31.幻獣のしもべ団3
それに気づいてしまえば、何故こんな近くまで接近されるまで分からなかったのか、と思わずにはいられなかった。平べったい節が無数に連なった長い体、その節ごとに対の長細い足を波打つように動かしている。
巨大な節足動物だった。全長は四メートルを超える。
頭部には一対の触角があり、うねうねと蠢いている。風向きにも反応することから、臭いをそれで感知しているのかもしれない。細長い体をくねらせると鋭い足も動く。思わず背筋に何かが這いあがる心地になる。
その非人型異類からは強烈に何らかの違和感を感じる。嫌悪感にも似たそれはともすれば吐き気を催す程のものだ。
頭部は赤、胴体は臙脂色、節目の関節の色は鮮やかな朱色で、脚の色は先が黒い。非常に派手な体色は動物界での鉄則、毒を有していることを危惧させる。
そして、非常に動きが敏捷で、しもべ団員もその動きについて行くことができない。
体を折り曲げて顔を持ち上げ威嚇し、鋭く突き出た牙の他、楕円に開いた口に三重にびっしり三角錐を成す細かくも鋭利な歯が並んでいる。そこをたらりと粘液の塊が滑り落ちていく。
「速すぎる! 僕たちは体内に取り込まないと異能を奪えない。相性が悪すぎる!」
ロイクが悲鳴じみた声を上げる。歯が立たない非人型異類を前にしてパニックを起こしている。
「動きが早いやつが有利なのは誰でも一緒だ。溜めてきた手持ちの異能で戦え!」
マウロの言葉にぐっと詰まるが、すぐに思案を巡らせる。
ゾエ村の異類たちもあまりに早い動きに攻めあぐねている。
観測者になりたてのクロティルドがまごついており、そのフォローにエヴラールたちが防戦一方となっている。それでも、何とか持たせている辺り、相当な手練れと言うべきか。
体表も相当硬く、アメデの剣を硬い音をたてて弾いていた。ともすれば、衝撃に、アメデの方が握った剣を取り落としそうになっていた程だ。
「何とかして、体節の間を狙うしかないな」
「あんな素早いのをどうやって!」
「げっ、触角から飛んできた光が岩を溶かしたぞ!」
「お前ら固まるな、散れ!」
マウロの言葉にぶつかりそうになりながらも、やや距離を取ろうとする。
非人型異類が身をくねらせた拍子に大ぶりの石が弾き飛ばされ、ロイクの方へと飛んでくる。それを避けようとしたため、大きく体勢を崩す。
「ロイク!」
尻もちをつきそうになったロイクにアメデが駆け寄る。
そこへ巨大百足が鎌首のように体の一部をもたげた。触手が蠢き、突き出た顎から伸びた牙ががちがちと打ち合わされる。その度に火花が散る。
『助けて!』
甲高い悲鳴に、百足が雷に打たれたように大きく体を震わせ、一旦静止する。
と、凄まじい速さで複数の足を動かして声の方へ移動する。
「な、なんだ⁈」
「きゃっ!」
短い声がしたかと思うと、リリトが身を投げ出して地に伏していた。そのすぐ近くには百足が長い体をくねらせている。そして、傍らに大きなネズミがいた。
リリトは振り返るよりも立ち上がるよりも先に、隠ぺいの能力を行使した。リリトの能力が凄いところは姿を隠したまま動くことができることだ。ただ、姿が見えなくても、気配を察知されやすい。それでも、至近距離に近づかれた今この時は姿を隠してから逃げた方が良いと判断したのだろう。
そしてその優れた隠ぺい能力で自分たち幻獣のしもべ団を救ってもくれた。
リリトが巨大ネズミもどきを捕まえてくれなければ、しもべ団は半壊していただろう。それほど歯が立たない相手だった。
『ダ、ダイジョウブ』
驚いたことに、片言とはいえ、巨大百足の言葉はマウロたちにも理解できた。そして、それに答える巨大ネズミはもっと滑らかな音声で伝わってきた。
『もう、あんたが手間取っているから! それに、気配察知は得意なんだろう? 僕が捕まる前に気づいてよね!』
『ゴメン』
『僕、先に逃げるから、追いかけてこないようにしてよ!』
言うが早いか、返答を待たずに巨大ネズミは逃げ去った。
百足はその後を追わせまいと幻獣のしもべ団たちを睥睨する。
「あんた、話せたのか。いいのか、あれ。あんたを捨て駒にしていったけれど」
