12.牧場と農場
三柱の精霊の加護を得てシアンは長時間高高度で移動するティオに騎乗することができるようになった。高い山も越えられるようになる。
絶景を見るのが楽しくて、ティオはシアンを乗せることができるのが嬉しくて、遠出をするようになった。
リムの卵を見つけた山や崖際の川、その周辺も何度か連れて行ってもらった。
親らしき姿は見つけられていない。
当の本人は気にしていない様子なのが幸いだ。
ティオに言わせると、狩りができるようになると親元から離れる。リムは光の精霊と闇の精霊の加護を持つのだから、独り立ちするには十分なのだそうだ。
狩りと採取の帰り道、低めの高度を飛んだ眼下に、広大な大地を覆う砂煙の下から四つ足の草食動物が姿を現した。群れからはぐれた一頭が疲労からか徐々に取り残される。そこを肉食獣に狙われた。
現実世界では直接見ることのない、野生があった。
シアンはゲームとしてこの世界にログインしているが、こちらはこちらの生活があり、生死がある。プレイヤーとして特殊能力を与えられ、異世界に間借りしている気持ちになる。
ティオの飛行能力でトリス近辺まで短時間で戻ってきた。
以前ティオが魔獣を退治して謝礼として生産物を貰った牧場の上空を飛んでいると、高度が低かったせいか、こちらに気付いて大きく腕を振っている。
呼ばれたのに応じ、降り立つ。広大な土地が柵と壁で仕切られ、牧畜が出入りできるように扉がしつらえられている。厩舎も大きく、あちこちから色んな動物の鳴き声が賑やかに聞こえてくる。
麦わら色の髪を後ろで一括りにし、こなれたオーバーオールが似合う三十前の男性がピッチフォークを手にした逆の手を振っている。服が中世時代にそぐわないが、それを言い出すと、街が機能的で住みやすいなどおかしな点が多いので、気にしないでおく。
シアンはソーセージとベーコンの礼と美味しかったことを告げた。牧場主のジョンからは最近、ティオがこの近辺を見回ってくれるのだと謝意が返ってくる。
「そうなの? ティオ」
『うん、美味しいものをくれたお礼!』
「いただいたソーセージとベーコンが美味しかったのでそのお礼だそうです」
味を思い出してか、嘴を舌なめずりするティオの言を、シアンが笑って訳す。
「そ、そんなに?! グリフォンに気に入ってもらえるなんて、光栄だ! またいっぱい作ったんだ。持って行きな!」
シアンより少し身長が高いくらいだが、彼の腕はシアンの腿ほどもある。全体的に筋肉質の男が頬を紅潮させて喜んだ。
「いいんですか?」
ティオはこういった体格の良い男性によく憧れられるな、と思い返す。
「ああ、魔獣駆除の礼ってところだ。いや、礼にもならん。すまんな、グリフォンに渡せるほどの金がなくてな」
「いえ、そんな。美味しいものを頂いていますし、ティオも喜んでいますよ。そうだ、この牧場ではチーズやバターは作っていますか? もしよろしければ、譲っていただきたいんですが」
「おう、あるよ。え、金? いらねえってそんな!」
「じゃあ、これ、さっき狩ったばかりなんですけど、この肉を」
古来行われてきた交易、物々交換だ。
そして、手に入れた材料に、シアンの顔が緩む。
「チーズとバターで料理を作るね、ティオ、リム」
『美味しいの?』
肉と交換したものを見せると、ティオが興味津々で顔を近づける。
『やったー!』
リムがくるくるとシアンの肩を駆け回る。
「お、そんなに喜んでくれるとは嬉しいね。そうだ、卵と牛乳も持って行きな!」
「でも、そんなにいただいては」
「いやいや、本当にグリフォンの見回りでここいらを荒らしまわっていた魔獣もいなくなったしな。すごく感謝しているんだ。西の畑の方もやられたって聞いているし」
「冒険者ギルドか領主には訴えないんですか?」
「領主様には話しても、ちゃんと取り合ってはもらえねえさ」
