11.隠形の敵へのアプローチ
国境を超え街へ入る際には入国許可書が必要となる。これはギルド証などといった身分証明書があれば発行される。このギルド証や果ては入国許可書まで偽造されることもある。
魔法がある世界でも、巧妙な偽造を見破ることができる人材は引っ張りだこで、それこそ高位聖教司にもなれる。
そのうち、プレイヤーの中で判別する魔道具を作り出す者が現れるかもしれない。
ともあれ、現在ではこの偽造書が高額でならず者に売買されている。なお、他所者といった狙いやすいカモは金だけ取られて粗悪品を掴まされることもあるのだそうだ。
シアンはトリスの冒険者ギルドからギルド証を受け取っており、更にはエディスで冒険者ギルドが設置された国への入国を自由に行うことができるよう便宜を図ってもらうことができた。
最上級の冒険者の特権である。
「ゼナイドの人間は背が高くて大柄で立派な風貌をしていたんだね」
外国へ来てみて初めて実感する。ゼナイド人は白い肌に金茶の髪、目は青か緑色をしている。
エディスやその近隣では陽気な者が多かったが、国都を離れるにつれ、寡黙な人柄になっていく。総じて誠実で働き者だ。そして、寒い地方にも関わらず、美味しい食べ物が豊富だった。
ゼナイドの隣国サルマンへ入国してすぐの国境の街は、あちこちに剥き出しの下水溝や水路があり、真っ黒い汚い水が流れている。
『夏には街中に悪臭が漂う』
シアンの視線を追った風の精霊が言葉短かに解説する。
国民はジャガイモやキャベツ、大麦などを食す。ゼナイドと近接しているので、よく採れる野菜は似ていたが、いかんせん、種類が乏しい。
食べることをそれほど好まない人々が住まう国で、酒には目がなかった。
シアンはこの世界へ来てからはいかに美味しい料理を作るかに従事してきたので、食に労力を注ぎたくない風潮に驚いた。食べるものが手に入りにくい環境というのもあるだろうが、ティオやリム、九尾と行動する中、生きる上で食にかける情熱は当たり前のことになっていたのだ。この世界で最上位の存在の力を発揮する場面は料理に用いられることが多いほどだ。所変われば色んなものが変わるものである。
石壁に囲まれた街で入街を拒まれたこともあった。そこではギルド証を提示した後、少し待たされた結果、入ることは叶わなかった。
自ら聖教司を呼んできて便宜を図ってほしいと言うほど厚顔にはなれなかった。好意からしてくれるものを強要できない。
サルマンでもゼナイドにほど近い場所に位置する街ナタでは、ギルド証と水の神殿の聖教司の口利きですんなり入れてもらうことができた。その先が中々進まない。
やってきた旅人について回り、手伝ってやろう、と街の者が付きまとうのだ。頼まれ事を請け合うまで離れない。無論、手を借りればいくばくかの金銭を支払う必要がある。
こうした者たちは貧困層や子供が多く、そうした者たちを裕福な者たちはあからさまに見下し、平気で無礼な態度を取るが、そうされた方はじっと耐えている。
シアンもまたティオがいるために遠巻きではあるが、必要なものはないか、など聞かれる。
「この近隣のことや動植物、異類のことなどを教えていただけますか? あとは特産品や料理のことを知りたいです」
『いやはや、シアンちゃんも肝が据わっていますなあ。しかし、油断すれば身ぐるみ剥がされかねませんよ』
九尾が警告するのに微かに顎を動かして承知の合図を送る。
首から下げた紐で支えた木箱に明らかに粗悪品と分かる民芸品を並べて売りつけようとしたり、中には黒ずんたパンを手づかみで掲げて見せながらこれを買えと言ってくる強者までいる。
旅人が通りを歩くのに従って、左右前後をわあわあ喚きながら色々売りつけようとする。その脇を身なりが整った他の街の者が眉を顰めて通り過ぎる。
客しか目に入っていない者たちがうっかりぶつかろうものなら、金切り声で非難する。旅人に少しでも近づこうとする子供にわざと足を引っ掛けて転ばせる者もいる。
どちらも、身なりが劣る者の方が平身低頭の態である。
『おやおや。転ばされたのに謝らないといけないんですね』
九尾もシアンと同じ光景に注目していたようだ。ティオとリムは気にしていない。シアンに近づこうとする者の方が気になる様子だ。
「情報は冒険者ギルドで得る方が良いかな?」
シアンの独り言に周囲が反応する。
「おう、兄さん、物よりも情報が欲しいのか? 何でも聞いてくれ。近隣のことや動植物のことだっけ?」
「異類のことなら任せな!」
「この近辺には黒っぽい狼が出るから気を付けなよ。もし遭遇したらどうすれば良いかも教えてやれるぜ」
