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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第四章
172/630

27.密偵の淡恋

 


 慎重に慎重を期していたのに、ちょっとしたしくじりが大きな出来事に繋がることがある。

 その綻びにぐいと指を入れて引っ張ってやれば、大きな裂け目ができる。もしかすると、覆われて隠されていた向こう側が見えるかもしれない。


 幻獣のしもべ団はシアンの新居探しと並行して、マティアスが関わった人間を辿って、エディスを離れたゼナイド国内のとある町へとやって来ていた。


 アーウェルは木の実を買った店で世間話をして情報を聞き出した際、知り合いの娘が変な恰好をした者を見かけたという話を聞きつけて興奮した。

 その娘は黒い布を頭からすっぽりかぶった、見るからに怪しげな風体の者の顔を見たというのだ。

 アーウェルは自分は翼の冒険者の支援する結社、幻獣のしもべ団の人間で、くれぐれもその話は誰にもしてはならない、と口止めをしておいた。

 街の周囲を取り囲む農場を荒らす魔獣を駆除してくれた上、その肉を振舞ってくれた翼の冒険者の名前は、ここでも絶大な効力を発揮した。リムのジェスチャーをしてみせると、途端に顔を輝かせる。

「あのグリフォンと小さい幻獣を連れたお人かね! 知っているなんてもんじゃないよ。毎朝、起きたら手を合わせて礼を述べるのが、この街の者のここ最近の習慣でね! 強い上に謙虚で優しく、美味い物を食わせてくれて音楽も楽しませてもらったよ。いやでも、あの人、ちょっと慎ましすぎやしないかね」

 こちらからの礼としては農作物や特産品くらいしか受け取らず、郷土料理の作り方やこの地方の音楽を教えてやったら喜んでいたと言う。

 シアンをくさしているのではなく、自分たちが慣れ親しみ作り上げてきたものを良いものだと受け取られ、面はゆそうであった。

「そうだろう? だから、俺たちのような人間が手伝っているんだよ」

 シアンは自己主張しないのではないが、その功績から鑑みると大人しく見える。

 アーウェルが店主に頷いて見せると、嬉しそうに何度も頷かれた。

「そうかい、そうかい! しっかり支えてやんなよ!」


 すごい人間なのに自覚がないので周囲がやきもきする。アーウェルだとてそうだったが、今ではシアンが無理に変わる必要はないと思う。そうやって危なっかしいから支えてやろうと思わせることこそが、シアンの強みであるとマウロから聞いて、目の前が開けた心持ちになった。

 店主に、噂を流せば自分のためにはならないという忠告をしても、胡散臭そうな顔をせずに二つ返事で頷いてくれる。


 マウロから自由時間以外の単独行動をしないように言い置かれており、新しく入団したエディス出身の新団員と共に行動していた。その彼にマウロへの伝言を託して走らせ、アーウェルは件の目撃者である娘に会いに行った。

 新人しもべ団員は初めは「えーっと」「あの」「その」を多用する物慣れない風情だったが、そのうち、しっかりしだした。少なくとも、一人で知らせに向かわせるほどには。


 マウロ率いる結社幻獣のしもべ団の本隊がここへ来てしばらく経った。

 シアンが素地を作り上げておいてくれたので、活動しやすい街だった。街へ入る際、誰何されて幻獣のしもべ団だと言えば、すぐさま水の神殿から聖教司がやって来た。

 少し前、複数の属性の神殿に、シアンに対して神託が下りていた。そのせいか、しもべ団員たちもいつの間にか御使者と呼ばれ始め、便宜を図ってくれるようになった。いくつかの転移陣を経由した書状を届けてくれるなどだ。

 そもそも、人が物品を携えて転移するのではなく、物品のみで転移させるなどよく許可されたものだ、とマウロが呆れていた。そう言われて彼らの提案を遠慮しようとしたシアンを押し止めて、ぜひ協力させてほしいと言ったのは神殿の方である。

 幻獣たちとシアンの役に立つことができるのが嬉しい。その認識を分かち合った瞬間である。

 シアンなどは神殿という世界規模の機関に優遇されることに引け目を感じている風だったが、しもべ団の活動に大いに助けになると知り、遠出した村や街で積極的に声を掛けるようになった。後ろ盾といったがっちり組み込まれたものではなく、緩やかな助力を乞うてくれた。しもべ団としても、余計な口を挟まれることなく、協力してもらえる。聖教司たちは幻獣たちやシアンの様子をしもべ団から聞くことができる。

