50.エディスの勤労少女6
サンドラは職場の酒場で昼間からたむろしている常連客を言葉巧みに連れ出した。日頃から愛想良くしておくものである。若い女性に誘われて鼻の下を伸ばしながら、ついて来た。
異界人は毒を食らってもしばらくしたら異世界から戻ってくることがあると言っていた。異界人本人たちの言ではあるが、随分眉唾ものの話だ。けれど、もしそれが本当であれば、翼の冒険者があの毒を飲んでも再びエディスに姿を現すかもしれない。そうなった時に力を削いでおくために、グリフォンやドラゴンと引き離しておかなければならない。
サンドラが酒場で知り合った異界人たちは幻獣たちを我が物にすると息巻き、渡りに船だった。それ以上は興味がないのに、何故か話をもっと聞かせてくれと口が動いていた。特に、毒を食らっても戻ってくるということをしつこく尋ねた。
案に反して、どういうシステムなのか、彼らもろくに説明できなかった。話してはいるものの、異国の言葉で、サンドラは少しも理解することができなかった。色々言葉を変えて質問したが、酔っぱらいである彼らは途中で思考を放棄した様子で話にならなかった。
腹が立ったが、どうしようもない。
ただ、判ったこともある。他の原因の死亡の場合も戻ってくる可能性は高いということだ。そう、死亡するほどの傷を受けても、高確率で生き残ることがあり得るのだと言う。
ただし、戻って来ても大分弱っているらしい。
それはとんでもなく好都合なことだ。一旦、殺して戻ってきたところを狙おう。そう思った。
サンドラは彼らが決行する日、グリフォンやドラゴンに常連客をけしかけるつもりだった。噂では、幻獣たちはあまり人に懐かない様子だ。街中で主を殺されれば、怒るだろう。冒険者たちが怖れをなして逃げ出さないように煽り、酒場の客をけしかけるつもりだった。怪我人が出ればよい。死者ならなお良い。
そうすれば、幻獣たちがどれほど恐ろしい存在か、街の者に知らしめることができるだろう。
翼の冒険者が戻ってくる前に、幻獣たちを街から追いやるのだ。もはや人間などには関わりたくないというひどい目に合わせ、完全に翼の冒険者と決裂させる。
サンドラは確かに翼の冒険者を邪魔に感じていたし、強い存在に守られてのうのうとしていることに腹を立ててもいた。フィルが自分を振り向いてくれないのは翼の冒険者が原因だとは思っていないし、それ以上に殺そうという考えは少しも抱いていなかった。にもかかわらず、思考はどんどん殺害の方向へと突き進んでいった。それはいつからのことだっただろうか。勤め先で翼の冒険者と同じ異界人の冒険者が不満をぶちまけているのを見た時からだろうか。それとも、もっと前だろうか。思い出せない。記憶は霞掛かって、定かではなかった。
そして、当日、常連客を連れて出かけた。何故か、酒場にいた冒険者も面白がって見物について来る。
ちらりと見やれば、リーダーは穏やかそうな表情の落ち着いた年齢の男性だ。邪魔をしないなら構わないか、と捨て置いた。
サンドラは不審がられない程度に同行者を急かした。のんびりした足取りに苛々する内心を押し隠す。
間に合わないかもしれない、焦燥に駆られた時、グリフォンの後ろ姿が見えた。
その隣にはひょろっとした人影が見える。
失敗したのか、と臍を嚙む思いだった。思いっきり何かを蹴りつけてやりたくなる。
隣で無駄話をして自分の存在をアピールするために甲高い笑い声をたてる常連客たちが、途端に鬱陶しくなる。
その時、サンドラは見た。
地面にうっすらと円を描き、そのなかにびっしりと複雑な文様が光となって浮き上がるのを。
「おい、あれ、魔法陣だよな?」
「あ、ああ、セーフティエリアや転移陣で見られるやつだよ」
つまり、人知を超えた領域の代物だ。
「なんでこんな街中に?」
「っていうか、誰か倒れていないか?」
魔法陣とやらの中央に、人が倒れていた。周囲に冒険者らしい人影があり、おろおろしている。
そうこうするうち、その倒れた人物はぱっ、と光となって散った。体が消えたのだ。
甲高い悲鳴が聞こえた。
うるさいな、と思ったら、サンドラ自身が上げていた。
「サ、サンドラちゃん、大丈夫かい?」
「あ、あれは何なの?!」
「ま、街のみなさん、落ち着いて! これは我ら異界人が強制送還されたもので……大丈夫、戻ってきますから」
「転移陣でちょっと強制的に移動させられたのと同じようなものなんです!」
突然、街中で人が消失したのだ。目撃者は多数おり、ざわめいているのに、冒険者たちが慌てて弁明している。サンドラは悲鳴を途切らせ、肩で大きく息をついているうち、それが件の異界人の冒険者たちだとようやく気付いた。
してみると、翼の冒険者殺害を失敗した直後、というところか。何がどうなったのかは知らないが、飲ませるはずだった毒を当の本人が飲んだのだろう。
翼の冒険者が振り返って立ち止まっていた。
サンドラはこの機を逃すまいと、腕をまっすぐに付きつけた。
