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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第四章
155/630

10.複雑な人の世と美しい景色と美味しいものと~スイカの種飛ばし/危険な玉転がし/狐にあるまじき~

 


 雲霞たなびく最中をティオに乗って飛ぶ。遙青を目指して力強く飛翔する。

 遥か足下には森が広がっている。前方には、木々がまばらになり、森の切れ間が見える。

「ティオ、疲れていない? 少し休憩しようか?」

『大丈夫だよ。シアンは平気?』

「僕は乗っているだけだもの」

『ただ座っているだけとはいえ、同じ体勢はきついですよ』

 シアンに九尾が休憩を勧めていると、ティオが斜め下方向を見やる。

『下で人間が逃げている。子供を連れているよ』

 どうする、という声音を感じ取り、シアンは尋ねた。

「どういう状況か分かる? 何から逃げているのかとか」

『魔獣だね。以前、トマトのおばちゃんと出会った時のやつだよ。丸いのにうねうねしたのがついたの』

 少し考えて、ニーナやイレーヌ親子と出会った際、緑色の太陽のような形をした魔獣と遭遇したのを想起する。


『村が近くにあって、そこへ逃げようとしているみたい』

「間に合いそう?」

 既にそういう会話をしていることから察したティオが高度を下げ始めている。シアンの目にも森の切れ間から人影が飛び出て来て走り続けているのが見える。上空から見ると動物とは異なり、人間は実に縦長で、走る姿はバランスが悪く、強い風が吹いたら横ざまにぱたりと倒れてしまそうだ。


『人間の大きい男の一人が自分だけ先に逃げた。大きい女と子供が遅れて逃げている』

 ティオの言葉にシアンはエディを抱え、シリルの手を握って懸命に逃げたイレーヌの姿を思い出す。

 母親はどちらの子も助けようとした。

 シアンの理想とする母子像だった。

 ティオが話してくれた通り、森の狭間から女性が走り出てくる。

 荒い息を吐きながら、もつれる脚を動かしながら、母親が子供の腕を掴んで走っている。その大分前を先行する成人男性とは異なり、逃げる勢いが弱い。

 時折女性が振り向く先に、暗い緑色の巨大なヒトデが円状に広がった三十本以上ある触手を動かして移動している。明らかに、親子に狙いを定めている。

 イレーヌ親子を襲ったものよりも大きい。


「ティオ、リム、あの人たちを助けてくれる?」

『分かった!』

 言うが早いか、リムが弾丸さながらに飛び出す。黒い蝙蝠に似た翼を広げず、狙いを定めて向かっていく。

『おお、一角獣もかくやの突進ぶり!』

「ティオの急降下みたいだね」

『リムなら大丈夫だよ』

 緩やかな速度で後を追うのは背の上のシアンを慮ってのことだろう。

 鈍い音を響かせて、リムが魔獣を一撃で仕留める。緑色の太陽の形をした魔獣は柔らかい草地にも関わらず、数度弾み飛び、やがてくったりと力なく触手を広げて横たわり、動かなくなった。


