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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第三章
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34.軽やかな価値観/杞憂 ~吸い過ぎ注意!~

 更に移動を重ね、オラスから聞いたドラゴン発見地域にほど近いセーフティエリアで夕食を摂る。

 今日はまだ早い時間だが、シアンは夕食後にログアウトする予定だ。ティオとリムは狩りに出かけて行った。

 水戻しが不要のレンティル豆を使用したスープを明日の朝の分と合わせて沢山作っておく。

 皮を剥いたジャガイモ、ニンジン、セロリ、玉ねぎや長ネギ、パセリを切る。

 玉ねぎはベーコンとソーセージとで鍋で先に炒めておく。

 他の野菜とレンティル豆を水から煮る。煮込んだ後、塩コショウで味をつけたらできあがりだ。


 煮ている間に他の料理に取り掛かる。

 シアンがスープを作っている間、九尾がミンサーにかけてくれていた挽肉を使ってパン粉と卵で肉団子を作る。

『この過程はきゅうちゃんは流石に手伝えないですねえ。毛が肉団子に入っちゃうと大変です』

「あれ? ああ、そうか、きゅうちゃんは知らなかったんだ。リムは料理をする時、英知にフェルナン湖に入った時のように空気の膜を全身に張ってもらっているよ。きゅうちゃんが言う通り、ひき肉をこねる時なんか、毛が入ったり、前足が汚れちゃって大変だものね」

『シアンちゃんたちの精霊王の力の使い方は本当に平和的ですなあ』

 しみじみ言う声音には馬鹿にしたり呆れた色はなく、感心しきりである。

「そう? でも、美味しいものを食べてみんな喜んでくれるし、いいんじゃないかな」

『もちろんですとも。衛生問題もクリアできるし、言うことなしですよ。ただ、シアンちゃんは大きな力を手に入れたんだから、使ってみたいとか思わないですか? ほら、嫌なことを言ってくるやつや調子に乗っているやつをちょちょいのちょいと黙らせたりとか』

 思いも寄らない言葉に、シアンは玉ねぎ、オイルサーディン、ケッパーのみじん切りを加えたひき肉をこねる手を止めて九尾を見やる。

「そんなことをしてどうするの?」

『へ? いえ、どうすると言われればどうもしないというか、気持ちがすっきりしますよね。ざまあ見ろ、という感じです』

「ああ」

 相槌はしかし、九尾の言わんとしたことがようやく分かった、という風情だ。


 九尾に鍋に湯を沸かして塩を入れてくれるよう頼み、タネを団子状に丸めながら首を傾げる。

「確かに、嫌なことを言われると嫌な気持になるよね。ただ、それはこちらが譲歩したり変えたりする必要がないものだと思ったら、放っておくしかないんじゃないかな。大抵、色々言う人たちは自分たちの人生で培った考え方で、自分たちの見方で、僕の一面だけを見てそうしてくるんだと思う。でも、僕には僕の色んな事情があったり、過程やそれこそ歴史があったりするわけだから、その見方が当てはまるかと言えば必ずしもそうではないことがあるよね」

 九尾は首肯する。

 沸騰した湯に団子を入れながらシアンは続ける。

「だから、放っておくんだよ。彼らはどうしたって好きなことを言うんだから。それが見当違いのことでもね。逆に、彼らがどうしてそう言うのかは、僕には計り知れないもの。もちろん、向こうから対話を求めてくるのだったら話してみるよ。そして、きちんと意思疎通ができて、分かり会えたら素晴らしいことだよね。全て理解できなかったとしても、新しい考え方や価値観を知る機会かもしれないしね」

 言いながら、シアンは浮いて来た肉団子をザルにあける。

 別の鍋に薄力粉とバターを炒める。肉団子の煮汁、オイルサーディンのみじん切り、ホースラディッシュ、レモン汁を加えてソースの完成である。そのソースに肉団子を入れて煮立たせ、パセリとケッパーを散らす。


