36.再戦 ~きゅーっふっふっふ/真似しちゃだめ~
幻獣のしもべ団は仲間をつける人影の後を追った。
牧歌的な村の風景におよそ溶け込むことはない、黒い布を頭からすっぽりかぶった風体だ。にも関わらず、幻獣のしもべ団団員を尾行するのは、誘われているということなのだろう。
仲間をつける黒ローブを追う役目を一人が担い、もう一人は応援を呼ぶ。近くに待機してすぐに動けるようにしていたしもべ団は迅速に動いた。
果たして、レフ村から離れた開けた場所にやって来ると、ざざ、と下生えを揺らす音がする。
あんなに長い裾や袖でよく森の中で活動できるものだ、と身軽さを身上とする密偵集団の統率者は思う。
後をつけていた黒ローブを囲み、手早くみぞおちに一撃をくれて意識を刈り取る。
「さて、始めようか?」
マウロが声を掛けると、木立からするすると黒い布が出てくる。
予想以上の大人数に、マウロは珍しく緊張を覚えた。手練れに囲まれていた。その内の一人が笑い声をあげる。
「ぬーふっふっふ」
「……なんだ?」
名乗りではなく珍妙な笑い声を上げるのか、と不要な力みが取れた。内心、敵に塩を送られた気分である。他のしもべ団員たちはまだ硬い表情である。
中には、以前、ライサを匿った際、襲撃してきた小隊長や大柄な者、細身のナイフ遣いがいた。
「小隊長の彼がね、おっと、今は吾輩の部下であるが。君と再戦したいと言うので、連れてきてあげたのだよ」
幻獣のしもべ団襲撃に失敗したから降格され、汚名返上に燃えているというところだろうか。それにしても、この集団の頭は舌が滑らかに動くようだ。出来得る限り、情報を得ておきたい。
「おお、それはそれは。しっかし、そんなぞろっとしたのを着ていちゃあ、誰が誰だかわかんねえな。お、でも、前の白い手袋は黒に変えたのか?」
流石に一戦交えた者はローブを頭からかぶっていても分かる。しかし、マウロは軽口で流した。
「次は油断せぬ!」
向けられた切っ先が至近距離のあまりに視界一杯に広がる。
体が咄嗟に避ける。
上体を捻ると耳元で風切り音がする。耳端がぷつりと音をたてる。ソーセージを噛みきるような、張った肉が弾ける音に、我ながらまだまだ若い肉体だ、と益体もないことを考える。
お返しとばかりに剣を薙ぐ。
避けきれない距離にも関わらず、するりと相手の体温が逃げる。肉も腱も断つつもりでふるった剣の柄からは僅かな抵抗感しか応えはなかった。
頑丈な元小隊長は、大きく切り裂かれたローブの奥、刻まれた頬から血が溢れ、更に裂けることも構わず、咆哮を上げる。
「そんなに大口を開くと傷口が広がるぜ?」
「きっさまぁぁあ」
軽く地を叩くと眉がしらが目につきそうなほど怒らせる。燃える目でぎらぎら睨みつける。
「おお、こわ……、おっと」
力任せのひと薙ぎに剣を引っ掻けられ、飛ばされる。
得物を奪った慢心がほんの僅かな隙を作った。それを過たず見逃さず、腰帯剣を素早く引き抜き、相手の首筋めがけて突く。これはさほど威力がないので、衣服で守られた場所には効き目が薄い。暗器ではあるが、れっきとした武器だ。
首を捻ることでローブの裾を利用して切っ先の勢いを殺す。首筋から血を流しながら、目を血走らせるのにマウロは辟易する。
「おいおい、これでも倒れないってどんな頑丈さだよ」
薄手のマントを払い、飛んできた矢を防ぐ。
腰に下げた短剣を素早く抜き、木立に向かって投げつける。木の枝の高い所から、黒い布が風にはためきながら落ちてくる。
ディランは手ごたえと地面に落ちる音に、止めを刺す必要性を感じず、即座に次の相手に対峙する。
体の向きを変えるや否や、風切音がして、咄嗟に、マントを盾にする。
「なっ⁈ 木の板さえ貫く俺のナイフを、そんな薄い布ごときで弾くとは!」
シアンが支給してくれたワイバーンの翼から作られたものだ。魔力を用いて飛行するとはいえ、補助として用いられる。あの巨体を空へ飛ばすくらいの薄さと強靭さを兼ね備えている。
おまけに、腕の良い魔道具職人も加わって製作に取り組んだお陰で、必要に応じてマントを硬化させて盾にすることができる。付加の域を越え、もはや魔防具となっている。
シアンは怪我をしたアーウェルを心配し、自分の力不足を嘆いた彼に、スリングショットという自身の手数を譲った。密偵を得意とする、それだけに力や戦闘技術に乏しいアーウェルに打ってつけの武器だと思う。彼の長所を伸ばせる。シアンもそう考えたからこそ、譲渡したのだろう。木の実の中に入れる粉末の作り方などを楽し気に話していた。中身の威力の調整をアーウェルが言い出すと興味津々であった。