 よい協力関係を作り上げていた。



 路地裏から悲鳴が聞こえた。

 アーウェルは駆けた。

 角を曲がり、薄暗い路地に飛び込むと、黒い布がはためく。

 力なく汚れた地面に横たわる人影もちらりと見える。白い柔らかそうな頬に、今まさに黒ローブが覆いかぶさらんとしていた。

 アーウェルは魔力をそう持たないし、派手な攻撃魔法は使えないものの、魔力操作が得意だったので、行動の補助に魔法を用いていた。密偵技術の底上げに役立っている。

 壁を蹴り、看板を吊り下げている鉄棒を足掛かりにして屋根の上に登る。鉄棒に全体重を長く掛けると折れて落下するので、すぐさま次の足で他の足場を蹴りつけ、体を持ち上げる。

 そのまま突っ込んでいっても倒れた娘を殺されればそれで終わりである。瞬時にそう判断し、アーウェルはつい先ほど買った実を二人組の黒ローブの上から投げつける。硬い殻に覆われた実とともに、煙玉も火をつけ、いくつか投げてやる。

 人間、背後に気を配っても、頭上には意識が向かないものである。さすがの黒ローブたちも突然の堅い雨に驚き慌てふためいた。上を振り仰いだ時にはアーウェルは屋根に身を伏している。そして、上に気を取られている間に、火をつけた煙玉が大量の煙をまき散らす。足元に転がるそれを蹴り、煙の出処が転々と変わり、動揺が動揺を呼ぶ。

 それでも、声を出さないのは流石であった。

 そこで、アーウェルは火事だ、と叫んだ。

 黒い布を頭から足首まですっぽりかぶるほどの風体隠しをする者たちだ。正体を隠すのを最優先するだろう。アーウェルの読みは当たった。

 彼らは人が集まる前に、いち早くその場から立ち去った。しばらくそのまま屋根の上で息を殺し、戻ってこないことを確かめてから下に降りる。


 アーウェルは軽業を得意とし、密偵の技量はしもべ団でもトップクラスのものを持っている。しかし、いかんせん、荒事には向いていない。そして、そのことを知っているからこそ、無茶はしない。己を知らずに怪我でもして、いざという時に役に立たないことの方が問題だ。

 そうは言っても、この火急の時に絡め手で追い払うことしかできない自分の非力さを感じずにはいられなかった。

 だから、力なく横たわる娘をそっと揺すった時、小さくうめき声を上げたことに安堵した。意識がない者というのは途端に重くなる。それをようよう背負い、アーウェルは路地を出た。


 通りの向こうからマウロとグラエムが走って来るのが見える。荒事に長けた者たちが応援にやって来た。

「無事のようだな。それで、その娘が?」

 アーウェルの全身にさっと視線を走らせた後、マウロは気を失っている娘を見やる。

「はい。でも、黒いのを二匹逃してしまいました」

「いや、良い判断だ」

 端的なやり取りだけをして、娘をグラエムに任せ、素早くその場を後にした。何事かと驚く道行く街の者に、娘が襲われているのを助けたので、薬師に診せに行く。娘の縁者にはそう伝えてくれと言い置いた。

