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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第四章
154/630

9.優しく楽しく親しむ存在として、水が砂に染みわたるように

 


 ソレは高い知能と身体能力、そして魔力を有していた。

 それがゆえに、他者は屠る対象だった。

 何物にも屈せず、自儘に振舞った。

 常に傍らには誰もいなかった。寂しいという概念さえなかった。

 地を駆ければ魔獣の群れが逃げ惑い、強く羽ばたけば魔鳥が空の道行を譲った。

 まさしく、孤高の存在だった。

 ある時、人がソレを捕えようとした。

 大勢を引き連れた一際輝く鉄を纏った人間が地面を這いずり回りながら、長い鉄を振り回して騒いでいる。

 遠くまで見通す目、小さい音をも拾う耳で、地上の騒ぎを感知したソレはくつくつと喉を鳴らして嗤う。

『人風情が、愚かな』

 無視して立ち去ると、追って来ようとする。自分の飛行についてくる気である人に、わざと低空を飛び、その巨躯を見せつけてやった。

「打ち取れーっ! 何としてでもあの幻獣を捕えて城へ連れて帰るのだ! 近隣諸国に我が威容を見せつけようぞ!」

 強者を捕まえて自分を大きく見せようなどと、片腹痛い。

 ソレは興味をなくして高く舞い上がった。先に尖った鉄が付いた木の棒が飛んでくるが、易々と躱していく。もはや、人間どもには追い付けまい。

 風を捉え流れに乗り、魔力を使って悠々と飛ぶ。僅かの悩みも憂いもなかった。



 ティオはシアンが毒殺されそうになり、静かに激怒していた。

 水の精霊の加護があって無事だったにせよ、度し難いことだ。エディスで異界人たちだけでなく、街の者にあれこれ好き勝手言われたことも業腹だった。

 そんなティオを気遣って、シアンが家探しをしがてら遠出を提案した。

 ティオもリムも一も二もなく快諾する。

 自分のことが原因で、とシアンが申し訳なく思う必要はない。

 ティオとリムが怖いもの、それはシアンが害されることだ。

 精霊の加護を得た高位幻獣はこの世界でも上位に位置する存在だが、その弱点がシアンだった。

 傷つけられることはもちろん、悪く言われることも嫌だった。シアンの心を傷つけられることが嫌だった。悲しむことが嫌だった。

 それをもたらすのがシアンと同じ異界人だろうと何者だろうと、彼らには関係のないことだ。



 ティオの背に乗って駆け抜ける。

 マウロの言う通り優れた空間感知能力でもって、梢がシアンに当たらぬ位置を結構な速度で飛ぶ。ニーナの村を出て、しばらく森の中を進む。ちょうど良い木立の切れ目からふわりと空に舞い上がる。

 遠景の山が緑に霞んで、まさに翠黛の色合いをなしている。

 九尾も一緒である。遠出すると聞いて、前日から泊まり込んでいた。戸締りや隣近所への挨拶などを促してくるところがよほどシアンよりもしっかりしている。いや、幻獣たちとともにシアンについて来て、餞別の食料を沢山貰っていたので、ちゃっかりしていると言うべきか。

 ともあれ、前日から常備菜の他にトマトソースや肉のタレを作る準備を手伝ってくれたので、遠出するのを楽しみにしていたのは間違いない。


『葉っぱがきらきらしているね』

『初夏の陽気ですな』

 ティオも声には出さないが、飛行速度に浮き立つ気持ちが表れている。風を掴み、気流に乗ってあっという間に緑海をはるか足下に、力強く羽ばたく。

 梢を渡る風が葉の青い匂いを運んでくる。

「正しく、風薫る、だね」

 風はそのままシアンの傍で人型を取る。

「おはよう、英知」

『おはよう』

『今日から遠出するんだよ!』

『そう』

 リムがシアンの肩の上で嬉しそうに言い、風の精霊がうっすら微笑む。最近では、シアン以外にも笑みを見せるようになった。

『では、私も少し力を貸そう』

 途端に、風の抵抗が緩み、シアンや九尾を背に乗せるティオの負担が軽減されたことを知る。

『体が軽くなったみたい』

 元々、シアンが風の精霊の加護を持つせいか、シアンを背に乗せている時だけでなく、飛行時の風の抵抗は緩やかなものだった。風に後押しされ、ティオは自重さえも減った感覚を覚える。

