきまぜた後、置いておくと固まって来るので、晒し布を敷いた方に入れる。蓋をして重しを置き、水切りし、さらに水に晒して余分なにがりを抜く。これで豆腐の完成だ』

 素晴らしい博覧強記ぶりである。

 風の精霊の説明を受けてきたシアンにとっては、知識豊富な者とはこういうものなのだな、と刷り込まれた。鸞もまたこの世界で最高峰の知恵者であるが、シアンにそういった認識はない。鸞が自ら誇ることはなかったからだ。


「その豆腐を薄切りにして重しをして水切りし、全体が薄くなったら低温の油で揚げ、さらに高温の油で二度揚げしたら、油揚げのできあがり、か」

『ほう、シアンは油揚げの作り方は知っていたのか』

「うん、豆腐の作り方も何となくは分かっていたんだけれど、いかんせん、にがりが予想がつかなくて。だから、鸞に教えて貰って助かったよ。今度、豆腐料理を作ってみるから、ぜひ食べてみてね」

『それは楽しみだな』

「そうだね。本で勉強したことが実際どうなるか、って視覚や味覚で実体験してみるのは楽しいよね」

『まさしく。宮に籠っていては知り得ぬことだった』

「じゃあ、天帝宮に感謝しなくちゃね」

 頷く鸞は、リムが大切なことを間違えないのは、シアンのこうした考え方を継承しているからなのだな、と得心が行く思いであった。

 さて、豆腐料理は珍しいので、闇の精霊の姉が好んだ。金色の光の精霊は食感と味があやふやだと嫌った。

 豆腐料理を求めるプレイヤーは多くいたが、知識があっても、異世界ではおいそれと作れないものだった。シアンは精霊や幻獣たちの力と知識で思うままに作ることができた。



 江戸時代から狐というものは油揚げが好きだと相場は決まっている。

 そんな思い込みから、シアンは稲荷鮨を作った。

「きゅうちゃん、お稲荷さんを作ったから、食べない?」

 シアンと盆の上に乗った皿とを見比べながら、九尾が尾を振る。幻影の尾も振られる。

『お稲荷さんってなんですか? 稲荷神社ゆかりのお菓子とか?』

「えっ⁈」

 てっきり好きなのだと思った。甘い油揚げはいかにも九尾が好みそうな食べ物だ。完全な思い込みだったことに、シアンは気づいた。

「あ、ごめんね。物語に出てくる狐がよく油揚げを好む描写がよく出てくるから」

 九尾の好物だと思って作ってはみたものの、何となく、押し付けのような気がして、差し出した皿を引っ込めた。

『ほうほう、それはぜひ食してみませんとなあ』

 皿の上からひょいと稲荷鮨を一つ取って口の中に放り込んだ。

『おお、いけますな!』

「良かった」

 ほっと安堵しながら笑うシアンに九尾も唇の両端を釣り上げる。


 この時から、「お稲荷さん」は九尾の好物となった。

 思い込みでも、九尾の好物だろうと作ってくれたのだ。さほど嫌いな食べ物はない九尾だが、好物が一つ増えた。

 この時、「稲荷鮨」だと言って差し出されていたら「稲荷鮨」が好物となっただろう。ちなみに、「お稲荷さん」は「稲荷鮨」を丁寧に言う言葉である。

 単なる言葉の違いだ。

 けれど、九尾の好物となったのは、「シアンが九尾の好物だろうと思って作ってくれたお稲荷さん」である。

「キツネ色のお稲荷さん。ふふ、油あげってね、裏返すと白っぽいんだよ」

 九尾の大好きなお稲荷さん。


 その光景を見た鸞は、九尾が何故シアンの傍らにいるのか分かった気がした。

「鸞、油揚げでお稲荷さんを作ったんだよ。一緒に食べよう。きゅうちゃん、鸞がにがりと豆腐の作り方を教えてくれたから、油揚げを作ることができたんだよ」

『流石は諸書に通じる鸞ですな! でもシアンちゃん、それだけに、巻措くあたわずなのです。熱中するあまり息をすることすら忘れてしまいかねないのですよ』

「はは、じゃあ、なおさらこっちに来て一緒に休憩しようよ」

 九尾の戯言が鸞を心配してのことだと、シアンも知っているのだ。

 楽し気な二人の様子に誘われて、鸞もいそいそと近づき、自分がしたアドバイスが功を奏したという料理を味わった。

『お主は良い居場所を見つけたのだな』

 茶を淹れるシアンを眺めつつ、鸞が言う。

『そうなんですよ。きゅうちゃん、美味しいものを頂きすぎて、エクササイズに励まなければ!』

 実に楽し気に、九尾が莞爾となる。



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