12.染色工2/魔道具親方の寡婦2
グリフォンと小さい幻獣を連れた翼の冒険者は一見、何の力もないぱっとしない人間だ。その実、異能を持つ人型異類の一種だ。
しかし、それ以上に何らかの力を持っている。不可解な力を。
街中を歩く姿は隙だらけだ。
武芸に秀でているわけでも、気配に敏いわけでもない。魔力はそこそこありそうだが、あまり魔法を使うこともない。
市へ行き、食料を見繕い、調理をして、と全くの料理人だ。
かと思うと、多くの街の人や冒険者、街の有力者である商人と親しくしている。
そして、何かに気を取られた時でも、容易に入り込むことは叶わなかった。
だからこそ、精神的にも肉体的にも弱らせて入り込もうとしたのだ。
それも失敗に終わった。
何がどうなっているのか、見定める必要があった。
一体、どんな力を持っているのか。水の精霊を呼んでいたが、それと何か関係があるのかもしれない。
強大な力の気配を予感し、身震いする思いだ。もしそれが自分の手に入ったら。
宿主の養分を吸い上げて力を蓄え、身を切り離し、増殖して、操り人形を増やしていく迂遠な作業をしなくても済む。
自分が思う通りのことを実現する力を手に入れることができたなら。
それは甘美で心を強く惹かれることだった。
一つ一つ積み上げるようにして、時には一足飛びの技術革新を経て、長く幅広の、品質の良い布地が織られるようになった。その背景には職人の変哲のない毎日の積み重ねがあった。
毛織物は数十の工程を有し、その数だけ各ギルドがある。
このエディスから他国へも商人が運んで行く商品の一つである。また、女性も打毛や糸紡ぎ、織布といった工程の職人がおり、中には女親方さえもいた。
染色もまた、毛織物生産の工程の中で重要な役割を担う。
植物や昆虫などから染められた美しくも鮮やかな色合いのものは、高価で富の象徴とも言える。
一人前の染色工は「青い爪」と揶揄されることもあった。染色液に浸かって爪が青くなるからだ。
人間ができることは小さい。各属性の魔法訓練を積む神官でもなければ、特にそうだ。
染色の大きな工房では魔法を使用することもある。水の魔法はむらなく仕上げ、火の魔法と風の魔法は火力を維持する。
土の魔法は鉱物に関するもので、鍛冶や石工が取り扱えられれば重宝された。
製鉄の際の燃料確保に石炭から不純物を除去する必要があるが、この技術は相当難易度が高かった。これを魔法で行うこともできたが、相応の魔力と操作能力を要した。
セレスタンも魔力はそう多くはないが少々の魔法を扱えた。石を砕き、砂状にすることができた。これが元に戻るのならば石工としてこれ以上ない戦力となる。だが、未だかつて砂を石に戻す者は現れたことがない。セレスタンも同じくだ。
また、随意に大きさを指定して細かく切ることができるのは世界でも一握りの者たちだけだ。
鉄や銅が混じれば砕くことは叶わなかった。
過去には鉄鉱石から鉄と不純物を分離させたり、鉄を除いた石の部分だけ砕くことができた者もいたらしい。その者は製鉄に重宝され、巨大な富を得たと言う。
せめて、形を整えることができれば、石の切り出しが楽にできたものの、セレスタンは石を砕くことしかできなかったのだ。砕いてしまえば使い道がなくなる。
そして、崖や岩肌を直接砕くことも無理で、自分の背丈ほどの石を砕くことができるだけだった。
大地の魔法が些少なりとも扱えたから石工となったが、もう少し使い勝手が良かったら、もっと長く務めることができただろうか。
そうすれば、魔法を使えても役に立たなかったことを、声高に批難されることもなかった。魔法を使えない者に、石工のことを何一つ知らない者に、石工のなりそこないだと言われることもなかった。
そんなとりとめないことを考えたのは、石工時代のことを夢に見たからだ。
夢と現実、過去に現状が混ざり合って、やるせない気持ちになる。
今日も鼻につんとくる臭いで起こされる。