「大丈夫ですか?」

 背後の音に振り向きながらも、魔獣の姿が見えなくなっても、草陰に隠れている疑惑を拭いきれず、そのまま逃げていた母子に、シアンは着地したティオから降りて声を掛ける。

 シアンの脇を通り過ぎ、しばらくして驚いて足を止めて振り返る。グリフォンの姿を見て音を立てて息をのむ。その場で棒立ちになり、数瞬間の後、ようよう口を開く。

「あ、貴方は、翼の冒険者。ありがとうございます」

 荒い息の下、母親が引きつった笑いを漏らす。それでも、生きて笑っていられるのだ。

「わあ、でっけえ、グリフォン!」

 半べそをかきながらよろよろと力尽きて座り込んでいた子供が、涙の気配を拭い去っている。


 親子に水を飲ませ、息が整ったところで村に送って行くことにした。

 子供が母親の影から顔を出し、ティオとリムを観察している。母親もシアンたちの噂を知っている風であったが、やや離れた場所を歩いている。

 助けてもらったとしても、グリフォンの威容に本能的な畏怖を抱かずにはいられないのだろう。

「な、なあ、兄ちゃん、グリフォンと話せるの? そっちの小さいのもグリフォンみたいに大きくなるの?」

 どうやら、リムがドラゴンだとは知らない様子だ。興味津々で、しかし、直接話しかけることはせずに、シアンに話しかけてくる。


 先の尖った杭を並べた壁でぐるりを囲んだ村にたどり着いた。

 ばつの悪さをにやにやとした笑いで誤魔化しながら、親子の夫であり父親である男が出迎えた。

 一部始終を村の物見台で見ていた村人に言及され、相当絞られていた。

「いや、先に村に戻って助けを呼ぼうとしたんだよ」

「それなら、かみさんに走ってもらえばいいだろう。お前が子供を抱きかかえて逃げろよ!」

「それじゃあ、俺が追い付かれるかもしれないだろう!」

 咄嗟の反論は、自分だけ助かりたかったという内実を物語っている。

 村人の中にはそれを擁護する者もいた。女性や妻の立場である者もいた。

 母親は疲れた表情で、そんな者でも夫で、一緒に生きていかなければならない、だが、これからの態度が変わる、気持ちが変わるのだからと語った。

 母親はもうどうでもいい、といった態で、それでも命の恩人であるシアンたちには感謝しきりだった。

「いやあ、こんな所で噂の翼の冒険者に会うなんて」

「しかも、助けてもらっちまったよ!」

 しゃあしゃあとシアンに妻子を助けてもらった礼ともつかないおべっかを言う父親に、子供の方は助けてもらったのと喜んだ。まだ幼いからということもあるだろうが、自分だけ助かろうとした父親に置いて行かれたということに関して、さほど気にしていないのは幸いだったかもしれない。

 結局、第三者は好きなように言うのだ。そして、当事者も立場によっては事態の受け取り方が異なってくる。

 この親子の関係は今後、変わっていく。それまでのままとはいかない。

 自分の行いが先々の方向を少しずつ変化させていくのだ。



 時には人里から離れても進んだ。

 大きく広く緩やかに流れる大河に沿って、畑が広がっている。

『わあ、湖?』

 リムが声を上げる。確かに広く流れも遅く、また、たまたまティオが低空飛行していたことから、湖に見えなくもない。

『あれは河だよ。河畔に砂丘が広がっていて、その肥沃な土壌柄、農業が盛んに行われている』

「砂丘? 随分緑が育っているよ」

 砂丘というと文字通り、延々砂が続く光景を思い浮かべ、シアンが言う。

『降りて地面に触れてみると分かる。砂地だよ』

 風の精霊の言う通りだった。興味を抱いたリムにせがまれて着地したティオの背から降り、草の間を覗き込むと、確かに砂に覆われている。

『風が砂を運んできて堆積したんだ』

 砂丘にはトマトとスイカが育っていた。

 もちろん、育てる者がおり、行商人からエディスの英雄である翼の冒険者の噂を聞き及んでいて、シアンたちを歓待してくれた。

 トマトとスイカ、アスパラガスなど畑で採れる野菜を肉と交換する。ゲームを始めた当初と異なり、物々交換もお手の物だ。この世界でも肉は価値が高い。そして、力がある魔獣の肉ともなると、より顕著だ。


 近くのセーフティエリアで休憩する。

『砂の上では丸くて赤いものを育てるんだね』

『アスパラガスは緑色で細長いものだけどね』

 切ったスイカの中の鮮やかな赤色を見て、リムが感嘆の声を上げ、九尾が受ける。

 河を渡る涼風を受け並んで座り、闇の精霊が冷やしてくれたトマトとスイカを早速食べる。トマトはカトラリーで切り分けずに丸かじりする主義のリムだ。その顎や前足を拭いてやる。


