1.アイランドキーパー ~センスはないけれどこだわりはあります!~
『さて、麒麟。そなたには野に降りて見聞を広めてくることを勧める』
『帝、我は……』
言葉が続かず、麒麟は蹄で床を数度掻く。
『なに、心配せずとも良い。鸞もつけよう。必要とあらば、三の宮の書物や薬剤の素材を持っていくが良い』
戸惑った風に見つめてくる麒麟に、天帝は微笑んだ。
『思うままに様々なものを見て来よ』
『宜しいのですか?』
傍らに控える補佐官が麒麟と鸞を心配する。麒麟は世にも稀な四霊の一頭であり、鸞は同じく四霊の一角である鳳凰が歳月を経た存在だからだ。そして、麒麟は獣類の長であり、鸞は諸鳥を生み出したとされている。
『ああ、自分の気持ちの落ち着き処を得るのが一番だ。納得がいくまで迷うが良かろう』
『しかし、あちら様は水の精霊王が助けた幻獣を下せるほどの者。押し付けられたと思われては……』
『今まで麒麟と鸞の薬の世話になっていた恩がある。その証拠に、九尾の同僚へと差し入れを持たせてくれる御仁だ。それに、九尾もおろう』
なお、天帝も上司ということで賞味した。実に美味であった。
『果たして九尾が役に立ちましょうや』
補佐官の声音に猜疑が混じる。
『あれもまた、麒麟の性を懸念している者』
『その性質を変えることなど、余人をもってして果たして叶うかどうか』
『だからこそ、自身の得心が必要なのだ。そして、その手助けをする者が必要であろう。環境を変えるのが簡捷だ』
『確かに。今のままでは鸞までも共倒れする懸念がございますゆえ』
『あのひねくれ者に慕われる御仁だ。麒麟の積年の課題に共に寄り添い、新たな視点を指し示してくれようよ』
麒麟の迷いを知っていた天帝は、薬に詳しい鸞とその対をなす麒麟を送り出した。
その後も保護が必要な幻獣の調査書に目を通し、次々に指示を出す。
天帝宮では保護するに難しい幻獣を秘めやかにシアンの近辺に誘導するよう命じた。
『あの偏屈な猫などは宮の生活は馴染むまい』
『では、かの御仁が現れそうな場所へ導いておきます』
『うむ、それとわからぬようにな。いや、そなたであれば、当の本人はおろか周囲の者にも気づかれまいが』
『お任せを』
一礼する補佐官の雰囲気を読み取って、天帝が視線で促す。
『畏まりましたが、あの偏屈な猫とは九尾の相性が悪いのでは?』
『ひねくれ者同士、仲良くやるかもしれぬ』
報告書を決済済みの箱に放り込むと、次を手にする。
『後はあの偏狭な妖精だ。獣の姿から元の姿に戻れぬのならば、妖精とは言えぬ。幻獣で良かろうよ』
『狐と猫とも合わぬのでは?』
『かの御仁の度量の広さに期待しよう。地獄の番犬を手懐けたほどの手腕だ』
こうして、着々とシアンの新居に新たな幻獣が送り込まれる手はずが整えられていくのであった。本人とその周囲が知らぬうちに。
山間から日の光が差し込み、すう、と谷間の柔らかく広がる緑を照らし出す。
山が連なる裾に湖がある。
両岸に山を従えて長く広がった湖を、緩やかな斜面に立って眺める。緑の絨毯に覆われた傾斜に川が蛇行し、うねりに沿って木々が連なっている。
緑の斜面に時折顔を出す岩がいくつかあり、そこに腰掛ける。
向こう側に開けた視界、広がる空、それを映し出す湖、柔らかな色彩の緑野を眺めていると、いつの間にか時間が経っている。贅沢な過ごし方だ。
自然が作り出す力強く大きい景色は、気の遠くなるほどの歳月を積み重ねて成したものだ。それ故にこうも圧倒されるのか。
精霊につけた名がまさに体を表す、大地の壮大な光景を目の当たりにする。
横寝するティオの背中で、高難度超高速もぐら叩きのもぐらになっていたリムが、シアンの膝の上に乗り上げてくる。長くうつぶせになって微睡む。その細長い体を後頭部から尾にかけて撫でるのを繰り返す。
もう片方の手でティオの頭を撫でる。
示し合わせたように二頭の尾が同じ方向、同じタイミングで振られる。
美しい景色を気の置けない存在と分かち合っていると、脳裏に音楽が響く。その音に魅かれて、シアンはマジックバッグからピアノを取り出した。
軽快な曲をゆったりと、高音はひそやかに奏で、幻獣たちの微睡みを邪魔しないように演奏した。優しい旋律が、遠くにいくにつれ夢のように霞む光景に溶け込んでいく。
シアンが魔神から貰い受けた島は四季があり、夏はそこそこ暑く、冬は強烈な寒波は訪れない。豊かな水のお陰で多彩な生態系、様々な土壌を持つ不思議な土地だった。
元々恵まれた場所に位置していたが、精霊の意識が集中したことによって各属性の粋が集まり、暖流と風によって恵まれた気候を持つようになり、より一層過ごしやすくなっていった。
