24.崖の上の神殿への道中 ~ドラゴン襟巻/あーん/いけにえなまにえ~
交互にすそ野を重ねる山間をティオの背に乗り飛ぶ。
その雄大さ、壮大さに、胸が震える。鳥瞰してみれば、自分は黒点ほどでしかない小さな存在だ。両脇の山々は大きく高く、谷底はどこまでも続いている。
ティオはそんなことは気にする風もなく、力強く羽ばたき、風を切り、どんどん前へ進む。ただひたすら前へ。ティオの背に乗っているだけなのに、その強い飛翔に勇気づけられる。
こちらの世界で朝早くにエディスを出立したので、昼まではかなり時間がある。そのため、何度か休憩を挟む。
疲れを見せることなく飛び続けたティオは谷あいにあるセーフティエリアに着地した。
下から見上げると、蒼穹の雲を高い山が貫いている。雲が帯状に山頂付近を取り巻き、頂上が顔を見せている。
『襟巻を巻いているようだね』
珍しくティオが景色の感想を言う。視線を山からシアンへ、正確には肩に乗っているリムへと向ける。
『ぼくみたーい!』
本人が認めてしまった。その白い長い体でシアンの肩を取り巻いているのと、そっくりな情景だ。
『ドラゴン襟巻! 強くて丈夫、暖かくて涼しい、世にも珍しい襟巻だよ~、エ~、いらんかねいらんかね、ドラゴン襟巻いらんかね~』
そして、またぞろ、ドラゴン襟巻売りと化した九尾が押してはならぬスイッチを押されたように節をつけて語り出す。
その九尾の尾をティオが静かに音もなく近寄り、踏みつけた。
『きゅっ! そっちから振ってきた話題に乗っただけなのに! 高位存在とは理不尽なものだけど!』
シアンはバーベキューコンロを設置し、栗とサツマイモを蒸しながら初めて見る景色にはしゃぐ幻獣たちの賑やかなやり取りを眺めていた。
唇に笑みを乗せながら、料理に使う材料を用意する。
重曹は紀元前から様々な用途で用いられてきた。パンを作るために高価なイースト菌の代わりに重曹が用いられたこともあり、この世界にもあった。
膨らませる役割を果たすベーキングパウダーをこちらで探してみたが、未だ見つけられていない。膨らし粉としては風の魔法を使うのだ。
『そのベーキングパウダーというのは聞いたことがないな。調べておくよ』
そう言う風の精霊の表情が未知のことを調べる喜びに綻んでいた。
後に、パン生地などを膨らませる役割を担う炭酸ガスを主目的としたものだという回答が返ってきた。シアンは今現在、この世界にベーキングパウダーがないということに気が付かなかった。だから、この世界にないものを風の精霊が解説してくれたことへの不条理さに思い至らなかった。
なお、ベーキングパウダーは料理の用途によって多種ある。
『重曹とも料理によって使い分けるようだね。酸性の材料を使う時や焼く時間が短い場合は重曹を使えばいいし、そうでなければ、私が膨らませよう。調節は任せていい』
折角そう言ってくれるので、おやつ代わりにパンケーキを作ってみた。生地に片栗粉を混ぜて表面をパリッと焼く。赤いリンゴを皮ごと薄くスライスしたり、サイコロに切ったりしたものを散らし、砂糖と水を煮詰めて作ったシロップをかけて、上にミントを飾る。
『美味しい』
『ふわふわして甘くて甘酸っぱい!』
リムが言う甘いのはシロップで、甘酸っぱいのはリンゴのことだろう。
『柔らかいのとしゃきしゃきの食感が面白いね』
『リンゴの爽やかな酸味が口の中をさっぱりさせて、いくらでも入りそうです』
リンゴ好きのリム以外にも高評価だ。
「ふふ、英知が手伝ってくれたおかげでふわっと膨らんでくれたんだよ。料理の種類によって膨らませ方が違うんだって」
『英知、すごいね!』
カトラリーを使っているにもかかわらず、切り分けた一切れが大きいリムは、口元にシロップを貼りつかせている。水で濡らした布で拭ってやると、嫌がらずにへの字口を緩めてご満悦だ。
『座布団のような大きなパンケーキも夢じゃないですな!』
誰もが一度は夢見るパンケーキではあるが、そこは異世界らしくクッション辺りと比べてほしい。
当の風の精霊はパンケーキの膨らみ具合も味も合格だった様子で、唇に笑み浮かべながら食べている。気に入ればそう言ってくれ、味に難があれば伝えてくれるので、作り手としては有難いところだ。
