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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第四章
148/630

3.魔族の国からの使者

 


 空は厚い雲に覆われ、肌寒い日だった。

 家の裏でバーベキューコンロを出して調理していたシアンは空を振り仰いで嘆息する。湿気を含んだ風に、今にも空から水滴が落ちてきそうな予感を覚える。

「じきに降ってきそうだなあ。今日は家の中で食べようか」

『雨、降りそう?』

 釣られてリムも空を見上げる。

 鉄板の上で肉が焼ける得も言われぬ匂いに、落ち着きのない様子を見せていたティオが残念そうに丸い目の上の毛を垂れさがらせる。まるで眉尻が下がったようだ。普段は真円の瞳の上を、毛の流れがきりりと引き締めている。弧を描く嘴と相まってストイックにすら見える風情が、がっかりと萎れている。

「はは。沢山焼いて持って行こうね。それとも、ティオ、先に食べている?」

「キュィ!」

 嫌だ、一緒に食べる、と抗議の声を上げる。

『ティオも一緒! いっぱい焼こう!』

「そう? じゃあ、もうちょっと待っていてね」

 ティオの頭を撫でようとして伸ばした手を止める。

 小首を傾げて、まるで撫でないの、という風に見やって来るティオに苦笑する。

「まあ、手を洗い直せばいいか」

 調理中に他者の髪を触ったら、そのまま料理の続きをせずに手を洗う方が良いだろう。ティオもリムも気にしないだろうし、シアンも同じくだ。しかし、作り置きの料理は他者の口に入る可能性がある。今日はここにいる三人で食べ切る分しか作らない予定であるものの、習慣づけた方が良いだろう。


『リムにしたのと同じく空気の膜を張ろうか?』

 地面に落ちた木の葉を風が巻き上げた後、くるくると落下してくる。再びその葉が地面に落ちた時、その傍らに磨き抜かれた靴があった。視線を上げると、しなやかな体つきの少年の姿をした風の精霊がうっすらと微笑んでいた。

 うす暗い日だったが、白金色の柔らかい髪がふんわりと明るい。白磁の額や鼻筋は滑らかで、頬と唇は薄っすら色づいている。明るい陽射しを受けて透明に輝く木の葉のような目の色をしている。

「英知」

 シアンが呼びかけると笑みが深くなる。

 世界を構成する精の粋が魔力となる。魔力の根源たる存在が精霊だ。

 精霊の姿を目撃することすら稀で、下級であっても、精霊の力を組み合わせれば多様なことができる。だからこそ、精霊たちの中でも最も力ある存在である精霊王たちは協力することはなかった。強大な力が組み合わさればとてつもない事象が起きる。

 しかし、シアンの周りには何故かその精霊たちが集まっていた。風の精霊はその一柱である。


「空気の膜というのはフェルナン湖の中に入った時にしてもらったみたいな感じ?」

『そうだよ。それと、力ある存在がやって来る』

 付け加える風の精霊が指し示す方を見やり、意識を凝らす。

 と、とても冷たく巨大な魔力を持つ者が相当早い速度で近づいて来るのを感じた。見れば、ティオもリムも警戒している。

 大きく白い翼を持った丸い胴体をしたものが飛翔してくる。

 彼らの中で食欲よりも生存本能が上回り、バーベキューコンロで焼かれる肉の存在を一時忘れた。


『あれは魔神の眷属だね』

「魔神? 確か魔族が排出したっていう神様?」

『そうだよ。』

 話しているうちにもぐんぐん近づいて来る。

 人面のような、無表情の人の仮面のような顔を持つそれは梟だった。崖の上の遺跡で戦った女の顔をした鳥を想起する。顔を真正面に向けたまま大きい翼で羽ばたく。白く優雅でダイナミックな動きだった。

 白い羽毛が全体を覆っている。広げた羽と尾羽に美しい茶色の模様が入っていて、厚い雲から一筋射した日に透けて琥珀に見える。

 体のわりに顔が大きく、落ち窪んだ黒い目から涙の筋のように通った鼻筋。その逆三角形の先に小さな嘴がある。額はカモメ型のふたつのアーチを描いている。

 顔の造作すら分かるほどに寄って来、家のすぐ傍の木の枝に止まる。

 顔を真横に九十度に傾ける。怖い。


「こんにちは」

 魔神の眷属と言うくらいであれば、意思疎通ができるのかと声を掛けてみる。シアンが知能のある動物に出会ったのは例えば、九尾、ティオ、リムだ。ここ最近では一角獣やスクイージーだ。

