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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第四章
185/630

40.美しい丘の奥深く6

※陰惨な表現がありますので、ご注意ください。


 

 ゼナイドでは、死者が生家に帰って来ると信じられていた。

 冬の昼間が一番短い日、逆に言えば、夜が長い日に、墓場からぼんやりした光に導かれて、彷徨い出てくるのだ。

 家族は故人の好きな料理を作る。生前用いた家具を設置する。花を飾り、暖炉に火を入れ、居心地の良い部屋で祭壇に蝋燭を沢山灯して霊を迎えるのだ。

 腹にいた子がどんなものを好きだったか、ユリアナには分からない。

 だから、ユリアナなりに考えて部屋を飾った。

 前夜に訪れた地下の部屋は昼なお暗く、蝋燭や暖炉の火があるのはとても心強かった。この燭火は、亡くなった者が無事にたどり着くための目印でもある。そして、この火の光は永遠の光へ導く助けともなる。


 ユリアナは異様な姿のものを鉄格子の向こうに見た後、眠れぬ夜を過ごした。夫は鍵のついた鎖を首から外され、掛けなおされても、全く気付かずに高いびきだった。

 翌朝、夏至の日、朝食を断ったユリアナは、姑を捕まえて問いただした。

 ブリズギナ家から持ち込んだ薬草もそれに似た薬草も、どちらも夏には開花しない。それを可能にする特別な地のことをまず糸口とした。

「今までもこの特別な大地の恵み豊かな場所を聞きつけ、この丘を奪おうとする者は後を絶たなかったのです。また、領地に隣接する困窮した村から忍び込んできた者たちが略奪を働きました」

 代々の領主は、その大地の恵み豊かな一帯を貸し与えることによって、その村に住む者たちが特別な土地を奪われまいとその地を守るように仕向けた。

 それがこの丘の中腹にある上の村と呼ばれる場所である。

 姑はそれを、アビトワ家の暗部に携わる者への褒美でもあったと説明した。


「大地の恵みは彼らに豊かさをもたらしました。そこで彼らは特別な薬草を育て、お礼として領主に献上するようになったのです」

 その特別な薬草が堕胎薬として用いられた。

 そして、代々の当主の妻か前当主の妻がアビトワ家の血筋をコントロールしてきたのだ。主には血筋のよくない者を省くために用いられたが、困窮した際の口減らしにも用いられた。

 作法にうるさく、自身も常に背筋を伸ばしている姑は、今や背を丸め、単なる老婆にしか見えなかった。

 アビトワ家に血を吸い取られ、干からびた成れの果てだ。


「彼らは何の力も持たない。だから、代々特別な薬草を育てるブリズギナ家に目をつけたのです。その薬草は薬となれば毒ともなる。そして、山菜に似た姿をしていることに天啓を受けたのでしょう」

 その毒草をこっそり忍び込んだ他の村の食事に混入させることによって、村人を弱らせ、そこを襲撃したのだそうだ。

 そうやって、この丘を守ってきたのだと言う。

 ブリズギナ家が持ち込んだ薬草を育て、襲撃に用いていたと説明を受けても、ユリアナの心は凪いだままだった。

 そんなユリアナに、姑は何かを察したように話し出した。

「貴女の子を流させたのは、上の村の儀式に使おうとしたからです。マクシムは抵抗しました。自分の子をあんな儀式には使えないと」

 他の村から反撃を受けて逃げ帰ってきた上の村の村長は、より強力な儀式を執り行うために赤ん坊を要求した。この難局を乗り切るには、領主の息子を捧げるのが相応しいと言われ、マクシムは抵抗したものの、それに押し切られそうになった。

