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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第四章
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47.島と城館と子犬と ~可愛くあるべき!の巻~

 

 梟の王がケルベロスを伴ってやって来た。

 地獄の番犬も魔神には大人しく従っている。彼の姿を見て一瞬立ち止まり、我を忘れて近寄った。

 彼の周囲を幾度も回り、ひたりと横について腰を下ろす。前脚で半身を支えて座る姿は飼い主に忠実な犬そのものだ。


『ああ、流石は花帯の君。この者をお救い下さるとは』

 梟の王が感銘を受けた様子で立ち尽くす。

『お前は……』

 梟の王を見て何かを反芻する風情で遠くを眺める。

 と、見る見るうちに、骨と皮ばかりの彼が白皙の美貌を持つ三十代の均整の取れた姿になる。黒く腰の強い髪、先が跳ね上がった眉、高く通った鼻筋、理知的な黒い瞳を持つ。

『梟の王か』

『思い出したか。久しいな、先代狼の王』

『前は狼のお面をかぶっていたの?』

 梟の王と彼の会話に、リムが小首を傾げて尋ねる。

 ぴりりとした緊張感漂わせる神々の会話に加わるリムを、シアンは慌てて止めようとした。

『さようにございます』

 しかし、前魔神もまたリムには非常に恭しかった。


『この度はこの者をお救いいただきまして、感謝の念に絶えません。魔神十柱を代表しまして、心より御礼申し上げます』

 梟の王がその場に跪く。それに彼も倣う。

 シアンはどもりながら立ち上がってくれるように言う。

 神に膝をつかれるなど、心臓に悪い。

 前身は人の身であったとしても、自身の力で神になることができた者たちなのだ。精霊や幻獣頼みのシアンからしてみると、雲上の存在だ。

『つきましては、些少なりともその御礼になればと家を準備させていただきました。なにとぞお受け取り下さい』

 しかし、梟の王はシアンを見上げる位置から動かず、とんでもないことを言い出す。

『お家!』

『どんなの?』

 リムだけなく、ティオも興味津々である。

 ティオも家が欲しかったのか、と思いながら、シアンは固辞する。

「いえ、そんな、頂く訳にはいきません」

『そうおっしゃらずに。一度ご覧になるだけでも』

 どれだけ断っても、言葉を変えて熱心に勧める。切々と訴える家を取り巻く恵まれた環境に、幻獣たちがその気になっていくのが傍から見て取れる。


『シアンちゃん、見るだけ見てみては? 良さそうな物件ならば、買えば良いのです。もしお高いのなら、分割払いにしてもらうという手もありますよ!』

 そう言う九尾が、リムとティオが家について梟の王に質問する隙に、シアンを少し離れた所へ引っ張って行ってこっそり囁く。

『一度見てみるくらいしないと、上位神の気が収まりませんよ。梟の王は魔神たちの代表と仰っていました。シアンちゃんに見せもせずに帰ったら、他の九柱の魔神に文句を言われるかもしれません』

 そこで、梟の王の顔を立てるためにも、一度は見に行くことにした。


『館には転移陣を設置しております。闇の神殿にて登録していただければ、自由に行き来できます』

『ほう、もはやそれだけで神の領域ですな!』

 行く前から購入する気が失せる。

 転移陣は国が管理しているのではなく、あくまで神の御業、それを管理するのが神殿である。神の御業として存在するのだ。国家間すら行き来できるが、保安上、国境同士の転移陣を経由しなければならないとされている。これは許可があれば免除される。

 転移陣はどこにでも設置できるものではなく、特定の場所にのみある。

 実際に運営しているのは神殿に務める聖教司たちだが、その用い方は神に「お伺い」を立てることになる。


 梟の王が魔力で作り上げた転移陣を踏み、魔神たちがえりすぐったと言う家に移動する。

 転移陣は上位神であっても、どこにでも作れるのではなく、場所を選ぶのだそうだ。

『魔神も転移陣を敷くことを得意不得意とする者がおります』

 梟の王や鴉の王は転移陣や結界を用いることを得意としているので、前魔神の封印に携わっていたのだと言う。

『お陰で、こうして花帯の君や黒白の獣の君と再び相まみえる素晴らしい機会を得ることができました。我が力がこれほど誇らしく感じる時がくるなど思ってもおりませんでした』