「そりゃあね、痛い思いをした方が思い知らされることもあるんだろうけれど、そのために示威行為をする必要もないんだよ」

『でも、その示威行為をしなければ引かない相手もいますよ』

「そうだねえ。その場合は英知たちに頼ろうか」

 言いながら、シアンはティオたちの狩りの獲物を焼くタレを作り出す。そろそろ戻ってくる頃だろう。煮込んでいるスープの豆も柔らかくなってきている。

「まあ、僕には威嚇なんて、リムのあの可愛いやつで十分だよ」

『リムが威嚇してきたらどうしますか?』

 九尾が悪戯っぽく目を光らせながら聞く。

「そうだなあ。口の中に肉団子でも放り込んでみるかな」

 その後、帰ってきたティオとリムの口の中に、味見と称してソース煮の肉団子を放り込んだ。

 世界最強種のドラゴンはご満悦で咀嚼していた。



 夕方早めに野営を行い、シアンはログアウトした。

 絡んできたNPCパーティたちと遭遇した場所から、相当の距離を稼いだが、念を入れてティオは周辺の見回りに出かけていった。。

 リムはログアウトしたシアンのアバター保全システムによって、同じテント内に入ることはできないが、近寄ることができるギリギリの場所で丸くなった。

 なお、宿屋などの室内でログアウトした場合、部屋に入れるかどうかくらいの範囲で近寄れなくなるが、野外であればテント内に限られる。

 セーフティエリアにテントが沢山並んだ際の措置だろう、とプレイヤー間では言われている。

 朝に合わせてログインしたシアンがテントを出ると、リムを囲むようにして、九尾とティオが横たわっていた。

 ベイルが見たら欣喜雀躍しそうな光景だ。

 朝方の気温はまだ低い。暖かく柔らかそうな毛並みをしばし眺め、誘惑に駆られて近寄る。細長い体を丸めるリムをそっと抱き上げると、リムは目を覚ました様子で小さく鳴く。

「……キュア」

「ごめんね、起こして。でも、もう少しだけ、一緒に寝よう」

 くあ、とあくびをするリムを膝の上に置き、横寝するティオの腹に上半身を乗せる。予想していた通り、ティオはとっくに目を覚ましており、シアンを見て目を細め、喉を鳴らした。九尾がもそもそと動き、伸ばしたシアンの脛を枕代わりにする。

 シアンはしばらくそうやって幻獣たちの極上の毛並みを堪能した。


 昨日のスープを温め、冷蔵庫の備蓄で朝食を済ませ、出発する。

 右手に続く森の木々が徐々に種を異にしてくる。街道沿いに飛んでいたが、大きく左にカーブして続くそれから逸れる。ティオは朝もやの中、黒く鎮座する木立の間に入った。下には湖があった。

 水の中に鈍色の木肌の高い木が生えている。

「あれ、根が見えているね」

 水面から根が見え、その上に細く長く幹が天へ向けて伸びている。

『根が変形した呼吸根だよ。その名の通り、幹の周りに呼吸のために出てきたんだ』

『箒みたい!』

『あんなに大量の箒! 掃除に事欠きませんね』

 風の精霊の説明に、リムが歓声を上げ、九尾がそれに反応する。

 シアンはふと、立ち並ぶ木々のうち、右手前方の一本が妙に気になり、凝視した。

 と、根がうねり、幹が持ち上がり始めた。

「呼吸根って動くものなの?

『あれは樹木型の魔獣だね』

 無数の蛇が幹を持ち上げているようにも見える。

『よく絡まりませんなあ』

 九尾が妙な感心の仕方をする。

「攻撃してきそう?」

 ティオが高度を取ることもなく、そのまま脇をすり抜けようとするので、半ば答えを確信しながらも、一応尋ねる。

『敵意はなさそうだよ』

『震えている!』

『ティオに怯えるのなら、いっそ普通の木の振りを貫けばよいものを』

 リムにはあの動きの機微が分かるのか。そして、九尾は身も蓋もないことを言う。

 日が徐々に高くなるにつれ、幹を青白く照らし始める。折り重なった葉を外側からの光がほんのり輝かせ、地上に見える根の不思議な外観と相まって、幻想的な雰囲気を醸している。

「綺麗だね」

 ため息交じりに呟くと、ティオが飛翔速度を落としてくれる。並行して飛ぶリムも合わせる。


 シアンは周囲の景色に見とれていて、水面に影が滲んだことに気づかなかった。

 影はゆらゆらと揺れる。

 突然、水面から鰐が体を縦にして垂直に飛び出てくる。水しぶきを散らしながら、深い切込みの口を開け、今まさにリムに食いつこうとする。リムの小さな体など一呑みにできそうだ。水上を飛行するリムの陰から食いつきやすいと思ったのだろうか。

