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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第一章
17/630

17.風で鳴る楽器 ~いとおかし!/ガブガブ~

 

 隣町アラステアには行ったことがなかった。トリスの街でもティオは目立った。あまり人が密集するところへ行くとストレスがたまるのではないかと心配したからだ。

 トリスほどの人通りはなかったが、工房が多く、あちこちの煙突から煙が出て、金属音が響いてき、違った活気のある街だ。

 隣町アラステアでフラッシュが手に入れてくれた紹介書のおかげで楽器職人とはすぐに会えることができた。

 未知の楽器を一から作るということに乗り気で、シアンが拙いながらも、時に身振り手振りで、時に紙に描いて説明することで、何とか伝えることができた。


 何本もの弦が張られた長方形の木製の筐体の中は効率よく風を集める羽がついている。

 弦を通過した風が交互に反対周りの渦を作り、それが弦を共振させ、筐体で共鳴させる。

 弦は和音になるよう組み合わせなければいけないし、筐体自身も強度も必要だ。


 構造を理解して興味を示してくれはしたが、相当強い風の吹くところに設置するのならば、特殊な素材が必要だと言われた。

 ティオやリムを見て、素材として羽や血や爪がほしいと言われ、シアンは思わず体を引いた。血の気も引く。

 倒した魔獣の部位を売ってはいたが、ティオもリムももはや家族のような友人だ。血や爪を寄こせと言われて頷けるものではない。

 ティオの翼は軸と羽枝に分かれたものが無数についている。ティオ本人も抜こうか、と気軽に翼を広げて嘴を近づけるのを押しとどめた。

 職人に、魔獣ではなく幻獣なのだと言外に拒否したが、幻獣だからこそほしいのだと熱意のこもった目で二頭を見つめられて、慌ててティオの前に立ちふさがった。

 個体数が少ない珍しいものだと完全に品定めをする視線で、今まで言われたことがなかったのかと聞かれる。

 全くない。

 おそらく、トリスではグリフォンの威容に驚き、慣れたころには親しみを覚えてくれていたのだと思う。行列の順番も守るし、売り物を美味しそうに食べ、売り手も嬉しそうだった。リムは不思議な姿に驚かれたものの、すぐに慣れて可愛がってもらっている。

 アラステアの街は工業が盛んで、珍しい素材も多く集まるのでハードルが低い上に、ティオは大人しく連れられている。第一、そちらが持ち込んだ依頼なのだからという意識があるのだろう。

 それにしても、生きているのに爪を寄こせなんて!

 幸いなことに、ペットでもテイムした魔獣でも大切にしている人はいるから、と顔色が変わったシアンを見て、職人は引いてくれた。

 渡そうか、と言う二頭に、シアンは絶対駄目、痛いよ、爪ももう生えてこなかったらどうするの、と泣きそうになりながら訴えた。

『シアン、ぼくたちが痛いのダメ?』

「駄目、絶対だめ!」

『ダメだって』

『駄目だって』

 うふふ、と顔を見合わせて笑っているのに、本当に駄目なんだからね、とシアンは念を押す。


 大地の精霊が珍しい鉱物、魔銀とも呼ばれるものをくれてそれを渡して作ってもらうことになった。

『精霊は上位になればなるほど他の属性の精霊と行動を共にすることはないのじゃ。強い力を持っているので他に与える影響が甚大になるからな。風のが強くしつこく吹いて梢を揺らせば炎の精霊を呼ぶ。光のがたわむれに落とした雷で山が焼ける。わしは長い間何度となく山が焼かれ森が焼かれるのを見てきた。それで失われる命がどれほど多かったことか。じゃがの、大地としてはただ、そこにあるだけなんじゃ。ただ生命を育み、時に奪う』

 だから、そういうものだから、風の精霊が物狂いになってもそのまま受け入れたのだと言う。闇の精霊も風の精霊の変調には気づいていたが、大地の精霊の言う通り、関わるとどんな反応を引き起こすか予測不能で手を付けかねたのだろう。