『カマワナイ。イギョウダトイワレ、ダレモチカヨラナイワタシトトモニイテクレルノダカラ。アレハ、ワタシノチカラニエイキョウヲウケナイ、マレナソンザイ』
異形と言われて忌避されていたところへ先ほどのネズミのような異類が現れ、しかもこの百足に似た異類の異能をものともしなかった、ということか。もしかすると、それこそがネズミに似た異類の異能なのかもしれない。
「そうか。俺たちはあいつを追わない。でも、あんたは追いかけた方が良いんじゃないか? 他の奴に襲われんとも限らんぜ」
百足のような異類はマウロの言葉を信用できるかどうか、探るように触角を動かしながら、顎を打ち鳴らす。
「そら、行けよ。稀な存在なんだろう。失ったらどうする」
一瞬の躊躇の後、身を翻して幾つもの山を作るように、滑るように去って行った。
マウロたち幻獣のしもべ団も異類を擁し、中には異類だからと嫌がられる場面も今後、出てくるだろう。大いに考えさせられるところだ。
一概に哀れだとか愚かだとかは言えない。ある意味、健気であったし、滑稽で呆れもあった。でも、高知能と自我を持つ生物として孤独に生きていくことはそれほどに恐怖を感じるものなのかもしれない。マウロの目にはあの非人型異類は怯えている風に映った。
大百足と戦った際、クロティルドのフォローをエヴラールがしていた。
彼は遠距離の獲物をいち早く見つけることを得意とするものの、近距離の獲物の動きを捉えることもできる。
戦闘が終わった後、クロティルドは助けられたことへの礼を言おうと口を開いたが、夫ガエルが無言でエヴラールの頭に手を置き、エヴラールがそれに笑顔で答える様子に、唇を引き結ぶ。
後に、こっそり礼を言うことができなかったとロラにこぼした。
慰めるロラに、自分がエヴラールに助けられたことに腹を立てているのではなく、礼すらも言えない自分に腹が立つのだと言う。胸を張って礼を言えるようになるために頑張ると唇を噛んだ。
ロラがそれをガエルに伝えると、ガエルは笑った。
「結構根性あるだろう、妻は」
と自慢気である。
「あら、のろけられちゃったわ。ごちそうさま」
野営の時、寝袋にくるまりながら、隣のクロティルドが急に小声で叫んだ。
「でもやっぱり気に入らない!」
同じテントの中にいたリリトはきょとんとしていたが、ロラは苦笑した。
彼女の気の強い一面が良い方向に作用することを願うばかりである。
ロラは翌日、朝食時に何とはなしにアシルに話した。
ロラは世間話程度の、いわばささやかな夫婦喧嘩の愚痴を聞かされたつもりで話した。けれど、アシルは何だかなあ、とため息をつく。
手前味噌ながら、あちこち旅してきただけあって視野が広いつもりだ。幻獣のしもべ団に入り、旅をするようになってからまだ日が浅い狭いゾエ村の同胞は視野が狭い。いきなり旅に放り出されてすぐに価値観を変えられるものではないが、村のバディ制度は特殊で、他の者たちにはどうでも良いことなのだと知っている。
むろん、アシルにとってもバディは大切だ。自分が旅に出ず、村に残っていたらベルナルダンはもっと早くに相棒を得ていたかもしれない。そんなことを言うと怒られかねないから言ったことはない。
そんなアシルからしてみれば、生死を分かつ瞬間に夫婦の感情とか余計なものを持ち込まないでほしいのだ。それは自分の考えで、他の者の考えとは違うということを知っている。そして、アシルはそれを知っているが、クロティルドは分かっていない。夫婦だからそうして当たり前だと思っているのだ。そんな料簡では先が思いやられる。そして、それで良しとしているガエルやロラにも不安が募る。
アシルはため息をもう一度ついて、グェンダルに話しておくことにした。彼が一人で動くか更にその上の立場の人間、マウロが動くかはわからないが、手は打ってくれるだろう。
「こういったことを疎かにしていると後々組織はうまく回らなくなるからな」
もしうっちゃって置くようなら、それはその程度の組織に過ぎないということだ。
「お手並み拝見、というところだな」
上の人間は常に部下に力量を測られているものなのだ。