 シアンなどは咄嗟に身を固めることしかできなかったが、リムは難なく避け、つい、と高度を取る。

 そこへ狙いすましたようにもう一頭の鰐が飛び出してくる。

 大きく開く口、その鋭い牙、舞い上がる水滴、左右に大きく揺れる体。前足二本が見え、まさかと思う間もなく次に後ろ足二本も水面から出てくる。どんどん体が水面から持ち上がってくる。尾が激しく動く。

『あの尾の動きで水面を跳ねあがっているね』

 風の精霊が冷静に分析するが、シアンはそれどころではない。

 高度を上げたリムにまで口先の高さが達しているのだ。

 鰐の巨体がさらに伸び上がる。隙間なく生えた鋭い歯が陽の光を弾く。内側へやや歪曲した歯がリムの白くて柔らかい体を突き刺し、翼をくしゃくしゃに噛み千切る、そんな光景が脳裏をよぎる。


『シアン、大丈夫?』

 ティオが長い首を曲げて気づかわし気声を掛けてくるものの、言っている内容は頭に入ってこなかった。

 シアンは安全な場所で身を固くして、見ているしかなかった。

 リムの名を呼ぶこともできず、ただ、口を開閉する。喉の奥が渇いて張り付いて、空気の出入りすら忘れていた。


「キュア!」

 すい、と燕のように滑らかで素早い速度で急旋回して、死の顎から逃れ、鰐の喉元に潜り込んで前脚の爪で横薙ぎし、すり抜け様に後ろ足で止めの一撃とばかりに蹴りつけた。

 飛んでいる速度が速く、ほぼ同時に繰り出した二回の攻撃は、軽々と鰐を吹き飛ばした。

 水面を二度三度跳ね、四度目の着地でようやくその巨体は水底に沈み始める。水面に点々と赤い血が散り、身体が沈んだ後の場所からはじわりと赤い筋が立ち上ってくる。と、その周囲に水流が起こり、水面に泡がいくつもできる。血の量が増える。

「キュァア!」

 リムがひときわ高く鳴くと、頭上が急に陰り、曇天から一筋の光の槍が落ちた。迅雷が耳をつんざく。シアンは思わず息を飲んで肩を揺らした。

 水面に雷が落ちた後、すぐに雲は散り、明るさが戻る。


「キュア~」

 シアンの名を呼びながらリムがやって来る。その背後の水面には何頭かの鰐が腹を上にして浮かび上がっていた。明らかに感電死である。

『シアン?』

 リムが間近で見上げてきても、シアンはまだ声が出ず、ただリムを見つめていた。

 真っ青の顔色のシアンにリムが不思議そうに見る。声を掛けてもらえないことに、徐々に不安そうになっている。

『シアンちゃん、深呼吸して。ほら、息を吸って、吐いて、吸って、吸って、吸って』

 九尾もまた、ティオの背の上で振り向きながら言う。ニーナに初めて会った時も言っていたセリフだ。

「きゅうちゃん、それじゃあ息を吸い過ぎて過呼吸になるよ」

 苦笑すると、おや、そうでしたかな、ととぼける。

「ありがとう、もう大丈夫だよ」

 苦くとも笑えるようになったシアンに九尾は一つ頷いた。顔色も大分血の気が戻ってきた。


『シアン、どうしたの?』

 リムに手を差し伸べると、いつもの勢いはなく、そろそろと腕を伝う。そちらの方がよりくすぐったい。

「リムが食べられるんじゃないかと、噛みつかれるんじゃないかと思ったんだよ」

『大丈夫だよ!』

 元気よく答えるリムにシアンはようよう笑顔を見せることができた。

「そうだね、でも、急に鰐が飛び出てきたから、しかも、あんなに高く迄飛び上がれるなんて思わなかったから、そう、心配したんだよ」

『シアン、心配しちゃったの?』

 リムがへの字口を急角度にして、そっとシアンの顎と頬の間に前足を掛ける。一本一本の細い指を感じる。この小さい一本でも食いちぎられていたら、シアンは気が狂わんばかりになっていたと思う。

 ティオの翼と同じだ。グリフォンの鉤爪が稀有な素材としてどれほど高価だとしても、売り飛ばす気にならないのと同様だ。

「うん、久々に強制ログアウトしそうになった」

 リムが驚いて目を見開く。

『シアン、異界の眠りに入っちゃうところだったの?』

「うん、でも、もう大丈夫だよ」

 シアンは顔をゆがませるリムの頭を優しく撫でた。その手に力を込めてリムが顔をこすり付ける。

『まだ眠らない?』

「大丈夫だよ」



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