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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第三章
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23. 黒衣の少女、居場所を得る/染色工5/神殿の尽力

 

 街の中心部から大分離れた人通りの少ない一角の建物に、黒いローブを着た者たちが集っていた。

 そこは彼らが所有する隠れ家の一つだ。急遽召集されたので、黒い部屋を演出することは叶わず、石造りの壁の素っ気ない場所だった。

 静謐を掲げる教義はしかし、貴光教の神殿が火災にあったことに関する囁き合いがあちこちで起きていた。

 足音荒く入出してきた者によって、ぴたりと口を噤む。床を蹴りつける音だけが響く。

「此度の件は非常に遺憾である」

 まっすぐに奥に向かい、いつもの位置を陣取ると勢いよく振り返り、長い裾を払って居並ぶ黒ローブを見渡しながら言う。

「神殿が焼け落ちたことはもちろん、何より、我らが輝光石が地に落ちたことだ。あってはならぬことだ」

 沈痛な声で告げるのに、黒ローブたちは畏まる。陽光を浴びて美しく輝く真円の石は彼らのシンボルだった。

「それを、小賢しい風の聖教司はぬけぬけと収斂火災だと申しおった。魔族の仕業に違いないのに!」

 苛立ちを乗せて勢いよく足を踏み鳴らす。

「度し難い者どもだ! しかも、異類の混じった得体の知れない一団を他の神殿の者共は受け入れておる。歴史あるエディスの街にあのような風体の者を野放しにし、あまつさえ支援しようなどと! 全く、どいつもこいつも忌々しい!」

 憎々し気に吐き捨てる。

 その得体の知れない者たちが消火活動に貢献したという事実は誰も言及しなかった。見たいものしか見ず、知らぬ振りをして今まできたのだ。これからもそうであろう。


「その一団ですが、実は我ら以外にも邪魔に思う者がおります」

「ほう、気骨がある者もいるのだな。誰だ?」

「のたうつ蛇です」

 複数、息を飲む音が聞こえる。黒ローブたちは情報を得ることの有用性を知っていた。だからこそ、のたうつ蛇という秘密結社がエディスの暗部であることも知っていた。自分たちもやむを得ず強硬手段に出ることはあるが、奴らは金銭や快楽のために悪事に手を染めている集団だ。

 忌避する空気が漂う中、最奥の黒ローブはにんまりと嗤う

「ちょうど良いではないか。ならず者どうし、ぶつけ合うのだ」

 エディス周辺の同志を束ねる者が乗り気になったことに、報告者は満足した。苦心して内部に入り込んだ甲斐があったというものだ。その報告を効果的な時期を見計らえた自分を褒めたい。これで、同志たちの中でも一歩先んじることができた。白手袋を嵌めるのもそう遠くないかもしれない。

 白手袋は剣術や武術といった荒事に特化した高い水準の技能を持つ者だけがつけることができる。白い手袋をしていても汚れない者だけがつけることを許されている。それを、もしかすると密偵の役割をする者として初めてつけることを許されるのではないか、そんなことを妄想して唇を緩めた。


 報告者の夢想は、続く反論の声にすぐに破られることとなる。

「しかし、そのような悪辣な手段を。我ら光の民としては穢れを持ち込むようなものでは?」

 鋭い舌打ちに、思わず声を上げた黒ローブは怯む。

「児戯ではないのだぞ。事はエディスの行く末に関わる。我らが泥をかぶる覚悟をしなくて如何する!」

「し、しかし、それでは光の教義に反します」

「そうです。それこそ魔族が好む所業」

「我らには出来かねます」

 思いもかけない複数の反発の声に、一団を束ねる男は歯がゆく思わずにはいられなかった。綺麗ごとだけでは事は成し得ない。それに、今まで散々強硬手段をも実践してきた。エディスの街の者たちの支持を博した集団に怖気づいたとしか思えなかった。

 全く、使えない者どもである。

 権威への渇望はあっても実力が伴っていない。腹立たしい限りである。

 しかし、頭を押さえつけてもうまくいかないことはある。自分はごり押しだけの無能とは違うのだ。

「なるほど、相分かった。では無用な手出しはよそう。けれど、監視は怠らぬよう。むろん、翼の冒険者や新興集団、のたうつ蛇たちも、だ」

 自分たちの言が受け入れられ、弛緩した空気が漂う。


 アリゼもまた事の成り行きが落ち着いて安堵していた。だから、次に名を呼ばれて意表を突かれ、素っ頓狂な声で返事した。

「同志四十五番!」

「ひゃ、ひゃい!」

 あたふたと前へ進み出る。フードの奥から冷たい眼光を確かに感じる。そっと俯き加減になってその視線から逃れる。

「翼の冒険者に近づけたか」

「い、いえ、その、常に人に囲まれていることが多くて……。薬作成の器材は商人から手に入れたようでして」

 先ほど反発にあった鬱憤を晴らすかのように盛大な舌打ちをする。

 アリゼの肩が知らず跳ね上がる。

「まあ良い。そうさな。ぶら下げる餌が必要だろう。貴様は薬草扱いの経験者だったな。魔法は取り扱えるのか」

「は、はい。水の魔法を得意としております」

 男はアリゼの返答に満足気に大きく頷く。

「では打ってつけだ。薬草園に勤める者を紹介しよう。そちらで入用のものを手に入れるが良い。だがくれぐれも注意せよ。同志の間でも秘すべき領域だ。貴様ごときが容易に踏み入れられぬ場所で、貴重な代物を取り扱うのだ。ゆめゆめ言動を慎むが良い」

