27.染色工5/黒衣の少女、接触を図る
「のたうつ蛇」という集団はまさに人らしい者たちが集まった結社だった。
自分の欲望の為に他者を騙し、傷つけ、恫喝し、金品を巻き上げたり後ろ暗いことを暴き立てる。自分さえ良ければ、何でもよかった。罰されるから大っぴらにはしないが、見つからなければ良い。
正直者が馬鹿を見る。弱者は踏みつけても良い、人よりも少しでも得にならなければ気が済まない、気に食わないやつには攻撃する、自分が思う通りに人が動かなければ絶対に引かない。そういった人間らしい諸々の剥き出しの感情がそこにはあった。
心地よすぎて身震いする。
居心地は最高だが、彼らはすぐに排除されるだろう。他者から疎まれ、それが目に余ればより強力な力で取り除かれるのが人の世だ。
人の欲に詳しいからこそ、人の理にも精通していた。
彼らを宿主にするのはうまくない。
しかし、彼らを誘導して幻獣のしもべ団にぶつけるのはどうだろう。
いかな強固な護りでも四六時中発揮できるものではないし、あの手この手で攻撃を緩めなければ必ず綻びが生まれる。
おあつらえ向きに、のたうつ蛇たちにはしもべ団への敵愾心が育っている。
捨て駒にするにはちょうど良い者たちだった。
いつからかダイスに勝てなくなった。
何もかもうまくいかなくなって、セレスタンは酒場で会ったカルロスに愚痴をこぼす。
「そんなにうまくいかないなら辞めちまえば?」
「でも、仕事をしてなければ食っていけないよ。ダイスだってできなくなるし」
「そんなの、俺には関係ないことだから」
素っ気なく言うと、カルロスは肩をすくめて向こうのテーブルへと行ってしまった。
セレスタンは途方に暮れた。
カルロスの言う通りではあるが、掛けた梯子を外されたような、心もとない気持ちになった。高い所まで登って来て初めて見る光景に夢中になっていたが、降りれなくなって無性に不安になる。
カルロスに職場の不満を話すうちに、自分の正当性を確信したセレスタンは不当な扱いを受けた怒りをそのまま態度に表し、それによって親方やその他の職人たちとの間柄は悪くなる一方だった。職人たちは親方を怒らせる存在として、また、その怒りの矛先を受け止める盾としてセレスタンを生贄にした。
体調もどんどん悪くなる。
もはや、職場は安全な場所ではなくなった。
どうしよう、どうすれば良いだろうか。
しかし、自分が間違ったことをしたとは思えない。親方の横暴にただ黙ってじっと耐えているだけではいけないことは明白だ。
そうだ、ギルドに直訴しに行こうか。
親方は下の者に対しては横暴に振る舞うが、上位組織の者には逆らえないのではないか。こんな非人道的なことを行っているというのはギルドとしても外聞が悪いのではないか。
もはや頼れる者のいないセレスタンはそう考えるに至った。
都市住民のモラル低下を危惧した貴光教の強い要請により、一度は王令によって居酒屋における賭け事やゲームの禁止が布告されたが、効果はなかった。これらのゲームは、実際のところ街の職人や労働者にとって最大の気晴らしの手段であったからである。
庶民たちが仕事で得た金銭を居酒屋で酒や賭け事につぎこみ、盗みや殺人などを誘発した。
日頃の憂さを晴らすのはそういった場所しかなかった。不安定な環境から視線を逸らす格好の居場所であった。
エディスに戻ったシアンはスルヤから預かった書状を届けるために風の神殿に向かっていた。
街を歩いていると、ティオやリムに通行人から時折声がかかる。
顔見知りでもない限り反応を返さない幻獣に代わって、シアンが軽く会釈を返す。
『シアン、黒いのをかぶっていた小さいのが来るよ』
ティオの警告に、何を言われているか分からなかった。
『黒ローブのことですよ。シアンちゃんに街中で声を掛けたことがあるという人物です』