 頬を染めながら言う梟の王は、移動した先、品良く整えられた一室の扉を開けた。ティオやケルベロスが一緒にいても狭くない大きさの転移陣がすっぽり入る部屋だ。

 そこから廊下を通り、正面玄関を抜けて外へ出た。


 ホールとも言える空間からして大きな建物だとは思っていた。

 振り返って外観を見て、シアンは絶句した。

 横長に優美に広がる館はもはや城と呼ぶべき巨大建築だった。

『大きい家だね!』

 リムがシアンの肩から飛び出して、距離を取って建物を眺める。

 家、家なのか。部屋が幾つかと居間と厨房と、と数えるのが家ではないのか。

『厨房をまだ見ていないから』

 ティオはシアンの希望を覚えていて、先ほども梟の王に尋ねていた。

『建て増しや改築をする手段もございます』

 先般と同じ提案をする梟の王に、ティオは頷く。

『お風呂もあるんだよね、ティオが入れるようなやつ!』

『もちろん、ございます。後ほど、ぜひ、厨房と合わせてご案内させてくださいませ』

 戻ってきたリムが尋ねるのに、梟の王は相好を崩す。唇は笑みの形でずっと固定されている。


「ここはどの辺りなんですか?」

 ようよう気を取り直したシアンは強い日差しに疑問に思う。

『ゼナイドより大分南に位置する島です』

『島?』

「海に囲まれた小さい土地のことだよ」

『わあ、海!』

 リムが顔を輝かせる。

『豊かな大地に資源豊富な山、動植物の生態も多様です』

「どの国に属するのですか?」

 ゼナイドは寒冷な土地だった。梟の王が言うような場所もあるのだなと、どんな国なのか気になった。

『いいえ、いずれの国の領土でもありません』

「え?」

 思わず、シアンはまじまじと梟の王を見上げる。

『花帯の君の島でございます』

 梟の王は当然のように言い切る。

「え? え?」


 そうして、シアンは館ごと島を貰った。いつの間にか、権利書を手にしていた。

 返そうとしても受け取ってもらえなかった。シアンも受け取った記憶はない。本当に、いつの間にか、持っていたのだ。

「で、でも、こんなに大きな館を維持するのは大変ですし。それに、僕は常にこの世界にいることはできないのです。ティオやリムが安心して過ごせる場所を探していて……」

 どうすればこの事態を回避できるのか、とシアンは口ごもる。

『それでは、この先代狼の王に家令をさせましょう。何、こやつはこれでも一度は魔神を務めた身。花帯の君や幻獣たちの警護には打ってつけでございましょう。我ら魔神はこう見えて、一通りの礼儀も弁えております』

 非常に端正な所作を身に着け、且つとんでもない力を有しているのは感じる。

 梟の王の言っていることは分かる。

 分かるが、違う、そうではないのだ。

「いえ、そんなすごい方に維持していたく必要がある家というのは、ちょっと頂けないというか、必要ないのです」

『でも、大きなお家だよ! ティオが入れるお風呂があるって!』

『冷蔵庫を置ける大きな厨房に、音楽ができる部屋があるって』

 すっかり気に入ったリムとティオが勧めてくるが、大きな家ではない。もはや城館だ。

 九尾はにやつきながら傍観の姿勢だ。


『永らく封印されていたため、こやつは記憶の多くを失っております。しかし、ここでならば、過ごしやすいでしょう』

 前代狼の王のためだと言われると、シアンも断りにくい。それを察したのか、当の本人が淡々と否定する。

『いや、花帯の君の御迷惑になることは出来かねる』

『でも、ケルベロスなんて連れて世界を放浪するのは大変でしょうよ。永らく封印されていたのでは、世相も大きく変わっている』

 独り言めいた九尾の言葉に、シアンは息を飲んだ。

 彼が封印されたのは遠い昔と聞いた。その知る世界は、大きく様変わりしているだろう。

『シアンちゃんは常にこの世界にいられるのではない。ティオやリムにも心安く広々した空間で暮らすことができる。同じように元魔神も過ごすことができる。魔神もシアンちゃんの恩に報いることができる。三方良しです』

 九尾が勧めるのに頷かずにはいられなかった。

「確かに、これ以上ない場所だね。あの、もし宜しければ、一緒にここに滞在されませんか? 随分長い間あの洞窟にいらしたのだと聞いています。慣れるまでの間、どうでしょうか?」

 広い土地なのだし、とシアンは微笑んだ。

 彼はその場で跪く。一心にシアンを見上げて口を開く。

『この身、この力、この忠誠をもって、終生御身にお仕え致します』

 どこかで聞いたことのある文句である。

「ロイクも同じことを言っていたなあ」

 随分、昔の出来事のように思える。

『シアンちゃん、元は魔族で広まった誓約の句なんですよ。闇の精霊への敬愛を表す言葉で、転じて現在では、最上の忠誠を誓う文句となりました』

 そんなに大ごとだったのか、と言葉もない。

 短い間に二度も受けてしまった。

 受け取り拒否など発想すらないシアンは呆然とするしかなかった。


 梟の王はその様子を満足気に見やっている。

 後日受けた『何故、先代狼の王を花帯の君の傍に置いて来たのだ』という他の魔神の嫉妬の声を、『あやつが傍に仕えておれば、花帯の君と黒白の獣の君と我ら魔神との繋がりが出来ようよ』という言葉で封じ込めた。