 九尾が半月型に切り分けたスイカにかぶりつき、種を口から飛ばした。

『きゅうちゃん、面白~い』

 真似してリムもスイカを頬張り、咀嚼して嚥下する。種ごと飲み込んで、あれ、と小首を傾げて再チャレンジする。今度はうまく種を飛ばすことができた。

 ふっ、と吐息混じりに黒い種が飛んで行く。

『やった!』

『リム、どっちが遠くまで種を飛ばせるか、競争しよう』

 九尾が言い終わらぬうちに、傍らを凄まじい勢いで小さい黒い物が飛んで行く。

 しばらく経って、どん、という重く響く音と共に、相当遠くで砂煙が舞い上がる。

『お、おう……』

『ティオ、すご~い!』

「はは、これはティオの勝ち、かな?」

「ピィ!」

 リムがはしゃぎ、シアンが首を傾げ、ティオが自慢気にひと声鳴く。

 九尾は一頭、青くなる。

 ティオの飛ばしたタネが九尾の頬を掠り、つ、と一筋の血が垂れ落ちたのだ。

 いつでも殺れる。

 わざと掠めるに止めたが、ど真ん中を打ち抜くこともできるのだぞ、という無言の圧力を感じ、青ざめずにはいられなかった。



 険しい岩肌に綿が静電気で纏わりつくように雲が漂っている。

 岩山の狭間に挟まれた巨石、今にも真っ逆さまに落下しそうなそれにリムが飛び乗った。

 次いで、ティオが乗る。ティオが辛うじて乗れるくらいの大きさである。翼を広げたら、ティオの方が大きい。

「わっ……!」

 相当高度がある場所だ。ぞっとする場面に、思わずシアンは声を上げたが、果たして、岩はびくともしない。

『シアンちゃんが乗った訳でもないのに』

「そ、そうだね。それに、ティオだったら、岩が落ちても飛べるものね」

 面白がる声音の九尾に、シアンは苦笑する。

『それを言うなら、シアンちゃんこそ』

「あ、そっか。今は人目がないし。でも、咄嗟に英知に頼める気がしないよ」

 落下の動揺に適切な対処をできるとは我ながら思えない。

『声を上げずとも、風の精霊王に助けてと念じれば何とでもしてくれそうですがね』

『シア~ン!』

 岩の上のティオの更にその背の上に乗ったリムが後ろ脚立ちし、前脚をぴっと上げて左右に振る。

 シアンも腕を振り返す。

「それにしても、すごい光景だなあ」

 しかし、それだけではなかった。


 その近くには円形の巨岩が鎮座していたのだ。

 ティオはそれを一瞥して、ふわりと軽やかに跳躍して飛び乗った。

 シアンは玉転がしさながら、岩が転がり出す光景を想像した。だが、岩は微動だにしない。

『転がらないね』

 シアンと同じことを考えたらしいティオが足元を見やりながら言う。

『その場で足で回転させてみては?』

「ティオ、そんな大きな岩が転がって行ったら、どこにどんな被害が出るか分からないよ」

 九尾の無責任な提案に慌ててシアンが否定する。それに従って、ティオは岩から降りた。

『つまらないですねえ』

『きゅうちゃん、転がっていくのが見たかったの?』

「駄目だよ、二人とも。いくらこの近くに人がいないからって、どこにどう影響するか分からないからね」

『『はーい』』

 悪戯組二頭は素直に返事をする。九尾は尻を落として前脚を地面につけて上半身を起こす、所謂お座りポーズで、片前足を天に向けて上げる。リムも真似して後ろ脚立ちして前脚を高く掲げる。

 シアンは思わず、白頭二頭の頭を撫でる。

 リムの丸い頭を包み込み、掌で覆うようにする。

「キュア……」

 リムが目を細めて小さく鳴く。

 指で柔らかい毛を揉み撫でる。

 への字口が横に伸びる。

 その様子を横目で眺めながら、九尾も唇の端を吊り上げる。今まであり得ないという認識だったが、頭を撫でられるのも良いものだ。リムやティオが撫でられるのを見ていて、少し気になっていたのだ。

