5.おもてなしの準備 ~お代わり下さい!~
シアンはエディスの市場へ向かう前のクレールからリンゴやレーズンを手に入れた。
ティオやリムが狩った獲物をニーナやクレールに渡しているので、果物も野菜も乳製品も貰いたい放題である。それでもまだ渡した肉の対価とならないとのことで、借家の家賃は相当先まで払わなくて済みそうだ。
更には、グリフォンとドラゴンが住み着いたせいか、魔獣や害獣が近寄らなくなったと喜ばれた。村にも猟師がいたので仕事の邪魔にならないか確認したところ、もともと猟は村から離れて行うのだと答えた。万が一にも村に手負いの獣が逃げ込んだら大惨事であるからだ。
それに、ティオが狩ってきた獲物を解体するという仕事があるので十分に旨味があるそうで、逆にシアンたちに感謝し、解体のコツや罠の仕掛け方、道具の扱い方などを教えてくれた。
グリフォンやドラゴンが住んでくれているせいか、野菜も果物も豊作続きだ、とおどけて笑う村人たちに、シアンは心の中でこっそり、本当にそれが原因なのだ、と呟いた。大地の精霊がわらわらと集まって来て楽し気に農作物を育てているのだろう。
ティオも野菜を美味しいと感じるようになったし、第一、リムがトマトやリンゴ、オレンジといった野菜や果物を好んで食べる。加護を得ていなくても大地の精霊はリムを好いているのが傍から見ていてもよく分かる。下級精霊たちも張り切って農作物を育てるのだろう。
「リムちゃん、トマトソースを作ったから、持ってお行き。肉と煮込んでも、焼いた肉にかけるだけでも美味しいよ!」
ニーナとクレールにはリムが器用である程度料理をできるということを話している。実際に目の前でバーベキューコンロを取り出して一緒に調理して見せたのだ。
それから、リムの好物を簡単に食べられるように加工して持ってきてくれるようになった。
「リンゴジャムをやろう。砂糖は値が高くとも最近果物が豊作だから大丈夫さ。それにたんと甘く生るから、そう沢山入れなくとも良くなったのさ」
炙ったパンの上にバターを塗り、クレールから貰ったリンゴジャムを乗せたものをティオもリムも美味しそうに食べた。
幻獣たちが美味しそうに食べる様は見ている方も嬉しくさせる力がある。
作った本人であるクレールもお相伴に預かりながら、莞爾となる。
そうして手に入れた具材で、魔族をもてなす菓子を作る。
以前、ジャンの店で菓子を供せられた際に、リンゴ好きのリムのためにと貰ったレシピだ。魔族に貰ったレシピの菓子ならば、と思い立った。
バターをやや加熱しながらクリーム状に混ぜる。リムが器用に手際よく混ぜるボウルへ、卵と砂糖を加える。
「底に砂糖の感触がなくなったかな?」
「キュア!」
「じゃあ、小麦粉を入れるね。粉っぽさがなくなるまで混ぜてくれる?」
『はーい!』
ふるった小麦粉を入れるシアンにリムがテーブルの上に後ろ脚立ちして混ぜながら、返事をする。ティオが興味深そうに眺めている。
「このタネを冷やすんだよ。深遠、手伝ってくれる?」
シアンが闇の精霊に呼びかけると、テーブルに落ちたボウルの影が躍り出す。ゆらゆら形を変えて、するりとテーブルを滑り出て、中空で一抱えの楕円形の闇色の塊になる。
『うん。……このくらい?』
一瞬の間の後、尋ねられ、慌ててタネの具合を見る。
「ありがとう、ちょうど良いよ」
通常、冷蔵庫に寝かすものの、一瞬で終わった。
シアンが礼を言うとどういたしまして、とでもいうように、ふるふると身体を揺すり、すう、と消え去った。
「このタネを平らにしてタルト型にのせるんだよ。そして、均等に均すんだ」
コテなど使わず、指先で伸ばしていく。それを見たリムももう一台の方を伸ばしていく。沢山食べる幻獣のために、予め、二台作っておくことにしたのだ。
