表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第三章
136/630

44. 黒衣の少女の確信/染色工7

 黒い室内はさざめいていた。

 黒ローブたちの囁き声はあちこちでさんざめき、大きく四隅の松明を揺らした。

 自信に満ちた、もしくは怒りに任せた、どちらにせよ騒々しい足音と共に入室してくるエディスの長を務める男は珍しく、ふわふわと夢見心地だった。

 どこかぼんやりした様子の男に、小声で話し合っていた者たちも徐々に静まる。

「同志、いかがなされました?」

「あ、ああ、みなも目にしたことだろうが、先日のドラゴンの件だ」

 最前列の黒ローブが声を掛けるのに、夢から覚めた風情で口ごもりながら話し出す。一旦始めると口が回り、熱を帯びる。

「ここにいる同志諸君は才能豊かな者たちだ。だから、感知した者もいるだろう。あの時、光の力を確かに感じた」

 ため息交じりの声が上がる。

「だがしかし、闇の力も感じた。これはいかなることか」

 戸惑いがざわめきを起こさせる。

「感知能力に長けた同志と私とで、懸命の探索を行った結果、ドラゴン二頭から闇の魔力を読み取った。幸いにして、グリフォンによって、彼らは滅せられた」

 ざわめきが更に大きくなる。どこか浮ついた、期待の籠った熱をはらむ。

「それで、私は一つの結論に達した」

 そこで言葉を切る。場はしんと静まった。

「あのグリフォンこそが、神託の御方ではないかという結論に!」

 わっと歓喜に包まれた。静謐を良しとする者たちには稀なことだった。

 男は場を沸き立たせることができ、満足げに笑った。

 やはり、自分はこのエディスの同志たちの頂点に立つに相応しい人物なのだと実感する。

 ある意味、彼の推測は正しいのだが、歪んでもいた。そして、これだけの人数が集まって、誰一人からも翼の冒険者へ直接問うてみようと言い出す者はいなかった。常に陰で暗躍している者の性である。

 事実を検証することなく、自分たちの見たいようにしか見ずに突き進むこの性質が、彼らの本質でもあった。

 そうでなければ、ドラゴンを押し退けたドラゴンの存在に言及しないはずもないし、言及しないことへの疑問の声が上がらないこともないだろう。

 そして、多くの目撃情報があるにも関わらず、彼らの中ではグリフォンこそが街を襲うドラゴンを退けたのだという共通認識を作り上げていくのだった。


「では、翼の冒険者は?」

「もちろん、グリフォン様のしもべであろう」

 男は鷹揚に言う。神託の御方に仕えるのだ。エディスの英雄と呼ばれるくらいどれほどのものであろうか。当然、そのレベルの者でなければ務まらない。

「そう言えば、巷で幻獣のしもべ団という結社ができたとか」

「何だと? それは、もしや……」

 幻獣のしもべ、というフレーズに嫌な予感を覚える。

「はい、翼の冒険者を支援する団体で、例の異類が混じった輩どもです」

 グリフォンに仕える者たちが件の得体の知れない一団だとは!

「由々しき問題ぞ! 神託の御方に仕えるのは我らこそ相応しい! 一万歩譲ったとして、神託を受ける程の存在だ、跪く者は多くいるだろう。しかし、公認の団体など、我ら貴光教を信ずるもの以外にあってはならぬ!」

