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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第四章
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20.黒衣の少女と特別な薬/住まい探し~お仕置きしてほしいの?~

 


 アリゼは忙しくも充実した毎日を送っていた。

 まずは新しい薬草園だ。簡素ではあるものの、新しい柵に囲まれて、アリゼの水魔法によって適量を得てすくすく育っている。

 ハーフエルフで戦力のはずのカレンはここではあまり役に立たない。やる気が徐々に失せていっているようで、イシドールの言う通り、彼女はジェフに任せておけば良いだろう。ただ、そうなると人手が足りなくなる。イシドールに言って他の手を借りても良いのだが、アリゼはこれ幸いと自分の好きなように手入れをしていた。物は考えようである。イシドールが状況に気づいて新しい人間を送り込んでくるまでに、新しい薬草園は心情的には自分の薬草園となった。

 時折、呼び出されて広告塔の役割をも果たす。水回りの良くない土地に水を巡らせてやるのだ。大地の属性を持つ者がいたら、また別のやりようがあるのだろう。

 植物が育つには他に光の力も必要だ。けれど、光の属性を持つものは植物の生育などに関わっている暇はない。


 貴光教内部で従来作られていた「特別な薬」の製作も疎かにはできない。

 もちろん、アリゼが一人でそれらを受け持つのではない。

 しかし、それだけの部署で活躍するアリゼのことを、もはや誰も面と向かって文句をつける者はいなかった。陰口をたたいているのを聞いたことがあるが、忙しさにそれどころではなかった。

「それは素手で触れないでください。皮膚疾患を起こします」

 新しい薬草園で作業中の際、手伝いの者が不用意に触れようとするのに注意する。

「特別な薬」を作るだけあって、薬草として育つうちから強力な威力を発揮する。知らずに接して被害を受ける者がいるくらいなら、一人で行った方が良いかとも思ったが、いかんせん、作業が多い。それに、イシドールが送り込んできた助っ人は監視である。アリゼの行動を逐一ジェフもしくはイシドールに直接、報告しているのだろう。

 カレンがいるから、と一旦は助っ人を断るアリゼに意味深長な笑みを浮かべたイシドールの笑顔を思い出す。彼はアリゼが監視と知りつつ傍に置いていることも察しているのではないだろうかとさえ思う。



 アリゼが提唱して育てた薬草から抽出した「特別な薬」の効果は絶大だった。

 まず、若葉が他の山菜であり煎じれば薬効もある植物と非常によく似ている。花はどちらも美しいが特別な薬を作る方がより華やかである。

 黒の同志たちはまず、この葉を山菜に混ぜて一般家庭で食べさせ、死亡を確認している。

「嘔吐や呼吸困難の症状が見られた」

「食後間もなく死亡が確認された。物すごい即効性だな」

 黒いローブを纏い、白い手袋をつけた同志たちが追加で薬をもらい受けに来た際に語った。重ねて薬草を所望されるということは役に立つということで、こちらが人づてで渡すのではなく、わざわざ取りに来て、そう言われたことに意味があるとアリゼは思う。白い手袋をしている実行部隊でも上位の者たちに認められた。確かな手ごたえを感じ、こみ上げる感情を押し隠すために、そっとこぶしを握り締める。


 この薬草は強心剤や鎮痛剤としても用いられる。非常に有用な薬草だ。毒性が高くて生薬としては用いることができず、弱毒処理が必要となってくる。これは温度や時間などの調整が重要だ。専門的な知識や経験を必要とするので、誰しもが作れるものではない。

 また、素手で触ると皮膚の病を発症しかねない。取り扱いの難しさに、イシドールもアリゼに任せることを躊躇しなかった。

 アリゼは必要以上の情報を開示しなかった。この薬草はまだ他の薬効を持つ。イシドールたちが薬草園で栽培していたものと同じく、精神をも侵す作用を持つのだ。

 取り扱いが難しいので、アリゼ主導で扱うことができたが、監視があったことからもう一つの薬効についてはしばらく眠らせておいた。それが本領を発揮するのは今しばらく後のことである。


 そして、アリゼが持ち込んだもう一種の薬草はこちらも同じく使い様によっては薬にも毒にもなる。用法や用量が鍵となる。

 全草に毒を含み、根に強い毒を持ち、葉に浮いた油に触れるだけでもかぶれる。

 この薬草のすごいところは、その餌食にする動物を選ぶのだ。

 種族によってはこの毒が効かないものがいる。この薬草を食べさせた動物を人間が食したことによって中毒症状を引き起こし、死に至ることがある。

 この薬草に関してはまだ成長していない。そして、こちらに関しては葉にかぶれを引き起こす成分が浮き出るという取り扱いに難しい点はあるものの、その分、優れた面もある。精神に影響をもたらす薬草なのだと話している。

