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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第三章
140/630

48.料理教わる/エディスの勤労少女5/引越し/のたうつ蛇3 ~お兄ちゃんは甘えちゃダメ?~

 村に着くと、気づいた村人から声を掛けられたニーナがやって来る。

「よく来たね!」

 今日も元気いっぱいである。そして、その元気は周囲へ伝播する。

「はい、お言葉に甘えてしまいました。これ、以前遠出した際に教えてもらったレシピで作ったケーキです。お菓子作りを教わりに来てケーキをお渡しするのもなんですけれど」

「いいよ、いいよ! 今日はケーキ尽くしだね!」

 シアンは手土産を何にしようと考え、トリスで狩った肉の他に、スルヤから教わったケーキを作ってきた。

 パウンドケーキを作成するための長方形の型に、小麦粉とバター、砂糖、重曹、塩、卵、バニラシュガーを混ぜ合わせた生地を入れ、アーモンドスライスと赤い蕗のような見た目の薬草を短く切ったものを敷き詰め、その上からまた生地を、今度は手で細かくちぎって敷く。これをオーブンで焼いたものだ。

 この薬草というのが酸味の強いリンゴのような味で、リムが気に入って食べていた。

「はい。違う場所の違うレシピのお菓子も楽しんでいただけたら、と思って」

「嬉しいねえ」

 張りの良い頬を丸めて笑う。


「リムちゃんはリンゴが好きだから、リンゴを使ったケーキを作ろうかね。子供らが採ってきた草の茎の砂糖漬けを飾りで使うよ。この草の葉からシロップを作ったりもするのさ。種は香りづけにも使える」

「色々使えるんですね」

『葉を用いた飲料は鎮静剤や風邪の薬に、根を乾燥したものを鎮静剤、健胃剤として使用する』

 薬効の詳細に関して風の精霊が解説してくれるので、きっちり薬作成に関するスキルと経験値が溜まっていく。

 リンゴはきれいに洗って皮付きのイチョウ切りにする。

 長方形の型にオリーブオイルを塗り、リンゴを敷き詰める。

 卵を撹拌し、はちみつ、牛乳、ヨーグルトを入れて小麦粉と薄力粉と重曹を入れ、混ぜる。これを型に入れ、その上に砂糖漬けの飾りを置き、オーブンで焼く。

「リンゴのパウンドケーキだね」


 シアンが料理を教わる間、狩りに出かけていたティオとリムは焼けたケーキを取り囲み、甘い香りに表情を輝かせる。

 早速出来立てのケーキを食べ、ニーナはシアンが渡したケーキを味わった。

 なお、リムは今回はカトラリーを使用しなかった。ニーナにある程度懐いてはいるものの、幻獣がカトラリーを使用することに関して理解を得ることがどうかということに関しては、許容できないだろうという判断を下したのだ。

 シアンも同意見だ。ニーナは人柄も面倒見も良い気さくな人間だが、常識から大きくはみ出たことへの耐性はそう高くはないだろうと思う。土地に根付いた日常をこつこつと積み上げて暮らしてきた人間だ。村とエディスとの行き来する間に培ってきた生活に根づいた経験則から反することを、なかなか許容することができないだろう。


