4. 夢か幻のような島
プレイヤースキルには遠話という便利なものがある。
文字通り、離れた場所でやり取りができるのだ。双方のレベルによって会話できる距離は伸びる。ただし、一方のスキルレベルが極端に低いと遠距離で用いることができない。
高価な魔道具でこれと似たことができた。まさしく、電話の役割を行うものだ。希少な素材と共に、相当の魔力も要する。館に当然の態で備え付けられていた。その魔道具を通じて、ディーノが来訪の許可を要請してきた。商品を持って外商にやって来ると言うのだ。欲しい物はあるかと聞かれ、シアンはブラシを頼んだ。
「聞いてはいましたが、こうなりましたか」
呆れ混じりに館を見渡しながらディーノが言う。
シアンの数歩後ろに控えたセバスチャンを見たディーノは顔を引きつらせる。
一旦外に連れ出し、正面玄関へと向かう。
シアンや幻獣たちは渡り廊下を通るが、外からの客人は転移陣が敷かれた部屋から一旦建物を出て、正面玄関から回って来るものなのだという。
転移陣を擁する塔から続く小路、客人の目に触れることを前提とした庭の佇まいは見事だ。石畳が伸び、その左右に花々が咲き乱れる。右手に現れた石造りのアーチの向こうには背の高い緑を刈って作り上げた迷路がある。
そちらには向かわず、なだらかな弧を描く石畳沿いに歩くと、正面アプローチにぶつかる。左手に曲がると、横長の館が姿を現す。右手にしばらく行けば、館と庭をぐるりと囲む塀の正面門にたどり着く。
「ここでならば、ナンニも育ちそうだ」
ディーノがぽつりと漏らす。
「ナンニ?」
「植物です。薬作成に用いられることもあるんですよ。育ちにくいんですが、ここでならば手を加えずも大丈夫そうですね」
思わず聞き返すと、ディーノが答える。育ちにくい植物もこの島でなら放っておいても育つと聞いて、恵みの深い場所なのだと実感する。
別の庭から転がるようにしてやってきたわんわん三兄弟を、丁度良いとばかりに呼び寄せる。
「お願いしたブラシは彼らに使うものなんです」
「ああ、それで。おかしいとは思ったんです。ケルベロスに使用するのに、子犬用のブラシと聞いて、意味が分からなかったのですが」
わんわん三兄弟の姿を凝視し、ますます意味が分からない、とディーノは首を左右に振る。
「外で立ち話も何ですから、中へどうぞ。今、お茶を淹れてきます」
『わたくしがご用意いたします』
正面の扉を開けたセバスチャンが恭しく一礼する。ディーノが何とも言えない表情を浮かべる。
わんわん三兄弟を連れてシアンはディーノを促して中へ入る。
ティオとリム、九尾も一緒だ。
幻獣たちもシアンも、館へ入る際には精霊たちが協力して足元を綺麗にしてくれる。正面玄関からだろうと、バルコニーからだろうとどこから入ってもだ。シアンがせめて掃除の必要がないように、と精霊に依頼したのだ。人間が外履きを履き替えたとしても、幻獣たちはそうはいかない。
九尾もまたこの館を気に入っているようで、シアンにねだって一室を自室として使用している。
「もしかして、ディーノさんはセバスチャンの過去をご存知なのですか?」
応接室に案内しながら、シアンは尋ねる。
応接室は大きく取られた上部がアーチ型になった窓があり、ふんだんに採光がなされている。
薄っすらと草や花、蔓の模様がなされたアイボリーの壁紙に濃い筋を残すカーテン、イスもソファも臙脂色に金の縁取りがされている。艶が光るローテーブルは鏡の風情で周囲の物を映し出す。
幾筋もの天井から床まで続く窪みがある柱も臙脂色で、上部と下部に金の装飾がほどこされている。
窓からの日差しと、臙脂色とが相まって暖かで華やかかつ上品な感を与える。
「はい。前狼の王がこちらにおられると伺っておりました。ただ何分、魔神たちの仮面を取った素顔というのを見る機会があるとは思わなかったものですから」
『魔神は皆、仮面を取らないの?』
ディーノの対面に座ったシアンの肩に陣取ったリムが小首を傾げる。
「そうですよ。リム様たちは鴉の王にもお会いになられたとか」
『うん、鴉のお面をかぶっていたよ!』
楽し気に言うリムに笑顔を返すディーノは、随分シアンたちの動向に精通している様子だ。
『シアンちゃんのことをよくご存じですね。もしやストーカー⁈』
同じ印象を抱いた九尾が茶化す。
「いえ、闇の君から花帯の君たちには接触を控えるよう下知を頂きましたから、本国の上の方が動けませんでしてね。それで、以前から付き合いのあった私を動かして、お世話をさせていただこうという腹積もりなんです」
ディーノが以前から言っていた本国の上の者とは魔神のことで、自分たちが動けない分、シアンと既知であった商人を使っているらしい。
「暴走しそうなあの方々を止めるのに四苦八苦しているところです。この島もなるたけ穏便に済むように、とは思ったんですがねえ」