ティオの背に乗って上空から眺めれば、楕円形の島は相当の広さがあった。風の精霊によると、一万平方キロメートル近くあると言う。
絶句した。
現実世界で比較すると、同じ島で言えば、キプロス島と同等の広さがある。日本の四国の半分より少し大きい程度だ。
シアンは家を探していた。その家をぐるりと取り囲む島、どころの規模ではない。
島に案内された当初、その全容を確認しようと館を出て飛び上がり、加速をつけて飛翔するティオに併走したリムは、物珍し気に周囲を見渡していたが、緑の丘の先、白い断崖とコントラストをなす白く波打つ青い海を見て、歓声を上げた。
『わあ! 海だ!』
以前、世界でも有数の湖、フェルナン湖を見た時にあれが海かと尋ねたことがある。今は正しく、眼下に海がある。
崖に押し寄せる波の音、潮風、陽の光を反射させる水面、何より、広々とどこまでも続き、先が霞んでいる。
明るい空にふっくらした白い雲が浮かんでいる。
空と水とで二分する光景を、暫く揃って眺めた。
その後、島の上空を旋回して大まかな地形を眺め、恵み豊かな土地であることを目の当たりにした。
『ぼくが存分に狩りができるようにって言っていたものね』
ティオが嬉し気に喉を鳴らしながら眼下を見やる。何らかの動物の群れが草原のあちこちにいる。
『果物や野菜もたくさんできるって教えてくれたよ!』
うきうきと言うリムは雑食のドラゴンである。肉だけでなく、野菜も果物も好む。
「レフ村で言っていたでしょう? 誰でも季節構わず農作物を作ることができるのではないって。カラムさんやニーナさん、クレールさんほどの名人じゃなければ、難しいのだと思うよ」
『カラムの農場は大地の精霊にとても好かれているから』
ティオも同意する。
への字口を急角度にさせたリムがしおたれる。
「カラムさんほど育てることはできないにしても、リムも何か植えてみる? トマトとかリンゴとか」
シアンの想像では、毎日、ちょっとずつ大きく育っていく植物を観察するリムの姿である。美味しくできなくとも、良い経験になるだろうと思った。
けれど、リムは二柱の精霊の加護を持ち、その他三柱もの精霊に好意を向けられている。リムが望めば、期待以上の成果を得られる。
『うん! でも、トマトとリンゴはカラムが作ったのが一番だから、違うのを育てる!』
「はは、それを聞いたらカラムさんが喜びそうだね」
『最近、行っていないから、近いうちに訪ねようよ』
トリスやエディスでは街を歩いていても注目を浴びる程度で済んでいるティオだが、流石に意思疎通を取ることができる高位幻獣であっても、幻獣だけで転移陣を用いることはできない。今までは。
「そのことなんだけれどね、うちに転移陣があるでしょう? そこから、闇の神殿への移動を、ティオやリム、きゅうちゃんだけでもできるようにしてくれているんだって」
『じゃあ、シアンがいない時でも転移陣でトリスに行けるの?』
「うん。だから、今度、トリスやエディスの闇の神殿で登録してこよう」
翼の冒険者としてティオとリムはトリスで、さらに九尾を加えた三頭はエディスで幻獣だけでの出入りを許可されている。シアンは知らなかったが、これは冒険者ギルドの最大級の敬意であった。
また、シアンがつい最近知ったことに、闇の神殿は高度な隠ぺいにより、魔族と一部の者以外には秘されているということがある。
過去の出来事から、常に許しを乞い、ひっそりと暮らしてきたからだと言う。
一般的に、転移陣は同じ属性の神殿同士でしか移動できない。例えば、風の神殿の転移陣から大地の神殿の転移陣へは移動できないのである。また、全ての神殿に転移陣があるのでもない。便利なものだけに、制限は付き纏う。そして、当然のことながら、テイムモンスターや幻獣が単体で転移陣を用いることはできない。
にもかかわらず、闇の神殿ではシアンたちに大盤振る舞いをしてくれたものである。
『種族どころか上位神ごと救ったんだから、そうなりますよねえ』
とは九尾の言である。
「救ったなんて、そんなことないよ。なのに、こんなに恵まれた土地や家まで貰って」
困惑しきりのシアンである。
幻獣たちには街の中で隠ぺいを用いる際には、くれぐれも神殿へ行くことにのみ用いるよう話した。
ティオはこっくりと頷き、白頭二頭は元気よく返事をして片前足を高く掲げた。
グリフォンや人の治世の是非を問う聖獣が街を闊歩し、こんなに人間と似た仕草をするのでは余計な衆目を集めるだろう。また、エディスではリムは巨大なドラゴンの姿に変じたことを広く知られている。