「そう言えば、リムちゃんはもう大きくならないのかい?」

「どうでしょうか。そうそう大きくなったりはできないと思いますが」

 あれから、狩りの時でも大きくなったとは聞いていない。やはり、あれだけの体格差があるのだから、相当なエネルギーを要するのだろう。

『可能であっても、リムが大きくならないとしたら、その理由は明白でしょうけれどね』

 九尾が悪戯っぽく笑いながら言うのに、それは何だと質問しかけて、合点がいく。

「肩に乗れないから?」

 リムがはっとシアンを見上げる。そして、ティオの体の陰で高難度超高速もぐら叩きのもぐらのように走り回る。

 その後、ティオの背の陰からちょろりと顔を出す。

「リム、どうしたの?」

『大きくなったら、お兄ちゃんなのに甘えたらおかしいって言われるかもしれないもの』

 だから小さいままなのだと言い辛そうにおずおず答えた。

 シアンの脳裡を、もうお兄ちゃんなんだからいつまでも甘えていたら駄目よ、と子供に言い聞かせる母親の姿が浮かぶ。

 イケメンをすると言ったり、襟巻になると言ったり、大きく美しいドラゴンはその実、可愛い。

「ふふ、そんな風に言わないよ。それに、リムが甘えてくれなかったら、僕もティオも、深遠や稀輝だって残念に思うよ」

 リムはぱっと顔を輝かせて飛びついて来る。

『大きくなったらって、程があるでしょうに』

 九尾がやれやれと首を横に振る。今回ばかりは心の中で九尾に賛同する。

『大きくなれるんだね』

『うん、でも魔力をすっごく使うし、大きくなった後はずっと眠くなるから、あまりならない!』

 ティオの言葉に、リムはぴっと前脚を挙げて宣言する。

『大きくなったら、タンバリンやぼくの食器を使えなくなるもの』


「どうやら、大きくなると相当魔力を必要とするそうなので、普段は小さいままのようです」

 ニーナには幻獣たちの声は伝わらないので、説明して置いた。分からなくとも幻獣たちが楽し気に鳴いているのを目を細めて眺めている。

『リムは今でも十分強いですから、大きくなる必要がある時になれば良いでしょう』

「あんなに大きいと、フラッシュさんの庭にも入れないものね」

 いつか、大きくなったリムが十分に羽根を広げることができるねぐらを必要とする時がくるだろう。その時はその時で、一緒に音楽を楽しんでいるような気がして、シアンはふと微笑んだ。



 サンドラは愛想良い笑顔と歯切れの良い話し方で客を誘導し着席させ、注文を取り、料理を運ぶ。空いたテーブルを片付ける手際も、料金を徴収する際の暗算も得意になった。

 もちろん、初めは色んなことにまごついた。特に計算を空でやるのは難しかったし、注文を複数組み合わされると混乱した。けれど、そこは慣れだ。実際動いているうちに、どう行動すれば効率が良いかを自然と体が覚えた。そして計算ではどの注文の組み合わせで合計がいくらになり、おつりがいくらになるかを覚えていった。

 立ちっぱなしで脚がむくむのが難点ではあるものの、やり甲斐のある仕事だ。

 客あしらいもなかなかのものだと思う。

 人当たりが良いだけでは務まらない。

 多少の気の強さがなければ、逆に客を苛立たせる。ちょっと言い返してもらう方が客も楽しそうだ。

 その持ち前の気の強さを発揮して、サンドラはダイスに興じるテーブルからカルロスを連れ出した。酔客たちは口々に文句を言ったが、笑顔で軽く流しておく。

 カルロスの肘下を掴み、酒場の隅に連れて行った。

 今日も賑やかに飲み食いする人いきれで、酒場は暖かく明るい。

「最近、あのものすごい臭いの人は来ないのね」

「ああ、金が尽きたようで、これ以上誘うのは悪いかなあって思ってさ」

 悪どい金貸しを紹介しないだけ、カルロスも小市民なのである。

「それで? 今度はあのテーブルの背の高いのがターゲットってわけ?」

 腕組みし、顎を逸らして見上げる。サンドラよりもカルロスの方が随分背が高いのである。

「ターゲットなんて、そんなのじゃないよ。みんなでダイスを楽しんでいるだけじゃないか」

「やめときなさいよ、悪いことするの。悪いことしてから気にするのって、結局は向いていないのよ。悪いことしてから何度もそのことについて考えるくらいなら、初めからやらなければ良いんだわ。そうまでして他の人より得したいのかしらね。他の人の目が気になる? 咎められなければやるの?」