伸ばしたタネの上に皮を剥いた一センチの厚みのリンゴとレーズン、シナモン、パン粉、ブランデーを混ぜ合わせたものを入れ、上に千切ったバターを乗せてオーブンで焼く。
嬉々として尾を振り振りリンゴをどっさり乗せるリムに思わず笑みがこぼれる。
一つ取り上げ、リムの口元に持っていくと、への字口が緩む。軽い音を立てて咀嚼する。
リム好みのリンゴを多めに用いたアップルクーヘンだ。
オーブンの前で焼けるのを楽しみにしている。ティオとどんな味かな、早く焼けないかな、などと話し合っている。
『稀輝、もう焼けた?』
『もう少し、だね』
窓から差し込む光の粒子がひときわ輝く。水平に円を描いて高速で回転した光の粒子たちが衝突する。一瞬眩い輝きを発した後、銀色の髪と金色の瞳を持つ光の精霊が中空に現れた。
シアンが思うに、金色の光の精霊は大らかで大雑把、銀色の光の精霊は厳しくて繊細であるがどこか大雑把である。それ故に、火加減調整には適さないものの、焼き具合の判断はつくようになった。光の精霊もまた、シアンの作る料理を楽しみにしてくれている。シアンや風の精霊に教わって、ちょうど良い焼き具合を知り、教えてくれる。
『リンゴがね、とろっとろになるんだって!』
『そうか、楽しみだ』
銀色の光の精霊が目を細める。
「銀色の稀輝は甘いもの好きだものね」
『シアンの作る甘いものは全部好きだ』
真面目な顔で頷く光の精霊からやや離れた場所で、ティオも首肯する。
『シアンが作ってくれるものは全部美味しい』
「たまに失敗もするけれどね」
『最近は減ったのでは?』
すう、と一陣の風が頬を掠めて走り、凝縮された力がシアンの眼前でふっとほどけたかと思うと、人影を形作る。
風の精霊の言葉に頷く。炎の調整は風の精霊のお手の物である。光の精霊が伝えてくれる焼き具合に応じて、即座に対応してくれる。シアンの手際が悪くて手間取っても、炎を相当小さくしてくれたり、逆に火力を強めてくれたりする。
さらにはベーキングパウダーの役割をもしてくれる。そのお陰で、ふっくら焼き上がる。
「英知や稀輝たちのお陰だよ」
様々な料理にチャレンジしたり、教わったりし、スキルがどんどん向上し、増えている。
料理を楽しみにしてくれる幻獣たちや精霊たちを喜ばせることができて、シアンも満足だ。
冷めても美味しいのだが、やはり焼きたてのバターの香りは相当な吸引力がある。
魔族の来訪を待ちきれない光の精霊にケーキを切り分け、リムとティオにも勧める。
『シアンは食べないの?』
「うん、僕は魔族の方を待つよ。リムとティオは稀輝と英知と一緒に食べてね」
シアンと共に食べたいという葛藤はあったが、豊潤でほんのり甘い温かい香りに負け、リムとティオもアップルクーヘンを食べた。
光の精霊は無表情なのにどこか顔が緩んでいる調子でケーキを口にする。
茶を淹れてそれぞれの前に置く。
「沢山作ったから、お代わりもあるよ」
『ティオは体が大きいから、ティオに上げて』
『リムはリンゴが大好きだからリムに』
『私は一皿で十分だよ』
リムとティオが遠慮し互いにやってほしいと言い、風の精霊は一切れで良いと言う。
『リムもティオももう一切れずつ食べたらいい。僕も欲しい』
光の精霊が空になった皿を差し出す。
『魔族には僕が話をつけようか?』
「お客様の分はもう取り置いているから大丈夫だよ」
この世界の最上位の存在に言われて拒否できる者などいるのだろうか。相談でも願いでもなく、決定事項だ。
しかも、その内容が来客用の茶菓を自分が食べる、というものだ。
『美味しかった』
茶を飲み干した風の精霊が唇の両端を吊り上げる。
「そう、良かった」
