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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第三章
106/630

14.染色工3/冷蔵庫を作ろう1

 

 煮えたぎる鍋にこれまでのレシピとは異なる植物をすりつぶしたものを入れる。

 立ち上る湯気に汗を拭いながら、セレスタンは長い棒で染料をかき回す。

 親方の思い付きで新たな染料のレシピを開発中なのだ。小さな鍋で試してみてからにしたら良いと思うが、実際使ってみる時と異なってはいけないので、大きな鍋を用いるように指示された。配合を比例して倍加させれば良いのにとは思うが、それ以上は言えなかった。言えば怒声が返って来るからだ。重ねて言及すれば、自分に対しての反抗だと受け取られるのだ。

 本業とは別の作業はセレスタンの負担を増やすだけだった。

 染料の中で布をかき回す作業に頭は使わない。

 勢い、セレスタンは余計な作業や空腹、親方への恐怖と微かな反抗、といったことを鬱々と考えることになった。鍋に様々な不満を注ぎ込み、棒を操る。立ち上る湯気はセレスタンの悪感情を含んでより悪臭をまき散らす。

 しかし、まだ植物を使っているだけましだった。

 それを今日思い知らされることとなった。


「おい、これをすりつぶして入れてみろ。まずは二十三番のレシピにだ」

 親方から渡されたものは拳大ほどの黒っぽい石に見えた。

「これは……?」

 小太りの体を揺すってにやりと笑う。

「それはな、魔獣の素材だよ! 慎重に扱えよ。高かったんだからな」

 驚いて取り落としそうになる。

「魔獣の素材なんて、そんなもの」

 入れても大丈夫なのか、という言葉は呑み込んだ。通常のレシピでさえ胸がむかつく悪臭に悩まされているのだ。

 魔獣は毒を持つものも多くいると聞く。その成分が湯気と共に出て来て吸い込んだら、危険なのではないか。

「つべこべ言わずにわしの言う通りに作りゃあいいんだよ! 従来通りのやり方をただひたすらに守っているだけでは、すぐに立ち行かなくなるんだ」

 セレスタンの声音や表情から反抗の意を読み取ったのか、不愉快そうに言い捨てる。

 確かにその通りかもしれないが、人体に影響を及ぼす可能性を加味しての試みなのか。劣悪な労働環境でも、徒弟は物申すことができないことはままあった。


「ふん、本当に使えない。ギルドで決めた徒弟は怪我させてはいけないという規則さえなきゃあなあ。最近の若いやつはひ弱だからちょっと殴ったらすぐに血を出しやがる。昔はよく殴られたもんよ。でもなあ、わしらは自分からこけたんだって言ったもんさ。そのぐらいの気概が必要なんだってんだよ、仕事にはよ!」

 親方が言う通り、ギルドの規則には親方は徒弟を殴ってはいけないというものはない。怪我をさせてはいけない、というだけだ。怪我させたとしても罰金程度で済む。セレスタンが暴力をまだ振るわれていないのは偏に親方が余分な金銭を支払いたくないからという利己的な理由によってだった。


「ったく、誰の給金を捻り出すために俺がどんなに努力していると思っていやがるんだ。あの女も女だ。せっかくわしが後添いに貰って生活の面倒を見てやろうと言っているのに、さっさと親方権を渡せっていうんだ。そうすりゃあ、他の業種の工房を手に入れて、さらに商売の幅を広げられるってのによ」

 所詮、女一人では生きていけないから、すぐにこちらに尻尾を振る、などぶつぶつ言いながら部屋を出て行った。


 残されたセレスタンは手の中の魔獣の素材を見ながら途方に暮れた。こんな得体のしれないものを入れた染料が発する湯気を吸い込み続ければ、そのうち病を得るかもしれない。自分の体一つが財産であり、収入源である。その体を壊してしまっては元も子もないのではないかという気持ちを拭えないでいた。



 ログインして居間へ行くと、庭でティオと遊んでいたリムが飛びついて来る。

 それを見守っていたティオも近寄って来て、二頭にブラッシングをしていると、かすかにフラッシュの声が聞こえてきた。珍しく、厨房にいるようなので挨拶がてら顔を出す。

「珍しいですね、厨房にいるなんて」

「ああ、SPが減っているから何か食べておこうと思って」

 実際、フラッシュは食料備蓄を保管してある棚を眺めていた。椅子の上に前脚立ちした九尾もいる。何を食べるか物色していた、という風情だ。

「ここのところ攻略ばかりだったから、生産を始めたら止まらなくなってきたんだ。そうすると、SPが足りなくて」

「作りますよ。食べたいものはありますか?」

「ありがとう。だが、作り置きしてくれているものを消費しておかないと、賞味期限があるだろうからな」

 気遣いの人ならではの言葉だ。

「この世界には冷蔵庫はないですからね」

『リムは物質を冷やせるのだから、冷蔵庫を作れるのでは?』

 伸び上がって棚を眺めていた九尾がシアンの呟きを拾う。

「お前、たまには良いことを言うな! それだ、シアン。冷蔵庫を作ろう!」

 褒められたのかけなされたのか、と首を捻る九尾の傍らでフラッシュが目を輝かせる。根っからの物づくり好きらしい様子だ。フラッシュは召喚師として活動しにくくなった際、工房に籠って錬金術師として生産に明け暮れていた過去がある。

 九尾がこの世界にない冷蔵庫を、説明を受けずとも知っていたことに関しては、召喚獣はある程度召喚主の思考を読み取って関連する物事を学習するので、その一環だと片付ける。問題視するなら、もっと他のことがある。所謂、そこじゃない、である。