自分の体に染みついた染料の臭いだ。
この匂いが服や髪、体の隅々に染みつくことで、染色工は大抵街の同じ一角に寝泊まりすることになる。
臭いを発する工房もまた、同業同士が固まって建つ。
これは皮革業や肉屋も同じで、大量の水を必要とし、悪臭や汚水、廃棄物を排出するので、限定された地区での営業を義務付けられた。各ギルドでも都市条例によって規制を義務付けられている。
集められればそこに独特の匂いがこもる。
それぞれの職種の臭気が集まることでより強くなり、また、染めやなめし、解体などの各種の臭いがまじりあってとんでもない臭いを作り出していた。
これで健康を害する者もいた。
そういった区画に近くには住みたがる者は少なく、家賃も土地も値が下がる。そうすると、貧困層はそこに集まってくる。
セレスタンはまだ爪が青く染まっていない。
務める工房ではそれほど高価な染料を頻繁に使うことはないということもあるが、セレスタンの主な業務は雑用が多いからだ。
初めは薪を管理することから任された。これがかなりの重労働だ。石工時代の経験が物を言う。
織物は毛織物、亜麻布など様々な素材があった。流石に絹織り物のような高級品を取り扱うことはない。素材に合った染め方を必要とされる。
大人が入れる大鍋に身を乗り出し、悪臭や湯気を吸い込むので、吐くようになってからが一人前と言われる。
専用の大きな竈に乗せられた大鍋で、ぐつぐつと染料と布を煮る。二、三人がかりで棒を持って、むらなく布に染料を染みわたらせる。どろりとした濃い粘着質の液体と布を操るのは結構な重労働で、かつ、臭いも酷い。上半身を鍋に乗り出しての作業であるから、自分もまた染料を含んだ湯気に染められていくような感覚がある。
そして、薪を大量に使う。
染料の後始末も厄介で、規制があってもなお、エディスを流れる川の小さな支流に流す工房は後を絶たない。
染色の他、例えば皮革業で、皮なめしは大の大人の腿から下がすっぽり入るほどの大きさの桶の中で踏む。これは野外の川辺で行われることもある。また、板に動物や魔獣の皮をはりつけ、作業する。専用の刃物で余分なものを削ぎ、器具で伸ばす。
水を使用し、作業後の汚水を処理する必要があるため、こちらもまた頭を悩ませると聞く。
セレスタンは最近、親方から提供される食事では物足りなくなり、酒場に顔を出すようになった。ひもじさからくる衝動にかられ手近な店に入ると、皮革工と相席になり、話を聞く機会があったのだ。
自分ばかり苦労して、という気持ちが芽生えていたものの、彼らの話を聞くうちに、どこも何がしかの苦労があるのだと思い知らされた。
どんな仕事も大変だ。
セレスタンは今与えられた居場所で歯を食いしばって頑張るしかない、とすきっ腹を抱えて頑張ろうと考えなおした。
ナディアは亡き夫の魔道具工房の親方権についてギルドを訪れていた。
街の広場に建つ高く立派な建物を有する毛織物関連ギルドとは異なり、大通りには面しているものの、こじんまりした建物である。
魔力ランプが描かれた看板を掲げている。
魔道具ギルドの象徴である魔力ランプのような一般家庭にも普及した魔道具は、提供する側の試金石となる。一定水準以上の均一な品質を安定して作り出せなければ、魔道具工房を開く免許を得ることはできないのだ。手作業で安定水準の物を定数作り出す、量産品の難しさはその道に携わった者にしかわからない。
魔道具の動力となる魔石を扱うこと自体、免許を必要とされる。
魔石を用いる魔道具は誰もが自分の能力以上の魔法を扱えるようになるので、製作する工房側に厳しい規定が課せられている。どういった効果をもたらす魔道具を作るのか、ギルドの許可を得なければならない。これを顧客の注文毎に一々申請していると手間も時間もかかるため、一定の規定を設けられ、そこから逸脱するもののみ事前申請が必要となる。