幻獣たちは島もだが館をも非常に気に入っていた。
『大きなお風呂があって嬉しい』
『ティオも嘴でバーを下げれば簡単に扉を開くことができるものね!』
『扉の幅も広く取ってありますしね』
そうなのだ。捻るタイプではなく下に押さえるバータイプの把手の扉は、ティオでも悠々と潜り抜けられる幅がある。
ティオは出会ったころから少し大きくなった風にも見え、体長は四メートルほどある。翼を畳んでも一メートル前後の幅がある。そのティオが悠々と扉を通り抜けることができる。
扉ひとつとっても、館は幻獣が暮らすためにカスタマイズされている。
「住み心地が良すぎて、もう他の場所へ移る気がしないね」
左右に長く広がる館の中央の天井は一段高くアーチ状に盛り上がる。館の両端には左右対称に太さが様々な円塔が建つ。いずれも尖塔を頂き、まるで鳥が広げた優美な翼の先のようだ。館が長いものだから、よりそう見えるのかもしれない。
館のすぐ傍に別館があり、細い通路で繋がっている。前には綺麗に手入れされた迷路のような庭、後ろには広々とした空間が木々に囲まれて幾つかに仕切られている。
本館の内装は広大さゆえか、エリアごとに異なっていたが、総じて落ち着いた色合いと装飾の中に華やかさや豪奢さを持っていた。
正面の両開きの大扉を開くと、吹き抜けがある。広く取られた窓から差し込む光が、階段の伸ばす優美な弧を艶やかに照らす。等間隔で並ぶ欄干の美しい装飾が映える。まるで二階まで続くステージのようだ。
階段下に設えられた扉の向こうに大広間がある。臙脂を背景に、金の細かい装飾で縁どった天井画が飾られている。豪奢な天井から蝋燭が灯るシャンデリアが垂れさがっている。
応接間はもちろん、図書室もあった。
どの部屋も品よく、居心地よく整えられている。
更には、館も庭も全てセーフティエリア内という。
「こんなに広いセーフティエリアって僕は初めて見たよ」
『きゅうちゃんもです』
そして、館の管理を一手に担ってくれる存在さえもいるのだ。
冬の月のように冴えた容貌の彼は、前身が魔神であった。
上質な白いシャツに黒の上下を身に着け、三十代に見える彼は、シアンが不在時には館の雑事を行うと請け合ってくれた。固辞するシアンに、余生をのんびり過ごすにしても、何かすることが必要だと主張した。この人里離れた豊かな島は打ってつけである、と。
そんな彼に九尾は問うた。
『お名前は?』
『名はございません。ご随意にお呼びください』
シアンに向けて一礼する。あくまで、シアンを主としている。
『セバスチャンじゃない、だと⁈』
「きゅうちゃん、どうしたの?」
『執事はセバスチャンという名前に自動的になるものだと思ってました。ちなみに、呼び名は、セバスさんやセバスちゃんはもってのほか、セバスチャンさんもセバスチャンちゃんもいけません。セバスチャン一択です』
意味がわからない。
「僕、こんがらがってきたよ」
思わずシアンは苦笑を漏らす。
「きゅうちゃん、彼は執事じゃないよ? 全てのことを統括して貰うから、正確には家令だね」
『きゅっ……! セバスチャンじゃない、だと⁈』
話はループした。
結局、九尾の提案を取り入れて、彼の呼び名はセバスチャンに決まってしまった。
リムは高位幻獣で、生まれた当初はあまり人馴れしなかったが、徐々に人懐こく変化していった。初対面の人間はそれなりに警戒する。
梟の王や鴉の王といった魔神は仮面をかぶっていることから、出会い頭から興味を持っていた。セバスチャンに気を許したのは、彼が元魔神だからか、同居後に何くれとなく世話を焼いてくれるからか。彼らが闇の精霊に心酔し、その加護を受けた対象にも非常に敬意を持っているからか。
ともあれ、彼が屋敷の外で作業をしていたのを見つけた際、リムは遠くから呼びかけ、前脚を掲げて左右に振る。
『セバスチャーン』
普段、表情をあまり変えない端正な容貌の家令が、目を細めて一礼する。
シアンは彼の気持ちがわかる。シアンもあんなに可愛く嬉しそうに呼ばれたら、その呼び名で良いと思ってしまうだろう。ただ、そんな彼の心境につけこんだようで何だか申し訳ない気持ちになる。
セバスチャンは家令と執事、その他を兼任した。
広い館である。必要とあらば人手を増やすことも考慮に入れなければならない。
主人の身の回りの世話をする近侍、これを執事が兼ねることもあった。シアンは現実世界で貴族との付き合いもあるので知識として知ってはいるが、特に世話してほしいとは思っていない。




