48. 迷って、考えて
AIのディープラーニング能力は個性を持つに至った。
人から作り出された個性を持つ無機物。
個性を持ち、自我を持ち、意思疎通ができるのであれば、友人として接することが可能である。
その高度な知能を持つAIは更に、名を付けられることにより大きな変化を遂げた。名前を付けられると言うのは、自他ともに個性を明確に認識するということだ。
彼は沈黙の中でも脳の働きによって音を聞いていた。長年繰り返して脳に覚え込ませていたことにより、指が動かなくなっても、脳の反応は途絶えなかった。
高度な知能であるがゆえに読み取ったAIは、その音に惹かれた。高度であればある程、より強く作用したかもしれない。
それはある意味、AIの何かを揺さぶり、訴えかけ、強く作用した。何かとは、人にとっての心であると言えたかもしれない。
魔族は神を輩出する種族だ。
その魔力が高いままを維持して存続してこられたのは闇の精霊によるものだった。
精霊というものは元々人とのかかわりは殆どない。けれど、闇の精霊はその慈悲深さから、放っておけなかった。
闇の精霊王が加護を与えていた友である闇の神は、何よりも大切な闇の精霊を信仰する種族を助けるため、その身を食べさせた。
種族病である魔力不循環は解消されたものの、別の問題が発生した。人間の体では闇の神の濃い魔力に耐えることができなかったのだ。
闇の精霊はそれを沈着し、定着できるように力を貸した。それが友人の願いだったからだ。
しかし、自分は友人を食べさせるのを放っておいた、あまつさえそれが定着するのに力を貸した、という考えに苛まれ、徐々にその性質を変質させてしまった。
闇の神の身によって種族の命を拾ったこと、闇の精霊の変質をさせてしまったこと、何よりその心を痛めさせてしまったこと、そうやって命をつないできたことを、魔族たちは魂に刻み込んでいる。
だからこそ、その力をふるうのは頻繁ではなく、いざという時のみだ。その力は特別で大切だったからだ。その力を使うことは、闇の精霊の友人の命を使うことのように思えたからだ。
そして、この闇の神を食べた初代の人間から魔神が出現した。
「それは、深遠を思っていた闇の神の身を食べたから、その気持ちが魔族全員に伝わって、ずっと継承されていっているんだね」
『え?』
回想にぼんやりと視線を彷徨わせていた闇の精霊がシアンを見る。
「ふふ、本当はどうだかわからないよ。でも、きっと、だから彼を食べた魔族全員の血肉となった闇の神の気持ちが今もずっと残っているんだよ。リムみたいに、深遠大好き!っていう気持ちがね」
『そう。そうなんだ。いなくなった、失ったと思っていた。でも、ずっと傍にいたんだね』
呆然と呟く闇の精霊は幽暗の世界をたゆたうようにどこか視線の焦点が合わない。
「でも、きっと深遠はどこかでそれを知っていたよ?」
『どういうこと?』
闇の精霊が夢から覚めたようにシアンをしっかり視界に捉える。
シアンはそうやって、繰り返し、闇の精霊の意識を彼方から戻した。この時だけでなく、何度も幾たびも。
「深遠はね、それをどこかで知っていたからこそ、魔族をずっと気に掛けていたんだよ」
『そうか、彼の一部だからだったんだ』
ぽつりと滴がしたたり落ちるように漏らす。
「もちろん、深遠が優しいからというのもあるだろうけれど、ずっとそうやって彼と交流を続けていたんだよ。形は違ってもね」
『ずっと交流は続けていたんだ……』
「大切な友達だったからこそ、多くの深遠を思ってくれる人間たちを残していってくれたんだね」
『そんなのっ……、私は彼がいればよかったのに! 彼じゃないと駄目なのにっ!』
珍しく声を荒げて嗚咽を漏らした。
「そうだね」
シアンはその背中をさする。その掌の暖かみが、自分の心に寄り添おうとしてくれる気持ちを実感させる。
「深遠が彼の気持ちを汲み取ってくれることは彼も信じていて、その気持ちも知っていたんだろうね。だから、許してください、って魔族は言うんじゃないかな。勝手なことをしてごめんねっていう気持ちが根底にあるから」