「ティオ、もっと焼こうか? まだ材料はあるからね」
魔力の補助もあるが、背中に荷物を載せて飛翔するティオの運動量は多い。野生動物、例えば、チーターは全速力で走った後、一時間は休まないと体力が回復しないという。
『ぼくも食べたい!』
『シアンちゃん、そっちの鍋で蒸しているのはそろそろ出来上がっているのでは?』
リムが自分もと言い、九尾はやや時間を要するトッピングが気になって仕方がない様子だ。
「そうだね。じゃあ、次は栗とサツマイモを乗せたパンケーキにしようね」
『リンゴも!』
「はは、じゃあ、リンゴもまた乗せようね」
バーベキューコンロに移動するシアンがふかした栗とサツマイモを取り出す。その処理をティオとリムが請け合ってくれたので、シアンは生地を焼く。
『いやはや、森羅万象を知る風の精霊王の力を、パンケーキを膨らませるのに用いるとは』
りんごの乗ったパンケーキを完食した九尾がため息交じりに言う。
「そうだよねえ。僕も時折、英知や他の精霊たちに申し訳なくなるよ。本来なら加護を得た人間に神話になるようなことをしてくれる存在だろうにね。でも、僕にはそんな力は必要ないからなあ。ティオやリム、きゅうちゃんたちとこうして美味しいものを食べて音楽を楽しんで、美しい景色を見ることができるのが最高のひとときだからね」
心からそう思っているようで、シアンは鉄板の上の生地の焼き具合を確かめながら言う。真実そう思っているからこその何気ない言葉だった。
リムはふかしたサツマイモを、熱さも何のそのでサイコロ切りをしている。その傍らでティオが嘴で器用に栗の殻を割っている。
九尾もいそいそ近づいて、殻を外した栗を二頭分もしくは四等分にする作業に加わる。
美味しいものを食べるために、一緒に作業をするのは楽しいものだ。
強大な力を得れば使いたくなる。要は使い方次第だ。魔力もそうだが、知識も情報も強い力となる。
それらを素材の味を堪能する美食であったり、美しい光景を見る為の移動であったり、そういったこの世界を楽しむ為に用いる。他者を支配したり害したり、自分の虚栄を満足させるためには使わないシアンだからこそ、強大な存在もまた力を貸そうという気持ちになったのかもしれない。
『平和的な使用方法で良いことではないですか。誰も不幸にしていません。逆にしもべ団のように自分たちから従いたいと思う者がいる程です。きゅうちゃんもまた、これほど大地の恵み溢れた芋栗なんきんを堪能できて幸せです!』
言いつつ、栗の一つをつまみ食いする。
「ふふ、どう? 美味しい? 大地の精霊の恵みたっぷりだものね」
シアンから調理中のつまみ食いは行儀が悪いと言われていたティオが九尾を咎めようとしたが、当のシアンが許容している様子から手が出せず、リムが羨ましそうにする。
「ほら、ティオもリムも味見してみて」
ティオとリムの口元に栗を持って行く。栗を味見した二頭は美味しいと顔を見合わせて笑う。
「はい、英知もどうぞ」
ついでに風の精霊にも口を開けるように促す。一瞬目を見開いたが大人しく従う。
『あの風の精霊王に「あーん」をして食べさせることができるなんて! 天然最強伝説極まれり……!』
「あっ、ちゃんと手は洗っているから!」
九尾の戯言に、素手で剥き栗を食べさせたことに思い至り、慌ててシアンが言う。
『構わないよ。うん、大地のや光のが力を注ぐだけあって、美味しいね』
森羅万象を知る風の精霊もだからこそ、特定の種と深く関わることをしなかったが、こうして実際に味わったりすることで、更に英知を深めていく。
それが存外楽しく心躍ることなのだと、加護を渡す者ができて初めて知った。
太陽が高い位置を陣取る頃、山裾に広がる緑野に牛に似た角を持つ魔獣の群れを発見した。
ティオが速度と高度を落とす。
牛同士が立派な角をぶつけ合う。硬く乾いた音がする。膝を折ってそのまま進み、低い位地で押し付ける。角度によっては強い押さえつけになる。
上向きに湾曲した角を、頭を振って相手の角を引っ掻けて持ち上げたり払ったりする。鋭い先に当たれば相当痛いだろう