その先を聞くには料金が必要ということだろう。それにしても、一斉に我が我がと話すので、言っている言葉を最後まで聞き取ることが困難である。
「珍しいものを扱っている店を知っているよ」
「薬関係もですか?」
飛び込んできた声に思わず反応する。
「詳しいぞ!」
「いや、俺に任せろ!」
『いやはや、食いつきが半端ではないですねえ』
一斉に両手をこちらに向けて口々に喚き出す。他を差し置いて自分の声を届けようとするから、全員が大声を出す。
それでも、ティオが鋭い視線で威嚇しているので、近寄っては来ない。ティオがいない側にじりじりと差を詰めてくるが、ひょい、と首をそちらにさしむけると途端に後退る。
「薬を扱っている店はどちらですか? どんなものを扱っているのですか?」
薬工房の場所は知っていても、具体的な物品について知る者はいなかった。
ただ、誰それがどんな薬を探していたか、薬を作るための何という植物を探していたか、といった噂話程度のことは、一散に声が上がる。片っ端から自分の知っている情報を売りつけようという魂胆に見える。
ティオもリムもうるさそうにはしているが、シアンが質問しているから、と大人しくしていてくれた。
シアンはそれを分かっていたが、もう少しだけ我慢していてもらうことにする。ナタに来たのは目的があった。
この街は一角獣を捉えていたゼナイド第二王子に協力した人型異類マティアスが数年滞在した街だ。幻獣のしもべ団が入念に調べたものの、何も出てこなかった。けれど、シアンには一つ試してみたいことがあった。
彼らはちょうどその糸口となってくれそうなのだ。
「では、この植物を扱っている店はないでしょうか?」
シアンは似顔絵を得意とする幻獣のしもべ団員に、静物画を描いてもらっていた。その絵をマジックバッグから出して見せた。名前だけでは分からないが、実物は知っている可能性もあるのではないかと考えたのだ。
なお、シアンも実物は見たことはなく、風の精霊の詳細な助言をそのまま伝えて描いてもらったのだ。
口頭の説明だけでも形にすることができるその才能に頭が下がる。
彼が描いた人相書きはマティアスの足取りを掴むのに大いに役立ってくれているそうだ。
「知らねえな」
「初めて見る!」
「珍しい植物を取り扱っている店なら知っているぞ!」
「俺は薬草を取り扱っている工房を教えてやれる!」
結局、大した情報を得ることはできなかったが、対価を要求されたシアンはいつもの調子で肉を取り出した。
小ぶりの鹿に似た魔獣である。
この時ばかりはティオの脅威を忘れ、わっとばかりに獲物に群がる。あっという間にシアンの手から離れ、路地裏へ消えていく。街の入り口の広場にぽつんと取り残された。
『みんなでご飯じゃないの?』
リムが肩の上で不思議そうに小首を傾げるのに、我に返る。
「そうだね、今までなら情報の対価として獲物を渡したらみんなで料理して食べていたね。でも、街中だからちょっとそれは難しいのかもね。獲物も小さめだったし」
余所者でも、美味い物を提供され、共に作業をして食べれば仲良くなれる。音楽や料理は上位者に供するだけでなく、横の繋がりをももたらしてくれる。
ゾエ村やリュートの楽曲を教えてくれた大地の聖教司がいた村では村人に混じって解体して料理を教わりながら作った。ティオよりは人に親しみやすい傾向にあるリムにとっては楽しい出来事だったのだ。幻獣なりにそうやって交流を楽しんでくれていることを嬉しく思う。
『シアンちゃん、あれは等価交換にはほど遠いですよ』
「うん、まあ、こういうこともあるんだと良い勉強になったよ」
苦笑交じりに九尾の忠告を受け入れる。
『ですが、今は良いですが、明日になればまたやってきますよ。いえ、きっと今日より大人数で押し寄せるでしょうな』
しかし、九尾はもっと事態を重く予測しているようだった。
『大丈夫。また来てせびろうとしたら、ぼくが蹴散らすから』
ティオが淡々と答える。
「うん、そうなんだけれど、少し様子を見てみたいことがあるんだよ。英知、ちょっと確認してほしいことがあるんだ」
空さえも削り取っていく鋭いつむじ風が地面すれすれにでき、すぐに伸び上がり上空に長い螺旋を描く。その中央に人影がある。激しい風にも関わらず、白金の巻き毛がふわりと舞い、頬や額にかかる。
『どんなこと?』
「今の人たちに聞いた薬草のことが誰に知られて行くのか、そして、知った人間がどう動くのか」