 自分たちに先んじて仕えていたことも、貴光教でない者が仕えていたことすらも許せないという、何とも狭量な物言いだったが、集まった黒ローブたちからは賛同の声が上がる。

「同志たちよ、心せよ! そして、厚顔にも幻獣のしもべなどと僭称する者どもに掣肘を! 神託の御方の御為に!」

 そう言って、握った拳を逆側の肩に力強くぶつける。

「「「「「神託の御方の御為に!」」」」」

 唱和する黒ローブたちもまた、拳を肩に当てる。



 アリゼは黒ローブたちの端にいながら、やはりシアンは凄い人だったのだ、そんな存在に接触する役割を担うことができた幸運を噛み締めていた。

 思えば、翼の冒険者が現れてから、自分の運勢は好転したと思う。

 今では、組織の中でも得意分野の薬草絡みの任務に就いている。

 これも、きっとシアンのお陰だ。

 自分も頑張らなければ。そう励みに思った。

 シアンにはグリフォンどころかドラゴンまでもついている。

 それほどの力を持つことはできなくても、少しでも力量差が開くのを止めたい。

 力が欲しい。

 アリゼは心の底からそう願った。

 そのためには何でもする。

 まずはどうすべきかを考え始めた。



 ボリスは進退窮まっていた。

 翼の冒険者がドラゴンを撃退したことに浮かれて、神に感謝を捧げに行こう、などという職人たちの口車にまんまと乗せられてしまったことが悔やまれる。

「さあ、自分が正しいと言うのであれば、何ら問題はないはずです。一気にやってください」

 言いながら、先ほどまでにこやかだった工房の職人が険しい顔で盃を突き出す。中に入っている豆が乾いた音をたてる。

「まあ待て。あの役立たずのぼんくらの代わりはすぐに入れるからよ。人手が足りないのはほんの僅かな間だけだ」

「それまでに自分たちの体がもちません! 第一、登録されていない植物どころか、魔獣の素材を染料に使用するのは違法だ! どんな作用があるか分かったものではないのに、俺たち職人がどこまで生きられるのか、人体実験でもしているつもりなのですか!」

 そう激高する職人の肩を叩いた他の職人が、ボリスに作り笑いを向ける。

「いやあ、こいつもちょっとばかり腹を立てているだけです。親方はもう既にいっぺんは神明裁判で正しさを証明されたんでしょう? 今度も大丈夫ですって」

 怒り心頭の職人を宥めてはいるものの、神明裁判の豆をボリスに食べるように促してくる。

 じわりと背中に汗をかく。

 ボリスは杯の中の種を知っていた。平らな茶色っぽいやつだ。

 第一、生き延びたものの、あの時だって大変だったのだ。腹の中のものを全て吐き出しただけでも苦しかった。その後も胃の中がしくしく痛んだりむかむかした不快な感じが長く続いた。仕事はおろか食事もろくにできなかったのだ。

「お前ら、一体何だってんだ!」

 ボリスは低く唸りながら職人たちを睨みつける。


 互いが黙ると、祝いだ、祭りだ、神にお礼を、とはしゃぎまわっている街の人の明るい声が神殿の一室にも微かに届いて来る。立ち合いの聖教司はただ薄ら笑いの表情を張り付けたままで、全く頼りにならない。

「俺は工房を良くしようと思ってだなあ。今までのやり方でやっていたってジリ貧だろうが。職人なんてのはな、日々の研鑽が大切なんだよ。新しい試みに挑戦してこそだ!」

 ちょっとやそっと魔獣の素材から放出される成分を吸い込んだくらいで死んでしまうこともない。セレスタンが良い例だ。確かに青白い顔で具合が悪そうではあったが、くたばってはいない。奴が死んだのは神明裁判でだ。

「だからってあんな環境じゃあ、こっちが死んでしまいますよ!」

「でも、それはセレスタンの時で、俺が正しいと証明されたんだよ!」

 そうだ、苦しい思いをしたが、自分は生き残ったのだ。神に正しいと証明されたのは自分の方だ。

「そのセレスタンですよ。今は奴がやっていた仕事は全部こっちに回ってきているんだ! あんな異様な臭い、一日と持ちゃしない!」

 ボリスがこんな窮地に立たされたのは元徒弟であるセレスタンの所為である。あの根性なしの恩知らずがギルドに訴え出たことが発端だ。石工などという稼ぎの良い仕事を辛いからといって辞めた根性なしだ。自分の言い分は間違っていない。自分は間違っていないのだ。

「どいつもこいつも!」

 言いながら、ボリスは突き出された杯を乱暴に奪い取った。その拍子に種子が一つ零れ落ちる。


 ボリスは短気だった。

 しかし、小心でもあった。

 前回は相手がセレスタンだったから、神もこちらを与し給うたのかもしれない。

 そう思うと、中々口に放り込む踏ん切りがつかなかった。

「お前たちは食べないのか?」

 いじましく職人たちを見やるボリスに答えたのは聖教司だ。

「正式な神明裁判は疑わしき者、訴えられた者が食します。ギルドでは間違った手法で神明裁判を行ったのでしょう。何より、神に問うなら神殿で行わねばならぬこと」

 嘆かわしいことです、と聖教司が眉を顰める。

 一縷の望みも絶たれ、しょう事無しにボリスは杯を口に持って行って傾ける。それでも最後のあがきとばかりに、ちびりちびりと口の中に入れてはかみ砕く。

 それが仇となった。

 この豆は、他の毒の解毒剤として利用されることもある毒性を持つ。

 一気に飲み下せば、胃が刺激され豆を吐き出し、生き延びることも可能だ。しかし、少しずつかみ砕き、吸収されてしまえば死に至る。

 問題が起きれば被害者が舞台を退場してから改善される。被害者の声は退場後にしか受け入れられないのだ。

 ただ、ボリスはセレスタンの命を奪ったのと同じ豆で死を迎えた。

 その巡り合わせが、神の思し召しと言うのならば、そうなのかもしれない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