『あれをお昼ごはんにする?』
リムが身も蓋もない言い方をするが、ティオもそのつもりなのだろう。
セーフティエリアはやや離れていて、山間の河原にあった。そこでシアンと九尾を下ろし、リムと共に狩りに戻る。
野生の肉食動物は自分よりも体の大きい草食動物の群れを襲い、失敗することもままある。だが、ティオは違った。自分よりも体の大きい魔獣を簡単に仕留めてしまえる。そしてそれは、相手が肉食獣だろうと、異能を持っていようとも同じくだった。
マジックバッグから冷蔵庫を取り出してエディスの朝市で購入した魚を調理する。せっかく便利なものを手に入れたのだ。遠出した先で別所の魚を食べる贅沢を味わうことにした。
尾から頭にかけて包丁で鱗を取る。腹に切り込みを入れて内臓を取り出して中を洗う。その後、湯を入れる。更に水の中でぬめりを取る。水気を切った後、表面に切れ込みを入れておく。味噌と醤油、砂糖、酒とショウガで作った煮汁が沸いたら火を弱め、魚を入れる。
魚を煮込んでいる間にカボチャを薄くスライスし、手作りケチャップを塗り、その上にチーズを乗せてダッチオーブンで焼く。
カトラリーの準備をする九尾の尾が激しく動く。
ティオとリムが帰って来て、早速リムと風の精霊が解体を始める。
シアンはその肉につけるタレを作る。
塩とオリーブオイルにニンニクをすりおろしたものと、バルサミコ酢、醤油、蜂蜜、赤ワインを混ぜたものの二種だ。
前者のタレはつけ置きでも焼いた後にかけても良い。今回は焼く前によく肉と馴染ませる。ニンニクが焼ける匂いは空腹を刺激する。
後者のタレは厚めの肉に塩コショウを振ってフライパンで両面を焼き、ブランデーを適量振ってアルコール分を飛ばした後、振りかける。
先ほどの多めに作っておいたパンケーキで肉を挟み、簡易サンドイッチを作っておく。こういったことも可能にしてくれる冷蔵庫様々である。
シアンの手元を覗き込むティオに笑う。
「これは後で食べようね」
『おやつ?』
ティオからしてみれば軽食どころかおやつ扱いである。
美しい景色と美味しい料理、音楽を楽しんだ。
食後にバーベキューコンロなどを片付けている最中に、ティオが黄色の花を咲かせる三メートルほどになる灌木に近づく。何とはなしに眺めていると、木の根元をティオが軽く叩く。
すると、むくむくと実を結ぶ。
シアンは洗い終えたカトラリーを取り落としそうになる。
『あれは果実だけでなく、葉や根、蔓にも薬草としての効能があると言われている。中でもつる性の茎は木通という生薬になる。利尿作用、抗炎症作用などがあるよ』
風の精霊はティオが大地の精霊に願ったからまだ蕾をつけた花が咲き、実を結んだのだと説明する。
ティオが実を嘴でもいで羽状の複葉をつけたまま渡してくる。
大地の精霊に頼んで成長を促して実を結んでもらったのだと嬉し気だ。
「ティオ、まだ実が生る季節ではないのに、急がせたら可哀想だよ。ティオも眠っているのを起こされたら嫌でしょう?」
『この実は甘いからシアンとリムに食べさせてあげたかったの。それに、ぼくはシアンが弾くピアノの音で目覚めることができたら幸せな気分になるよ』
そう言われてしまえば何とも言えない。
『種子を包む胎座が甘く、鳥獣や人間に好んで食される。また、山菜料理としても用いられる。果皮はほろ苦く、中に挽き肉を詰めて油で揚げたり、刻んで味噌炒めにするなどされているようだね』
「そうなんだ。じゃあ、折角ティオがお願いして大地の精霊が答えてくれたんだから、次の食事の時に英知の言う通りの調理をしてみようか」
ティオが嬉し気に喉を鳴らし、風の精霊が口元をほころばせる。
シアンは先ほどティオがしたように、灌木の根元を軽く叩き、大地の精霊にも礼を述べた。
岩に白く波立つ川に沿って飛ぶ。
目の前には薄水色の空、黒い岩肌、濃い緑の木々茂る両岸、曲がりくねった川が伸びる。
上昇気流に乗ったのか、ティオの体がふわりと上空へ舞い上がる。シアンは内臓が持ち上がるのを感じた。と、いつの間にか視線が高くなっている。足下遠くに長く伸びる川、伸ばせば触れられそうな梢が次々に現れては後ろに流れ去って行く。