密偵なので、単純に相手を倒すだけでは好ましくないのだ。状況に応じて中身の威力を調整するというアーウェルに感心しきりだった。
そんな風に自分の生命を守る手数を簡単に分け与えてしまえることに、ディランは危機感を覚える。有体に言えば、騙されて痛い目に合わされるのではないか、というところだ。
幻獣たちは強い。
だが、人間社会のこすっからい部分に関しては不得意だろう。あの優しさにつけこまれて騙されて金品を奪われるかもしれない。物欲が薄そうだから、当の本人は集られ放題な状況を甘んじても、さほど大したことと思わないかもしれない。
ディランは強さにそれほど執着していなかった。
上には上がある。そして、純粋な力よりも、地位というものによって奪われることの方が多いのだ。
流石に、超弩級のグリフォンや優美なドラゴンに対して、仕えることができることに否やはない。それ以上に、シアン本人の役に立つことに喜びを持っていた。
最低限の武器防具を渡さず、食料配給すら減らし、その分を横流しして私腹を肥やした上司が多くいた。そんな中、十分な物資があれば死なずに済んだ筈の部下は次々と倒れて行った。
ディランは必死になって膨大な情報を整理し、そこから掴みとれるもので部下を助けようとした。情報くらいしか手に入れることができなかったのだ。
自分が助かろうとした部下に裏切られたこともある。
そんな人間ばかりかと斜に構えた自覚はある。
でも、違った。
自分の利益のためなら他を踏みつけても何とも思わない人間と、シアンは全く違っていた。
利に敏い海千山千の商人を心酔させ、自分たちのような得体の知れない集団の後ろ盾につかせた。自分の手伝いをする幻獣のしもべ団には安全を優先させ、物資も軍資金も豊富に渡してくれている。任務遂行よりも人命を取れと言われている。
自分の威厳のなさを棚に上げてひれ伏さない人間を敵視する者を多く見てきたディランからしてみれば、穏やか過ぎるほどの鷹揚さで、支えたいと思える初めての存在だった。
他のしもべ団団員たちも徐々にシアンの真価に気づき、幻獣だけでなく、シアン本人のために役に立とうとし始めている。
「危なっかしいからなあ」
つまりはその一言に集約される。
マントは一部のみを硬化させることができる。それを捌きながら次々に飛来するナイフを叩き落とす。薄手のそれだけに軽いナイフで、よくもまあ木の板を貫けるものだと思う。しかし、言うだけあって、威力もある。どこをどうやるのか、弧を描いて側面からも向かってくる。
それらを全て弾き、撥ね飛ばす。それだけ強度のあるマントだ。
ナイフ遣いは不利を悟って撤退した。
ディランは扱いきれなく、自分の脚を切った。
痛みにこみ上げるうめきを飲み下す。
再戦に向けて、必ず武器防具を扱いこなせるよう、励むことを決意する。自分たちしもべ団のために、シアンが伝手を使って用意してくれたものを扱いきれなくて怪我をしたなど知られ、その上で心配されればディランがやりきれない。
グラエムの前回つかなかった結着を、と大柄な相手との再戦に夢中だった。
やはり二人とも笑いながら、延々と殴り合っている。片方が殴ればもう片方が殴り返す。ぐらりと体が傾いだり、踏ん張った足がじりっ、と後退する。
その傍らで二組のゾエ村異類が多人数をものともせずに戦っていた。
誰とでも連携を取ることを得意としているエヴラールがアシルと協力して、ガエルとベルナルダンが近距離の黒ローブたちを蹴散らしている。
ロラとクロティルドのバディは新人組の護衛としてレフ村に残った。
アシルとベルナルダンがバディを組んだ年数はエヴラールとガエルに大きく譲る。息の合い具合に劣ることはないと自負しているものの、流石に狩りの実力では及ばない。
黒ローブたちはベルナルダンとガエルが長距離攻撃しかできないと高を括り、懐に入り込んだところを、手の甲で払われるようにして、そこから発される衝撃を至近距離で受け、文字通り吹き飛ばされた。
ならば、アシルとエヴラールを、と狙いを定めても、ベルナルダンとガエルが阻む。
甲がうっすら光り、轟音と共に衝撃波が走る。その威力を熟知したアシルとエヴラールは長けた感知能力で戦況を支えた。
アメデとロイクの二人も危なげなく戦っている。時折、異能を用いて、黒ローブを惑わせ、そのからくりに気づく前に、すぐにその場から退場させている。
けれど、人には体力気力というものがある。
それは異能がある異類とはいえ、変わらない。
