41.巡る因果
※陰惨な表現がありますので、ご注意ください。
上がった火の手によって、老朽化した地下牢獄が崩れ落ちた。
大地の精霊の恵み深い頑丈な岩で囲まれていた一角が熱で熱せられた。衝撃には強くとも、熱には弱く、脆く崩れた。
強固な質感の囲いが柔くなったのを感知した非人型異類は、そのシャベルのような長く突き出た五本の爪で壁を壊した。
長年歯が立たなかった縛めが面白いほど簡単に排除されて行くことに、夢中になって前足をふるった。合わせて十本の爪は易々と岩の向こうの土に達した。
元々が地中を掘ることに適した進化を行ってきたその生物は、本能のままに掘り進んだ。顔に放射状になびく触角でもって、微弱な風を感知して地上までの最短距離を進んだ。小石や木の根を鋭い爪で引き裂き、掘って掘り続けた。
そうやってアビトワ家の地下牢獄から逃げ出した非人型異類は、長らく閉じ込められたせいで地上に出た途端、日の光に怯え体中に吹きつける風に驚き、林の中に逃げ込んだ。
そのまま、少しでも陽光から遠ざかろうと、無我夢中で進んだ。
丘の中腹で、林は一旦途切れる。そこには村があった。
儀式と称しては人肉を与えられていた非人型異類は、餌の匂いを嗅ぎつけ、急に空腹を感じた。そして、本能のままに餌にかぶりつこうとした。
中央部分がやや太くなった円筒のような赤黒い毛で覆われた体、その先から無数の短い触手がうねり、幾重にもびっしりと生えた牙が円を描いている。
異様な風体の非人型異類の登場に、上の村は恐怖と混乱に叩き落とされた。
今までは、自分たちが他の村からこの美しい丘を守ってきた。守るために、真っ先に攻撃してきた。自分たちの住処に攻撃の手が及ぶことはなかった。攻めることで守ってきた彼らは、一方的に蹂躙された。今まで彼らがしてきたことのつけが一気に返ってきたのだ。
「ど、どうするんだ、村長!」
ある人間が混乱の最中に口をついてでてきた言葉が契機となった。
「そ、そうだ、村長、どうするんだ?」
「応戦か? 武器を持ってくるか?」
「い、いや、こんなの、どう戦うって言うんだ」
彼らは昨今では領主に頼らず村長を中心に自分たちで何でも事を進めていた。もはや、丘の上の屋敷は形骸化していた。美しい丘の中腹一帯だけを守るために血を流し続けてきた。
その暴力が、より強大な暴力によってちっぽけなものにしか過ぎないということを、目の当たりにした。
彼らは縋りつくものを欲した。しかも、今すぐ必要だった。
「村長!」
「なあ、どうするんだよ!」
口々に責め立てる。言うだけだった。実際に考え決定するのは誰か他の人間だ。もちろん、責任を取るのも自分ではない。
進退窮まった村長は目の端に赤ん坊が映った。体が自然と動いて、若い娘が抱いた子供を奪っていた。
驚いて泣き声を上げる子供に、母親が戸惑った様子で村長に制止の声を掛ける。
「儀式だ! 儀式をやるんだ! そうすれば、みんな助かる。みんなを助けるためにこの子が必要なんだ」
慌てすぎて要領を得ない説明になったが、何かを察して母親が縋りついて来る。それを振り切って、村長は子供を非人型異類に与えようとした。
周囲に見せつけるようにして、赤ん坊を高く掲げて見せる。泣き蠢く赤ん坊を捧げるのは慣れたものだ。そして、非人型異類もそれを与えられるのは慣れていた。
その柔らかく温かい餌を、その美味を良く知っていた。
「さあさ、血を飲みゃんせ。温かい血ぞ」
村長が節をつけて歌いだす。と、集まった人の集団の中、どこからともなく、声が上がる。
「新鮮な血じゃ」
あちこちから小さな声が上がる。
「やれ、柔肉じゃ」
重なり合う声はより大きくなる。
「味い肉じゃ」
赤ん坊の泣き声に、母親の悲鳴が混じる。
「心地よい脂じゃ」
「歯ごたえの良い筋じゃ」
いつしか、村の襲撃に参加する男たち、つまり儀式に参加していた者たちの声が高らかに、いつもの通りに謡い出す。
「素揚げして食べりょうか」
「焼いて食べろうか」
「煮て食らおうか」
村長は赤ん坊を非人型異類に差し出そうとした。
その時、顔に軽い衝撃を覚えたかと思うと、強い刺激を感じる。皮膚を強く刺激する痛みは鼻やのどの粘膜、目にさえも突き刺すような、焼きつくような感覚を強いた。
顔を両手で覆って、その場で転げまわる。獣染みた喚き声が知らず上がる。