『じゃが、永らく留まり、凝り固まったわしらに、楽しいリズムが届いた。グリフォンの魔力に乗ってわしらに届いたんじゃよ。ほれ、お主は大地の精霊に挨拶するように、他の植物を傷つけないように叩くのじゃと教えただろう。ティオはお主の教えを守っておったぞ。お主のおらぬ間に寂しさを紛らわすように、お主の安寧を願いながらよく地面を叩いておった』

 力のある獣なのに、独りぼっちでリズムを追っていた姿を想像するとたまらない気持ちになって、ティオの胴体に顔を埋めた。

 ティオがどうしたの、と首を差し伸べる気配がする。

 いつだって何てことない、と飄々と簡単に乗り越えるから、どれだけ大変か、どのくらい心を痛めているか、シアンには測りかねる。その強靭な精神力でシアンを尊重してくれることに驚嘆すら感じる。

 だから、時折ストレートにぶつけられる言葉に力が宿り、シアンの心の真正面を捉える。

「ティオ、いつもありがとう」

 きょとん、と首を傾げる様が猛禽の鋭さにどこかコミカルな感じを与えて可愛くてシアンはちょっと笑った。すると、リムも一緒に笑う。それを、ティオが楽し気に見る。

 三人で笑い合っていられたら、大丈夫だと思えた。

 でも、風の精霊は独りで大丈夫なのだろうか。



 エオリアン・ハープは風を集める羽の他、漏斗を持つものもある。

 風が鳴らせる弦であるかどうか、弦同士が共振できるかどうか、箱内部で共鳴させられるかどうか、問題点が山積みだ。また、調律をしない前提であるので、初めから和音になる組み合わせで弦を設置しなければならない。音は弦の太さと風速で変わってくる。


 初めての試みに職人は夢中になった。

 すっかり没頭した職人に任せて、シアンの方は食料品店が並ぶ一角でひじきを見つけて夢中になった。即購入したシアンのテンションの高さにリムが飛び上がって驚いた一幕もあった。乾燥物でも、海産物が手に入るとは思わなかったのだ。これだけでも隣町に来た甲斐があるというものだ。

 ティオのお陰で移動もそう時間はかからない。街に滞在せず、下宿先に戻ることにした。帰路の途中、鳥型の魔獣を狩ってもらう。


 居候先に戻ったら早速購入した芽ひじきを使って料理を作る。

 鳥型の魔獣を捌き、ひじきは洗って水につけておく。

 ティオは鳥型の肉をミンサーにかける。

 リムはこちらも隣町アラステアで購入した厚揚げをちぎる。料理の手伝いも実に楽しそうにしている。

 シアンは長ネギを斜め切り、ニンジンをみじん切りにし、椎茸は細切りにする。

 三人で用意したものを纏め、卵を加えて味噌と一緒に厚揚げをつぶしながら混ぜ合わせる。半円柱に成型して表面に油を塗り、オーブンで焼く。

『いい匂いがしてきたね』

『もうすぐできそう? まだ?』

 食べ物が焼ける匂いというのは吸引力がある。

 生産のため工房にこもっていたフラッシュも、どこにいたのか不明な九尾もやってくる。生産作業をするにも魔力やSPを使う。

「今日は鳥の肉でミートローフを作りました」

「おお。野菜たっぷりだな」

 切り分けだ断面を見ながらフラッシュが感心する。肉ばかりでも、ティオやリムは十分かもしれないが、人間であるシアンやフラッシュは飽きる。いくらSPを稼ぐためとはいえ、味覚を感じるのだから美味しいものや多様なものを食べたい。ゲームであるせいか、肉ばかりを食べられないこともないが、こちらの世界でも栄養の偏りというのはある。ステータスに微弱な障害が起こるのだ。いわゆるバッドステータスというやつだ。

