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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第三章
120/630

28.漂泊の薬師、貴光教と接触する/ディーノの事情/魔道具親方の寡婦4

 カレンは久々に腹がくちくなり、周囲をよく見渡す余裕も出来た。うるさく歩きにくい市も、活気ある賑わいだと寛容になれる。腹の底がひりつく空腹を感じずに済むということはとても気分が良いものだ。

 様々なものが陳列される店先で足を止め、ざるに盛られた薬草の一つを手に取って見る。

「そいつは熱さましになるよ」

 店番をする中年の女が太い腕を組みながら言う。

「根はないの?」

「根? そんなもの、何の役にも立ちゃしないさ! 売り物にならないものをわざわざ並べないよ」

 カレンは露天販売をする女の無知を鼻で笑う。

 自分の無知を棚に上げてむっとした顔つきになって、買わないなら返せと薬草をひったくる。

 これだから、もの知らずは度し難いのだ。

「あの薬草の根は強い強壮剤となります」

 カレンは自分の心を読み取られたのか、と驚き、足を止める。

 振り向くと、そこにはくるぶしまである貫頭衣を着た聖教司の若い男が立っていた。高い鼻に理知的な瞳を持つ、中々に美しい容貌だった。カレンの一族には比べるべくもないが、人間としてはまずまずだろう。

「その服装、どの神殿の聖教司かしら」

「これは失礼。私は貴光教の聖教司でジェフと申します。貴女が随分薬草にお詳しいようですので、つい声を掛けてしまいました」

「あら、貴方も詳しいようね」

 カレンはジェフと対峙する。ようやく、自分の知識を認め、また、それだけの知能を持つ人間と出会うことができた。平静を保ちつつ、この先の展開に期待に胸を膨らませる。

「よろしければ、一緒に市を回りませんか? ぜひ貴女の教えを乞いたいのです」

「情報も立派な価値があるのよ」

 無料でしかも簡単に何でも教えてもらえると思うのは無知な人間の最たるものだ。

「仰る通りです。いやはや、お若いのに気丈夫だ。もちろん、謝礼はさせていただきます」

 太っ腹かつ慇懃な様子に、カレンは鷹揚に頷いた。

 薬草に詳しい見ず知らずの者を持ち上げる人間を、疑ってかかるほどの世間ずれはしていた。けれど、自分の矜持とする分野への称賛という甘い誘惑を断ち切ることができなかった。渇望したものをようやく得られたのだ。少しばかりの不都合があっても構わない。

 何らかを高額で売り付けられようとでもすれば逃げれば良い。それほど魔力も腕力もなさそうだし、そもそも、人間風情に後れを取ることもない。



「おい、あんた、カレンだっけか。こんなところに何の用があるんだ?」

 神殿から出て来たカレンに声を掛けてきたのは以前、取引をしたことがあるディーノという名前の魔族だった。

 魔族は特徴的な容貌ですぐにそれと知れる。

 そして、忌々しくも、カレンたち一族よりも魔力量を持つ唯一の民族だった。「エルフが魔族に勝っているのは容姿、だが、その外見すらも魔族は追い越しかねない」などというふざけた言葉がある。しかし、そんな戯言は実際にエルフを見たことがないから言えるのだ。

「あら、貴方に関係があるのかしら」

 つん、と顎を逸らしてみせたが、ディーノは食い下がる。

「以前、食事をご馳走しただろう?」

「それは取引に対する正当な報酬よ」

 そんなことくらいでは自分を下せるほど安くはない。しかし、あの困窮した時に救いとなったのは確かなことだった。

「ちょっと用があっただけよ」

「ここに?」

 ディーノが眉をしかめる。魔族からしてみれば、自分たちを何かと非難する貴光教とは反りが合わないだろう。

「そうよ。悪い?」

「仕事か? なら、俺がまた取引するから、あまり貴光教とは関わらない方が良いぜ」

 それが憐れまれているように聞こえて、カレンはディーノを見据えた。

「ご覧なさいな。火災で焼け落ちて、それでも神を信じる心を失わないのよ、彼らは。そんな彼らに救いの手を差し伸べることが何故いけないの?」

 貴光教の神殿は以前の美しい姿から一転、無残なものになっていた。


 カレンはジェフと出会い、様々に話をしている内に、火災で酷い怪我や火傷を負った者たちのための薬製作に力を貸してほしいと乞われた。食事と住居と職を与えられ、カレンの方こそが感謝しているのに、腕の良い薬師がやって来た、と聖教司たちから歓迎されて、涙ぐみそうになった。