『すごいものですねえ』

 ティオが首を捻って自分の体や翼を眺め、九尾が感嘆の声を上げる。

「ありがとう、英知」

『先行きは長いんだろう。無理なく進むと良い』

『うん!』

 リムの弾む返事に釣られ、シアンも心が浮き立つ。

「どんな景色を見ることができるかな」

『びっくりするようなのが良い!』

『びっくりするようなのと言うと、地面から水が噴き出しているのとか、かな?』

『地面から? 噴水みたいに?』

 リムが目を丸くして長い体を九尾の方へ伸ばす。そっと手を出して腹の辺りを支え、九尾の体の前へと押しやってやる。高高度の空の上、リムならティオの背から落ちても自分で飛べるが、念のためである。

『海の中にある滝とかもあるよ』

『海の中に? わあ、見てみたい!』

『リムは海はまだ見たことがないから、まずは海からだね』

『うん!』

 ティオが長い首を捻り、ちらりと九尾を見やるが、まだおかしなことを教えていない。十分に許容範囲内である。

 その丸い目がちょっと悔しそうだったのは気のせいだろうか。こんな高度のある空の上でお仕置きされたら一巻の終わりである。



 ティオはグリフォンであり、その巨躯から分かりやすく獰猛な幻獣である。グリフォンを知らない者も空の王と地の王の特徴を併せ持つ威容に、初見で気圧される。

 エディス近隣の街や村では翼の冒険者の噂が届いており、すんなり入ることができた。噂が届いていない小さな村に行ってもどこにでも神殿があった。特に大地の神殿は必ずと言ってよいほどある。


 その村はシアンの胸の高さの石垣の内側に木塀が張り巡らされていた。塀はティオの頭頂部ほどの高さがあり、先は尖っている。

 入口脇に物見台があり、外から来た者を頭上から観察していた。

「と、止まれ! あんた、人型異類か? なんでそんなでけえのを連れている? それは魔獣か?」

 ティオが視線を向けると短い悲鳴を上げて黙り込む。

「初めまして。僕は冒険者です。この大きい彼は幻獣です。中型と小型の幻獣も一緒ですが、村に入れますでしょうか? もし宜しければ、この辺りで採れる植物や特産品などを購入したいのですが」

「冒険者? 幻獣? いや、そんな恐ろしいもの、入れられる訳がねえだろう。お前、ちょっと行って大地の聖教司様にお伝えして来な」

 後者はどうやらもう一人の見張り役に言い、神殿に走らせた様子だ。

『このくらいの壁ならシアンを背に乗せて飛び越えられるよ』

 ティオならば脚力の跳躍のみで軽々超えることができる。

「すごいなあ、ティオ。でも、悪戯に刺激すると後が大変だから、しばらく待っていよう。もし、入れてもらえなかったとしても、無理に入る必要もないしね」

『植物なら英知に教えてもらったら採取できるものね』

『村特有の料理が食べられないのは残念ですけどねえ』

 そっと囁くシアンにリムや九尾が鳴き声を上げ、その前のティオの分も相まって、塀の向こうで怯える雰囲気が漂ってくる。


『シアンちゃん、冒険者ギルドがなさそうな村でも、ギルド証とはいわばギルドのお墨付き。提示してやれば効果があるのでは?』

「あ、そうだね」

 しかし、シアンがギルド証を取り出すまでもなく、複数の慌ただしい足音がして、開門を呼ばわる。

「早く開けなさい、お前たち、翼の冒険者様らに粗相をしてはいけませんよ」

 四十代後半の働き盛りの聖教司が額に汗を浮かべてにこやかに出迎えてくれた。

「ようこそいらっしゃいました。私はこの村唯一の神殿に務めております大地の聖教司です。寂れた村ではありますが、精一杯のおもてなしをさせていただきます」

 聖教司が両膝をつき、両手を逆の腕にそれぞれ添える礼を取る。シアンは知らなかったが、神に向ける最上級の礼だ。神殿の作法に精通していない村人もきちんとしたお辞儀だと分かった様子で戸惑っている。聖教司やシアンたちを遠巻きに、どんどん村人が集まって来る。