どこか疲れた感のある笑顔を見せる。
「ご迷惑をおかけしているみたいで、すみません」
「いいえ、これも役得です。こうやってシアンのお役に立てるのだから、否やはありません」
言いながら、携えたブラシを披露してくれる。
ケースから取り出した木製の艶々したブラシは持ち手や毛束を纏める部分が優美な曲線を有していた。中央に見事な模様が掘られている。
『わあ、綺麗なブラシ!』
身を乗り出すリムに思わず手を出して支えながら、シアンもため息をつく。
「本当だね。使い心地も良さそうだ」
「どうぞ、お手に取ってみてください。実際にブラシをかけてみて具合を確かめてください」
「ありがとうございます。アインス、ウノ、エーク」
シアンが呼ぶと、わんわん三兄弟が足元に寄って来る。
「ケルベロスに三つの名を与えたのですか?」
「それぞれ違う意思と個性を持っているので」
「良い名ですね」
『わんわんわん、ですけれどね』
すかさず九尾が続ける。ディーノが不思議そうな表情を浮かべる。
「向こうの世界で、わん、という音が一という数字を意味する言語があるのです。そこから、他の国の言葉で一という意味を表す言葉をつけました」
「なるほど。分かりやすく、名は体を表していますね」
安直な名前でもシアンが付ければ褒めてくれるのは、ディーノも魔族だからだろう。
名づけられた本人たちが気に入っているので、良しとする。
その子犬姿の幻獣たちはシアンの膝に乗せられてブラシをかけられ、うっとりと目をつぶっている。エークなどはうつらうつら微睡んでいる。
「はあ、大人しいものですね。あの御方の眷属はどれも高い知能を有していると聞いてはいましたが、ケルベロスはその身を汚してもお側にあり続けたほどの忠臣。他の眷属も次々に倣おうとしたのをあの御方が押し止め、理性の戻った僅かの間に、ケルベロスだけを連れて自ら封印の陣に赴いたのだそうです」
「そうだったんですね。それほどのことがあったのなら、セバスチャンに仕えたいんじゃないかな」
シアンの呟きに答えるように扉が叩かれ、セバスチャンが茶を運んできた。
「ですが、その姿でいるのはシアンの傍にいたいからでしょう? それに、ここにいれば、前狼の王の近くにもいられます」
『僭越ながら、わたくしのことはセバスチャンとお呼びくださいますよう』
セバスチャンが一礼してディーノに願い出る。ディーノは怯えた様子で二度三度頷く。
茶を配り終えたセバスチャンは表情を動かさず、戸口に佇み控える。
リムはシアンの肩から降りて、セバスチャンがテーブルの端に置いた小さな台の上のカトラリーを操り、菓子を食べる。
息を詰めてその様子を眺めるディーノに、シアンは微笑む。
「ディーノさんが用意して下さったカトラリーは使い勝手が良いようですよ。リムのお気に入りだものね」
『うん! 深遠も他の精霊たちも褒めていたよ!』
ディーノは頬を紅潮させる。
こうして喜んでいるところからも、彼が先述した通りの役得というのが本心だと分かる。
感激したことを取り繕う風情で、ディーノが言う。
「ブラシの他にも相談したいことがあると伺いましたが」
「はい、これほど広い館や島の管理をするには人手がいると思うのです。幻獣たちがいるので、あまり人を入れない方が良い気もするのですが、セバスチャンに負担がかかってしまいそうなので、思案中なんです」
「なるほど」
ディーノは頷いて茶を一口飲んで続ける。
「実はセバスチャンの以前の眷属に接触されまして。島へ行くことがあれば、様子を見て話を聞かせてほしいと言われていたのです。いっそ彼らを雇っては?」
「セバスチャンの、というと元上位神の眷属ですよね。有難いのですが、正直、そんなすごい存在に来ていただいても、することは館や島の管理ですし、正直なところ、給金を払えないですよ」
正当な対価を払えない上に、役不足だと言う。
『わたくし一人でも島の管理は十分に可能です』
「それはそうですね」
ディーノが苦笑する。
シアンは分かっていなかったが、元上位神だ。島の管理くらい、一柱で何とでもなる。
「給金に関しては、セバスチャンの役に立てれば嬉しい者ばかりなのでそこは大丈夫でしょうが、一柱でも十分でしょうね」
「いえ、対価はきちんと支払わなくては」
ティーカップを受け皿に置いてテーブルに戻したディーノが面白がる表情をする。
「ちなみに、セバスチャンにはどんな対価を?」
「給金のかわりの音楽をと言われました」
セバスチャンにとって金銭は無用の長物だ。シアンも音楽で金銭を得ていたことから、それに価値を見出すのであれば、と頷いた。
反響を計算された小広間があり、その部屋を音楽室とした。その部屋の他、庭でも演奏した。