 進退窮まり、自分に泣きついて来たので、姑は意を決し、ユリアナに堕胎薬を処方したのだと言う。生まれた子を取り上げられるより、と姑が腹の中の子を流したのだと言う。

 あまりのことに、それまでの精神的緊張が限界を越え、ユリアナは倒れた。

 漸く分かった。

 アビトワ家の儀式とは、上の村を従えるために、一族の嬰児をあの異様な異類に捧げるのだと。



 ざ、と風が吹き、地面に張り付いた花や葉が大きくそよぐ。

 そこは見慣れたブリズギナ家の薬草園だった。

 地上に伸びたのと同じかそれ以上の長さの根が、しっかりと大地の下に広がっているからこそ、こうして地上の疾風に晒されても吹き飛ばされることはない。

 けれど、見上げれば蒼天に光を纏った鳥が大きく翼を広げて悠々と飛んでいる。

 それが羨ましかった。

 何ものにも捉われず、配慮ない言葉で傷つけられず、高い所をただただ飛ぶというのは、どんな気持ちだろうか。

 地中深くにまで絡めとられ、身動きができないユリアナには想像だにできない視点だった。


 ふと意識が浮上する。

 瞼を開いた意識もなく、知覚したのは見慣れた天井だった。カーテンは両脇に押しやられ、窓から明るい日差しが入っている。

 ああ、姑の話を聞いた後、自分は意識を失ったのだな、と自覚した途端、飛び起きた。

 慌てて窓に近寄り、太陽の位置を確認する。頂点を過ぎている。

 ユリアナは唇を噛んだ。

 昼が一番長い日の、一番高い位置に太陽が来た時に儀式を行うつもりだった。ユリアナは慌てて部屋を飛び出た。


 途中、アルセンと出会い、昼食にも広間に現れなかったことを心配された。自分の子を流させる目論見に積極的に加担した彼は憎悪の対象でしかない。

「貴方に関わりのないことでしてよ」

 今まで以上にすげない態度ですり抜ける。

 じっとりと粘着質な視線がまとわりついて来たが、無視した。


 ユリアナは昼食後の茶を存分に味わったらしき夫が広間から出てくるのを捕まえた。マクシムに地下室へ通じる扉の鍵を要求すると、面白いくらいに挙動不審になる。

「な、何故、そんなことを知っている?」

「貴方と上の村の村長の話を聞きましたのよ」

 嘘である。二人の会話では出てこなかった。ユリアナが夫の執務室の隣の部屋が常に施錠されていること、夫が鍵を肌身離さず持っていることから類推し、探ってみたにすぎない。

 そんなことに思いも及ばない夫は相当に動揺している。

「あんな場所に行ってどうするんだ。あれがどんな場所か知っているのか?」

「ええ、もちろんですわ」

 ユリアナの表情に、儀式が行われる場所だと知っているのだと察し、マクシムは愕然とした。


「あの異類を上の者たちに使っていれば、わたくしの子を要求されることはなかったのに。尤も、上の村の者の手に掛かる前に、お義母様に殺されてしまったけれど」

 マクシムは唇を薄っすら開けて、ただただユリアナの顔を見つめるだけだった。

 滑稽だった。

 だから、ユリアナはほほ、と笑い声を立てた。

 上の村の村長はあの時、一旦は他の赤ん坊をどこからか調達したのだろうか。それでもってして儀式に使われたということで上の村の者たちを納得させたのだろうか。

 そして、上の村の村長はマクシムに言うのだ。本来はお前が率先して主導し、儀式を行わなければならないのだぞ、と。マクシムはさぞかし震えあがったことだろう。


「素揚げして食べりょうか」

 ふと口をついて出て来た。

 マクシムが顔色を変え、息を飲むのに、これは使える、と思った。鍵を手に入れるのに、このまま追い込むのだ。

「焼いて食べろうか、煮て食らおうか」

 ユリアナは節をつけて続けた。

 後は何だったろうか。

 一度聞いたきりだが、おぞましさに覚えていた。次から次へと出てくる。

「さあさ、血を飲みゃんせ、温かい血ぞ、新鮮な血じゃ」

 マクシムの唇がわななく。顔色は青から白へと変じていた。

 上の村の者たちは自分の子を儀式に要求した。我が子が産まれるのを、今か今かと待ち構え、産声を上げた途端、あの部屋へ連れて行き、儀式を行うつもりだったのだ。

 この美しい丘を、恵み豊かな場所を守るために。その所為でどれほどの犠牲を強いても良いのだ。そして、それを、代々の領主は容認してきた。


「やれ、柔肉じゃ、うまい肉じゃ、心地よい脂じゃ、歯ごたえの良い筋じゃ」

 新しい生命の、温かく新鮮な血を啜り、腕に抱えるほどの肉を食らいながら、謡うのだ。

 そうすることで、人知を超えた力を手に入れることができると信じてきた。それは代々のアビトワ家領主に信じ込まされてきたのか、どこからか仕入れてきた伝説や情報が変遷していったのか。もしかすると、代々の領主があの異様な非人型異類に贄を捧げ上の村への抑止力としてきたことから派生したのかもしれない。