ばつの悪い顔で肩をすくめる。
「冒険者に頼むには、それなりに強い魔獣となると、報酬が高くなるだろう? あんたらみたいにうちの生産物でやってくれるってのはなかなかないんだよ」
「こんなに美味しいのに」
「キュィ!」
「キュア!」
シアンに同調するかのよう上がったティオとリムの鳴き声に、牧場主もそう察した。
「あっはっは、あんたら、本当にいいな! また来な! うちは決まったところにしか卸してなくて、冒険者にも売ったことはないんだが、あんたらは別だ。多少は融通をきかせてやるよ」
「ありがとうございます。ティオもリム沢山食べるし、できれば美味しいものを食べてほしいから、とてもありがたいです」
「おうおう、うちはグリフォン様の御用達ってな!」
上機嫌で笑う男はジョンと名乗った。日焼けして泥をあちこちにつけた、働き者の鏡の姿だった。
牧場主に見送られ、ティオに乗って空を行く。
「ねえ、ティオ、ジョンさんが言っていた畑に出る魔獣って、牧場を荒らしていたやつが流れ着いたんじゃないかな」
『そう?』
どうでもよさそうな返事に、ためらいながら言う。
「あの、戦闘しないのにこんなのを言うのはお門違いなんだけど、ええと、もし、そうなら、畑の方も様子を見に行ってほしいな、って」
口に出してみるとなかなかにずるくて無責任な言葉で続けることができなかった。
けれど、ティオはあっさり了承する。
『いいよ』
「いいの? 大丈夫?」
『うん、あそこだよね。飛べばすぐだし、狩場が増えるだけだから、大丈夫!』
気負いない台詞で高度を下げる。
「ありがとう、ティオ」
『ううん、さっき人間からもらったもので美味しいのを作ってくれるし!』
『シアン、どうしたの?』
リムが顔をのぞき込んでくる。
「うん、牧場に魔獣が来なくなって、僕たちがそのお礼をもらって。僕たちはいいんだけど、その影響が他に出ているんだったら、そちらもフォローできたらいいな、って思って。でも、僕ができることじゃないから、ティオに任せることになるんだけど」
『ぼくもがんばる!』
短い前足をぴっと上げ、キュア!と決意表明する様が可愛くて笑いが漏れる。
「ふふ。無理しないでね」
『シアン、あっちに獲物がいるから、片づけてくる』
そうこうするうちに、さっそく魔獣を見つけたティオが柔らかく着地し、背中から降りて、と尻を低くする。
『リムはここでシアンを守って』
『わかった!』
その場で羽ばたき、じわじわと中空に上がり始めたティオに、シアンの肩でリムが気を吐く。
「行ってらっしゃい、ティオ。気を付けてね」
『いってらっしゃい、ティオ』
『行ってくる!』
二人に返事を返すなり、すう、と空を上る。
魔力を伴った飛行は精霊の加護を得てさらになめらかでブレのないものとなった。
すぐに小さくなったティオをしばらく見つめていて、我に返った。
「リム、僕たちは一応農家の人に挨拶しておこうか」
「キュア?」
「いきなりグリフォンが魔獣を襲いだしたらびっくりするかもしれないからね」
一番近くの農家を目指す。わらぶきの家はなかなかに大きく、農耕馬の他、鶏などの小さな家畜も飼っているようだ。人気がないことから、農作業に出ているのだろうと見当をつけ、畑の方へと向かう。
畑も牧場同様、柵を設けている。ところどころ壊れているところを見ると、魔獣の被害に遭っているのだろう。
畑で農作業をいそしむ人影に近づく。
「すみません、トリスの街から来ました冒険者です。ちょっとお話してもよろしいでしょうか」
麦わら帽子をかぶった人がかがんでいた背筋を伸ばし、首にかけた布で顎の汗をぬぐいながらこちらを見る。
「突然すみません。僕は冒険者のシアンと言います。肩にいる仔はリムです。あともう一体、グリフォンと一緒にいるんですが、彼がこの近くで魔獣を見かけて狩りに行きました。念のためにお話ししておこうと思いまして」