シアンだけでなく、ティオやリムも参加して合奏することもあった。軽快な音楽に九尾が手拍子し、わんわん三兄弟がくるくるとその場を回ってはしゃぐ姿を、茶を喫しながら眺めるセバスチャンは非常にリラックスしている風に見えた。
「それは実に羨ましいですね」
「ディーノさんもわざわざ足を運んでくださったのですから、何か演奏しましょうか?」
「……宜しいのですか?」
答えるまでに間があったのは、何かしらの葛藤があったからだろう。誘惑に勝てなかった様子だ。ちらりとセバスチャンに視線をやってそのまま固まる。
『シアン、ディーノにもセバスチャンの好きなあの曲を弾いてあげて!』
菓子を食べ終えたリムが、口の周りを舌で舐めながらご機嫌で言う。
それを布で拭いてやりながら、そうだね、と笑うシアンに、セバスチャンも威圧を解く。無言で分を弁えよと訴えていたのだ。
『「何にでもいつか必ず、別れが来る。だから、今この時、精いっぱい愛せるだけ愛しなさい」っていう曲なんだって。セバスチャンは全部で深遠を愛したから、セバスチャンの曲なの!』
自分が自分ではなくなるその時まで、精いっぱいで愛した。そのセバスチャンだからこそ、その調べは強く彼に訴えかけた。
シアンはそのリムの言葉を聞いて、ようやく分かった。
リムもセバスチャンの気持ちが伝われば良いと思っていたのだ。
先日、洞窟で骸骨にこの曲を弾いてくれと言ったのは、セバスチャンがどれだけ闇の精霊を愛したかを、教えたかったのだと。そして、セバスチャンが助かったのは彼女の気持ちがシアンに届いたからであるのだと双方に伝えたかったのだ。
リムはシアンに大事なことを教えてくれる。本当に得難い存在だ。
なお、元勇者で剣聖の彼女はまだあの洞穴で暮らしている。
昔のことを随分思い出して、またセバスチャンと喧嘩をしていた。双方とも楽しそうだった。
「へえ、本当にセバスチャンの曲ですね」
リムの言葉を楽し気に受け入れるディーノを音楽室へ連れて行く。
『あとね、子犬の曲も!』
『おお、わんわん三兄弟の曲ですな!』
わんわん三兄弟も自分たちの曲と言われ賛成とばかりに飛び跳ねる。
期待に応えて、シアンはピアノを奏でる。
軽快で転がりまわる瑞々しい音に、セバスチャンも唇を綻ばせる。わんわん三兄弟たちは自分たちに似合うと言われた曲をセバスチャンが気に入ったことが尻尾の先まで嬉しい。
ディーノは音楽室へ行く傍ら、さり気なく内装を見やり、どんなものを好み、何が必要かを確認し、その後も時折商品を携え訪ねて来て、シアンや幻獣たちを喜ばせた。
そして、商品を見た時の嬉しそうな表情や、実際に使っている姿を見ることを、魔族の商人は殊の外喜んだ。シアンはそんなディーノが来訪すれば食事や音楽、時には島の散策に誘い、勢い、幻獣たちとの交流も増え、親しくなっていく。
シアンは丁寧な物腰ではあっても、やりすぎないディーノとは非常に付き合いやすかった。
それを見て取ったセバスチャンはディーノの来訪を歓迎した。そして、その他の力ある魔族、例えば魔神たちの来訪は阻止した。元魔神であり、長きにわたり閉じ込められていたものの、闇の精霊と光の精霊の助力を得て復活したのだ。魔神にも引けを取らない実力の持ち主となっていた。
特に誇示しなかったため、シアンは気づかなかった。そして、そのセバスチャンと喧嘩をすることができる元勇者で剣聖の彼女の実力にも。その彼女は、次に訪れたシアンが伴ったわんわん三兄弟がケルベロスだと知り、卒倒しそうになっていた。魔神の元にたどり着く前に死闘を繰り広げた地獄の番犬だったからだ。
息をひそめるようにして生きて来た魔族に闇の神殿が広く呼ばわった。
彼らの神々から下知があったと。
闇の君の御心が救われ、かの君は魔族に縛られずに幸せに生きることを望んでいるというものだった。初めは戸惑い、信じられないでいたが、徐々にかの君の慈悲遍き御気持ちを噛み締め、積極的に活動するようになった。職人はその技能を伸ばし、工夫を凝らし、商人はより活発に商業活動を行い、他国へと繰り出し、聖教司は一層熱を込めて闇の君やその心を分けた者たちのことを説いた。農作業や牧畜を行う者は美味しい料理を作り食べることを好むことに倣おうと、良い材料を生み出そうとした。
神々は直接そうは言わなかったが、彼らは闇の君の御心を救ったのがシアンだと半ば確信していた。
魔族は自分たちが永年なし得なかったことを、新しい視点を与えてくれた者に感謝した。
そうして、魔族の来訪を制限した島は、ディーノから伝え聞くことによって幻のような話として広まった。
花が咲き乱れる美しい景観、豊かな土壌、そして何より、花帯の君と黒白の獣の君を始めとする幻獣が楽しく過ごす夢か幻のような島、ということで、幻花島と称され伝えられた。