後から後から湧いてくる黒ローブに、流石に疲れを感じずにはいられなかった。
長時間の乱戦は戦闘能力のないアシルとエヴラールにも不利だ。ロイクの体も持たないだろう。
「ピィ―――――――ッ‼」
凛然たる一喝が空間を貫いた。
そこにはグリフォンの巨躯があった。後ろにはリムを肩に乗せたシアンがおり、足元には九尾が鎮座する。
「翼の冒険者!」
「あー、見つかっちまったか」
動揺の走る黒ローブとマウロ率いるしもべ団がそれぞれ異なる温度差でシアンの姿を認める。
「ぬーっふっふっふ、これはこれは、お初にお目にかかります。高名な翼の冒険者に相まみえることになるとは!」
どこに隠れていたのか、戦闘には参加したのかしなかったのか分からないこの黒ローブ集団の頭が前に出る。
「ぬーっふっふっふ」
『きゅーっふっふっふ』
九尾が黒ローブの妙な笑い方を真似る。
リムが息を吸った。
『真似しちゃ駄目だよ』
ティオが嘴を差し伸べて止める。そのまま、嘴の上にリムを乗せ、ゆらゆらとあやす。
「キュアッキュアッ!」
嘴の上に腹ばいになってリムがはしゃぐ。
「ぬ、幻獣どもが吾輩を恐れているぞ!」
「そうかあ? 遊んでいる風にしか見えないぜ?」
幻獣のしもべ団の方が正解である。
ティオからしもべ団が黒ローブと交戦していると聞き、思わず駆け付けたが、戦闘の様子は話に聞くのと見るのとでは異なった。マウロの技量も優れているように見えたし、ディランやグラエムといった旧しもべ団団員たちの戦いぶりは決して黒ローブに劣ることはなかった。
そして、人型異類の戦闘能力に驚かされた。
短く連射される衝撃波を至近距離から受け、裾をはためかせて飛んでいく人間、という世にも珍しい光景を見た。その射手を補佐する観測者の指示はもちろん、立ち回りもうまい。
また、ロイクやアメデは押されているように見えたのに、いつの間にか形勢が逆転して相手を押し戻していた。
異能を持つ人間を恐れる意味が分かった。
もちろん、力があるからと言って危険なのではなく、使う側の資質に左右される。
シアンはあまり人間対人間の戦いを見たことがなかった。ティオとリムの狩りにしろ、瞬時に決着がついた。
圧倒的な暴力を前に、それまでの価値観や考え方が吹き飛んでしまうのだ。
「僕のことをご存知なのですね。貴方たちはここで何をされているのですか?」
シアンはそういった戦いを到底できるとは思わないから、少しでも情報を得ようと話しかけてみることにした。
「そういう貴方は?」
逆に問いかけられる。
「夏至祭りを見に来たんです。先ほどまで、料理を手伝っていました。マウロさんたち幻獣のしもべ団は祭りの設営を手伝ってくれています」
これは事実である。ただ、全てを言っていないだけだ。
「幻獣のしもべ、ねえ。悪いことは言わない。そのグリフォン様にこんなどこの馬の骨か分からない不逞の輩どもは相応しくありませんよ」
シアンはティオに敬意を抱く様子に意外さを覚えたが、表情に出ないように努める。
「とはいえ、夏至! 太陽が最も点に高く上がる時、最高の輝きを示す日です。その祭りに興味を持たれるとはなかなかのものですな」
その声音から、低い評価を少し上向き修正する、といった意味合いを受け取る。
『貴光教にとっては聖なる日なんでしょうね』
九尾の言う通りだと思う。
そして、この黒ローブは今まで会った者たちと違い、口が軽い。その所為か、一種異様な不気味さが薄れていた。得体が知れない恐ろしさは情報不足が原因の一つだ。
「さて、興が削がれましたのでお暇することにします。高名な翼を持つ者に会えて重畳でした。一つ良いことをお教えしましょう。こちらでは醜悪な儀式が行われているとか。まさしく、魔族の所業です。我らはそれを突き止め、白日の下に晒すためにやって来たのです」
油断していたところへ意外な情報を放られる。一筋縄ではいかない者たちだ。
「儀式……、魔族が?」
シアンが気を取られている内に、黒ローブたちは潮が引くように木立の奥へと消えて行った。
『シアン、捕まえて来ようか?』
『それとも、やっつける?』
「ううん、良いよ」
『あれも、言い掛かりでしょうかねえ』
九尾の言葉に曖昧に頷く。
「魔族が関わっているとは限らないよね」
けれど、後に怪しげな儀式が行われていると知ることになる。
そんなことを知る由もないシアンは、幻獣のしもべ団たちの怪我の治療に薬を提供したりなどした。大けがをした者がいなくて安堵する。拙いながらも薬を作った甲斐があった。