「おお、もしかしてあんたら、ジョンの牧場の害獣退治をしたっていう?」
日に焼けて皺のある顔が綻んだ。初老だがかくしゃくとした男性だ。
「話を聞かれていましたか」
耳を傾けて貰えそうな雰囲気に、知らない人間に対面する緊張がほぐれる。そのせいでつい口が滑った。
「そうなんです。それで、向こうを荒らしていたのがこちらにきたんじゃないかと」
今の言い方では、自分たちの非を明らかにするだけだ。間接的であっても、被害に遭っている者からすればとんでもないことだろう。
「なんだ、本当に人が好いな。ジョンに聞いたんだが、グリフォンを従えているわりには高圧的でも好戦的でもなくて、報酬も自分とこが作っているもので喜んだって?」
「あ、グリフォンは従っているのではないんです。僕は戦闘はからっきしで」
「テイマーってのはそういうもんじゃないのかね。従っていないって、そんなのよく連れて歩けるな」
シアンが苦笑すれば、男は片眉を跳ね上げて面白そうに言う。そんな仕草が似合う男の方がシアンよりもよほど冒険者事情に詳しい。
「役割分担をして行動を共にしているんです。それに、ジョンさんからいただいたベーコンもソーセージも、グリフォンは喜んでいましたよ」
「キュア!」
リムも美味しかった、と鳴き声を上げた。
元気な声に、男の顔が綻ぶ。
「ほうほう、そっちのおチビさんもうまかったかね」
「キュア!」
「そうかそうか、ジョンのやつも本望だろうて。それで、うちも見に来てくれたのか」
シアンが返事をする前に、おっという農夫の声に彼の視線をたどると、ティオの姿が上空に見えた。
両前足にしっかと魔獣を掴んでいる。
「終わったようです」
流石はティオ、仕事が早いと感心していると、男性が声を上げた。
「おお、あれが! まさしくグリフォン! 格好ええのう!」
顔を赤くして騒ぎ出す。
「ジョンからさんざん自慢されたんだ! うちにもグリフォン様が!」
「ここいらの方たちってグリフォンが好きなんですか?」
あまりのテンションの高さにシアンは質問してみた。
「伝説の幻獣様だ! しかも見た目が格好いい上、強いってな! 大きいのう!」
『ただいま!』
ティオよりもやや小さいくらいの闘牛のような鍛えられた筋肉に覆われた黒い四つ足の魔獣を地面に下ろし、シアンの方へ近寄ってきた。
「お帰りなさい。怪我してない?」
『おかえりなさい!』
『大丈夫だよ』
口々に帰還の挨拶をされ、シアンに至っては怪我の有無まで心配されてティオが心地よさげに喉を鳴らす。シアンの腹に頬をこすりつけるので機嫌が良いのを男も感じ取る。
「ほうほう、お前さん、おチビさんやグリフォンの言葉がわかるんかね」
「はい。グリフォンはティオと言います」
「これはご丁寧に。そうじゃ、わしはカラムと言う」
「キュア!」
リムが不意にシアンの肩から飛び出し、音がするほど勢いよく翼を広げた。
「おお、羽が。飛んでる、飛んでるぞ」
驚いてリムの周囲を一回りして矯めつ眇めつした農夫は、ふと不安げな表情でシアンを見る。
「わし、なんかおチビさんを怒らせてしまったかの」
眉尻を下げ顔を曇らせる
「いいえ。ティオはすごいでしょ、と言っているんです」
「キュア!」
「おお、そうか、おチビさんもグリフォン様が好きか。ほれ、トマトをやろう。よく熟れとるぞ」
言いつつ、遠慮するシアンをよそに赤い実を捥いで近くに置いていた桶の水で軽く洗ってリムに渡した。小さい手で自分の顔程もある赤い野菜を難なくつかむ。皮がぴんと張って中身が詰まったトマトに鼻を近づけて匂いを嗅いだ後、シアンを見上げる。
「キュア?」
受け取ったものの、シアンに食べていいか確認してくる。
「食べてもいいよ。お礼を言ってね」
「キュア!」