さらに上昇を続け、川は筋に、木々は山の一部となる。
蛇行とはよく言ったもので、遠目、高いところから見ると、蛇が長く波打ちながら行く姿そのものだ。
『にょろにょろ~!』
『本当に蛇みたいですなあ』
リムが声を上げ、九尾もしみじみ言う。
『蛇の河だね』
「ううん、それは蛇がぎっしりいそうで嫌だなあ」
『シアン、蛇嫌い?』
ティオの言葉に思わず呟くと、リムが心配げに小首を傾げる。
「あまり好きじゃないな」
『姿を見かけたらすぐに仕留めるね』
正直に伝えると、ティオが淡々と言う。どこまで一撃必殺に磨きをかけるのか。瞬殺される未来が容易に想像できる。
標高が高くなると森林がなくなり灌木帯と草原が広がる。
雲がすぐそばにある地帯だ。
雲と並走するほどの高度はアダレードにいるうちからティオに連れて行ってもらっていた。その頃からすでに精霊の加護は発揮されていたのだ。こんなに短時間での急上昇に人の体は慣れることはない。少なくともシアンには無理だ。にもかかわらず不調に陥らないのは、精霊たちが環境調整してくれているからだ。
『あんなところに橋が架かっている』
ティオが言うのに目を凝らしてみると、岩と岩の間に確かに橋が架かっている。すぐ下には白いしぶきを上げる奔流がある。
屹立した岩壁に這うようにして細い道が作られ、そこから向こう岸に川を跨いでアーチ状の橋が架かっている。
『あれは峠の魔橋と呼ばれている』
風の精霊が解説する。
この橋を架けるために逸話がある。
谷間の激流は初夏には奔流となる。雪解けの水により、この季節に溺れる者が多発した。そこで近隣の村人たちが橋を架けようとしたが、足場が悪く、困難を極めた。
『困り果てた村人の前に非人型異類が姿を現した』
「意思疎通ができる異類だったんだね」
ティオの飛行速度が緩み、彼もまた風の精霊の言葉に耳を傾けていると分かる。
『異類は村人を食べちゃったの?』
『いや、交渉を持ち掛けた』
リムの問いに風の精霊が否定する。
「交渉を?」
意外な言葉にオウム返しになる。しかし、考えても見ればフェルナン湖に住むT字型異類もまた意思疎通ができる上、ひょんなことから手助けしたシアンに恩返しをしようと湖の水質向上を手伝ってくれた。交渉を持ち掛けることもあり得る。
『そう。自分が頑丈な橋を架けてやるから、最初に橋を渡る者を生贄に差し出すよう言った』
恩返しのような心温まる話どころではなかった。一気に血生臭くなる。
『生贄! こういう伝承ではよくある話ですね』
『いけにえってなあに?』
『生贄というのはですな。まだ煮えていない半生状態のものを言います』
それは生煮えだ。
それこそ、伝承でドラゴンは生贄を要求することが多いが、リムは知らない様子だ。種の本能として備わったものではないらしい。
『強者に生きたまま人や動物を捧げることだよ。供物とも言うね』
ちょうど、先日捕らえられたシアンがそうなる寸前だった。それを思い出したのか、リムがきゅっとへの字口を急角度にする。
ティオと並走していたリムに腕を差し伸べると、すぐさまそれを伝って肩に乗ってくる。頬ずりするリムの頭を撫でながら、同じく心配をかけただろうティオの背を撫でる。
『村人は食べられちゃったの?』
気を取り直したリムが風の精霊に尋ねる。
『いいや、人は機転を利かす生き物だ。村の家畜を最初に渡らせたんだよ』
『わあ、凄い!』
ぱっとリムの顔が明るくなる。
「なるほどね」
『そして、一応はその家畜を食べて腹がくちくなった非人型異類は、頭が回る人と対立するのはうまくないと悟って去って行った』
ティオの背に乗り、足下に橋を通り過ぎる。
『そういう機転が利くから、シアンはぼくたちに人間と対立してほしくないと言うんだね』
もちろん、ティオやリムのことを思ってのことだが、自分は飛べるから橋が架かろうが架かるまいが関係ないなどと言わず、例え話からもシアンの心情を汲み取ってくれる。
なお、この峠が開通してから、この近隣の経済が一変する。
それこそが、異類がもたらした最たる影響とも言えるのかもしれない。




