3.伝説の行き着いた先
シアンはセバスチャンを救ってほしいと願ったスケルトンに会いに行くことにした。
貴方の願いは叶ったのだ、と伝えてやりたかった。それを現世と冥界との狭間にいる者が理解できるかどうか分からない。それでも、話すだけは話してみようとした。
ティオに連れて行って欲しい旨を告げると、快諾される。それを離れた場所で控えていたセバスチャンが聞いており、自分に関することでシアンが御幸するまでもない、と言う。
「あ、じゃあ、セバスチャンも一緒に行きますか?」
単にシアンが労力を割く必要はないという意味で言ったのだが、穏やかな微笑みの前では大抵のことが焼け石の上の雪片に等しい。
セバスチャンが梟の王に連絡をつけ、直接アンデッドが棲む洞穴に送って貰うことになった。
「あの、こんなにしてもらわなくても良いんですよ。ティオに乗ればすぐですし。ね、ティオ」
「キュィ!」
『ティオはとっても力強くて速く飛べるんだよ!』
リムが自慢げに胸を張ると、前魔神と現魔神とが微笑ましそうに唇を緩める。それを隠すように、揃って胸に手を当て、優雅に一礼する。
『仰せごもっともでございます』
『ティオ様の飛行能力はどのグリフォンにもひけを取りません。なれど、こやつのことに関することでのことで鬼哭啾啾の場へ赴かれるというのに、漫然と座している訳にはゆきません』
そうして、一瞬のうちに別の場所にいた。
暑いくらいの暖かな光から一転、暗く冷たく湿った空気に包まれる。闇に包まれているものの、視界は明瞭で辺りを見渡せた。
そこはすり鉢状になった広場だった。岩陰に白っぽい靄の形状のレイスが漂い、骸骨が骨を軋ませる音がする。彼らは目的なくあてどなく彷徨っている。
傍らにはティオやリム、九尾がいる。わんわん三兄弟はいないので、連れて来なかったようだ。シアンはそっと暖かいティオの背を撫でた。
『あの骸骨じゃない?』
リムがいち早く広大に広がる空間に飛び出し、周囲を見回して目指す相手を見つけた。
シアンがそちらへ視線をやると、確かに、あの年季の入った骨を持つアンデッドがいた。
『彼の方は永い間、妄念に囚われておる。力ある者よ、我らに生前の何らかをもたらす者よ、願いを聞いてくれ。その楽の音を彼の方に届けてほしい』
以前、シアンにそう頼んできた。
骨格のみの姿なので体格差で判別するしかないが、何故か、その骸骨は個別認識できた。
アンデッドがそれまで続いていた感覚から全て切り離される心許なさや、唐突に切り離され、それと意識することができなく、そのまま生きているつもりでいるのだと教えてくれた。もしくは、生への並々ならぬ執着を抱くのだと。
『生前の記憶は多くが失われる。死してなお覚えているのは断片的なもの。そうであるのだが、おぬしらの奏でる音楽は我らの多くを引きつける』
だから、セバスチャンに音楽を届けてほしいとシアンに願った。
セバスチャンとどんな関係があったのだろう。
当の本人である家令は心当たりはないと言っていた。
しかし、梟の王は覚えがあったようだ。
『おや、あれは』
「梟の王はご存知なのですか?」
『はい。これが魔神であった時分、討伐せんと立ち向かってきた勇者です』
「ゆ、勇者?」
勇者と称される英雄と竜を取り扱った楽曲があるので、シアンも知っている。
かくいうシアンも多くの魔獣討伐やヒュドラ退治をして英雄だと称されているものの、戦ったのは幻獣たちなので、本人の自覚は薄い。
その勇者だったという骸骨とセバスチャンが今、対峙している。
『私を覚えていますか?』
骸骨に貴方の望みは叶えられ、セバスチャンは自我を取り戻したのだと言うと、感激に打ち震え、そう言った。
けれど。
『私、私はなんだったんだ?』
やはり、生前の記憶は薄くなるようで、自分のことはよく思い出せない様子だ。不安げに体を揺する骸骨だったが、セバスチャンが頷いた。
『覚えている』
「良かった、セバスチャン、思い出したんだね」