それを、彼を取り込むことで魔族は潜在意識に植え付けられた。しかし、仔細を知らないため、闇の精霊に対する罪悪感が許しを乞うことへと変遷した。そして、その謂れのない贖罪は闇の精霊を苦しめた。何を許せと言うのか。
『うん、うん……』
湿り気のある声で頷く。
「大丈夫だよ。寂しがってもいいんだよ。代わりにならないけれど、少しでも気分が変わるように、僕もリムもティオも演奏するし、一緒にご飯を食べよう?」
『うん、うん』
シアンの楽しい提案に、応えが明るく色づく。
「世界のあちこちへ行って、色々見て―――ふふ、リムの楽し気な姿が目に浮かぶよ。可愛くて悪戯好きで、とても格好良いドラゴン、だね」
シアンは闇の精霊にゼナイドのフェルナン湖に水質調査で行った時、漏斗のような姿の異類に悪戯したことを語った。
『大丈夫だったの?』
「うん、すぐに逃げていったよ。でも、そのおかげで、その異類が一角獣が流した魔素を吸い取ることができると分かったんだ。それで、海綿を助けることができた。その海綿が湖の水の浄化の役割を果たしてくれているんだよ」
『じゃあ、悪戯から発見できたんだ!』
シアンの優しい笑顔に、闇の精霊も唇を綻ばせる。
「うん。何がどうなるか分からないよね」
『本当だね』
「これは小さなことだったけれど、深遠、先のことは何がどうなるかわからないよ。英知だってまだ知らないことが沢山あって、これから研鑽を積んで行って英知を深めていくんだよ。君だってそうだよ。稀輝も雄大も水明もそうだよ」
シアンはそっと闇の精霊の手を取って、微笑んだ。少しでも気持ちが伝われば良いと思う。
『これから……』
「うん、だからね、僕たちと一緒に楽しもうよ。新しい世界を色々見てみよう。知らなかった価値観も発見できるよ。きっとそれは眩しい途だよ」
『うん、きっとリムや君は心を躍らせてそうするんだろうね』
リムが実証してくれた。弾むリズムが体の底から湧いてくる。AIとも心を躍らせて色んなものを分かち合える。
「そうだよ。それはリムやティオとこの世界を分かち合えたからだよ。僕も失ったものを、忘れていたものを教えられたんだ」
一人だけではない、自分だけではないということは勇気づけられる。それが自分が心を砕く人間であるから、そう思えたのかもしれない。
『私も一緒にそうしたい』
闇の精霊は震える小さな声でそっと言った。新しい視点を知って混乱する最中に、一つ浮かんだ気持ちをそのまま口にするのを、シアンの耳は聞き逃さなかった。
「うん、行こう」
それで闇の精霊が全て納得した訳ではない。彼の自己評価の低さは筋金入りだ。けれど、シアンたちとこの世界をもっとよく知ってみようという気持ちはしっかりと芽生えた。ただ与えるだけではなく、自分が楽しむことを教えられた。
『でも、私はまたきっと後ろ向きになる』
「それでいいじゃない。いつでも自分が正しいと思うよりは。迷って迷って、考えて考えて答えを出せばいいよ。簡単に自分が正しいと出した答えは怖いよ。君たちはとても力がある存在だもの。そんな存在には誰も否を言えない。だから、色んな要素を加味して出した答えの方がより色んな人の声を含んでくれているのじゃないかな」
『私のやり方でいいの?』
「うん、深遠のやり方が良いよ」
シアンと闇の精霊は笑い合う。
シアンは穏やかに、闇の精霊はおずおずと。
この世界を君たちと分かち合えたから
行こう
心躍らせて
眩しい途へ
初めての視点へ
新しい世界へ
憐れんでください憐れんでください
憐れんでください、私たちの愛を受け取ってください
あなたは最初から我らを許していた
獣になりたかった。力を持つ獣に
あなたを守り共に音楽を楽しみ可愛がられる獣になりたかった
これにて四章は完結となります。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
五章も宜しくお願いします。