 この薬効がなければ、新しい薬草園を作ることをイシドールたちに飲ませることはできなかっただろう。彼ら貴光教が連綿と作ってきた「特別な薬」に必要な薬草が何らかの事情で死滅した際の代替品となる薬草であるというのが最大の魅力であるのだから。



 黒の同志たちが薬草園で栽培していた「特別な薬」は人々に幸福感をもたらした。

 時に、神の奇蹟をも見せることもあった。

 精神に影響を与えるものは魔法でも薬でも、高度な物だ。そして、人の身で作り出した薬など、所詮、不完全なものだ。

「特別な薬」もまた、多用すれば精神に異常を来した。

 アリゼは「特別な薬」が幻覚作用をもたらすのだということを知っていた。そういう薬効を持つということを知識として持っていたからだ。

 知らずに使った者たちは「特別な薬」の虜となった。

 拝殿する者のうち、特に熱心な信者はまず聖教司から特別な教戒を受ける。そして、それに感化された者を見抜き、次の段階へと導くのだ。もちろん、その間に喜捨は募っている。

 特別な香を焚きしめた部屋に集められ、一段と神への清浄な愛を説かれる。

 中にはその講説に感じ入り、涙する者もいるのだそうだ。

 そして、神より遣わされた飲み物を口にする。

 すると、まるで空から一筋の柔らかく清浄で美しい光が降りて来て、その中に全身が包まれるのだ。暖かい光にくるまれ微睡みにたゆたう。いつしか体は浮き上がり、得も言われぬ浮遊感と共にいつの間にか高い高い空の上にいて地上を見下しているのだという。

 その啓示に富んだ体験は忘れ得ぬものとなる。

 この世界は不安なことに満ち溢れている。ひと時その不安を忘れ、幸福感に包まれる。

 そして、人々はますます貴光教の神殿に通いつめ、喜捨を行う。


 アリゼの他にも薬草園が作り出す「特別な薬」、引いては貴光教への疑惑を抱いた者がいた。しかし、その反応はまずかった。

「どうしてなの? おかしいわ。本来こんな使い方をすべきではない。いいえ、分かっているわ。有史よりこの薬効は娯楽として用いられてきた。それは紛うことなき事実よ。でも、多くの者たちの神の愛を逆手に取って、自分たちの言うことを聞かせたりお金目的で使うべきではないわ!」

「カレン、少しあちらで話そうか」

 カレンの言は正しいのかもしれない。

 だが、それが何だというのだ。

 大勢が決する中、一人声を荒げたところで飲み込まれるだけだ。

 そして、人は自分が見たい通りにしか見ない。

 事実がどうであるかは関係がない。

 更に言えば、それぞれ自分の思惑があり、それを叶えるために行動するのだ。

 力なき者は力ある者に踏みつぶされる。世界の真理である。だから、弱い者は群れるのだ。数に頼めば、力ある者だろうと無視できない。

 その段階を踏まずして、ちっぽけな存在のままでは、何も成し遂げることができない。



 カレンはジェフに連れていかれてから二、三日姿を見なかった。

 ふらりと薬草園に姿を現した際、少しやつれた様子だった。

 アリゼの姿を見つけると、つかつかと足早に近寄って来る。普段、彼女もアリゼを避けている様子なのに、面倒なことだと内心ため息をつく。

「何をしているの!」

「もちろん、薬草の世話よ」

 平然と言い返す。人目も考えずに声を荒げるカレンに心がささくれ立つ。すると、声を潜めて言う。

「貴女、気づいていないの? 私たち、監視されているのよ?」

「知っているわ。だからこそ、常にきちんと働いておかないと」

 そう返しながら、アリゼの手は作業に勤しんでいる。

「でもだって、こんな薬草! この植物から作った薬がどんな事態をもたらすか、分かっているの?」

「もちろんよ」

 実に上から目線の物言いが鼻につく。

「普段から裏切らず、しっかり実績を上げる。貴女だってここで寝食の恩恵を受けているのでしょう?」

 ちらりと視線をやれば、図星をさされて狼狽しつつも言い返してくる。

「だからってこんなことをしていいものではないわ。あの薬によってどれほどの後遺症で苦しむ人間がいるか……」

「では、出ていけばいい」

 独りよがりの正義感でアリゼまで巻き込まないでほしい。自滅するなら一人でやればいい。


 貴光教は信者を中毒症状にして飼い殺しにしている。

「特別な薬」は幸福感をもたらすが、呼吸器系を鈍らせ、昏睡状態に陥らせて死を招く場合がある。そして、この薬に親しみ過ぎると、手放せなくなる。中には、激しい痛みを紛らわせようとして、壁に身体をぶつけることもある。

