33.付き纏う過去 ~がおー!/捨て身の思いやり~
セーフティエリアで休憩している際、ティオとリムがシアンの近くに寄って来た。
『シアン、誰かがこちらに来る』
『人間四人だよ』
「そう、教えてくれてありがとう」
しばらくシアンの傍らにいて、セーフティエリアを出る。
流石にシアンにもそれが何を意味するのか分かった。こちらに害意を持つものが近づいているということだ。九尾はシアンの傍に残った。風の精霊もシアンの近くに佇み、静観の構えだ。
森に沿うようにして河が流れ、そこに隣接する街道のすぐ傍だった。森の逆側には草原が広がっている。
足音がして、大きく曲がった木立の向こうから歩いて来る人影をシアンも見た。
「よう、久しぶりだな」
ゲームを始めた頃に街の外へ初めて出た際、同行したNPCパーティの剣士だ。
その声の掛け方は、以前と全く変わらなかった。
以前は熱意溢れていたが、今は精悍な顔つきというよりはやや頬がこけている。落ちくぼんだ目だけがギラギラしていて、何かにとりつかれているかのようだった。
女性陣は無口なものの、小動物に見えるリムにはしゃいでいたし、魔法職の男性はのんびりと眠た気だったが、三人とも剣士と同じく痩せ気味のせいか目だけが大きくぎょろぎょろ動いて油断なくシアンたちを見つめてくる。荒んだ雰囲気を漂わせていた。
鎧はひしゃげてローブの裾は大きく裂けている。
「なぜここへ?」
「ドラゴンが出たって冒険者ギルドで依頼を受けたんだろう?」
「まさか、その発見者は貴方たちだと?」
「いや、俺たちは発見者がギルドに駆け込んできた場に居合わせただけだ。ギルドで報告した後の奴に声を掛けて酒を奢ってやったら色々教えてくれた。その後、すぐさま現場へ向かったってわけさ。何しろ、翼の冒険者様と違って、俺たちには翼はないからなあ」
以前、彼らは首無し実験をする研究者に唆されて、亡くなったリーダーを生き返らせるためにティオの翼を寄こせと絡んできたことがある。
その後、何かとシアンの周辺に出没し、エディスでは色々噂を集めていると聞いている。マウロにも注意を促されことがある。
「こいつは翼の冒険者にまず話を持っていくだろうとあたりをつけて、すぐさま街を出たっていうのに、頭の上を軽々と飛んで行くのを見た時は焦ったぜ。それでも、何とか追い付いた」
言って、乾いた唇を舐める。
休憩のためにセーフティエリア付近で高度を落とした際、姿が見えるようになったところを、ちょうど目撃されたのだろう。
ティオは空を行く際、闇の精霊の力によって人目につかない。ただし、離着陸の際には姿を現す。街の出入り口やセーフティエリアに忽然と姿を現しては驚かれるからだ。急にグリフォンが現れたら単純に驚くということと、それほど高度な隠ぺい能力があると要らぬ警戒を抱かれる可能性が高いからだ。ただでさえ気配を殺すことに長けているグリフォンが高度な隠ぺいを行えばとんでもない脅威となる。
「いいよなあ、空を悠々飛べて。なあ、どんな気持ちなんだ? リーダーを見殺しにして残した翼で、得た二つ名は? 無欲そうな面をしておきながら、ちゃっかりしてんなあ!」
ティオの低い唸り声や眼光をものともせずに、シアンに因縁をつけることができるのはいっそ見上げたものだ。
『もう行きましょう。ティオもリムも構うんじゃありませんよ。言い掛かりを気にする必要はありません。誰かのせいにしなければ気が済まないのですよ。絶対に何かをさせてやるとむきになる人間に構うだけ無駄です』
九尾が淡々と言う。しかし、残念なことに九尾の言葉をNPCパーティたちは拾うことができない。
「なあ、何とか言えよ! 小狡い翼の冒険者さんよお!」
九尾の勧めに従って、シアンは無言で荷物を纏める。立ち去る様子を見せるシアンに近寄ろうとして、ティオに阻まれる。セーフティエリアには入ること叶わず、なおも言い募る。
「このグリフォンはあんたの言うことは聞くんだろう? なら、翼をくれるように言ってくれたって良かっただろう。死ぬほどのことではないんだから!」
アダレードで起きたある事件の際、死ぬより大変なことなんてない、彼らはそう繰り返し、うさん臭い実験に用いる素材としてティオの生きる証とも言える翼を寄こせと迫った。シアンがどれほど拒絶しても、今のように執拗に要求した。
人の死という圧倒的な出来事を盾に無理難題を通そうとする。九尾の言う通り、関わらない方が良い。シアンは何を言われても無言を貫いた。
第一、シアン自身も腕を失ったことがある。一時的とはいえ、その時の喪失感は大きかった。そして、シアンだけでなく、ティオにもリムにも相当な心的重圧をかけた。
『おや、小賢しい。あのうるさいのは陽動で、他の輩が近づこうとしていますよ』
九尾の警告に、片付けを続けながらそっと頭を動かしてみる。視界の端に他のパーティーメンバーがじりじりと移動し、河べり近くから回り込もうとしていた。しかし、幻獣たちはそちらを牽制しようとはしない。