「ああ! 私の赤ちゃん! 良かった! 戻ってきた!」
赤ん坊の母親の声に、自分が赤ん坊を手にしていないことを知る。どこかで高い鳴き声が聞こえ、何かが飛んできたことも分かってはいたが、それどころではなかった。
強い痛みに身もだえする。涙がとめどなく流れてきた。それで症状が少しましになったことから、洗い流されたのだと気づく。
あの時も、簡単に奪えると考えた。だが、意外に強い力で逆に引き寄せられ、転倒させられた。尻餅をついて見上げた先には、襲った村の襲われる側だった者の一人が、力ある言葉、魔法の詠唱をしているところだった。無力でされるがままに暴力を受け入れると思っていた側が激しい抵抗を見せた。
まさか、こんな田舎に魔法を扱う人間がいるとは、と逃げ帰った後、真っ先に逃げたことを村人たちになじられた。
それで、儀式をするしかないと思った。それも、普通の赤ん坊では駄目だ。
もっとより特別な存在がいる。そう、領主の子供が必要だった。
だから、強く領主に迫った。
結局、子は流れてしまった、と他の赤ん坊を差し出され、それを領主の子と偽って儀式を執り行った。前当主の妻の言を疑わなかった訳ではないが、畢竟、赤ん坊であれば良いのだ。それを領主の子供だと村人に信じ込ませることができればそれで良い。
そんな冷酷な考え方をしたものの、自分は老衰して死ぬのだと信じて疑わなかった。これほどまでに残酷な死に様など冗談で考え付くこともなかった。
村長は贄を捧げて鎮めようとした非人型異類に下半身を食いちぎられてこと切れた。
あちこちで悲鳴が上がった。
けれど、それだけだった。
他の村人たちは声を上げるだけで、凍り付いてその場に立ち竦んでいただけだった。
つい今しがたまで自分たちと言葉を交わしていた村長を、噛み千切った半身を咀嚼し食っているのを見ているだけだった。
更なる餌を求めて、非人型異類は顔の先についた感覚器を蠢かした。
と、突然、熱いものにでも触れたように反射的に引っ込める。残った餌の半身どころではなかった。
非人型異類は林の奥から出て来た大型の四肢を持つ存在に気付いたのだ。
巨躯を岩場に垂直に近い体勢で支え得る四肢が、滑らかな動きをする。緑陰からゆらりと姿を現した、とてつもない力を有している存在が、自分に意識を向けていた。
そう認識した瞬間、非人型異類は身を翻して逃げた。
あれは恐ろしい。
本能でとんでもない存在を察知して一目散にその場を離れた。
その場には、人間の上半身のみが投げ出されていた。
シアンがそれを認識したのは視覚よりもまず、聴覚だった。
異様な内容の謡が聞こえ、恐ろしさよりもまず、何のことか確認したい、という気持ちで足を進めた。
そして、木立の向こうに開けた先、丘の中腹にある村で人々が集まっているのを見た。
更には、太いサツマイモのような体をした、一目で非人型異類と分かるものがいた。その前には、赤ん坊を高く掲げた人間がおり、後ろで子を返せと泣き叫ぶ女性がいる。
咄嗟に体が動いた。
スリングショットでハバネロ弾を放っていた。
狙い過たず、男の顔に命中し、苦しみもがいた。子供は男の手が緩んだ隙に、母親らしき女性の腕に戻った。
非人型異類にとっては与えられようとした人間も、与えようとした人間も、等しく食料だったのだろう。
子供を捧げようとしていた男の半分を食いちぎった。その場で咀嚼する姿に、ゼナイド王城の地下で捕らえられた際、目の当たりにした光景を思い出す。あの時の共食いをしていた異類よりも体は大きい。そして、獲物も硬さが異なる。骨をかみ砕き、肉を体液ごと咀嚼する粘着質な音が響く。体を収縮させながら食料を取り込んでいる。それを、下半身をなくした男が虚ろに眺めている。じわじわと血が地面に吸い込まれて行く。
胃の奥から何かがこみあげてくる。
知らず、一歩後退したシアンに入れ替わり、ティオが前へ進み出た。そのまま音もなく岩場をすり抜ける。
その途端、非人型異類は一度大きく体を震わせ、一散に逃げ出した。ティオとは真逆の方向へ進んでいく姿は明らかな逃亡だ。
シアンは咄嗟にハバネロ弾を放ったものの、止める間もなく加害者が被害者となった。
ティオやリムからしてみれば、弱い者が強い者の餌になる、いつもの光景だった。
そして、それは、村人たちがしてきたことと同じでもあった。