「ありがとうございます。どうぞ、お立ちになってください」

 シアンは聖教司に言う。村人の視線が痛い。

「ぜひ神殿にお立ち寄りください。せめて、お茶でも差し上げたく存じます」

 立ち上がった聖教司に促され、小さな礼拝堂へ案内される。ティオも招き入れてくれ、奥からテーブルとイスを引っ張り出す聖教司を手伝うと恐縮される。


「聖教司様、お客様にこれを持っていきなって母ちゃんが」

 礼拝堂の入り口から顔を出した村の子供が果物を入れた籠を差し出してくる。中には小さい子がざるにふかした芋を入れて掲げて見せ、九尾が尾を激しく振る。

「きゅ!」

「聖教司様、狐さんは芋が好きなの? しっぽがふっさふさだよ!」

「おや、本当だね」

 村人に慕われている様子の聖教司も気さくに返答する。

「そうなんです。サツマイモが大好きなんです」

「きゅ!」

 シアンが同意し、九尾も鳴き声を上げる。

 そこから打ち解けて、小さい子供たちと一緒に果物やふかした芋を食べ、茶を飲んだ。

「聖教司様のお陰で、大地の恵みがたっぷりなんだよ!」

「サツマイモもいっぱいできるんだ」

『おお、なんと霊験あらたかな!』


 聖教司は道順やこの近隣のことを快く教えてくれた。

「この先にある川は深いんだ。そこの橋代わりにしていた丸太が流されちゃって」

「だから、川を大きく避けて行かないと」

「でもそうしたら、魔獣の縄張りに近づくことになるんだ」

「気を付けろよ、兄ちゃん!」

 子供たちも薬草採取や木の実を取りに出かけるが、現在は不便を強いられているようだ。

「これ、お前たち、言葉を慎みなさい」

「いいんですよ。ありがとう、気を付けるね」

 素直に礼を言うシアンに気を良くしたのか、村付近の珍しい動植物、魔獣や異類のこと、やってはいけないことなどを口々に教えてくれる。日頃、親や周囲の大人たちから口を酸っぱくして言い含められているのだろう。

「沢山教えてくれてありがとう。良い子たちですね。きちんと親御さんたちの言いつけを覚えているんですね」

 後者は聖教司に伝えた。子供たちに劣らぬほど褒められて嬉しそうにしている人柄に好感を抱く。


 シアンも子供たちにせがまれるまま、エディスのことを話したりするうち、この村の者たちは音楽を好み、リラに似た小型の竪琴や太鼓、リュートを演奏するのだそうだ。

「聖教司様はリュート、上手なんだぜ!」

「兄ちゃんもリュートを弾くのなら、聖教司様に教えてもらえよ!」

「これ、失礼なことを言うでない」

「いえ、構いませんよ。それより、ぜひ、聴かせていただきたいです」

 一曲、二曲演奏を聴き、折角だからと哀愁漂うこの地方に伝わる音楽を教わった。

「いやあ、飲み込みがお早い! 伝えるのが難しい旋律の深みをこうも見事に自分の物にされるとは」

「兄ちゃん、やるじゃん!」

「お兄ちゃん、上手だね」

 幻獣たちは、普段、自分たちに色々教えてくれる側のシアンが他者から音楽を習っているのを珍しく思いながら眺めている。そして、シアンが褒められて嬉しそうに喉を鳴らす。


 夕方になっても帰ってこない子供たちの様子を見にやって来た村のおかみさんたちが、その様子を見つけて、もうこんな時分なので礼拝堂に泊まらせてもらうと良いと言い出した。

「ぜひそうして下さい。ですが、この通り、雨風を凌げる程度の場所でして」

 恐縮する聖教司の言葉に甘えることにした。

 その日はマジックバッグから肉を取り出して村人に提供した。流石に冷蔵庫を取り出すのはやめておいたが、村人全員に行き渡るほどの大型の獲物に、沸き立つ。猟師が解体を始め、農作業から帰ってきた男たちが手伝い、おかみさんたちが料理の準備に取り掛かる。気候も良い季節柄、広場で皆で夕食を摂ることになった。

「こんなに立派な獲物を提供していただいてありがとうございます」

「いいえ、こちらもお茶をご馳走していただきましたし、色々教えていただきました上に一夜の宿をお借りするのですから」

 そうは言っても、現実世界でも牛一頭分の値段だ。上質のものであれば、転移陣でやや遠方に移動する値段と同じ価値がある。ましてや、ティオが狩ってきた魔獣である。危険な相手だけに希少価値が上がる。