 カルロスはぐうの音も出せずにただ、サンドラを見つめていた。

「悪いことっていうのはね、やっても全然気にしない、何を言われても気にならない者がやるものなのよ。私みたいなね」

「サンドラ?」

 カルロスが怪訝そうな表情になる。

「とにかく、私の友達のこともそうだけれど、一度、もっとちゃんと考えなさいよ」

 そう言って、サンドラは仕事に戻った。



 フラッシュがトリスに工房兼住居を手に入れたのは、錬金術師として生産に携わる手段のためだった。そして、天帝宮に戻れなくなり、なおかつプレイヤーの間で悪名高かった九尾の拠点を作るためでもあった。

 そのフラッシュの住居の方の近隣の家から、楽器の音がうるさいという苦情がもたらされた。

 最近引っ越してきた者が更に隣近所を巻き込んだ。そう言われればそうかなあ、という反応を、誰それも確かにうるさいと言っていた、と話を盛った。

 大げさに言ったとして、楽器の音はうるさいものであるし、シアンも音楽家として現実世界では防音に神経を使っていた。この世界でもそうすべきだったのに、とシアンはフラッシュや隣人たちに謝り、居候をやめることを考えた。

『綺麗な音なのに』

『人間のすることはよく分からないね』

 初心者の演奏、例えば民家から聞こえるバイオリンの甲高い音などだけではなく、演奏そのものが迷惑になる場合があるのだ。

「他の人にとっては単なる騒音だからね。興味がある人でも聞きたくない時に聞かされるとやはり不快なものだよ。そこは僕がちゃんと考えているべきだったんだよ」

 当面は気候の良いアダレードのセーフティエリアでテントを張ろうかと思っていたが、ニーナの村の空き家を借りることができた。掃除さえきちんとしてくれればティオが中に入っても構わないという太っ腹さだ。翼の冒険者の噂だけでなく、ニーナの村に何度か顔を出し、獲物を差し入れしていたことが功を奏した。


「エディスを離れて、どこか小さな家を買えないか探してみようか。人里から少し離れた方があまり人目を気にせずに済むかな」

 フラッシュの家は相当に住み心地が良かった。だから、シアンは自分もまた探してみようという気になったのだ。

 幸い、幻獣たちや精霊たちのお陰で資金は豊富にある。

『シアン、ぼくはシアンと一緒ならどこだって良いよ。厩舎でも構わない』

『ティオが飛んで来れる大きな庭があるところ!』

『きゅうちゃんの部屋もほしいです。別荘にします!』

 ニーナの村でも良いと言うティオに、リムがぴっと片方の前脚を挙げ、九尾も便乗する。

『大きい庭ってリムも大きくなれるくらい?』

 ティオが首を傾げる。

『それは大分大きすぎやしませんかねえ。まあ、家はこぢんまりして、庭は広いというのも良いかもしれませんが、手入れが大変そうですよね』

『みんなで遊べるところが良い!』

『シアンはどんな家が良いの?』

 意外と家に各々主張がある。聞いていて楽しく、知らず笑顔を浮かべていたシアンに、ティオが嘴を向ける。

「僕はそうだなあ、やっぱり料理と音楽がしたいから、厨房に大きめのオーブンがあって、冷蔵庫も置きたいな」

『ぼくも手伝いたいから、広い厨房が良い』

『ぼくも! ぼくもお手伝い、する!』

 ティオが言うのに同意し、リムは後ろ脚立ちして胸を張って、ふんすと鼻息を漏らしながら宣言する。

『きゅうちゃんも、料理のお手伝いしますよ』

『きゅうちゃんも?』

 聞き返したリムだけでなく、ティオも怪訝そうな顔つきになるが、シアンは九尾はわりと手伝ってくれていると思う。

『お手伝いをしていると、シアンちゃんは高確率で味見をさせてくれますからね』

『『味見! 美味しいものね!』』

 ティオはしみじみと、リムは弾む声で異口同音する。

 五感に優れた幻獣たちからしてみれば、出来上がり間近の料理の香りはえも言われない吸引力があるようで、そわそわする様を良く見せる。

 ちゃんと料理が出来上がってから、もしくは全員揃ってから食べなければならないとシアンが話したから、出来たかどうかの料理を我先に食べることはない。だからこそ、美味しそうな匂いを漂わせるのをまず真っ先に食べることができる味見は、魅惑のものなのだ。