 ざ、と梢を揺らし、梟が地面に降り立つ。更に近くに位置することになる。

 ティオがするりと前へ出ようとするのを胴を軽く叩いて止める。小さく大丈夫だよ、と呟くと後退してきて首を差し伸べてくるので撫でる。

 それを梟が首を傾げて眺めている。

 シアンは一、二歩近づいて行ったが、梟は見上げてくるだけで動かない。

 視線を合わせたまま、ゆっくりその場でしゃがむ。

「触ってもいい?」

 梟は驚いた風に羽根を軽く広げ、そのまま一瞬固まったが、やがて羽根を胴体に沿わせて丸く収め、こっくり頷いた。

 そっと腕を伸ばし、頬から顎にかけて長い毛足を中心に撫でると、梟が目を細める。きゅっと吊り上がった目が可愛い。ひょい、と首を伸ばして丸い目で見てくる。首を大きくゆらし、真横に倒す。首が九十度横に倒れる。人がやれば首から肩の皮が引っ張られて曲がらないだろうが、ゴムに似た弾力性のある曲がり具合だ。

「そんなに首を曲げて大丈夫? そう、柔らかいんだね」

 曲がっている最中も無表情で無機物のようだ。

 白い胴体に細い脚、丸い大きな顔と、羽を畳んでいるとちょっとアンバランスで無表情と相まって怖い。


 慌てて走って来る足音が聞こえる。

 腕を引っ込め、座り込んだまま振り向くと、そこには見知った者が息を切らせながら走って来るのが見えた。

「ああ、遅かったか!」

 褐色がかった肌に縮れた黒い髪、垂れ目に薄い唇をした美男、魔族のディーノだ。

「どうしたんですか、そんなに慌てて」

 肩を揺らして荒い息を繰り返すディーノに飲み物でも渡そうと立ち上がる。マジックバッグを手に取ったシアンを押し止め、ディーノがまだ整わない息の下、言う。

「申し訳ございません。その梟は本国の方の使い魔でして。いや、それにしても、よく触れましたね。あれも大人しく撫でられているなんて」

「すみません、触ったらいけませんでした? 一応、本人には確認してみたら、頷いてくれたので」

「ははあ。流石は花帯の君ですね」

 感心する声音のディーノに色々尋ねたかったが、それ以上言葉を重ねることはできなかった。風の精霊が割り込んだからだ。

『シアン、話は中へ入ってからにした方が良い。雨が降る』

「あっ、お肉を焼いていたのに!」

 魔神の眷属来訪にすっかり忘れていた。直前まで話していた天気のことから肉のことを思い出す。

『ああ、火は止めて、酸化させないために空気を遮断している。温度も下がらないように光のに頼んである』

「ありがとう、英知!」

 折角の肉が炭となるところだった。

 精霊たちの力は甚大で協力し合うことはなかったが、こうして何気ないことに力を出し合ってシアンを助けてくれている。シアンにとってはそれで十分すぎるほどだった。

「ディーノさん、僕たちはこれから食事をとるところだったんです。一緒にどうですか? 君も一緒に来る?」

 後者は梟に声をかけると、またこっくり頷く。

「あー、本当に大人しいものですね」

 ディーノが呆れて呟いた。



「美味っ! え、甘い。果物の甘さじゃないですね」

 肉を咀嚼し嚥下したディーノが驚きに目を見開く。

「そうなんです。タレに蜂蜜を混ぜたんですよ」

 醤油にごま油と酢を加え、更に蜂蜜を入れている。果実ベースのタレとは異なる甘さがある。

 ローテーブルの傍らではようやく食事にありつけたティオが無言で器の中の山となった肉を片付けていっている。

 その隣でリムは自分専用のテーブルに向ってカトラリーをせわしなく動かしている。大きな肉を頬張って顔全体を動かしながら咀嚼している。

「お好みでこちらも混ぜてみてください」

 言いながら、すりおろしたニンニクと生姜を入れた皿を差し出す。体に良い薬味だが、好き嫌いが分かれるものだろう。ティオもリムもどちらも気に入っている。

「すごい、味の幅が広がる」

 一通り食べ比べてみてディーノが感嘆の声を上げる。


「殺風景な部屋ですみません」

「いえいえ、ティオと一緒に食事をとれるようにあえて物を置いていないんでしょう?」

 マウロといい、察しの良い者である。

「そうなんです。天気が良ければ、外にテーブルとイスを出しても良かったんですが」

「降ってきましたからねえ。でも、お陰でこんなに美味しい肉をいただけたんだから、俺としては有難いですよ」

 ディーノに酒を勧めてみたが、惜しそうな顔をしつつも断った。


 人面梟はといえば、翼を毛づくろいするみたいに嘴を突っ込み、封筒を取り出し、シアンに渡してきた。白い封筒は正しく同色の翼の狭間から現れたかのようにも見えた。

 人面梟も人と同じ味付けでも平気らしく、少し離れた場所で肉をついばみ嘴の中に納め、噛み砕いては飲み込み、を規則正しく繰り返している。時折目を細めて動きが止まっているのは、味わっているからだろうか。