『残念、そちらは危ないですよ』
「きゃっ!」
「な、なんだ⁈」
九尾は既に察知していた。女性二人と魔法職の男の悲鳴が上がる。
見れば、河から魚型の魔獣が這いあがり、三人に飛びついて牙ともいえる尖った無数の歯でかじりついている。丈夫なブーツの上から噛み千切らんばかりで、三人は懸命に脚を振ったり、杖の先でつつき剥がそうとしている。
「くそっ、あんな魔獣を用意していやがったのか!」
もはや、カラスが黒いのもシアンの仕業だと言い兼ねない態である。
「魚じゃないの? どうして地上に出ているんだろう?」
そして、相変わらずシアンは着眼点が変わっている。
『あれは鰓の部分に特殊な呼吸器官を持つ異類だ。この器官のお陰で陸上でも呼吸ができるため、湿った地面の上などを移動することができる』
他の者が襲われていることに関心を示さず、シアンの疑問に、風の精霊が淡々と答える。
『シアン、行こう』
ティオが悠々と近寄ってくる。リムがつい、と弧を描き飛んできて、シアンの肩に乗る。
ティオの牽制から逃れた剣士が仲間とシアンを見比べ、最終的には助けに行くことにしたようで、三人に駆け寄る。頑丈な顎を持っている魚を引き剥がすのに苦労している。
シアンはティオの促しに従ってその背に跨る。
「あっ、狡いぞ! 待てよ! 逃げるな、卑怯者!」
後ろで喚く声に構わず、ティオは空へ飛びあがる。
シアンは口の中に苦いものを感じる。
「貴光教に謂れのないことを言われて、魔族もこんな気持ちになるのかなあ」
『まさしくそうでしょうね。関係ないこともこじつける、あの口の減らなさは手が付けられません』
してみれば、貴光教もまた躍起になって魔族を打ち据えねば気が収まらないのかもしれない。無実の者を打ち据えて収まる気など慮りようもない。
しばらく街道は河と遠ざかったり近寄ったりしながら続いている。
次のセーフティエリアで中断された休憩の続きを取る。また河が近いが、セーフティエリアへは害意がある者は入っては来れない。
シアンは短時間ログアウトをした後、身を起こすと、河の水の中を覗き込んでいるリムの背中が見える。ゆらゆらと長い尾が揺れている。
セーフティエリアの端まで近寄って眺めていると、リムがおもむろに後ろ脚立ちし、水面に向かって両前脚を挙げて見せた。五指をぱっと開く。
『がおー!』
シアンの脳裡にリムの可愛い雄たけびがこだまする。
「……リム? それは何?」
『威嚇! 両脚を上げながらがおーって言うんだって』
起きてきたシアンに嬉し気に振り向く。そして、万歳するように両前脚を挙げ、口を開いて見せる。
「きゅうちゃん?」
シアンはすぐ近くで事の成り行きを眺めていた九尾に視線をやる。
『でも、ほら、逃げていきますよ!』
九尾が示す方は確かに逃げていく魚影がある。だがしかし。
『威嚇成功!』
リムが喜ぶ。
いつぞやのトリスの市場でテイマーに威嚇した時の方がよほどそれらしかった。
「きゅうちゃん、リムで遊ばないでね?」
『何のことですか?』
とぼけつつも、視線をさ迷わす。
「稀輝や深遠に不快に思われるよ?」
ティオも黙っていない。いや、無言かもしれないが、何らかの意思表示を起こすだろう。
『すみませんでした』
深々と頭を下げる。
そんな九尾を他所に、あれは水中に住む魔獣の一種だと風の精霊が教えてくれた。
『目の中央に水平な不透明の仕切りがあり、一個の眼球に半円状の二つの目があるように見え、それがそれぞれ左右にある。一個の眼球にレンズは一個しかないが、網膜は上下二か所に分かれてあり、水中と水面上を同時に見ることができる。より広範囲を同時に見ることができ、餌や外敵をいち早く見つけることができる』
「その割にリムが声を上げるまでは気づかなかったみたいだけれど」
『隠ぺいしていたの!』
消失と同じ効果がある隠ぺいのことだ。それは気づかないだろう。そして、急に現われて両前足を上げてみせたのだ。驚いて逃げるのも当然だ。
「リム、狩りでもないのに驚かせるのは可哀想だよ」
『うん、ごめんね、シアン。ぼくもシアンが急にびっくりさせられて、眠っちゃったら嫌だもの!』
自分がされて嫌、ではなく、シアンがされた結果傷ついたり強制ログアウトしたら嫌だ、という図式が出来上がってしまったが、リムはドラゴンだ。多少のことは平気なので、シアン基準で考え、他者に接してくれるくらいが丁度良いのかもしれない。
『九尾が変なことを教えるから』
そして、やはり九尾はティオに制裁を食らっていた。
『きゅ~っ!』
「きゅうちゃん、僕の気持ちを切り変えようとしてくれるのは嬉しいけれど、捨て身過ぎるよ」
『はい』
涙目になりながら尾を前足で顔の前へ持ってきて息を吹きかけている。
もはやどこもかしこもおかしな点ばかりだ。
「がおー、か。ふふ。あんなに可愛く威嚇するドラゴンってあまりいないんじゃないかなあ」
リムの姿を思い出してシアンが笑う。
その様子に九尾は口の両端を吊り上げた。