「そうですね。冷蔵庫があると僕としてもありがたいですし。リム、力を貸してくれるかな?」

「キュア!」

 肩に乗ったリムが前脚をぴっと上げ、元気よく快諾の返答をする。一緒についてきたティオが小首を傾げてその様子を眺めていた。

「私もリムが氷をつくるのではなく、物を冷やすことができると聞いた時から何かできないかと思っていたんだ」

 フラッシュが珍しく浮かれた様子で語る。

 やはり物づくりに携わる人間にとって、新しいことへの挑戦というのは心躍ることなのだろう。


 フラッシュは早速とばかりに工房から箱を抱えて来た。鉄製や銅製の他、シアンにはよくわからない材質の箱を三つ四つ運んでくる。一抱えもあるものを積み上げ運んでくるのは、流石の生産職の腕力だ。それとも、見た目よりも軽いのだろうか。

「以前、クーラーボックスを作ろうと思ったことがあるんだ。壁にぶつかった。断熱かつ真空状態に保つことが難しい」

 そちらは精霊に頼めばクリアできそうではあるが、とりあえず、口を噤んでおく。

 クーラーボックスときて、何故冷蔵庫に思い至らなかったのか、とフラッシュは悔しがっていたからだ。自分でできることはしたいだろう。

「もちろん、断熱性の高い素材を使うとして、箱の中を低温に保つためには密閉性も重要になってくる。氷を入れているだけではいつかは溶けてしまうからな。リムが物質を冷やすことができるなら、冷蔵庫を作れるんじゃないかな」

『しかし、持続性はどうでしょう。魔石を用いるにしても、魔力が切れるのと氷が融けるのとは同じなのでは?』

 滔々と語るフラッシュに九尾が疑問を呈する。

 魔石はいわば電池のようなものであるが、そこに属性が帯びる。一つの魔道具に二種の属性の魔法を用いようとすれば、二つ以上の魔石が必要となってくる。

「そうだ。しかし、氷が融けるよりも長く持続させることができるのではないか?」

 期待の籠った視線をリムに向ける。


「じゃあ、リム、まずはこれを冷やしてくれる?」

 シアンは器に淹れた経口補水液をリムに示して見せる。

「液体か。個体も試したいところだな」

 フラッシュの言に、生肉を一切れ用意する。

 結論から言うと、リムは物体の温度を下げることができるだけで、持続性はなかった。

「こういう実験を繰り返して新しい物を生み出すんだよ」

 特に気負った風でもなく、それよりも自分の手が届かなかった分野で色々試せることに楽しそうだ。

「都度冷やすか魔石を頻繁に取り換えるしかないか。もしくは、やはり氷を入れておくか」

 落胆の色は見せずに、事実を検証するフラッシュに、シアンも申し訳ないという気持ちではなく、次はどうしよう、という考えになる。

「魔石に魔力を籠めることができるんですよね?」

「そうだ。魔石は各属性の魔力を籠めることができる。中には魔法自体を閉じ込めることができるが、それができるのは一握りの者だけだな。魔石自体も相応のものが必要とされるそうだよ。魔石を内蔵した魔道具ならその魔力供給を受けながら一定期間効果を及ぼすことができる。箱の中を冷やす魔道具を作るのが一番かな」


「リム、魔石に冷やす魔法を閉じ込めることはできそう?」

「キュア?」

 フラッシュの言を受けてシアンは問うてみたが、リムは首を傾げるばかりだ。

 マジックバッグから魔石をいくつか取り出す。小さいものを一つフラッシュが取り上げた。

「私は魔法をこめることはできないが、まずは魔力を籠めることからやってみよう。こうやって、自分の魔力を魔石に移すんだよ」

 実際にフラッシュがやってみせる。掌に魔石を乗せ、軽く握り神経を集中させる風だ。

「リムもやってみてくれる? ……僕もやってみようかな」

 シアンもフラッシュを真似て魔石を手に取る。途端に、脳裏に魔石に魔力を移すか、というアナウンスがされる。実にゲームのシステム的である。

 リムもシアンを真似て魔石を一つ掴んだ。

 途端に、軽い破裂音をたてて、魔石が砕け散る。

「リム、大丈夫? 破片で怪我していない?」

「キュア!」

 慌ててリムの体を眺める。下手にはたいて怪我をさせては大変だ。

『シアンは破片をかぶっていない?』

「うん、多分大丈夫。英知、リムの毛の中に破片が入っていない?」

 ティオの懸念に軽く答えて、風の精霊に助けを求める。

 室内にも関わらず、氷が解けたばかりの透明度の高い湖を渡る風のような、清涼な香りが鼻腔を掠め、目の高さにつむじを作ったかと思うと縦長の螺旋を描き、人型を取る。

『体が自然と弾いていたよ。君のは風で防いでおいたから』

 突発的事項でも防ぐことができるのか。

『ドラゴンの魔力に耐えきれなかったようですな』

 呆然とするシアンを他所に、九尾が正しく欠片も見当たらない粉々になった魔石のかすが床に散ったのを眺める。

「とすると、相当高位魔獣から魔石を手に入れる、か?」

『ぼく、力加減がまだまだうまくできない』

 リムがうなだれる。

「初めてのことに失敗しただけさ。気にすることはないぞ。むしろ、どんどん失敗してみると良い。何ができて何ができないか、知っておくと便利だからな」

「キュア!」

 慰めるというより、何てことない事実を告げる風情のフラッシュに、そうなんだ、とリムが納得する。

 それを眺めていたティオがおもむろに前足を魔石に乗せる。こちらも軽い音をたてて塵となる。

『ぼくも駄目だった』

『ティオもダメ? お揃いだね!』

 顔を見合わせてうふふ、と笑い合う。


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