数歩離れた場所で事の成り行きを見守るシアンはほっと息をつき、独りごちた。
『魔力感知をしたので思い出したのでしょう。あれは剣聖とも呼ばれた人間で、魔神の元までやってきた豪の者です。当時、すでに老人でした』
シアンから一歩後方に佇む梟の王が説明する。
「え、大丈夫だったんですか?」
『ええ、元気なものでしたよ。魔神に戦いを挑み、戦っているうち、楽しくなって友人となり、何度も戦いを挑んできたほどには。実に元気な老女でございました』
シアンは一瞬間絶句した。
「おばあさん!」
剣聖と呼ばれた勇者であった彼女との剣の勝負は互角であったらしい。元魔神が魔力を一切使わない勝負であったからだとも言えた。肉体の衰えを経験値でカバーし、純粋な剣技は冴えわたり、生前の勇者はいつしか前狼の王の心を開かせ得るほどの存在だった。
そして、漏らした魔神の闇の精霊への憂いを、彼女はそんな馬鹿なことをと断じ、喧嘩別れした。
『かの勇者は別れた後、ずっと後悔しておりました。それ故、魔神が交代したと知り、新しく狼の王となった魔神を訪ね、食い下がって事情を聞いて憤ったのです』
「怒ったんだ」
随分破天荒な人物だったようだ。
友人を何より大事にしていたのだろう。死してなおこの世に留まり、彼のことを懸念するほどに。
『かの者は剣の腕は超一流でも魔力では我らには遠く及びません。それが故に封印の地に近づくことさえ叶わなかった』
そして、それきり会えないまま亡くなってしまったのだと言う。
『かの勇者は魔力で体力気力などを上げておりました』
それで、魔神と互角に渡り合うことができたのだ。
「ということは、魔力がなくてもセバスチャンは魔力で底上げした勇者で剣聖と呼ばれた人と同じくらい強いということなの?」
今更ながらに、とんでもない存在が家令になったのだという実感が湧き上がってくる。
『シアン、セバスチャンに弾いてあげた曲をあの骸骨にも弾いてあげようよ!』
『そうですね、あのおばあちゃんがシアンちゃんに彼に曲を弾いてあげてほしいと願ったのです。どんな曲で救われたのか、聞いて貰うのも一興ですよ』
リムの提案に九尾が同意した。梟の王も是非にと言う。
そこで、シアンは暗い洞窟でピアノを奏でることになった。
闇の精霊の加護のおかげか、暗さを知りつつ、物が明確に認知できる。
シアンはあの時演奏した気持ちを思い起こした。
セバスチャンになる前の彼の苦しみを取り除きたくて、シアンがティオやリムたちと演奏をすることで、楽しい気持ちと優しい気持ちをを教わった。心ゆくまで音を旋律をリズムを楽しみ、心から愛することを教わった。
落ち着いた思慮深いメロディを心掛ける。
優しく慰撫するかのように旋律を繰り返す。
二人が育んだ友情のように端正に紡いでいく。
徐々に緩やかに感情が募っていき、感極まる。それは相手を思いやってのことだ。眩い光が舞い降りてくる。
高音でひたむきに繰り返されるメロディが彼女に届けば良いと思う。セバスチャンの闇の精霊への気持ちが伝われば良いと思う。
繰り返される伴奏を伴って一途に高みを目指して一つひとつ登っていく。思いの丈をぶつけるように、一つひとつ。
登り詰めた頂上からきらきらした透明感のある音の粒がぶつかりあって虹色の光をまき散らす。
光が収まった後、美しいメロディが優しく訴えかけてくる。
そして、まるで真摯に問いかける風情で、密やかに旋律が流れ、残響を落とす。
その残音を最後まで味わったシアンがふと視線を上げると、骸骨がこちらを見ていた。
深く沈む眼窩に、知性が宿っている気がした。
シアンはセバスチャンにしばらく洞窟に滞在するかと尋ねたが、案に反して彼はシアンたちとすぐに島に戻った。
元勇者はセバスチャンに会い、音楽を楽しみ、少し記憶を取り戻した。動作や言葉がやや活発になったように見受けられた。
別れ際までしきりにシアンに礼を言い、音楽を褒め、また会えることを願っていると言われた。