シアンはマティアスはどこで異類を動かす知識を得たのだろうと考えた。マティアスが用いた薬草の成分は風の精霊に聞けばわかる。それで、エディスでジャンやエクトルに紹介された薬を扱う業者を訪ねたが、取り扱ったことはないと言われた。初めて聞く植物だとも。
「マティアスはゼナイドの故郷を滅ぼされた後、この国へやって来た。マウロさんたちが調べてくれた通りだね。ただ、彼が非人型異類に使っていた薬単体に関しては手を付けていないのではないかと思って」
『幻獣のしもべ団は優秀ですよ。マティアスが関与した全てを調査したでしょう』
九尾の言葉にシアンは頷く。
「僕もそう考えたんだよ。でも、マティアスが用いた薬に他の人が関与していたら? マティアスはそれに全く関わっていなければ、マウロさんたちも気づかなかったかもしれない」
そして、マティアスはこの街には数年滞在していた。旅人を珍しがり、貧富の差の不公平を受け入れざるを得ない街だ。ふらっと立ち寄って気に入ったから滞在したというよりも、そうする理由があったと考えた方が得心が行く。
『確かに、寄生虫異類が媒介した、という可能性もあるね』
シアンの言わんとしていることにいち早く気づいた風の精霊が頷く。
「そう、宿主の記憶を次の宿主と共有できるとしたら。直接的に知識を与えられるのでなくても、寄生虫異類がマティアスに必要な知識を得るように誘導したとしたら」
寄生虫異類の宿主から得た知識の集大成と、それを実現しうるマティアスの頭脳が、非人型異類を操るまでになったのではないかとシアンは考えた。
『なるほど。マティアスが直接関わっていなくとも、薬作成には関わっていた者がいるかもしれませんね』
九尾も合点がいったと大きく一つ頷いた。
『それでさっきの者たちに異類に用いた薬の原材料を聞いたのですね』
「うん、あの人たちは噂話も商品にしようとしていたからね」
彼らは具体的にどんなものかは知らなかったが、誰がどんな薬を欲していたか、探す植物を掴んでいた。そして、その情報を商品にしようとしていた。
シアンもエディスで薬に興味があるということを第三者に知られていた。
ここでも、シアンが何らかの植物を探していたと把握されるだろう。問題は誰がそれを知ってどう動くか、である。
『分かった。彼らの行く末を追ってみよう』
「ありがとう」
精霊頼みとなるが、シアン単体で行動するのは幻獣たちも精霊たちも嫌がる。それに、幻獣のしもべ団のようにうまく足取りを掴むことはシアンにはできない。もう、それは予想ではなく確定の事項だ。
結果を待つ間、どこかで食事でも摂ろうと目についた酒場に入る。
幸い、厩舎に余裕があったので、ティオはそちらに行く。酒場の料理を注文しようとしたが、ティオもリムもシアンの作り置きが良いと言ったので、こっそり出しておく。
九尾はシアンの護衛として付き添った。
大衆酒場で犬も時折出入りするというので、チップを払って同伴した。
「いくら旅したって美しいものになんか出会えるものかね!」
酒場のよく肥えたおかみさんが料理をテーブルに豪快に置きながら言う。旅の目的を聞かれて答えた反応だ。
「口の悪いかあちゃんで済まないな。これ、サービスだ」
同じくでっぷりと太った主が注文していない料理を渡してくれた。
一所に住まい生を終える人間からしてみれば、魔獣や非人型異類が跋扈する街の外は恐ろしい場所でしかないだろう。
だが、シアンは知っている。この世界は恐ろしくて汚いことも沢山あって、でも、美しく目の覚めるような眺めが広がっている。
狭い世界に囚われていたら、知り得ることのないことが沢山あった。現実世界のいびつな家族の中で音楽を捻じ曲げられ、磨り潰されて生きていくしかなかっただろう。
でも、目を閉じないでしっかり前を向くことを知った。そうやって、どこまで続く空を超えていく。この世界を幻獣たちや精霊たちと分かち合うことができた。新しい世界へと進むのだ。元居た所に戻れなくても。
後に、風の精霊はシアンがした質問の内容を買い取ろうとした男がいたことを話した。そして、それがナタの街に住むサルマンの貴族の一人だということまで突き止めてくれた。
シアンはそれ以上、自分で探らずに、しもべ団に調べてもらうことにした。
ここの旅人案内人たちに質問すればすぐさま商品として拡散されることは明白だ。
そのようにして、ティオという目立つ広告塔を連れた翼の冒険者の影で、しもべ団たちは自在に動くことができた。潤沢な資金、理解あるトップの協力と人脈、その求心力による人材。それらで幻獣のしもべ団はより大きく強固な結社となっていく。