「あんた、もしかして、入信したのか?」

 ディーノが驚愕の表情を浮かべる。

「いいえ。でも、彼らの敬虔さや一途さには心打たれるものがあるわ」

 貴光教は人間しか受け入れない。異類に分類される種族であるカレンは魔族ほどではないにしろ、貴光教では異分子扱いだ。それなのに、嫌な顔をされるどころか、喜ばれ、その仕事を貴ばれる。エディスの街の人間の方がよほどカレンに冷たかった。

「巷では信仰が過ぎて狭量だとか盲信とか言われているけれど、そんなことはない。ただ心から神を愛しているだけなのよ」

「神を愛する、ね。そのせいでそれ以外のものを排除しようとする極端な奴らだけどな」

 珍しく吐き捨てるように言うディーノの姿に、鼻に皺が寄る。ディーノはなんだかんだ言って、カレンには優しかったのだ。その掌を返した態度に、腹を立てた。カレン本人は気づかなかったが、拗ねたと言ってもいい。

「あら、貴方がた魔族だって、闇の神を愛しているんでしょう?」

「俺たち魔族は闇の神を愛しているんじゃない」

「なら何だって言うのよ」

 カレンの切り返しに、ディーノはほんのわずかなためらいを見せる。

「闇の君を敬愛しているだけだ」

「同じじゃない」

 闇の君が誰を差すのか不明だったが、闇の民族の上位存在だろう。ディーノが一瞬間だけ答えを遅らせたことに、本当のことを正しく伝えたのではないと察した。そのことが不快で、声が冷たく尖る。

「全く違うね。第一、闇の君のためだからって、他の民族を丸ごと排除しようなんて思わない。そんなことを、お優しい闇の君が望むはずもないからな」

 ディーノの声音には心底慕う暖かさが籠っていた。

 それがまたカレンの拗ねる気持ちに拍車をかけた。

「ふん、では、闇の君とやらのことだけを考えていればいいじゃない。もう、私には関わらないで」

 ディーノが反論しようと口を開きかけ、はっと違う方を向く。何か、もしくは誰かを見つけたのか。どちらにせよ、自分の方に向けられない視線を寂しく思い、そんなことを思ってしまった自分に腹が立ち、足早にその場を立ち去った。

「私、これで失礼するわ」

「待てよ!」

 呼び止めはしたものの、追っては来なかった。

 それを忌々しく思うよりも寂しく思う自分に腹を立てた。



「ああ、もう、何でこんなややこしいことに!」

 独り言ちたが、ディーノは結局、カレンの後を追うことなく、路地へと向かう。

 こんな場所にいるはずのない者の姿を見たのだ。

 以前はそんなことはできなかった。

 花帯の君に近しい者として、黒白の獣の君の声を拾う能力を授かった際、他の感知能力もまた受け取ったのだ。

 その能力は、ディーノに魔族の力ある貴族の者の姿を見せた。

 カレンに出会った時と貴光教の火災を消火した直後にも見かけた。けれど、すぐに気配を読み取れなくなり、追跡しようにも叶わなかった。今回を逃すともう機会を失うかもしれない。

 一度目はトリス唯一の魔族の店に興味を持ち、顔を出したので、その頃のディーノでも感知できた。二度目はエディスの冒険者ギルドの近く、三度目は貴光教の傍だった。一度目は偶然だが、二度目三度目もシアンの近くに出没するのはどうだろうか。もしかすると、ディーノが知らない四度目五度目があるかもしれない。