例えば、暗殺器具などは簡単に作ることはできない。そうと知らずに顧客から注文を受け、ギルドに申請した際、その危険性を指摘されることもあるのだと聞く。幸い、ナディアの工房では未だかつてそんな事例に出くわしたことはない。
驚くことに、アダレードのようにこの免許制が緩やかな国もあるのだという。その隣国からきた異界人たちがエディスで魔石を取り扱う生産を行おうとして、問題が起きた。
魔道具ギルドが管轄しているエディス内に張り巡らされた魔石関与生産感知に登録者以外の反応があり、係りの者が駆け付けたところ、工房で魔道具の生産を行う冒険者が発見された。
その工房は全所有者が経営難から手放したもので、元は魔道具を取り扱う工房ではなかった。工房を手に入れ、開店するのではないからと冒険者ギルドへの報告を後回しにして早速生産にとりかかった冒険者は異界人だ。環境を整える前に、時間経過が必要とされる前処理をしておいて時間短縮を図ろうとしたのだと係りの者に答えたのだそうだ。
一角獣虜囚事件で国がろくに機能していない中、冒険者ギルド他、魔道具ギルドも問題解決に奔走させられたと聞く。
順序が逆になったがための違反行為であったことや、本人がエディスに来たばかりで事情を知らなかったこと、反省していること、何より、翼の冒険者と同郷であるということから、冒険者ギルドから魔道具ギルドへ寛大な処置を求められた。
翼の冒険者が掃討したと言えるすさまじい勢いで魔獣を狩り、その魔石を早い時期から流通させてくれている。魔石を何より必要とする魔道具ギルドからしても、翼の冒険者は救世主である。
偏に翼の冒険者と同郷だから、とエディスの街の人の見方は柔らかくなる。彼らが打ち立てた功績に感謝しているからこそ、恩返しをしたいという気持ちがそうさせるのだ。
ナディアは以前、思いもかけず工房を訪ねて来た翼の冒険者の柔らかい物腰を思い出し、巷で言われる英雄然としたところがないものの、それだけにこちらが何かをしてやりたくなる人柄だったと思い返す。
さて、研究者の側面も兼ね備えている魔道具工房の人間は、どこか経営に疎いところがある。そのため、実直で素朴な印象のあるギルドであるのだが、今日は雰囲気を異にしていた。
「ですから、その親方権をわしが買い取ると言っているのですよ」
「はあ、ですが、それは先方に確認してみないと何とも……」
「聞くところによると、跡取り息子もいないそうじゃないですか」
「エディスの立派な工房をつぶすのに忍びない」
受付カウンターに数人の男が群がり、まくしたてている。
「いえ、でも、先方の意向も確認してみないと」
「それとも何ですかな、その女性は自分のところの職人と所帯を持って親方権を譲る気にでもなっとるのですかな」
受付の人間は普段、押しの強い人間に慣れていない所為かしどろもどろで応えている。その受付と目が合う。
「あ、ナディアさん!」
助かった、という声が聞こえそうな表情になる。受付の反応に、一斉に男たちがこちらを振り向いた。
亡夫の工房のことを話していたのだと知り、ナディアは嫌々そちらに向かう。
「ナディアさん、こちらの方々がご主人の工房の親方権について買取りを希望されているのですがね」
受付は最期まで話すことができなかった。今度は一斉にナディアに向けて話しかけてきたからだ。ぐるりを取り囲まれ、思わずナディアは後退る。いつの間にか背中は受付カウンターに押し付けられている。
「あんたが亡くなった親方のおかみさんか」
小太りの男に上から下まで嘗め回すように眺められ、自然と鳥肌が立つ。男からは何とも言えない変な臭いが漂ってきて、ナディアは鼻で息を吸わなくて済むように、咄嗟に口呼吸に切り替える。
「いやね、今この人に尋ねていたんだが、ぜひともそちらの親方権を買い取りたくてね」
だみ声の男が猫なで声で言う。
「お子さんはいないそうですね。継ぐ方がおられないのなら、考えることもないでしょう」