 闘志みなぎるグラエムを他所に、内心を押し殺したマウロは如才ない。

「まずは薬師の工房で、その後は酒場だ。カークが丸ごと貸切る話をつけに行っている」

 そこで娘を匿うのだと悟り、アーウェルは頷いた。しもべ団の中でも頭脳派のカークにかかれば、酒場を階上の宿屋ごと貸し切るなど、簡単なことだ。資金も潤沢にある。



 薬師の工房で娘が目を覚ました頃、彼女の両親がやって来た。

「で、では、娘はその黒いローブを着た者たちにまた襲われる可能性があるのですか?」

「そうだ。それでな、親父さん、俺たちはあの黒いのに少しばかり因縁がある。奴らの邪魔をするためにも、あんたの娘さんを守ってやろうと思うんだ」

 明け透けな物言いをするマウロに、両親は目を白黒させる。

「いや、でも、そんな」

「まあ、俄かに信じられないのは、そうだろう。だがな、襲われたのは事実だぜ?」

「そうよ、父さん。私、突然、黒い布をかぶったやつらに無言で追い回されたのよ。その時の怖さと言ったら!」

 身震いしているが、言葉もしっかりしており、中々に気丈な娘だ。

「その黒いローブたちというのはどういった者なんですか?」

「いや、俺たちもまだ全容は掴めていない。得体の知れない奴らだ」

 肩を竦めて見せる。

「顔体を隠してこそこそしているってのは、やましいことがあるからだろうさ」

「本当に不気味だったわ。少しもしゃべらなかったし」

 ただただ、黒布が蠢き、端をはためかせるのだ、という娘の両肩を母親がしっかりと抱きしめる。

「あ、あなた。この方たちを頼りましょう。あの幻獣を連れた冒険者の縁者と言うではないですか」

「あ、ああ、そ、そうだな」

 自分たちでは計り知れない恐怖から逃れられる術を見つけ、そこに縋りついた両親ごと、娘を保護することにした。


 親子三人と共にマウロの先導で着いたのは宿屋を兼ねた酒場である。マウロの指示によって、アーウェルは三人を二階の宿泊部屋に連れていく。マウロはカークとグラエムを交えて今後の対策を立てるのに、一階の酒場に残った。

 アーウェルは一家を二階の奥の角部屋に入れると、窓をしっかり施錠し、強度を確かめる。

「窓は開けるなよ。不便だろうが、これも安全のためだ」

 どこから侵入してくるか分からない。けれど、それを言うと怖がらせるので、当たり障りないことを言っておく。

「食事と飲み物を持ってくるから、しばらく退屈だろうが、心配せずにのんびりしていなよ」

 ベッドに腰掛け、室内を見渡す娘は、怖さよりも物珍しさが勝った様子だ。怖い目に遭ったばかりというのにも関わらず、中々に気の強い娘である。

「あら! じゃあ、私が何か作るわ」

「お、お前、さっきあんなことがあったばかりで……」

「そうよ、それに人様の厨房に勝手をするものではないわ。ご迷惑よ」

 両親が慌てて諫める。二人の言葉にはアーウェルはもろ手を挙げて賛成する。しかし、娘は中々手ごわかった。

「そうなの? 迷惑かしら?」

 寝台から立ち上がって、一歩前へ出る。アーウェルはその分、一歩後退さる。

「い、いや、迷惑ってことでもないが……」

「じゃあ、いいわね! ね、厨房を案内してよ」

 アーウェルの手を取って引く。その手は柔らかく小さくて、心臓が跳ねた。薄っすら口を開いて娘を凝視する。当の本人は、両親に少し休んでいると良いと話している。


「行きましょうか。あ、私はライサよ。貴方は?」

「あ、アーウェル」

「そう、アーウェルね。それで、厨房はやっぱり階下なの?」

「そ、そうだ」

 押されっぱなしのアーウェルはライサに手を引かれて、どちらが案内しているのか分からない風情で一階に向かった。


「おう、娘さん、もう良いのか?」

「ライサよ。ええ、大丈夫」

 階段を降りてすぐにマウロが二人に気づいて声を掛けてくる。ライサとつないだ手を見られて、グラエムがにやにやする。途端に、落ち着かない気分になる。それでも、手を離そうとは思わなかった。柔らかく温かい掌が心地よかった。指先が少し荒れている風なのが気になる。いや、自分の手はどこもかしこも傷だらけだ。