 散々な物言いだが、アリゼは気に掛ける余裕はなかった。貴重な薬草を扱う者との仲立ちをしてくれるというのだ。

 自分の得意分野で活躍できるということと、秘められた薬草に触れることができるということに心躍らずにはいられなかった。集会もそっちのけでどんな薬草園なのかということが頭の中を占める。


 アリゼは水の魔法を使うことができた。

 黒ローブたちも炎や風、水に大地といった基本魔法を使える者がいた。しかし、光の魔法と闇の魔法を扱えるものはいなかった。

 闇の魔法など論外であった。光の魔法を使用できるのであれば、聖教司となる。こんな風に素性を黒い布の奥に押し込め、汚い仕事につかず、日の当たる場所、表舞台で活躍することができる。それができないのも、属性魔法が光ではないからだ。

 光は上位魔法であるゆえに取り扱うことができる者はごく一握りだけだ。聖教司の中でも光の魔法を取り扱えない者はいる。しかし、逆に他の属性の魔法を扱えるというのは枷となった。ひた隠しにするか、こうして黒ローブという組織の中でのし上がる武器にするかのどちらかであった。

 アリゼは森の中の薬師、魔女として蔑まれていたので、隠す必要もなかろうと思っていた。それが今回、こうして功を奏した。

 薬草を育てるだけであれば第一に光と大地の属性、二番目に水や風の属性が好ましい。だが、薬師となれば、水が第一に食い込む。血液循環といった様々な要素が絡んでくるからだ。つまり、薬物の対象への影響も鑑みなければならなくなる。


 閉会後、紹介状を受け取り、教わった道順をたどって隠れ家からそう遠くはない場所へと向かう。街壁の中ではあるが、建物の少ない場所で、そのせいか広々とした印象のある場所だった。大きな建物は中庭の周囲を取り巻くようにして建っている。まさしく、薬草園のために建てられた建築物だった。

 薄い花びらは鮮やかな赤や紫、白色に色づく。そして、細くまっ直ぐに伸びた茎の上に放射状の幾つもの楕円形を乗せた丸い果実が付いている。未熟果のうちに傷をつけて液を採取する。古来より鎮痛剤として重用されてきた。

 アリゼは一目で悟る。

 貴光教はこの特別な薬草の催眠性や有毒性をもってして、布教に役立たせてきたのだ。重労働者に人気取りで配ることがあると祖母から聞いたことがあった。

 そして、アリゼがいち早くこの薬草園が何を意味しているのか知ったことを、薬草園の主であるイシドールもまた察知した。

「やあ、君が同志四十五番? 自分はイシドール。薬草園を任されている。君のように若いが知識豊富な者は歓迎する」

 にこやかに迎えられ、貴光教神殿内世界が広がることを感じた。

 陽光に照らされ、一重咲きの花もまた歓迎するように揺れる。それが明日には散ってしまうものだと知っていても、有用な実を結実させるのであれば、良いのだと思えた。



 ダイスの目の確率は人知では予測できないと言う。

 セレスタンもその言葉には強く同意したい。

 勝つか負けるか、こんなに熱くなれるものだとは思っても見なかった。

 セレスタンはあれから、何度かカルロスと飲食を共にし、ダイスに興じるようになった。

 サイコロは正六面体の転がりやすいように角が削られている。各六面にはそれぞれ一から六までの点が掘られ、対面は必ず七になるようになっている。。この数を「目」と言い、サイコロを転がして止まった天辺の数を「出目」と呼ぶ。

 そして、サイコロの目の確率は人の知り得るところではない。

 神の領域への挑戦である。

 浮世を忘れるのにこれほどうってつけのものはない。

 酒場で再会したカルロスが熱くそう語るのに、そんなものかな、という感想しか抱かなかった。しかし、試しに掛け金なしで遊んでみると、なかなか面白い。セレスタンでさえ、的中させることができるのだ。初めは掛け金なしだった。だが、当てることができるのだ。あの酒場に三度四度通ううちに、セレスタンはとうとう金を掛けるようになった。それでも、慎重に初めは少額から掛けた。それを後悔した。なぜなら、セレスタンはついていたからだ。ことごとくダイスの出目を的中させた。

「あーあ、いるんだよな、こういうやつ。セレスタン、お前にはダイスの神様の加護がついているよ!」

 どこか羨ましそうに言うカルロスに、面はゆい気持ちになった。

 他の場所で自分の居場所を見つけたセレスタンは気持ちが楽になった。工房でもまだ何とか仕事を続けていられる。

 その気持ちの余裕は、強気となって表れた。

「あぁん? 何だ、その面は! 文句でもあんのか? いや、ないよな! そんな働きしかしていないのにしっかり食事と給金を貰っているんだ。文句なんかあるはずないよな!」