 風の精霊は同じくローテーブルの前に置いたクッションに腰掛け、優雅にカトラリーを操っている。クッションを用いて床に腰を下ろしてはいるものの、典雅な風情は損なわれていない。

 シアンと視線があうとふわりと笑みがほどけ、思わずシアンも笑い返す。

「本国から使い魔を飛ばしたって聞いて心配して飛んできたんですが、その必要もなかったですね」

 シアンの仕草から、精霊の存在を察知したディーノが言う。

「この梟は一国を滅ぼしたこともあるくらいの力の持ち主なんですよ」

 ディーノの説明にシアンは絶句した。

「一応は神の眷属ですからね」

 その甚大な力から悪夢の象徴として伝説となっていたがシアンは知らなかった。


「それでですね、本国から是非ともエディスを騒がせたドラゴンの屍の一件のご報告に上がりたいと申し出がありまして」

「それで梟の彼を?」

「そうなんです。まずは俺が来訪のお伺いを立てに行くって言っているのに、気が逸ったようでして」

 慌てて後を追ったディーノは転移陣を用いている。遅れて出発したことや、エディスからニーナの村まで走ってきたとはいえ、どれほどの飛行速度を誇るのか。

「本国というと魔族の国ですか? ディーノさんは魔族の国からエディスやトリスを行き来されているんですか?」

「ああ、シアンはまだご存知じゃなかったんですね。闇の属性の神殿もあるのですよ」

「そういえば、闇の神殿は見かけたことがありません」

 街中に建っていれば、貴光教に目の敵にされそうだ。

 そんなシアンの思考を読み取ったかのようにディーノが一つ頷く。

 闇の神殿は高度な隠ぺいで隠されているのだと言う。

「ですが、今のシアンならば、その気になればすぐにわかりますよ」

「そうなんですか? あ、リムは知っていた?」

「キュア!」

 リムは存在を知っていたが、シアンが何も言わないので気にしていなかった、と答えた。

「ああ、そうなんだ?」

 意外な事実に目をしばたたく。

「今度、探してみます」

「そうですね。ただ、ちょっとばかり他の聖教司たちよりも恭しいかもしれませんが」

 やっぱり止めておこう。

 シアンは即座にそう思った。

 今でさえ、三属性の神殿の聖教司たちから非常に丁寧に接せられているのだ。

「ま、まあ、追々、そのうち」

「そうですね、気が向いたらで良いのでは?」

 シアンの性格から色んなことを汲み取ってくれるディーノの言葉が有難い。


「エディスを救ったシアンたちには本国の者から直にお礼とお詫びをし、事情をお話ししたいという意向がございまして」

 都合の良い日を教えてほしいと言う。人面梟が渡した封筒にはディーノが話したのと同じ内容が記されていると言う。

 促されて開封してみれば、確かに流麗な文字でしたためられていた。

「そんな、お礼もお詫びもいいですよ。それに、こうしてディーノさんが来てくださったんだし」

「いや、俺は美味しい肉をご馳走になりに来ただけになってしまいましたがね」

 手土産もなく申し訳ないと謝るディーノはよほど慌てて飛び出してきたのだろう。

「俺の方からの謝罪だけでは済みません。事情もご説明しておきたいですし」

 そう言われれば頷く他はない。

「魔族の国から来られるのはもしかして、魔族の国の偉い方が?」

「そうですね。一番偉い部類ですね」

 腹を括って問うと、ディーノがあっさり言う。

 シアンの都合の良い日を聞き出し、ディーノは人面梟を連れて帰った。

「こんなのが近辺をうろうろして、どこの誰に判明されるか分かったものではないですから。シアンの周囲は有識者が集まってきそうですからね。それが善人とは限らない」

 そうなった時のシアンの立場が悪くならないように気を使ってくれたのだろう。


 ともあれ、シアンは家の掃除をし、偉い人には物足りないだろうが、精いっぱいのもてなしをするために、茶菓の準備などを行うことにした。

 ディーノに好物を聞いたら、シアンが作るものなら何でも良いと言っていた。好き嫌いはない様子なので、アップルクーヘンを作ることにする。魔族はリムが好きなので、リムの好物なら興味を持ってくれるのではないか、と期待したのだ。

「一番偉い部類の方かあ」

 国王が来たらどうしよう、と家具が殆どない部屋を眺める。とりあえず、風の精霊に隙間風を防ぐことを頼んでおこうと決める。

『シアン、遠出は?』

「魔族の方を迎えたら行こうね」

 我慢を強いるティオに済まなく思いながら言うと、特に不服そうでもなく頷く。

『うん』

『楽しみだね!』

『うん!』

 リムが浮き浮きした様子に感化されて弾んだ応えを返すティオにシアンはそっと微笑んだ。


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