 アーウェルは途端に手入れするなど発想すらすることもなかった自分の手が、汚いもののように思えてきた。


「貴方がこの集団の首領?」

 そんなアーウェルを他所に、ライサはマウロに近寄って見上げる。

「幻獣のしもべ団を取りまとめているマウロだ。トップは別の者だがな」

「あの幻獣を連れた冒険者でしょう?」

 ライサにマウロがにやりと笑う。

「そうだ。耳が早いな。彼はエディスでは翼の冒険者と呼ばれているよ」

「翼の冒険者! 良い呼び名ね。ぴったりだわ」

 マウロの言葉にライサは破顔する。


「ところで、ライサ。具合が良いなら、ちょっと頼みたいことがあってね」

 襲われて目を覚ましたばかりのライサに何をさせようと言うのか、と口を開く前に本人が気軽に受けた。

「ええ、私で力になれるなら。でも、その前に」

 ライサはアーウェルから手を離して、居住まいを正す。

「助けて下さって、ありがとうございました」

 マウロにそう礼を述べ、きちんと頭を下げた。

「どういたしまして。でも、あんたを助けたのはその隣のアーウェルだ」

「そうなの。どうもありがとうございます」

 アーウェルに向き直り、再び頭を下げる。

「い、いや、その、俺は何も……」

 アーウェルは目を白黒させて、しどろもどろになる。

 そんな一幕を、グラエムがにやつきながら、カークは気弱に笑いながら、眺めていた。



「人相書き?」

 酒場の背もたれのない円い木の椅子に座ったライサが首を傾げる。

「そう。まあ、似顔絵だな。黒ローブの中の人間の顔を思い出してほしいんだ」

 マウロの言う頼みたいことというのは、ライサが目撃した黒ローブの素顔を人相書きにしたいというものだった。

「でも、私、絵なんて描けるかどうか」

 ライサが不安そうに返す。

 長方形のテーブルにライサの正面にマウロ、その隣にカークが座ったので、アーウェルは自然とライサの隣に座ることになった。グラエムはアーウェルとカークの間の長方形の狭い辺に座っている。

 ライサはマウロの顔を見ながら話していたが、テーブルの下で不意にアーウェルの手を握ってきた。そっと握り返す。

「いや、どんな風だったか言ってもらえれば、こっちの人間が描く」


 新しく入団したルノーは元絵描きで、人物画を描くのが得意だった。特徴を掴むのが上手い。

 初めはきれいに仕上げるのではなく、短時間で簡単なものを描くことに苦労していたが、すぐにコツを掴んだ。

 そして、爽やかな好男子である。


 ルノーは有名な絵描きの弟子だった。自ら詳細を語ろうとはしないものの、そこはそれ、密偵集団のしもべ団である。そして、新メンバーに紛れて不逞の輩が紛れ込んでいないとも限らない。聞き取り調査はさりげなく綿密に行われた。

 その結果、師匠に作品を横取りされ、どうにかして自作として公開しようとしたが、邪魔をされたこと、師匠の奥方から言い寄られて断ったら、激怒されたこと、師匠にルノーの方から手を出そうとしたと逆のことを言いつけられて放逐されたことなどを聞き出していた。

 エディスの街で幻獣たちが演奏するのを聞き、ただただ楽しいという気持ちが真っすぐに伝わってきた。純粋に楽しむという芸術への姿勢に触発され、幻獣のしもべ団に入団してきた。

 ルノーはそんな才能にも容姿にも恵まれた者だ。


 アーウェルはやきもきした。なぜ、自分が気を揉むのか、判らなかった。いや、分かってはいた。出会ったばかりの娘に、という意識がそれを認めるのに邪魔をする。

「ちゃんと伝えられるかしら」

 ライサのつないだ手、指がアーウェルの手を撫でる。もう一度、そっと握り返す。

「大丈夫だ」

 つい、口をついて出ていた。

 ライサはアーウェルに一つ頷くと、マウロに向き直った。

「やってみます」

「ああ、助かる」

 こういうことは記憶が風化しないうちに、と早速ルノーが呼ばれ、酒場の一角に紙を広げる。

 あまり人がいては落ち着かないだろう、ということで、絵を描くルノーの他はアーウェルのみがライサに付き添う。

 数点の似顔絵を描いたことで質問する要点をも掴んだルノーが、色々尋ねるのに、ライサははきはきと答える。

「ああ、そうだったわ。頬は少し出ていたかしら。顎も長めで」

 話しているうちに思い出すこともあるらしく、ライサは記憶の糸を辿る。

「いや、ライサさん、よく覚えていますね」

 ルノーが手を止めずに感心した風に言うのに、ライサがちょっと嬉しそうに笑う。

「そうかしら。でも、お役に立てれば嬉しいわ」

「ライサはよく気が付くんだろうなあ。うちにいるエメリナっていう子も気働きができるんだ。ルノーも、すごいもんだな。な、ライサが見たのはこういう男だったんだろう?」

 完成に近づいた人相書きに注意を取られ、アーウェルは気づかなかった。ライサが初め、褒められて喜び、他の女性を引き会いに出して悋気を起こし、同意を求められて慌てて頷いていたことに。

「そ、そうね。よく似ているわ。ただ、もうちょっと物堅いというか、頑固そうな雰囲気だったと思うわ」

 ライサの言によって唇が固めに引き結ばれる。即座に修正を入れていくルノーの手元を、アーウェルは感嘆の念をもって注視していた。


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