 そう言われてつい反論してしまうようになった。

 ぐつぐつと煮えたぎる染料のように、セレスタンの腹も煮えていた。魔獣の素材から噴出する悪臭はひと際酷く、常に胃が痛み、咳が止まらなくなった。

 咳き込むセレスタンを、汚い唾を飛ばして染料を汚すな、と親方に怒鳴られ、腕を振り上げぶつ仕草をされたりもした。

 セレスタンの思考も、この染料と同じく不気味にどす黒く暗くどろどろした、そして煮えたぎったものに変化していった。



 貴光教ほどではないが、他の属性の神殿でも人の暗部に触れることがある。救いを求められる者は困難に出くわしていることが多く、勢い人の性根にも詳しくなろうものだ。

 風の神殿では他の属性ほど戒律に厳しくはない。そうでなくては先進的な考えに裏打ちした知性を磨くという行為は成し得ない。

 そして、敬虔な信徒もまた柔軟性に富む者が多い。そのうちの一人がある日、聖教司に囁いた。のたうつ蛇という残虐な集団が幻獣のしもべ団のことを嗅ぎまわっている、と。

 風の神殿はすぐさま水の神殿や大地の神殿と連携を取るために、手を回した。

 滅多に交流することのない他属性の神殿、エディスの頂点に立つ聖教司たちの会合は相成った。

 支援を断られたとは言え、幻獣のしもべ団は翼の冒険者を支える者たちだ。そして、翼の冒険者たちこそが神託の御方であると確信していた。そうでなくても、彼らはエディスに何かと尽力してくれる英雄である。

「わたくしは愚考しますに、翼の冒険者は心根がまっすぐなだけあって、こういった暗部からは程遠い方なのだと思います」

「そんなもの、我らやそれこそ幻獣のしもべ団が支えれば良いこと」

「もちろん、そうです。そして、清浄のままで、暗部とは縁遠いままでおられてほしいのです」

 翼の冒険者の不足点を指摘したと受け取った大地の聖教司の言葉に、風の聖教司はすかさず補足する。大地の聖教司はなるほど、と頷く。

「それでは、わたくしどもが動きましょう。何も、かの御方やその従者たちの手を煩わせずとも簡単に押し込められましょうぞ」

 水の聖教司が何てことのない風に言う。

「それが良いでしょう。念のため、幻獣のしもべ団にもお声掛けしようと思うのです。そして、我らの力が及ぶまでの間、翼の冒険者にはしばらくエディスを離れていただくのがよろしいかと。神託の御方にはぜひ、我らのことをもっと良く知っていただきたい。それで、先日演奏会にご興味を示された崖の上の神殿へ行かれることをお勧めしようかと思います」

「むう、それは風の神殿ではないか」

 嫉妬深いのが欠点である水の性質を露わにした聖教司が不満を口にする。

「二つ名にあるように、他の者が赴くに困難な場所こそ、興味を示されるのではないかと思うのですよ」

 何せ、彼の御方らはどこまでも高く飛翔することができるのだ。自分たちが見ることのできない光景を目にしてくることだろう。

「では、幻獣のしもべ団たちも街の外へ?」

「はい。火災の喧騒が落ち着くまでしばらくの間、街を離れることを誠心誠意お勧めすれば、受けて入れて下さるのではないかと」

 風の聖教司の言葉は的を射ていた。

 会談後、腰を低くして風の神殿へ足を運んでもらいたい旨を伝えた。

 気軽に応じたシアンとマウロは揃って彼らの提案に頷いた。

 シアンは以前からティオたちの気晴らしに遠出をしたいと思っていた。ティオとリムもまた、遠出は好きだった。何しろ、シアンと共に行動する時間が長くなる。

 新たなしもべ団員を増やしたマウロとしても、街を離れて彼らの能力の把握と戦力の底上げをしておきたいと思っていた。

 シアンは気づかなかったが、マウロは風の聖教司たちが行おうとしていることに勘づき、探る視線をしていた。しかし、にこやかな聖教司の笑顔を崩すことはできなかった。

「どうぞ、こちらの書状をお持ちください。シアン様は薬に興味をお持ちだとか。高地特有の植物もありますし、処方など指南するようしたためております」

「ご丁寧にありがとうございます」

 場所を確認し、ついでに何か運ぶものがあれば、と請け合うと、遠慮しいしいではあったが、日用品などの物資を預かった。

 マウロたちしもべ団は訓練がてら、ゼナイド第二王子を誘導し、シアンに目を付けた人型異類マティアスの足取りを追うと言う。

「大丈夫だとは思うが、気をつけてな」

「マウロさんたちも、危ないと思ったら、調査は途中で打ち切って逃げてくださいね」

「分かっている。しもべ団の第一条項は目的遂行よりも命を拾え、だからな」

 にやりと笑い、腕を軽く上げて、マウロは他の団員たちが待つ酒場へと消えた。




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