 つまり、この「特別な薬」を作る薬草園は貴光教の秘密の園であるのだ。それを一人がなり立て露見させようなど、自殺行為である。

 黒の同志たちは偏狭だ。他の種族を易々と信用しない。他の種を取り入れるのは利用する時のみだ。その目的で助ける。易々と信用しないからこそ、枷をつけて監視する。


 アリゼは成し遂げて見せる。自分はこんなことしかできないのだから。与えられた場所で精いっぱいのことをする。

 力なき者は力ある者に踏みつぶされる。世界の真理である。だから、皆、力を欲するのである。おめおめと踏みつぶされるままでいたくはない。

 そして、力ある者は更に力ある者に踏みつぶされるのだ。これもまた、世界の真理である。

 けれど、翼の冒険者であれば、そんな線引きを超えて行くのではないか。ふと、そう思った。大空を飛翔するように、軽々と飛び越えていく。

 知らず、アリゼの唇に笑みが乗る。

 街中で見た翼の冒険者に可愛がられ、共に音楽を楽しむ幻獣たちの姿が思い出された。きっと、あの幻獣たちが彼を守るだろう。

 そのことはこの冷たく饐えた臭いのこびりついた世界を、何とか耐え抜くよすがとなった。



 ソレは力ある故に、他者と共存することはなかった。一人でも十分に活動することができたからだ。

 地から離れることができない人間は群れなければ狩りもできない。巣も一所に縮こまって作っている。人は数が多く、それだけに大きな巣を作っているのも確かだ。

 石の壁で巣を囲ってはいるが、上に対して無防備である。

 魔獣よりも知能は高いが、所詮、その程度である。

 知能があるといっても、ソレにとっては時折狩る対象となる存在というだけである。そして、ソレにとっては人も虫けらもそう変わりはなかった。邪魔ならばどかせば良いだけである。

『虫けらどもめ、踏みつぶされよ』

 淡々と言い放ち、鋭い鉤づめで実際に踏みつける。

 甲高い断末魔の叫びが上がる。

 荷重に耐えきれず、体が地面に半ば埋まる。同時に、熟した果実のごとくひしゃげ、皮膚を破って血肉が弾け飛ぶ。

 ソレは前足についたぬめる血と脂を、不快げに一振りする。地に白い脂と赤黒い液体が飛び散る。

 生命力が宿る艶やかさという一種のぬめり。光沢。それがふうっと収縮をするように失われる。それが死亡する様だ。それと同時に意思を持って動いていた体が重量を増し、動かぬ物体となる。

 力ある者に害される。

 生と死が常に表裏一体の野生では当たり前のことだった。



 梟の王が魔神だった。

 その神の中でも最上位の存在ある者から、何故か家を貰ってしまいそうになっている。

 シアンは不可解な状況をできるだけ回避するために、住居探しを真面目にすることにした。

 ニーナの村を出発し、隣国近くまであっという間にやって来た。セーフティエリアで休憩を取る。

 冷蔵庫から飲み物や作り置きの物を出してやり、ティオの勧めに甘えて、横寝する彼の腹に背を預けて座った。温かく肌触りの良い極上の背もたれに寛ぐ。


「エディス近隣も良いんだけれど、冬は随分寒いって言うしなあ」

『じゃあね、冬の間はぼくがずっとシアンの襟巻になってあげる!』

『ぼくもずっとくっついているよ』

 シアンのぼやきを拾い上げたリムとティオがそれぞれ暖を取る方法を申し出てくれる。

「はは、ありがとう。それだったら暖かいかなあ」

『身動き取れなくなりそうですね。ボニフェス山脈を越えても涼しいくらいにしか感じないシアンちゃんならば、どこへ行っても精霊たちの加護があるのでは?』

 それもそうだと九尾の言に頷く。

 どうも、自分に過ぎたる能力だから、失念しがちである。

「色々してもらっているのが当たり前になったら怖いな」


『シアンはいつもありがとうって言ってくれるよ』

 そう言うティオの前足が地面に手を置いた自分の手の傍らに並んでいるのに目を止めた。偶然にも、四つん這いになったリムの前足も並んでいる。

 シアンはしげしげと三人の手足を見比べた。

「ティオの足は大きいね」

 シアンはピアニストらしく、手は大きい部類だ。ティオはその何倍も大きい。

 前方に細く三又に伸び、後方に一本まっすぐ伸びた指の先に鋭く湾曲した爪がついている。

 ティオの指の一本を握ってみた。そのシアンの掌の中で、そっと力加減をしながらティオが指を曲げる。卵から孵ったばかりのリム、初めて見たあまりに小さい彼の足指に掴まれた際、こうやって自分も指を曲げてみた、と思い出す。