 つまり、シアンたちとのパイプ役をも押し付けたのだ。

 幻獣のしもべ団団員になることを諦めきれなかったのか、とディーノは肩を落としたという。ちなみに、それはまたぞろ強制参加させられた魔神会議での仕儀である。

 梟の王は長い年月で忘れていた。

 前狼の王は誰よりも苛烈に闇の精霊への思いを抱いていたからこそ、狂ったのだ。

 そんな存在が、大仰なことを嫌うシアンの意を汲まないでいるだろうか。


『お前は今後、私ではなく花帯の君にお仕えするのだ』

 前魔神は傍らに控えるケルベロスに告げる。

 三匹の犬の頭がしょんぼりと項垂れる。

 てらてらと濡れた黒い猛々しい姿が見る影もない。

『お前は闇の属性だ。私は光の精霊の影響を受けた。今までのごとく私に仕えることはできないのだ』

 今まで、良く仕えてくれた、と言う彼に、ケルベロスは誇らしげに鳴いた。

「あ、じゃあ、この家をよろしくね。僕は不在にすることが多いと思うから、彼と一緒に留守番をしてくれると嬉しいな」

 番犬、留守番、という単純な構造が浮かんでの発言に、九尾がきゅっきゅっきゅと笑う。

『ケルベロスを家の留守番犬呼ばわり! とすれば、ここは地獄ですか⁈』

 九尾が茶化す通り、確かに地獄の番犬と称されていたなと思い返すも、後の祭りだ。


『シアン、良かったね』

『お家、見つかったね! これで音楽ができるね!』

 ティオが腹に、リムが首筋に各々の顔をこすりつけてくるのを、両腕でそれぞれ撫でてやる。

 音楽が理由で追い出されたことを、彼らも気に病んでいたのだ、と思い知り、つくづく自分の至らなさを実感する。もっと自分が気を付けていれば、彼らにこんな風に気を使わさずに済んだのだ。

「うん、内覧するのが楽しみだね。あ、でも、暫くは家の購入費を作るために頑張って稼がなくちゃね」

『いいえ、我らの元同僚を押し付けるのです。むしろもっとお支払いしなくては』

 梟の王のあんまりな言葉にこれ以上貰えないと言えば、渋られる。言葉を尽くし、家と島だけで手を打ってもらった。

 後に、家と島を貰ってしまった事実に頭を抱える。


 梟の王とのやり取りが終わり、息をつく。

 そんなシアンの傍らで、ぽむ、と軽い破裂音がする。見ると、三匹の子犬が足元をうろついている。

「え?」

『分裂した』

『小さいのが三匹!』

『姿形が違いすぎる!』

 シアン、ティオ、リム、九尾の順で驚きの声を上げる。

 ケルベロスが三匹の子犬に変身した。

 シアンでも何とか三匹同時に抱え上げることができるくらいの大きさである。

 白黒茶の柴犬を更に小さくした姿をしている。俗に言う小豆柴に似ている。

『ご主人様は可愛い幻獣がお好きゆえ!』

『ドラゴンであるリム様をこんなに可愛く育てられた!』

『あのグリフォンすらも可愛くさせてしまうのだから!』

『『『我らもまた、可愛くあるべき! 力の限り!』』』

 そんなことで力を使い果たすのか。

「ええと、とりあえず、様をつけて呼ばなくても良いからね」

『えっ⁈ まずはそこなんですか? 変身能力と言うか、分割能力とかに驚かないのですか?』

 九尾がシアンの言に驚く。

「う、うん、驚いたよ。あと、別に僕は可愛い幻獣が好きなのではなくて、ティオもリムも最初から可愛かっただけだよ」

 九尾が無言でじっと見上げてくる。

「ふふ、きゅうちゃんもね」

 九尾が口の両端を吊り上げてにんまり笑う。

『きゅうちゃんは可愛い狐ですからな!』

 フォーエバーポーズを取る九尾にシアンも笑う。


 そうやって穏やかに微笑む姿を、グリフォンもドラゴンも、世にも稀な聖獣も守っているのだと、ケルベロスは悟る。

 グリフォンの自身への視線の険しさと、シアンとリムに向ける視線の暖かさの温度差が如実に語っている。


 後に、その島は様々な幻獣が住まう美しい理想郷だと噂された。それは非有郷だと言われた。肥沃な大地、温暖な気候、必要に応じて吹く風、豊富な水源や資源、大きく立派な樹木に多様な動植物は、まさしくこの世のものとは思えない恵まれた環境だった。

 そして、島に流れる旋律に幻獣たちが楽しんだことは紛うことなき事実だった。



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