「ほうほう、礼儀正しいのう。ほれ、お前さんも。グリフォン様も食べるかね?」
二つ三つ気軽に捥いで渡してくれた。
大きなトマトにかぶりついて顔じゅうどころか、足にも汁を滴らせているリムを布で拭ったシアンも礼を言って赤い野菜を齧った。
「すごく味が濃い!」
「野菜ってのは捥いですぐに食べるのがいっとう美味いんだよ。鮮度が大事だて」
ティオもリムも美味しい美味しいと食べる。特にティオは飛行や狩りで喉が渇いていたのだから格別だろう。
リムは大きく開いた口で頬張り、頬を膨らませてせっせと咀嚼している。丸い顔がさらに膨らんで小刻みに動いている。ティオはリムが食べている様を見て汁気が多いことを知り、嘴で啄むのではなく、一旦口の中に丸ごと入れて咀嚼している。
鳥は飛ぶために特化した体に進化する過程で、体重を減らすのに歯すらなくしたが、ティオにはあった。骨ごと肉を食べられる鋭いものだ。
その食べっぷりに農夫は満足そうだ。
「あの、よろしければ、他の野菜もいくつか譲っていただけませんか? あ、お金はもちろん払いますし、ティオが狩ってきた魔獣との交換でもいいですし」
「いいのかね? あんた、これ、大きいぞ。結構な値になるんじゃないかね。わしとしては退治してくれただけでもありがたいさね」
「ちょっと待ってくださいね。ティオ、このお肉、食べる? 野菜と交換してもらおうと思ったんだけど」
『いいよ。お肉はまた狩ればいいし』
ティオにしてみれば危険な魔獣も食料でしかない。
「いいそうです。譲っていただける野菜があれば他にも」
「おお、うちとしては願ったりだ。そうだ、果物もちっとはあるんだ。よしよし、そんなに美味そうに食ってくれれば本望だ」
あれもこれもと持ってきてくれる。
「出荷する以外にも自分で食うものを色々作っているでな。ちょっと作りすぎて持て余しとったんだ。あ、これも持っていくとええ。あとあれも」
シアンも収穫を手伝った。リムは新しい遊びでもしている感覚で、ティオは非力なシアンを手伝うつもりで、多様な農作物があっという間に収穫された。
「す、すみません。収穫作業が楽しくて、つい、こんなに沢山」
「なになに、良い肉がたんまり手に入ったし、このくらい持って行ってもらわんとな」
上機嫌の農夫に季節柄ではない野菜があるのはどうしてか聞いてみると、このアダレード国は年間を通じて温暖で、乾季と雨季があるが、現在はちょうど乾季に当たり、非常に過ごしやすいのだという。
「この国ではさほどではないが、他国では季節関係なく収穫できるように大地の精霊を祀っているのだそうだ。さすがに一年を通してというのは無理だ。特に冬はな。土を休めにゃならんし」
カラムは別の国でも農業を営んだことがあるのか、そう話した。
ここで精霊が出てくるのか、さすがはファンタジーだ、と妙な感慨を覚えた。魔法があり、神が姿を見せる世界なのだと実感する。
この地に住まう人としては大きな力を持っているものから力を借りて生活しているだけなのだ。現実世界で便利なシステムで生活しているのと同じようなものだろうか。シアンだって、現実世界でライフラインがどういう仕組みでもって運営されているのかは不明でも、その恩恵にあずかっている。
何とはなしに、しゃがみこんで畑の土をぽんぽんと撫でた。
「大地の精霊、良い土を作ってね」
と言うと、ティオも真似して土を前足で軽く叩く。
ティオの目には大地の精霊がわらわら踊っているのが見えるのだろうか。
農夫にまた来るように念を押されつつ、農場を後にした。
「沢山貰ったね。ティオのおかげだよ」
『野菜はあんまり食べたことなかったけど、美味しいね』
『くだものだいすき!』
リムの元気な声に、ティオが笑みを含んで答えた。
『じゃあ、果物が荒らされないように、こっち側も見回りに来るね』
「ありがとう、ティオ」
『ティオもだいすき!』