「わあ、可愛い!」

「もう一回、もう一回やってみて!」

「キュア!」

 子供たちの歓声の中、リムの鳴き声が聞こえるのに何事かと振り向くと、幻獣のしもべ団のジェスチャーをしている。

 後ろ脚立ちし、中空に浮かんだリムが腹を見せる格好で、右の前脚を左斜めへと掬い上げるように振る。

 子供たちには大好評である。

 離れた場所で九尾が後ろ脚立ちし、両前脚を組んでジェスチャーの出来栄えに頷いているのを、ティオがこっそり嘴で小突き、四つん這いの狐らしい姿に戻している。

「何でしょうか、これは」

 戸惑った風情で聖教司が尋ねる。シアンは声を潜め、ここだけの話ですよ、という雰囲気を醸してみせる。

「これは幻獣のしもべ団という結社の符丁です」

「幻獣のしもべ!」

 シアンの周りの幻獣たちを眺め、最後にシアンを見て、聖教司が胸に掌を当て、恭しく頭を下げる。

「流石は神託の、いえ、翼の冒険者様! 手勢をお持ちなのですね。もちろん、御使者たちも粗略に扱いません」

 聖教司の他、村人たちにもしもべ団団員がもし立ち寄ったらよろしくお願いします、と頭を下げておいた。


 翌朝早く村を立った後、話に聞いた丸太が掛かっていた川を見つけ、大地の精霊の助力を得て、新たな丸太を固定しておく。

 一旦、村に戻って出入口の見張りにそのことを告げてすぐさま立ち去った。

「ありがとうな! 昨日は入るなって言って済まなかった!」

 飛び去るティオに向かって両腕を大きく振る。シアンは振り返って手を振り返した。

 日の光を浴びてグリフォンの白と琥珀の翼が眩しく輝く。

 音楽に親しみ、美味いものを分け与え、その力をもってして人の困難を取り除く。そして、時に愛らしい様子を見せる。

 神のごとき御業を成すものの、荒ぶる者ではなく、優しく楽しく親しまれる存在として、翼の冒険者の認識は水が砂に染みわたるように浸透していった。



 翼の冒険者の噂が届かない街や村ではシアンたちの入街、入村はまず驚かれ、断られる。しかし、有事には神殿に報告が行くのが常だ。すると、聖教司がやって来て、恭しく迎え入れてくれる。

 そうやって幸いにも、どこの神殿でも歓待され、街や村の出入口で揉めても大抵は入ることができたし、転移陣の登録をすることも出来た。転移陣が設置されている神殿は限られていて、どの街や村でもできるという訳ではなかった。

 近隣の事情や噂話、動植物に魔獣や異類のことを教わり、特産品を購入する。

 その礼に幻獣たちが狩った獲物を渡す。中には、その魔獣の被害に村人たちが頭を悩ませていたということもあった。

 喜ぶ村人たちに、軽く幻獣のしもべ団のことを話して置く。

 その際にはリムがしもべ団のジェスチャーをする。

 しもべ団の符丁だと言うと思いのほか、感心された。小さい幻獣が行う仕草は珍しく、覚えてもらいやすいようだ。こういった動機付けがあると記憶に残りやすいのだろう。

 その後、幻獣のしもべ団団員がとある小さな村へ赴いた際、ならず者か盗賊か、と他所者は入れてくれないことがあった。よくあることなので、さてどうやって入り込もうかと工夫を凝らしていたら、子供が不意にしたリムのジェスチャーを目撃する。

 異郷の地で知り合いに会ったような気持ちになったしもべ団団員は「こうだよ、こう」とちゃんとした角度で行い、村人から認められる。入村はおろか、歓待を受け、戸惑ったが、グリフォンを連れた冒険者が村の畑を荒らす魔獣を退治してくれて、その肉を分けてくれさえしたのだと感謝しきりだった。

「秘密の符丁だからな。滅多にするなよ」

 去り際にしもべ団員が残した特別な響きの言葉に村人たちは、子供も大人もこぞって頷いた。

 以後、そのしもべ団員から報告を受けたマウロは、符丁を示して困難を乗り切ることを通達する。

 そのようにして、幻獣のしもべ団の活動はやりやすくなる。そして、神託の御方の御使者、と聖教司に広まっていくのだった。


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