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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第一章
18/630

18.一番必要なもの

 

 出来上がったエオリアン・ハープはシアンの身長より少し短いくらいの、一見すると長方形の箱だ。抱えてティオに乗って飛んでもらうのには邪魔になるので、フラッシュから借り受けているマジックバッグの中へ仕舞う。

 本当は試聴してから届けに行きたかった。けれども、強い風が吹く機会がなく、まさかのぶっつけ本番だった。

 

天気が良い日を選んで出発する。

 快調に進むティオは上昇気流に乗って、風を掴んでみるみる高度を上げる。

 ティオもリムも急成長し、能力を上げている。

 風は山を削り、地形を変化させる。

 それほどの力を持つ自然の脅威と相対峙し、無力さを思い知らされ、それでも知恵を絞って方法を考えて代替品を作った。楽器を作ったことがないものの、一生懸命に伝え、その気持ちを汲み取って貰えた専門家への敬意や、希少な素材をくれた精霊、何より、強い力を持つ幻獣が成長しつつあるのを目の当たりにしたことが勇気をくれた。恐ろしいことにも、一つひとつ積み上げるように行動し、再び挑もうという気持ちにさせてくれた。

 そして、シアンもそろそろ迷い停滞することから脱却しなければ、とティオやリム、精霊たちと出会って思うようになった。どうすればいいのか全く分からないが、そう考えられるようになっただけ、この世界で変われたのだと思う。



 先日、風の精霊の暴風の洗礼を受けた場所にやって来た。

 大地の精霊が作った三メートルほどの高さの壁は鋭利に引き裂かれ、残骸となっている。改めて眺めてみると、実にぞっとする光景だ。

 力加減を知らない子供が強力な武器を手に入れた恐ろしさがある。

 ともあれ、エオリアン・ハープの設置を行うのが先決だ。

 どこか小高くなっている所に置きたいものの、適当な場所がなかった為、辺りに転がっている岩を積み上げようとした。一抱えある岩を何とか持ち上げるので精いっぱいだ。

「すごい、持ち上がった!」

 現実世界では考えられない。異世界で冒険者としてレベルアップによりステータスが上昇している成果だ。

「でも、これと同じ高さの石を並べないと不安定だな」

 筐体が長細いからなるべく安定させたい。

「ピィ?」

 悩むシアンの傍らでシアンの身長を超す長さの大岩を前脚二本でひょい、とティオが持ち上げ羽ばたいた。山肌の一部かと思っていた、シアンが動かそうとも思わなかった岩だ。

『シアン、岩が必要なの? これくらい? もっといる?』

「そ、それだけで十分だよ」

 自分の体重ほどの重さをティオが軽々と持ち上げ、シアンの眼前に運んできた。

「ありがとう、ティオ。力持ちだね」

「キュィ!」

 岩を置いて、シアンの腹に頬をこすり付けてくる。


 ティオが用意してくれた二回りほど大きい岩の上にエオリアン・ハープを設置する。

 山頂を吹く強い風に、さっそく弦が反応し、音が出る。

 メロディパイプやハーモニックパイプみたいな高い音かと思いきや、もっと低い。不思議な和音の響きが途切れることなく続く。広がる風紋の端に風紋がぶつかって響き合っているかのような、濁った音も含む。決して美しいとは言えないのに、吸い込まれるような、たゆたうような不思議な感覚になる。どどこか遠くの寺院で鐘が鳴っている、そんな神秘的な印象を受ける音色だ。

『わあ、変な音!』

 リムが聞きなれない音に筐体の周囲を飛び回る。ティオはシアンの傍らで周囲の気配を窺っている。

「風の精霊、来てくれるかな」

 エオリアン・ハープの傍らに、リンゴの花も置く。


『かわいい!』

 と、シアンの頬を一陣の風がよぎった。

 リンゴを乗せた皿が消えている。

「気に入った? リンゴで作った花だよ。食べられる花」

『食べられるの?』

 風がたわんで集まり、透明な布がなびき広がり、大きく一振りした後、シアンの眼前に年配の緑黒の髪の女性が現れた。褐色の肌に視線がぼんやり定まらない、以前ここであった風の精霊だ。