「はい。あと、ひじきを見つけたんです。海産物!」

「トリスは海から遠いからな」

 夢中で食べていたティオがふと顔を上げる。

『シアン、海に行きたいの?』

 行きたいと言えば気軽に連れて行ってくれそうな感じではある。

「ううん、海で採れる食べ物が珍しかっただけだよ」

『うみってなあに?』

 リムが首を傾げる。

「塩水が沢山あるところだよ。見渡す限り水ばっかり」

『湖の大きいの?』

「それよりもっと大きいよ。陸地よりもっとね。深さもあるんだよ。陸地の食べ物とは全然違うものが沢山ある。いつか一緒に行こうね」

『うん!』


『きゅうちゃんもビーチでトロピカルドリンク片手に日焼けを楽しみたいものですなあ』

 九尾が会話に入る。だが、目的は全く違うようだ。

「毛皮で暑いだけだぞ」

 フラッシュが言下に切り捨てる。

『夏のバカンスが……!』

「お前は常に長期休暇中のようなものじゃないか」

 きゅっ、とひと声鳴いて、その場にお座りポーズを取り、滔々と語り出す。

『春はあけぼの うとうととまどろむ 心地よさ

 夏は冷房 涼しい部屋で 暖かい飲み物

 秋は豊作 芋栗なんきん 季節スイーツ

 冬は暖房 暖かい部屋で 食べるアイス』

「寝るか食べるかなんだな。しかも無駄に整備された環境だな」

『いとおかし!』

「それは菓子のことではないからな?」



 楽器の出来上がりを待つ間、シアンは飾り切りのスキルを取得してレベルアップを図る。

 フラッシュの家の庭先で果物の飾り切りを練習した。

 リムとティオが不思議そうにのぞき込んでくる。

『なにしているの?』

『果物の皮を剥いているの?』

 この世界でも季節変わらず果物や野菜を食べられる。ビニールハウス的な精霊の働きは料理人としてありがたい限りだ。

『むかなくてもぼくたち、食べられるよ?』

「君たちはね。僕は顎の力もないし、皮はあまり美味しくないし。皮の方に栄養があるって聞くけどね」

『シアン、好き嫌いしちゃダメなんだよ?』

 首を傾げてシアンを覗き込むリムに、人間にとってそれは好き嫌いのレベルにならないということをどう説明すべきか迷った。リンゴなどの薄い皮はともかく、柑橘系の厚い皮は食べづらい。今度、干して砂糖をまぶして出してみよう。ジャムやマーマレードもいいし、紅茶に入れてもよさそうだ。皮は別で手を加えて食べる分には美味しい。

「人間は好き嫌いの範疇じゃないんだよ」

 言いながら、大きいオレンジを手に取り、皮のみをナイフでジグザグに切っていく。一周のうち、四分の三以上切り、上部分の皮を果肉からはがす。上の皮を上下に動かすと、牙が生えた顎を動かす感じになる。

 両手で果物を支え、上部分を動かし口を開閉させるように見立てながら、リムの鼻先に近づける。

「ほら、リム、牙だよ。噛んじゃうぞ。ガブガブ」

 リムが驚いてまじまじとオレンジを凝視する。後ろ足で立ち上がり、身体を伸ばして可能な限り近づき、しきりに匂いを嗅いでいる。その様が可愛くて、リムの鼻をオレンジの皮で挟んでみた。

「キュアッ!」

 リムが硬直する。広げられた翼も長い尾も力を入れてぴんと突っ張っている。

「はは。どうぞ、食べてもいいよ」

 すぐにオレンジの皮を大きく開き、中の果肉を差し出すと、小さい鼻を舌で舐める。

『おもしろーい!』

 喜んでくれたようだ。

 皿の上に乗せたオレンジの顎にそのまま首を突っ込み、果肉を食べる。

「食べにくいでしょう。上の蓋、取ろうか?」

『ダメ! そのまま!』

 上下を分離させるのは駄目だそうなので、仕方なしにシアンが上蓋を持ち上げ、ひっくり返らないように下部分を支える。

 オレンジの下顎に前足を置いてせっせと食べ、どんどん奥へ進み、ついに顔がすっぽり入り込んだ。

 中身を食べ終わった後、これは自分のだと主張して、中に潜り込もうとする。さすがに狭いし果汁で汚れているから無理だと言い聞かせるのに苦労した。

 納得した後も消沈した様子に、職人に追加依頼を出そうか迷うシアンには、フラッシュに劣らず甘い自覚はあった。


気を取り直してリンゴの飾り切りに取り掛かる。

リンゴを縦半分に切り、薄くスライスしていく。このとき、完全に切り落とすのではなく、深い切込みを入れていく。半分ほど切ったら、もう半分は切り落とす。四分の一に切り込みを入れる。残りの四分の一をスプーンで丸く切り抜き、それを土台にして、切り込みを入れたリンゴに串を通す。その軸を中心に切り込みを少しずづずらし、円を描くように広げていく。二周半ほどもつくれば、奥行きのある花が出来上がる。中央の串を隠すためにもベリーやサクランボなどの小さい丸い果肉を中央に刺す。