「あの火事は収斂火災で、以前にもあったって言っていたから、あの方の犯行ということはないだろうが」

 わざわざ魔族を弾劾する貴光教に反目の種を与えてやるなど、どんな理由があれども傍迷惑この上ないことだ。

 高い建物の間にできた細い抜け道に入ると、途端に気温が下がる。授かった感知能力を最大限に使い、気配を辿る。細い蜘蛛の糸を見つけて手繰り寄せるように、途切れてしまわぬように、慎重に優しく扱う。伸ばした指先に掠める感覚を逃さず、呼吸を整え感覚を研ぎ澄ます。

 行き付いた先は立派な門とレンガ造りの壁を持つ瀟洒な建物で、外観では民家なのか工房なのか店なのか分からない。工房や店だとしたら、相当な高級店だろう。壁の奥には緑の梢が見え、鉄棒が優雅な曲線を描く門には蔓薔薇が巻き付いている。

 ディーノは物陰に身を潜めて様子を窺っていると、扉が開き、給仕が恭しく客であろう男たちを見送る姿を見ることができた。すかさず中を覗き込むと、どうやら料理店のようだ。高級な、という形容詞がつく。

 調べたところ、その建物は商人の集まる料理店だった。その日、閉店後もしばらく店の外に張り付いていたが、目的の者は出てくることはなかった。

 宿屋を兼ねているという話は聞かなったので、もしかすると店側の者と繋がりがあるかもしれない。

「一応、本国に連絡を入れておくか」

 春とはいえ、ゼナイドの夜半は冷える。文字通り息をひそめていたため、体がこわばっている。

 長居するつもりはなく、思いもかけずトリスの自分の店を放り出す形となったが、エディスは現在、花帯の君たちが足繁く通う街だ。懸念は晴らしておきたい。また、そのための資金も潤沢に渡されていた。

「それにしても、あいつ、大丈夫か? 貴光教だぞ? エルフも異類扱いされるってのに」

 ディーノも魔族だ。

 闇の君が心を砕くシアンたちに少しでも累が及ぶ可能性があれば、最優先する。魔力を使うことも辞さない。

 けれど、後に、カレンに気を配る余裕がなかったことを後悔することになる。自分にもっと力があれば、気を回していれば、あんなことにはならなかったのに、と。



 ナディアは親方権を欲して群がる提案を軒並み断った。

 そして、エディス有数の商人エクトルを通して、親方権を譲渡した商人に手伝いとして雇われることになった。

 魔道具に詳しい者が接客するのが好ましいとシアンが言っていたと、エクトルが口をきいてくれたのだ。ナディアが魔道具のことを好きなこともエクトルは評価してくれた。

 流石は翼の冒険者、発言に影響力がある。どのくらい感謝をしてもしきれない。

 懸念していた工房の魔道具製作の職人たちもそのまま雇ってもらえることになった。

 その結果をギルドにて親方権を欲しがっていた者たち全てに伝えた。あの粘着質の視線で眺めまわした男などは頭から湯気を出しそうなほど激怒したが、共に来ていた魔道具工房の職人たちに凄まれて舌打ちしながら帰って行った。

 出掛けにギルドの扉を蹴りつけた粗暴さに、あの男の持つ工房の職人たちに同情する。

 ナディアの夫は決して暴力を振るう人間ではなかった。だからこそ、気の良い職人たちが踏ん張ってくれたのだと思う。

 エクトルの紹介してくれた商人は経営方針は決めるが、請け負う仕事などの裁量を大きく職人たちに任せてくれた。

「さあ、納品を済ませてしまいましょう。今日から、新しい注文を受け付けますからね」

 皆の明るい表情に、ようやく安心して働ける穏やかな日常が戻ってきたことを実感する。これからは女性の身ながら、自分の労力で食べていかなければならない。でもそれはやりがいのあることだ。

 先々に対する懸念はまだあるが、居ても立っても居られなくなるような、寄る辺ない不安は、もうない。



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[一言] 誤字報告 振り向くと、そこにはくるぶしまである貫頭衣を着た聖教司の若い男が立っていた。振り向くと、そこにはくるぶしまである貫頭衣を着た聖教司の格好をした若い男が立っていた。 二回同じ文章…
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