 ティオもさすがにこの時ばかりは九尾を押し退けることはなかった。順番、とばかりに次に自分が撫でられるのを、期待を込めた視線で待っている。

 シアンがすぐに気づき、ティオをくすぐるように撫でると、リムも真似してティオの体を揉み撫でる。九尾も便乗してくすぐっておいた。

 そうして縦横無尽にあちこちを飛び回り、信じられない眺めをきゃっきゃきゅぃきゅぃきゅあきゅあきゅっきゅ楽しんだ。



 料理はそれぞれの好物を使ったものを沢山作った。

 薄切り肉を広げて小麦粉を軽く振る。適当な長さの棒状に切ったサツマイモとクレソンを肉で巻き、小枝を煮沸消毒して乾かしたものを爪楊枝代わりにして差し止める。表面に小麦粉をふる。

 この爪楊枝はティオが沢山作ってくれた。小枝を嘴や爪で研いでくれたのだ。煮沸消毒は九尾がやってくれ、乾かすのは精霊に頼んだ。

 フライパンに油を敷いて焼く。

 出汁と酒と砂糖、醤油を混ぜ合わせたものを加え、絡めながら煮詰める。冷めないうちに小枝を抜く。

『サツマイモの甘みとクレソンのほろ苦さがよくマッチしています!』

 九尾が喜んで食べた。


 生クリームの魅力の虜になったティオのために、肉のソースに用いた。

 ニーナの村で手に入れた豚肉を塩コショウして油を引いたフライパンで両面を焼く。

 ネギを適当な長さに細切りにして炒め、白ワインと水を加えて煮詰め、水分がなくなりかけたら、味噌と生クリームと砂糖を混ぜ合わせたものとコショウを加える。そのソースを豚肉にかけて出してやると、じっくりと堪能していた。

『味噌の甘みとも合う』

『ネギも甘いね』

『ええ、良いコクが出ています』

 ティオが言えばリムも追随し、九尾も頷く。

『何より、生クリームだよ!』

「はは、ティオ、まだ沢山あるからね」

「ピィ!」

 ティオの力説にシアンが笑って言えば、喜びの鳴き声を上げる。


 カボチャのトマト煮はカボチャ好きの九尾とトマト好きのリムから好評だった。

 これは作り置きができ、冷蔵庫に入れていたものだ。今後の常備菜になりそうである。

 トマトはヘタを取ってざく切りにする。ニンニクは芯芽を取ってみじん切りにする。

 鍋にオリーブオイルとみじん切りしたニンニクを入れて火にかける。香りが立ったら種とワタを取り、適当な大きさに切ったカボチャを加えて軽く炒める。

 トマトソース、ざく切りにしたトマト、オレガノ、タイムを加えて蓋をする。カボチャが柔らかくなるまで煮て、塩、黒コショウで味を調える。

『カボチャが甘くてトマトが酸っぱくて爽やか!』

『ニンニクや他のハーブがほどよく味を締めています』

『口の中をさっぱりさせてくれるね』

 オリーブオイルとニンニクがしっかり幅を利かす味も、ティオの感覚からしてみれば、肉汁滴る肉料理の箸休めにはちょうど良いということなのだろう。


 舌が肥え、味の表現が豊富な幻獣たちは、それぞれの個体差や好みが分かれる。好きなものではないからと言って食べないことはないので、有難いことである。

「作り甲斐があるなあ」

 料理人冥利に尽きる。


 食後の休憩に楽器を演奏する。

 地面に胡坐をかいてリュートを奏でるシアンの旋律に合わせてリムが体を揺する。

 両前足を地面に座り込んだシアンの腿に置き、上半身を起こし、後ろ脚辺りを丸めて立つ。後ろ脚でぴょんぴょん跳ねた後、足を止めて尾を左右に機敏に振る。それを繰り返す。

 ぴょんぴょん、ふるふる、ぴょんぴょん、ふるふる。

「ふふ、ご機嫌だね」

『うふふ』

 リムの楽しい気持ちは伝染する。

 その仕草に合わせて弾むリズムをリュートに乗せれば、リムが目を輝かせて一緒に歌いだす。ティオもいつの間にか足元に大地の太鼓を出現させる。軽やかな律動に合わせて、リムが後ろ脚で屈伸を弾ませ、尾を振る

 その様子を眺めながら、九尾はイスに座って足を組み、ティーカップを傾けている。狐にあるまじき所作である。もはや、慣れたものではあるが。


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