『手下にも探してもらう!』

「幻獣のしもべ団の人たちにも? こんなこと、頼んで良いのかなあ?」

『世情に詳しく、あちこちへ行く彼らに頼むことこそ打ってつけなのでは?』

 九尾の言葉は確かに的を射ている。

『リムが大きくなった姿を見ているし、必要な庭の広さ加減も分かるんじゃない?』

「えっ⁈ やっぱり、大きいリムが入るサイズ?」


 そんな風にして幻獣たちが楽しく騒ぐから、シアンも追い出されるという意識はなかった。そも、いくら庭が広いからといって、楽器を演奏するなんて汗顔の至りである。出ていく前に、隣近所にはお詫びの品を持参しようと考える。

 フラッシュにも迷惑を掛けたと謝罪するも、笑い飛ばしてくれた。

「この辺りは工房が多い。だから、騒音なんて誰も気にしないんだがなあ」

 現実世界で職業柄、騒音には神経を使っていたシアンならではこその考え方で、それほど大きな問題ではないとフラッシュは慰めた。

 騒音を取りざたした近隣の新居住者は、後に、絶対に追い出してやる、と息巻いた相手がスタンビートで活躍したり、ワイバーン退治をした冒険者だと知り、青くなった。こういうことは初めにがつんとやってやると後々、ポジショニングで有利だと考えてのことだった。

 今まではうまくいってきたが、裏目に出た。冒険者が手土産を携えて近隣に謝罪と退去の挨拶に回ったことにより、仕出かしたことが広まった。冒険者は誰に言われたとは言わなかったが、こういうことは何故か知れ渡るものなのだった。



 最小の哺乳類トガリネズミはあまりに小さいので、体熱の放射が激しく、エネルギーを賄うために常に食わなければならない。いくら食べても足らず、起きている時間はずっと餌を探す為に奔走する。食べるためなら何でもする。相手が自分よりも大きかろうが構わず襲い掛かる。危険という認識もなく、何ら技術もなく、ただひたすらに食べるという本能に突き動かされるのだ。

 のたうつ蛇団員の彼もまた、短絡的かつ攻撃的で、何ら技能を持たず獲物とみなせば突っかかって行った。ヒュドラ退治の英雄、翼の冒険者にちょっかいをかけ、他の団員の怒りを買った。

 蛇は身を潜めて獲物の隙を伺い食らいつくものなのに、それができなかった。そんな蛇に成りすますことができなかったネズミの彼は、同じ団員の餌食となった。

 彼らにとって、はみ出し者の仲間意識は常に嫉妬と出し抜いてやろうという意識と同居しており、自分より下の者を見下す癖があった。

 そして、獲物に対して少しの斟酌をしないのと同様に、下の者に対しては人間扱いしない。

「ふうん、遅効性の毒か。こんなわずかな量で、結構な威力だな」

「これなら、あいつもひとたまりもないだろうさ」

「毒が回ってきた頃には俺たちはこの街から姿を消しているって寸法だ」

 自分を冷たく見下しながら、他の獲物をしとめる光景を想像して舌なめずりする団員たちを、徐々に力が抜けていく四肢を痙攣させながら、彼はぼんやり見上げていた。

 彼は蛇にはなれなかったものの、のたうつネズミにはなれた。それは彼が望んだものとは、到底かけ離れた姿ではあったけれど。



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