 リムの前足は人間の手と似ていてくっきりと五本の指が半放射状に延びており、指先がピンク掛かっている。

 シアンは逆の手でリムの小さい足の中央を、曲げた指の関節で撫でる。きゅっとリムがその指を握る。

「キュア」

 リムが目を細める。生まれたばかりのことを、覚えているだろうか。

「ふふ、二人とも、やっぱり爪が鋭いね」

 ティオとリムはシアンの手を優しく握りながら、うふふ、と笑う。


『ティオの尻尾、ぼくのより長ーい!』

 リムがティオの後ろ脚の方へ回り込み、尾を覗き込む。機嫌良さそうに、獅子の尾が左右に揺れている。

 リムも傍らで尾を揺らす。

「本当だね」

 シアンも近寄って、二本の尾を触る。

『その尾で敵を打ちのめすこともあるのですよ』

 ぶるる、と口で言い、九尾が大仰に体を震わせて見せる。その九尾にティオの鋭い目が向く。

『そうだね、ふざけた狐も打ち据えることができるね』

 冗談ではなく、震えることになった。



 人気のないセーフティーエリアでは休憩がてら音楽をも楽しんだ。

 シアンがマジックバッグからバイオリンを取り出すと、期待にどんぐり眼を輝かすリムが後ろ脚立ちし、ちょろりと前脚を胸の前に垂らす。

 静かな滑り出し、ゆったりと寄せては返す波のような厳かで美しい音が響く。

 炎や水が滑らかに物を覆っていくように、よどみなく埋め尽くしていく。

 高音が耳に障ることなく、ただただ優美な揺らぎとして流れる。

 途切れることなくどこまでもどこまでも広がって続いていく。

 音の強弱も急変することなく徐々に、しかし、確実に膨らみ、萎む。

 長音で構成された美しい音楽が大気に溶け込み消えていった。


『きれーい!』

 楽器を下ろしたシアンにリムが飛びついて来た。

「この曲はいろんなアレンジをされて楽しまれているんだよ」

『どんな風に?』

 ティオが首を傾げる。

 シアンは楽器を顎と肩に挟んだ。リムがすぐさまシアンの肩から離れる。

 先ほどの曲を今度は低音を多用して、音の揺らぎを更に豊かにして奏でる。いくつかのフレーズを演奏して楽器を下ろす。

『本当だ。違った感じだね』


「じゃあ、今度はこんな感じで」

 短音を多用して組み合わせ、律動激しく奏でる。大きなスパンでの旋律は先ほどと同じだ。けれど、奏法が異なる。揺らぎに癖を持たせ、大波小波で緩急をつける。

「キュア!」

 リムが喜んで後ろ脚立ちしてその後ろ脚を激しく動かす。いつの間にかしっかり前足にはタンバリンを握っている。

 ティオも大地の太鼓を出して飛び跳ねるリズムを、統制を取るように刻む。

「弾き方によって違う表情味わいがあるでしょう?」

「キュィ!」

「キュア!」

「きゅ!」

 三者三様に是と鳴く。

「じゃあ、今度はティオはこのリズムで太鼓を叩いてくれる? リムはティオに合わせてこんな風に音を鳴らしてね」

 軽い太鼓の律動にタンバリンの涼やかな音が混じる。ティオのちょっと癖のあるリズムをリムが上手く締める。

 そこへ最初の長音が美しくどこまでも伸びていく音と重なる。優美で厳かな音に体が弾むような律動が合わさる。ティオが意外そうな表情をする。

 シアンは最後だけ、溶け込むような終わり方ではなく、すっと音を滑らせて終わった。

『わあ、おもしろーい!』

『楽しかった!』

『美しく厳かな調べも、全く異なるリズムとも合わさると、また違った味わいが生まれるものなのですねえ』

 そうだ。楽譜に沿って奏でる楽曲も他のリズムに出会うとまた違った表情を持つ。だからこそ、自分が思う唯一だけを標榜するのは違うと思うのだ。貴光教や魔族のように。もっと色んなものと合わさり、多様な色彩や表情質感に変化していく。それが妙味であり醍醐味であるというのに。

 思いの外、幻獣たちが気に入ったので、その夜、眠る前にピアノでも弾いた。

 ゆったりと流れる旋律に音の粒が時折きらきらと弾ける。

 柔らかな調べは眠りを誘い、幻獣たちはうっとりと目を瞑った。



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