 一度見れば忘れ得ない異様な風体の好戦的な異類だった。上の村は手痛い目を見た可能性もある。

マクシムも同じようなことを考えているのだろう。

 けれど、それが何なのか。もはや理由など、どうでもいい。

 ユリアナは失った子にもう一度美しい世界を見せてやるのだ。あの子を残忍に殺してまでも守りたかったこの美しい丘を、見せてやりたいのだ。


 自分の妻が狂って見えたのだろうか。それとも、上の村の人間が乗り移ったのだとでも思ったのだろうか。

 マクシムはユリアナが指を伸ばしてもじっとしていた。ユリアナの指が触れた際、びくりと大きく体が跳ねたが、硬直して動けない様子だ。だから、易々とその首から鎖を奪えた。取る時に鎖が耳に引っかかったが声すら立てなかった。

 鎖の先には、鍵がついていた。

 ユリアナは鍵を掌に握り込むと、踵を返した。夫のことなど一片も気にならなかった。

 マクシムは咄嗟に唇を開いた。

「あそこに行ってはならん!」

 ユリアナの足が止まる。が、振り返らない。

「ア、アビトワ家が代々、上の村を抑えるために使ってきたものがあるのだ。だが、あれは人の手に余る。既に制御できないのだ」

「だからこそ、上の村を押さえつけるのには役に立ったのね」

 得心が行った、という声音に、今度こそ、マクシムは何も言えなくなった。そのまま、行ってしまったユリアナの背中を眺めることしかできなかった。

 残されたマクシムは、その場で激しく震え出した。

 その姿をじっと見つめる者がいた。



 生家であるブリズギナ家は肌を美しく保つ薬や、占いや呪術に用いられた薬草や山菜に似た毒草から鎮痛剤など、様々に薬を作った。

 アビトワ家には明かしていない薬草もあった。

 以前、流産した時に、子を蘇らせようと儀式を行った際に用いたものだ。

 その時は体を壊していて途中で中断することになった。

 今度こそは、成功させる。

 ユリアナはそう意気込んでいた。

 だから、背後に注意を払うことなく、無我夢中だった。自分の後をつけてくる者がいるなど思いもしなかった。

 一旦、私室に戻り、自分しか使わない鍵のかかるタンスの一番下の段、二重底になっている下から「特別な薬草」を取り出す。

 薬草の入った袋を握った手を、上から押さえつけられた。

 驚いて顔を上げると、妹ジャンナが背後から腕を伸ばしていた。

「離して頂戴!」

「何をなさるおつもりなの、お姉様」

 従順な普段の様子からは珍しく、ジャンナは淡々と尋ねた。

「貴女に関係のないことよ」

「いいえ、ありますわ」

 そこで、ユリアナはようやくジャンナの目に暗い影を見た。

「ブリズギナ家に関わることですわ。わたくしは、お父様やお母様にきつくきつく申し付けられて参ったのです」

 体が震えた。

 長子としてブリズギナ家の秘術の数々を仕込まれ、それをものにするまで辛い日々だった。アビトワ家に嫁いでも、ブリズギナの家を背負う義務があると言うのか。


「お姉様はずるいわ」

「何ですって?」

「お姉様はブリズギナの秘法を会得し、それをもってして乞われて嫁いだ先のアビトワ家でも珍重されて。長子ではないわたくしは神秘書すら目にすることができませんのよ」

 ユリアナの唇がわなないた。

 神秘書とは薬草学といった学問から魔法に至るまで広い範囲での指南書のことで、ブリズギナ家では奥義書という意味合いで用いる。

「わたくしが簡単にブリズギナの秘術を身に着けることができたとでも言いたいの? それがあるだけで易々と居場所を持つことができたとでも?」

 ジャンナは意味ありげな目つきをしただけで黙っていた。それがユリアナの苛立ちを加速させる。

 冗談ではない。

 何一つ努力をしなかった妹に、あまつさえ子供を殺した一家に嫁げて羨ましいと言われるなど、言語道断である。

「そんなに優遇されているのに、お父様たちの信頼を裏切るなんて、許されることではないわ」

「貴女に許されることではなくてよ!」

 咄嗟にユリアナは怒鳴っていた。

「あ、貴女に、姉の夫を寝取った貴女に許されることではないわ!」

 ジャンナはばつの悪い顔をしたが、次の瞬間には優越の混じった表情を浮かべる。

 それが腹立たしくて仕方がなかった。

 そして、愛想が尽きた夫を、それでも他の人間に取られたという事実に怒りを感じる自分も癪に障った。

 ユリアナは深呼吸した。それでもまだ業腹だ。声を絞り出す。

「そんなに欲しいのなら、マクシムもブリズギナも、何なら神秘書も差し上げましてよ? だから、邪魔をしないでくださる?」

 そう言って、つかつかと部屋を出る。扉を閉め、三、四歩は同じくやや速足で、その後は小走りで地下室へと向かった。

 気が急いていたので、夫から奪った鍵を開錠した後、施錠することももどかしくて放っておいた。

 階段を駆け下り、埃っぽい廊下を駆け抜け、仕掛け床を作動させて扉をすり抜ける。


 妹は毎年アビトワ家にやって来ては様々なブリズギナ家の薬草を持ち込み、帰る時には対価を携えて行った。その中には、ユリアナにしか渡さない、他の者の目に晒すことすらしない薬草もあった。