「そうだよ、食べてみて」

 花びら部分を一枚ちぎって食べる。さくさくと軽い音がする。

『甘酸っぱい。おいしい』

 むしっては食べ、ちぎっては咀嚼する。

 無心に食べる様は小さな子供だ。

「どう、気に入った?」

『ええ、綺麗で美味しいわ』

 ふと上げた顔、瞳に知性が宿る。口調も年相応の落ち着いたものだ。

 それだけでがらりと印象が変わる。

『あの箱も不思議な音がする』

「あれも楽器なんだよ。風が吹くとひとりでに鳴るんだよ」

『そう、あれも楽器なの』

 すっかり食べ終えた皿を手にしたまま、すい、と滑るようにハープに近づいた。

 一回りしながらしげしげと眺め、音がしそうなくらい勢いよく振り返る。

『ねえ、これちょうだい! ほしいの!』

 人格が入れ替わるように表情も変わる。捉えどころがないのが風の性か。

「どうぞ、貴女のために作ってもらった楽器だよ」

『ありがとう!』

 子供のあどけない口調に戻った風の精霊は顔いっぱいの笑顔を浮かべた。そして、シアンを通り越して物凄い勢いで飛び回る。

 エオリアン・ハープが大きく鳴り響く。

『わあ、すごい音! あはははははは』

「あまり強く吹かないでね! 楽器が壊れてしまうから!」

 縦横無尽に飛び回る精霊のせいか、暴風の激しい音に負けぬよう、シアンは声を張った。

『分かった! ありがとう!』

 素直に聞き入れ、風が落ち着く。暴風が強風程度に緩和された。

 しばらく辺りを見回したが、もはや風の精霊の姿は見えず、声もしない。

 シアンはティオに乗って帰路についた。



『取っておくかと思ったけど、すぐに食べていたね』

 休憩を取るために立ち寄ったセーフティエリアに風の精霊が姿を現した。

 先ほど彼の叔母に渡した花のリンゴのことだ。

 あの者の言動は本当に予想できないという風の精霊は、素っ気ない言葉とは裏腹にそれまでの固い雰囲気が柔らかくほどけている。

『ほんのひと時でも、彼女の知性を取り戻してくれてありがとう』

 微笑む姿に一瞬見とれる。

「知性は貴方に取って、大切なものなんだね」

 シアンの言葉に頷き、目を伏せた。長い白金の睫毛が影を落とす。

『だが、分からなくなった。叔母があんな風になって、自分もああなるのではないかと思うと―――。色々手は尽くしてみたけれど叔母はもとの理知的な彼女には戻らなかった』

 硬質な相貌が蔭り、どこか頼りない風情を醸すのに、シアンは懸命に話す。

「誰だって、先のことは分からないし、どうすればいいのかなんて、後から考えても分からないこともあるよ。ましてや感情がままならないことなんて」

『私は自分は何でも知っていると思っていた。森羅万象あまねく、すべてを見通すと。でも、彼女はことごとく裏切る。私は自分が利口者だと思っていた。思い上がりも甚だしい』

 自嘲する風の精霊の手を思わず取った。

 人知を超えた甚大な力を持つ存在であるということを忘れていた。そんなことより、今まさに自分を見失いそうになっている風の精霊に、これだけは伝えたいと思って口を開く。

「英知。英知の王。君は色んなことを沢山知っているんだね。でも、知らないこともある。それを今知って、この瞬間から知らないことをどんどん研鑽していけばいい。英知を極めていけばいいよ。これからもっと沢山色んなことを知っていくようになる」

 楽しみだねと笑うと、風の精霊は目を見開き、次いで清爽に微笑んだ。

『良いね。英知の王か。私にその名をくれる?』

 あれ、名づけだったのか、と思わないでもないが、気に入っているようなので頷いておいた。

『では、君に加護を』

「そ、それは、でも、僕はもう三人の精霊から加護を貰っているから」

『君が言ったんだよ。私は物知りだと。他の精霊はあまり人の世に明るくないから。私が色々教えてあげるよ』

 上機嫌な笑顔で言う。

『それとこれを君に』

 シアンの目の前に大きな楽器が現れた。

 奥行きは二百七十センチメートルにも及び、横幅は百五十センチメートル以上、重量は実に四百八十キログラムもある黒い巨大な楽器だ。

 突上棒に支えられた特徴的な形の大屋根、美しい曲線を描く側板、豊かな音をもたらす響板、十八トンもの張力がかかるフレーム、金色に輝くペダル、そして、幾度となく触れてきた白と黒が並んだ鍵盤。

「どうして、ピアノ……」

『君に一番ふさわしいと思った。一番必要なものだと思ったから』

「ふさわしい?」

 一番必要なもの。

 風の精霊の言葉が胸に突き刺さる。

『ピアニストの脳は指を動かしていなくても、ピアノの音を聴くだけで指を動かすための神経細胞が働く』

 風の精霊のメタな発言に、シアンはそれと気づかなかった。

「指を動かしていなくても?」

『そう。音楽を聴いている時、君の脳の運動野も動いていたよ』




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