「あいつよ! あいつが、さっきの異界人に毒を飲ませたんだわ!」
ざわめきが大きくなる。
「私は見ていたの! あいつもさっき得体の知れない死に方をしたのと同じ異界人よ!」
声を震わせながら、言い切った。
「同族揉めか?」
「いやでも、見ろよ、グリフォンを連れているぜ。翼の冒険者だぞ」
「エディスの英雄? まさか!」
街の者たちのさんざめきに、サンドラの連れた常連客が援護する。
「おうおう、お前ら、サンドラちゃんが見たって言っているだろう! それとも、生粋のエディス生まれのサンドラちゃんが嘘をつくって言うのか?」
「得体の知れない異界人よりも信じられないのか?」
柄の悪そうな男どもに、街の人は口を噤む。
「ねえ、そこの冒険者さんたち、貴方たちの仲間はあいつに毒を飲まされたんでしょう?」
サンドラは早く立ち直れ、と喝を入れてやりたい気分を抑え、なるべく穏やかに問うた。
「そっ、そうだ、俺たちの仲間はあいつにやられたんだ!」
声が上ずっていたが、まずまずだ。
風が強く吹いてきて、事態の緊迫感を一層煽る。
「待てよ! 俺たちは見ていたが、翼の冒険者は飲ませてなんかいないぞ!」
「そうだ! 自分で飲んでいたぞ!」
集まり出した人垣から声が飛ぶ。
事実を言い当てられたのだろう、怯んだりばつが悪そうな表情を浮かべる冒険者たちに舌打ちしたい気持ちになる。
だが、しかし。
「その人たちは最近エディスにたむろしている得体の知れない結社の人たちよ! 翼の冒険者を支援している人たちだから、庇っているんだわ!」
サンドラは翼の冒険者を擁護する発言をした者たちが、幻獣のしもべ団とかいう結社の団員であることを知っていた。
どこでどう知ったのだろう。
「そう言われば、酒場で翼の冒険者といたのを見たことがある!」
翼の冒険者は注目される。どこかで結社の者と会っているのを見たものが野次馬の中にいたのだ。唇が吊り上がるのを堪えた。すぐにそんな必要はなくなった。
「さっすが、サンドラちゃん! 酒場の給仕だけあって、詳しいな!」
サンドラは今度ばかりは舌打ちを堪えることができなかった。酒場の給仕と聞いて、野次馬のサンドラを見る目が尖る。あまり歓迎される職種ではない。特に女性が就くものとしては。
「私たちも見ていましたが、強制転移したとかいう冒険者は、少なくとも翼の冒険者が行ってしまってから、飲んでいましたよ。いや、容器に口をつけて煽っていたのが見えただけですがね」
すると、サンドラと常連客の後ろから見物について来た冒険者の一人が言う。穏やかそうな外見と同じ雰囲気の物言いでしっかり、断言する。
「俺も目にした! 自分で飲んでいたぞ」
剣を持った冒険者が腕を上げる。
「俺も見た」
盾を担いだ男が腕組みしながら言う。
「私も見たよ。私は密偵だから目も耳も良いんだ。これでステータスが上がる、って言いながら飲んでいたよ!」
弓を持った女性の冒険者が言う。
「ふむ、つまりそちらの女性が聞いたことから鑑みるに、何らかの薬効があると思って自ら飲んだ、というところでしょうか」
穏やかな風貌の冒険者が分析する。
「おう、どうなんだよ、お前ら、すぐ近くにいたんだろう?」
ローブを纏った魔法職だろう男が、体を消失させた者のパーティーメンバーににじり寄る。
「どうなんだい? あんたたち、仲間なんだろう?」
女性にしては珍しく剣を持った冒険者が同じくパーティーメンバーに問う。
「え、いや、その、あの」
パーティーメンバーはしどろもどろになる。
「もう、諦めようよ。こんなに見ている人たちがいるんだよ」
「っていうか、あれ、ザドクんところのパーティだよ。バレバレだよ」
ちょっと問い詰められただけで簡単にあきらめてしまった。
「すいません、そちらの方の言う通り、本人が自分で飲んだんです!」
「この毒、本当に効かないのかな、試してみようぜってなったんです!」
言うだけ言って、彼らは足早にその場を立ち去った。
呆気なく失敗した上、そそくさと逃げ出した冒険者たちの不甲斐なさや卑怯さ加減に怒鳴りつけたくなる。しかし、そんな場合ではなかった。
「ところでお嬢さん、どうして見てもいないことを見たと言ったんですか?」
穏やかだと思っていた男性がサンドラに向けてきた視線、その眼光に怯む。
「そ、そんなの、貴方に関係ないわ! 私は本当にそう見たと思ったからそう言っただけよ!」
懸命に取り繕う言葉はだが、男には通用しなかった。
「その割には何度も手を変え品を変え、翼の冒険者を糾弾していましたね。彼を陥れようとする理由は何ですか?」
「エ、エディスの英雄を陥れようなんてするものですか。本当にそう見えたのよ! 言い掛かりはよしてちょうだい! 私、もう行くわ」
サンドラは身を翻して走った。
後ろで常連客がサンドラを呼ぶ情けない声が聞こえるが、知ったことではない。
心臓が早鐘を打つ。
悔しい、もう少しだったのに。
ずるい、何故あいつばかりが助けられるのだ。
ずるいずるい。
サンドラはそうつぶやき続けた。