 それは毒々しく紫に脈打つ筋が入った黄色い花をつけ、極小の毛に覆われた大きな葉に、鈍い黄色の小さな楕円形の種子を持つ。花も種子も葉にも毒がある。

 この草を燃やすと、煙が死者の霊を呼び起こし、一種の千里眼の力が与えられるとも信じられた。煙はもやもやと人の形を形作り、霊感の強いものにはその声まで聞こえると言う。また、その霊の眼を借り、死者が見たものを見ることができる。

 また、死者の霊を呼び出して、その力を借りて、見たい場所を見ることができる場合もある。

 それが、今まさにユリアナの手の中にある。


 ただ子ともう一度会いたかっただけだ。死者の力を借りようなど思ってもいない。むしろ、一度も見ることができなかった外の世界を、子を殺してでも守ろうとした美しい丘を見せてやりたかっただけだ。

 死者を生家に呼び寄せるために点す燭台を沢山灯した。子が迷わぬように、季節外れの呼び出しにでも分かりやすいように。

 そして、乳香、没薬もつやくが焚かれ、不思議な香りに包まれた部屋は、花が飾られ、蝋燭の火がそれをゆらゆらと照らし出す。せめてもの、出迎えだった。

 不思議な香りに包まれた部屋でぼんやり絨毯に織り込まれたアビトワ家の紋章を眺めていると、同じ紋章を縫い込んだマントを纏う夫の姿を想起する。その姿は流石に見栄えがした。押し出しの良い連綿と続く由緒正しい家柄の当主なのだ。

 ユリアナは気を取り直して、銀杯に特別な薬草を入れ、火をつけた。うっすらと煙が立ち上り始める。


 と、不意に背後に人の気配を感じ、振り返ろうとしたところ、捧げ持つ銀杯を、奪われそうになった。それが、以前、子を取り上げられたことと重なって思え、必死に奪われまいとした。

 もみ合ううち、勢い余って突き飛ばされ、台に身体を打ち付ける。痛みにうめきながら、倒れた燭台の火があちこちに燃え移るのを見た。

 誰が何のために、自分の儀式を邪魔しようと言うのか。

 だが、構っている余裕はなかった。

 大きくなる炎に、奇妙な姿の異類が大きく身もだえ、その巨体を鉄格子にぶつける。鉄が軋む耳障りな音が儀式を中断させられてささくれた心を大きく逆なでする。

 そんな中、床に投げ出された薬草からくゆくゆと細長く立ち上っていく煙の向こうに、ユリアナは小さい小さい人影を見た。抱き上げなければならないほど小さい、赤ん坊の姿を、確かに見た。

 ユリアナは必死になって腕を伸ばした。

 喉の奥が張り付いて声が出なかったが、真っすぐに赤ん坊を見つめた。

 ユリアナは自分を阻もうとする人間を、見てもいなかった。



 ユリアナを追ってアビトワ家の秘密を暴き、儀式の邪魔をしたのは誰か?

 儀式によって縛り付けられていた上の村の村長と村民か。

 頼りになると思っていたのに、てんで駄目な領主に愛想をつかした侍女か。

 妬んでいた姉が実家や婚家を放り出して儀式を行おうとしたのを阻もうとした妹か。

 恋に破れ、家族がとんでもない者たちだったと知った義妹か。

 ユリアナに完膚なきまでに拒絶された義弟か。

 同じアビトワ家の前当主の嫁として、また姑としても全てを否定された姑か。

 代々続いて来た家の当主として相応しくないと突きつけられた夫か。

 自分の子を取り戻そうと儀式をし、特別な薬草が分泌した煙によって精神に異常を来したユリアナか。


 その日、美しい丘の上から下界を睥睨する館は燃え落ちた。

 美しい丘の奥深く、決して足を踏み入れてはならない領域に、立ち入ってしまった者たちの末路だった。



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