「キュア!」

『綺麗だね』

『花だ! リンゴの花!』

 リムの気持ちが持ち直して一安心だ。

「うん、ちょっといびつだけど成功したね。これを風の精霊にプレゼントしようと思うんだけど、どうかな? 風の精霊とちゃんと話せるといいんだけど」

『喜んでくれるといいね』

『喜ぶよ!』

 きっと気に入ると言うティオとリムに、つんけんした声が被さる。

『あの者は話が脈略がなくあちこちに跳んで会話にならない』

 爽やかな風がするりと滑り込んでくる。白金の羽毛のような巻き毛がふわりと舞う。庭の中央に風の精霊が浮いていた。

「そう? でも、こういうの、喜びそうかなって思ったんだけど。まだまだ下手だけどね」

 笑顔で花のリンゴが乗った皿を掲げて見せる。

『ああ、喜びそうだ。食べずにとっておきそうだけれど』

 笑顔に押されたのか、案外素直な応えを返す。

「作る方からしたら食べてほしいんだけどねえ」

 あの強風の最中ではすぐに酸化して痛みそうでしみじみ言う。

『楽器のこと、悪かった』

 どこから取り出したのか、バーチャイムを差し出した。フラッシュが作ってくれたものだ。彼が以前放り出した部分だけ、なくなっている。

「全部壊されたんじゃなかったんだ」

 シアンは皿を脇に置いて、楽器に近寄り、よくよく眺める。

「キュア!」

 リムも嬉しそうに鳴く。

 ティオは近寄らず、少し身をかがめて風の精霊の動向に注意を払っている。

『あんなに乱暴に取り扱ったらすぐにそうなる。それすらももうわからないんだ』

 美しく整った顔に変化はなかったが、なぜか悲しそうに見えた。

「取り返してくれてありがとう」

 せっかくフラッシュが作ってくれた楽器を取り上げられて壊された、あんな暴風では修復不可能かもしれない、再び会っても取り返す交渉の余地がないかもしれないと、不安の種は尽きなかった。それが、一部破損しただけの状態で戻ってきた。

『いや、壊したのはこちらだ』

「今、代わりに違う楽器を作ってもらっているから」

『何故そこまでする? 精霊だからか? 三柱から加護を貰っていれば十分だろう』

 風の精霊が静かに見つめてくる。理知的で心の奥まで見透かされそうな視線だ。

「加護は多いくらいだよ」

 何しろシアンは光の精霊と闇の精霊からやると言われても一旦断った。貰ったら貰ったで、九尾とフラッシュへの説明することの方に気を取られたくらいだ。

「自分自身が許せないって君が言ったから。どうしたら君が自分を許せるようになるのかなって思って」

 かすかに目を見開いてシアンを凝視する。

「正直、楽器を渡したからって風の精霊が劇的に良くなるとは思わないんだ。ただ、少しでも心を慰めることができたらなって。バーチャイムもあんなに喜んでいたし。知っている? バーチャイムはね、ウィンドチャイムとも言うんだよ。だから気に入ったのかもしれないね」

『君はお人よしなのか』

 不思議と馬鹿にされた風には感じなかった。

「僕はそうは思わないよ。単にそうしたいと思うことをしているだけで」

『あれは私の叔母だ。大地の精霊の言う通り、気狂いをした精霊で、知性をつかさどる風の精霊としては度し難い存在だよ』

 吐き捨てるように鋭く告げて周囲にぼやけ溶け込み姿を消した。捨て台詞は、やはり悲痛な色合いを帯びていた。




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