商人風の男が淡々と言う。
「亡き旦那さんの立派な志を引継ぎ、私が工房を存続させてみせるぞ」
どこかの工房の親方なのか、がっしりした体つきの男が熱心に言う。
彼らは口々に自分が工房を買い取ると言う。
ナディアとしても、彼らが言うことが間違ってはいないことを知っている。そして、職人たちのためにも、少しでも良いところに売るべきなのだとも。
ただ、夫の思い出が残る工房はもう存続することはできないということが悲しかった。そして、それを悼む間は与えられていなかった。心がついていかなくてまごついている。そう、ナディアの気持ちが弱いだけだ。すべきことはしないといけない。自分が生きていけないだけではなく、職人を路頭に迷わせることになる。彼らはこれまで工房を支えてくれて来たのだ。
「それとも、あんたは自分のところの職人と所帯を持つ予定でもあるんですかな?」
先ほどと同じくじっとりした視線のまま、小太りの男が尋ねる。
「いえ、まだ何も決めかねています」
ようやっとそう答えると、また男たちが口々に話す。
「待ってください、みなさんの条件を一つずつお伺いします」
我先にと話す男たちはナディアの言葉を聞いていない。他の者の主張を自分の声を大きさで押さえつけようとするのに、ナディアは耳を塞いでうずくまりたくなった。そうやって事態をやり過ごしたい気持ちに駆られる。
大きな音をたてて、ギルドの扉が開いた。
「あんた、工房を放り出して、何をやっているんだい!」
「そうだよ、こんな畑違いのギルドに!」
恰幅の良い女性とやせぎすの女性が連れ立ってギルドに入ってくる。
「何って、新しい親方権を手に入れてだなあ」
「俺のところもそろそろ新しいことに手を広げる頃合いだ」
ナディアを取り囲んでいた者の内、親方風の男とだみ声の男のそれぞれの連れ合いのようだ。先ほどまでの勢いはどこへやら、慌てて弁明する。
「それで? その新しい試みとやらの話し合いはうまくいったのかね?」
「い、いや、今まだ商談中だ」
つかつかと近寄ってくるおかみさんたちに押され気味だ。
二人連れはナディアのすぐそばまでくるとこちらも上から下まで眺めまわした。ただし、視線にこもる温度は格段に低い。
「ふん、こんな小娘に毛が生えたような女一人を言いくるめられなくて、何が商談だね」
「人の良さそうな顔をして、こんなに大勢を手玉に取ろうなんて、どんなアバズレだか知れたものじゃない」
とんでもない言いがかりだ。
しかし、この二人のおかみさんの乱入によって、ナディアを囲んでいた包囲網は解散された。
「よくよく考えてみてくださいよ」
「悪いようにはしませんからな」
口々にそういったことを登らせながら去って行く。
安堵の息をついていると、小太りの男がギルドを出るそぶりを見せつつ、一団の最後尾から戻ってくる。
「あんた、何なら、わしの後添いにならんかね。そうすれば、万事うまく行くよ」
そう言いながら、肩に手を置かれる。その手が肉をもみながら、二の腕に移動する。思わず、腕を払いのけた。悲鳴を上げる余裕もなかった。
「ふん、よく考えることだな。女一人で何ができると言うんだ」
拒絶された男は目を吊り上げる。
「一人で食べていくのも難しいだろう? それとも、もう新しい勤め先、売春宿は決まったのか?」
エディスには特定区域に売春宿があり、生活の為に職人や親方の妻だった者がここで働くことがあった。
ナディアは眩暈を感じた。
流石に男の言葉に受付が声を荒げる。
「あんた、何てことを言うんだ!」
カウンターから身を乗り出す受付に、男は鼻を鳴らして去って行った。
「ナディアさん、災難だったね。あいつはボリスと言う染色工の親方だと言っていたよ。気をつけなね」
人の良い受付に励まされながらも、ナディアは気疲れしてろくに口を開くことはできなかった。その日はギルドで用事を済ませることなく、早々に引き上げることにした。