九尾の補足に、ようやく合点がいく。
金茶のこしの強い髪を肩まで延ばしている痩せた少女が両手を握り合わせながら近づいて来る。薄い肉付きの顔の中、目だけが大きくて印象的だった。
「こんにちは。あの、私のことを覚えていますか?」
「はい、ええと」
名乗られたような気がするが、そちらは覚えていない。
「久しぶりだから、仕方がないですよね。アリゼです」
口ごもるシアンに残念そうにしながらも、再度名乗る。
標準身長のシアンより頭一つ分低い少女が、何か言いた気な表情で上目遣いで見てくる。
黒ローブを纏い、姿を隠して魔族を襲撃したり、村に異類をけしかけて魔族に罪をなすりつけたりする者が、姿を現して接触してくるのは何の目的だろうか。
「あの、翼の冒険者さんが薬草に詳しいと伺いまして。実は、私も薬草にはちょっと自信があるんです。おばあちゃんと暮らしていた時に色々教わったんです」
エディスでよろず屋を営むジャンに薬作成の器具を手に入れてくれるよう頼んだ後、自分でもあちこちの店を巡っては薬草や知識、レシピを手に入れている。その間に自分が薬作成をしていると知られているのは致し方ないとしても、黒装束の怪し気な集団の一員であるアリゼに知られてそれを言及されることに警戒を抱く。
自分の情報を探って何をしようと言うのか。
「それで、よろしければ、情報交換ができないかな、と思いまして」
頬を染めて熱心に言うアリゼには邪な感情は見えない。
「情報交換?」
「はい。私の知識をぜひ役立たせてください!」
胸元で手を握り合わせる様は健気ですらある。
「でも、僕は最近薬草の勉強を始めたばかりで、そう詳しいのではないので、教えられるほどのことは知らないんですよ」
やんわり断るが、アリゼは懸命に首を横に振る。
「そんなこと。エディスの英雄のお役に立てるのです。遠慮なさらないでください。それに、私は特別な用途に用いる植物の知識も備えています」
「お心遣いありがとうございます」
礼を言うシアンにアリゼの表情が明るくなる。
「でも、この後、行かなければならない所があるんです。お気持ちだけいただいておきますね」
なるべく穏便に聞こえるように微笑み、シアンは挨拶と共にその場を去った。
アリゼの名残惜しそうな視線を背中に感じる。
『捕まえなくても良かったの?』
『捕まえてどうするの?』
ティオの言葉にリムが不思議そうに尋ねる。
『黒ローブ集団の正体とか目的を質問する、ですかねえ』
代わりに九尾が答える。
「魔族を襲う彼らを止めたから、黒ローブにとって僕は邪魔な存在だろうね。問題は、彼女が黒ローブとして近づいているのか、彼女自身の判断で話しかけて来たのか」
『攻撃しようとしたら反撃するから』
ティオが静かな揺らぎない瞳で宣言する。
『ぼくもシアンを守る! えいえいおー!』
ティオの背の上でリムがふんすと鼻息を漏らし、片前脚を振り上げる。
他者を害しようとする者は意外に反撃に合うと驚くものだ。そして、手痛いという範疇で終わらないこともある。
食うか食われるかの世界で、向かってきた者を再起不能にすることが普通であるティオとリムに、どう説明したら手加減してもらえるのか考えつかない。ましてや、黒ローブの所業や貴光教の勝手な主張を見聞きしてきたのだから、なおさらだ。
「貴光教とのつながりがあるかどうか、聞いてしまったら後戻りは出来なさそうだね」
完全に貴光教と対立する構図ができあがる。純粋な戦闘能力では勝ったとしても他の面で色々面倒そうな相手である。
「特別な用途に用いる植物、か」
『不穏ですなあ』
九尾の言う通り、嫌な予感が胸をよぎる。
「とにかく、あまり黒ローブと貴光教には近づかないようにしようね」
シアンの言葉に、幻獣たちはそれぞれ鳴き声を上げて賛同した。