釣られてシアンも微笑む。
『何かしてほしいことや欲しいものはある?』
「うん?」
真面目な表情に戻って尋ねる風の精霊の言葉の意味が分からず首を傾げる。
『人は労働や物品に対して、対価を得るのだろう?』
「普段、みんなには色々助けてもらっているからね。そのお礼代わりに受け取ってもらえれば良いよ。それに、英知や稀輝に喜んでもらえて嬉しいし」
精霊たちはそれぞれ頷いてふ、と消えた。
シアンは純粋に持てる力で精霊のために何かしたいと思っていた。自分ができること、となると音楽と料理である。
だから、貢物が失敗して不興を買うというケースには当たらない。気に入られなかったら、次は気に入ってもらえるようなものを提供したいだけである。
精霊もまた同じく、シアンのために動いた。精霊がしたいという能動的なもので、シアンが喜ぶことが目的だ。自分がしたいことを押し付けるのではない。シアンの望みを叶えること、その要求が実情と合致していなければ、そう告げて相談することもまた楽しい。
シアンが考え思い至らない部分を瞬時に助けたいところであるが、これは控えている。風の精霊がシアンの成長の妨げになるから、と他の精霊を制したからだ。大きな危険がない場合は手出し無用である。九尾などからしてみれば、それは致命的なことではない、ということにも手助けがあり、その辺は追々学習していく予定だ。
光の精霊は以前、リムが酷い成長痛に苛まれた際、その成長を妨げるから、と助力を拒んだ。シアンは取り乱し、その姿に心を揺り動かされた。自分のことと闇の精霊のこと以外はどうでも良かったのに、動揺した。そして、シアンの心配だけでなく、自分もまたリムのことを案じたのだと自覚する。
リムが大きなドラゴンの姿になった後、疲れ果てた様子に落ち着かない気持ちになって柄にもなく世話を焼いた。小うるさい水の精霊に笑われても気にならなかった。嬉しそうに世話を焼かれるリムと、自分のフォローをしてくれるシアンとのひと時が楽しかったからだ。
甘いものが好きなのだということも、彼らに食事を振舞われて自覚した。光の精霊が好きなのだと知ると、甘いものや美味しい物を作るたびに供してくれる者たちに、どうして何も感じないでいられるだろうか。
彼らが使用する農作物は光を必要とする。自然、シアンたちが手に入れる農作物には十分な光が与えられ、大地の精霊の恵みも与えられた。
そうして、エディス近隣の土地は豊作となり、特にニーナの村は顕著だった。
「やれ、こうも豊作になるとは。果実酒でも作るかねえ」
籠にぎっしり詰められた傷がある果物を手に取り、クレールが独り言ちる。
「そりゃあ、いい! クレールばあさんの果実酒は逸品だからな!」
「まずはリンゴ酒だな!」
「あんなに小っこくて酒を飲ませもいいんか?」
「小さくともドラゴンさ。イケる口だろうて!」
クレールが誰に向けて好物の加工品を作るか、村でも周知である。偏屈な彼女は村の大人たちにも敬遠される節があったが、最近では果物ができすぎて困るだろうと率先して村人が手伝う。
小さい幻獣がクレールが作る果物を好んでいることを知っているからだ。
「リンゴのお茶とか、リンゴの香りがするクッションとかも作ろうよ!」
「お前のところの母ちゃん、縫物が得意だものな」
「そ、それだけじゃねえよ、シアンたちはお茶も良く飲んでいるからさ」
「おう、おらも飲ませてもらった。果物や花の良い匂いがした」
「お前ら、あまりお邪魔するんじゃねえぞ!」
「分かっているよ!」
そうして、ニーナの村はリンゴの木が沢山植えられ、後にリンゴ村と呼ばれるようになった。
大地と光と風の恵みを受け、甘く美味しいエディスでも評判の果実だ。