しかし、被害者側に回ることになった村人たちは陰惨な出来事に呆然としていた。
九尾に促され、シアンは村人に事情を尋ねた。
冷静さを欠いていた彼らは、シアンに問われるまま、事の次第を語った。
「あの謡は何だったのですか? その女性の赤ん坊を渡そうとしているように見えましたが」
「この丘周辺は大地の精霊の恵み深い。それで近隣からよく狙われとったんですわ。だから、小競り合いはしょっちゅうありました。中でも、この丘の中腹はより豊かな土地でした。数代前の領主様がその争いで大活躍した村人たちへの褒美にこの土地を貸し与えてくれたんですわ。そして、この土地を守るためにより励め、と言いなすった」
村人はしきりに唇を舐める。
「そして、この豊かで美しい土地を守るために、村人たちはより一層、抵抗を苛烈なものにしていった。そして、守るだけではなく、攻めに出るべきだと言う者もでてきたんですわ」
それに消極的に反対する者が村に居づらくなって丘の裾に移住し、下の村が作られたのだと言う。
「臆病者どもがなくなってから、村の結束は固まったとじいさんによく聞かされとったものですわ」
他の者が嘲笑う。
元々、領主も彼が治める村の者も気性が荒かった。気性が荒くなければ、地下で非人型異類を飼い、牽制をすることなどできない。そして、トップであるはずの領主に胆力がある者がいなくなり、制御が怪しくなってくる。
そこで、領主は陰惨な儀式をすることで、これは特別なこと、という意識を植え付けた。だが、人は慣れる生き物だ。その慣れの上を行くために、どんどん儀式は陰惨にエスカレートしていった。
これは一種、必要悪とも言えた。
存続のために、不可欠なことだった。
そう話す村人に、シアンはやりきれなさを感じていた。
そんなことでしか保つことができない威儀にどんな価値があるというのか。
見掛け倒しのために、他人の大切なものを壊して、何の威厳か。
どうして、嫌なら反対の声を上げ、抗わないのか。
唯々諾々と受け入れるだけなのか。そんなやり方で、上の村の尽力によって、この丘と領地の豊かさが守られていると言う。
シアンが儀式に使われていた非人型異類を追うと聞いて、村人たちは安堵の表情を浮かべていた。結局は、力に頼み、他の巨大な存在に頼って生きることが染みついている者たちなのだ。
シアンは妙に座りの悪い、居心地の悪い気持ちを振り切るようにして、ティオとリムに頼んで非人型異類の後を追った。
念のため、丘の上の屋敷が火災にあったこと、火の手に注意して逃げる準備をしておく方が良いと伝えた。
シアンの背後で慌ただしく動く気配があった。悲鳴すらも聞こえてきた。すすり泣きながら何故自分たちばかりがこんな目に、終わりだ、終わりだ、という声も耳に届く。
この丘を守ることを理由に襲撃された村でも、同じようなことを嘆いて来たのではないだろうか。
ティオの背で運んでもらうことを良いことに、つらつらと様々に考え込んだ。
『シアン、あの変なの、倒されたよ』
「え? 誰に? まさか、マウロさんたち?」
ティオの言葉に青くなる。
まさか、丘の上の屋敷の消火活動をしに行った幻獣のしもべ団を次の獲物と狙い定めて戦闘にでもなったのだろうか。
悠長に村人たちから事情を聞き出していた自分の迂闊さを悔やんだ。
『ううん。黒い長いのを着た奴らだよ』
「黒ローブたちが?」
シアンは安堵しつつ、訝しんだ。
幻獣のしもべ団と一戦交え、ティオの一喝によって退いてみせたものの、まだ残って探っていたのだろうか。
『さてはて、色んな所に出没する輩どもですねえ。どんな風なのかちょっと覗いてみましょう』
九尾の言葉に、シアンはリムに隠ぺいを依頼し、ティオに近寄ってもらう。
果たして、そこには木々をなぎ倒し地面を穿った後がある。激しい抵抗むなしく、非人型異類はティオの言う通り、地に横たわって動かなかった。その周囲を黒ローブたちが長い袖や裾をものともせずに動き回っている。
その力ない体を布でくるみ、どこから運んできたのか、車輪と板と棒でできた大八車のようなものに乗せ、縄で固定する。
運び去るまでの手際が異様によく、スムーズであっという間の出来事だった。
後には、争いがあった形跡だけが残った。
シアンは黒ローブたちが非人型異類を倒したのはともかく、その死体を持ち去ったことに不気味さを感じた。




