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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第四章
187/630

42.黒衣の少女、毒花の蕾をつける/漂泊の薬師、貴光教と決別する

 


 包まれた布を開くと、異様な臭いが鼻を突いた。

 荷車から勝手口へと運び込まれ、作業台に乗せられた大きな布の中身は珍奇な形をした非人型異類の死骸だった。集まった中にはくぐもった声を発して、口元を覆ってその場を走り去る者もいた。

 アリゼは黒装束を着て汚れ仕事をしていた経験から、辛うじて吐き戻すことを堪えた。

 赤黒い短毛に覆われた、楕円形の体に前足に五本の鋭く細長い爪が伸びている。特筆すべきは顔の部分に放射状に広がった触手である。

「これが感覚器で周囲を感知していたのかな」

 目元だけを出して、顔を布で覆ったイシドールが籠った声で呟く。

 同じような恰好を指示されたアリゼは、何故この姿なのかを漸く悟る。

 今からこの非人型異類の死骸の検分を行うのだ。その最中に飛び散ったもので被害を受けぬよう、肌を極力隠す必要があるのだろう。


「薬師長、一体これはどこから?」

 辛うじてその場に踏みとどまった薬師の一人が上ずった声音でイシドールに尋ねる。

「要らぬ詮索をするな。手を動かせ。薬品の準備は?」

「できています」

 淡々と問うイシドールに、だが、薬師は気味の悪さを隠せずに狼狽し、代わってアリゼが準備した薬品類を示して見せる。

 イシドールは満足気に頷く。

「君は確か、アリゼ、だったかな。こういった検分は初めてのことだろうが、役に立つと思った通りで嬉しいよ。今日は存分に力となってくれたまえ」

「はい」

 アリゼは気負わずに返答した。言われるまでもなく、役に立つつもりで腹を括ってここに立っているのだ。

 そんな覚悟もない自分を棚上げして、称賛と期待の言葉を掛けられたアリゼを、古参の男が疎まし気に睨む。

 アリゼはそ知らぬふりでイシドールの指示に従って手早く作業する。

 最終的に、死体の解剖をすることになった。

 それは、食べるための解体とは異なり、薬品を用いての反応を見る研究の一環とも言えた。


「これは君の古巣の者たちが仕留めてきた獲物だよ」

 イシドールがふと漏らした言葉に、黒ローブたちが狩ってきたのだと知る。

「そうなんですか」

「興味はないかい?」

「いいえ、どういった反応を見せるか、しっかり記録していきたいと思います」

 イシドールは目を細めた。

「いや、実に思わぬ拾いものをしたようだよ」

 アリゼの力を認める言葉に、足場が固まっていくのを実感する。

「これはね、とある領主が捕らえて利用していた異類だよ」

 機嫌よく、アリゼには事情を語り始める。

「この異類を利用? どのようにですか?」

 だから、少しばかり踏み込んでみても大丈夫かと質問してみた。

「詳細はまだ探索中のようでね。できれば生かしたまま捕らえたかったが、相当な恐慌状態に陥っていて、殺すしかなかったと報告を受けている」

 それにしても、この異様な姿の、相当な異能の持ち主の異類を狩るだけの実力があるのだ。黒装束を着ていた際のアリゼには到底成し得ない。

「調査対象だった一族の屋敷の方は燃えて得られるものはなかったから、せめてこの非人型異類を有効活用しようとうちに持ち込まれたのだよ」

 先だって渡された特別な薬草は、その領主に連なる者の家から手に入れていたと言う。

「それで、師長自ら検分されているのですね」

「ああ。成果を出せとせっつかれているのでね」


 折角の探索に赴き、翼の冒険者と出会いながらも、何も得るものがありませんでしたでは、貴光教内部でも問題視されるということか。その尻ぬぐいが後方支援の一部署である薬師隊に回ってきたのだ。

 既に領主が非人型異類を利用していたという事実が、では、自分たちが活用できる筈だと思わせた

薬師たちは自分たちが取り扱う薬草は受け入れるが、同じ所から持ち込まれたとはいえ、非人型異類をどうにか活用しろと言われても無茶だと反発する者も多かった。それで、薬師長自ら検分に立ったのだ。部下に手本を見せるということと、非人型異類を内部から見ることができるという知的好奇心、何らかの得るものがあれば出世に通じるという功名心、それらが透けて見える。


 後日、異類の異能を用いた薬剤は強烈な効果を発揮した。

 ゼナイド王室による一角獣虜囚事件で非人型異類が関与したという情報を掴んでいた黒ローブたちの一部は、今回捕らえた異類のその異能による薬を有効に活用することを主張した。

 反対する者も当然いた。

 非人道的であるというのではなく、異類の異能を排除する教義に反する、というのだ。

 双方、互いに主張を繰り返し、黒ローブの亀裂は深まる。

 一角獣の件に関わった非人型異類の正体を全くつかめていないことの焦りが、新たな異類の異能を利用しない手はない、という主張に繋がった。

 緩やかに内部分裂を起こし始めた最中、アリゼは実行部隊である黒ローブ隊と薬師隊の内部を慎重に観察していたので、この難局をうまく乗り切った。

 そうして、アリゼは更なる地位の確立を図っていった。



 あちこち焼け焦げ、本来は美しい革の装丁が見る影もなくなった書を慎重に開く。そこに記されている通りの手順を、委細違わず辿る。

 黄色い円い花弁に脈が這う薬草の、繊毛で覆われた大きく裂けた葉に火をつける。

 立ち上る煙に、どろりと濁った眼を向けている。

「さあさ、よく耳を澄まして。聞こえてくるはずよ、死者の紡ぐ声が」

 アリゼは既に十分に煙を吸い込み、だらしなく椅子に座り込んだイシドールに屈みこみ、その両肩に手を置いた。静かに諭すように告げる。

 イシドールは今、得も言われぬ酩酊を楽しんでいるはずだ。

「さあさ、よく目を凝らして。見えるはずよ、死者の目を借りて」

 謡うように囁く。

 くゆくゆと薬草から立ち上る煙を、イシドールは一つ大きく吸い込む。

「あ、ああ、見える。見えるよ……」

「さあさ、教えて頂戴。貴方の聞こえるものを。貴方の見えるものを」

 言いながら、焦点の定まらない様子に構わず、にっこり微笑みかける。

「さあさ、私に、教えて頂戴」

 脳を鈍らせ、分別をなくす薬効のある煙の向こうに、イシドールは美しい笑顔を見た。



 カレンは僅かな荷物が入った背嚢を背負いなおして、振り返った。

 背中に鋭い痛みが走り、不用意に動いた自分の迂闊さを呪う。

僅かばかり滞在した薬草園ではあったが、出ていくとなれば、寂しさに似た心もとない気持ちもした。

 種類は乏しいものの十分な量の食料に寝台、薬草やそれを調合する豊富な器材、まさに理想郷のような場所だった。

 その裏側が薄汚く淀み過ぎていた。

 理想では腹は膨れない。

 けれど、人を踏みつぶして得た食料はまずく、口にできたものではない。

 腐っても鯛、という言葉があるように、カレンはどんな立場にあっても薬師だった。薬は人を癒しもするが、毒を調合することもある。

 後者の役割は御免だった。

 カレンにはできない、ただそれだけのことだった。



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