8.エディスの勤労少女/黒衣の少女、接触を指示される
冒険者とは時に街に定住する者もいたが、基本的に街から街へと移動をする流民だ。エディスの冒険者は懐が温かい者は冬に南方の街や村へ行き、春になると戻ってくる。冬は過ごしやすい地方に行き、仕事が増える頃に戻ってくるのだ。
つまり、彼らとは家族になれない。厳しい冬をともに過ごすことができない者たちだからだ。
そんな彼らはどこか退廃的で刹那的な雰囲気を漂わせている。だからこそ、年若い女性はその命を燃やす一瞬の輝きに引きつけられる。せせこましくなく豪快なところに憧れるのだ。
「ねえ、聞いている? サンドラ、私、もうどうしたらいいのか」
最近、恋人ができたと言っていた友人が表情を曇らせている。
サンドラは料理店の片隅で久々に会う友人と向かい合って食事をしていた。恋人ができたばかりの時、とても幸せそうだったので、サンドラと会う機会が減ることは寂しいものの、仕方のない事だと思っていた。
それが、先ほどから同じ内容を何度も繰り返し話されて閉口する。食事を摂っていれば気も紛れたが、目の前の皿はすっかり空になっている。
いつも友人が彼の家まで訪ねて行っている。彼は一度も訪ねてきてくれないし、こちらの予定にも合わせてくれないと言うのだ。
「ねえ、彼にとってあなたは本当に本命なの?」
いい加減、焦れてきたサンドラは核心を突いた。
友人もそのことに関して疑問を持っていたようでばつの悪い顔をする。その様子に勢いを得て、さらに突っ込んだことを口にする。
「あなたの話しぶりじゃあ、本命かどうか分からないし、それに、浮気癖は治らないって聞くわよ」
「でも! 本当に良い男なのよ! 何でもできるし勉強熱心だし、見た目も良いわ」
友人はここまで付き合った時間を無駄にしたくないし、会って話すと楽しい。結婚を考えていると言ってもくれている。私も早い時期に結婚したいと思っている、とまた同じ話を蒸し返す。
サンドラはため息が出るのを堪えた。
これだから、街の男も油断ならないのだ。彼らはあちこちに良い顔をする。
性別関係なく、少しでも条件の良い相手を捕まえようとするのは当たり前のことだ。だったら、冒険者でも良いではないか。友人が言う通り、見目も頭も良く、自分の力で魔獣を狩り、財を得ている冒険者であるならば、結婚の条件として申し分ない。
そう、フィルのような。
フィルは先日、サンドラが務める宿屋と酒場兼用施設にやって来た冒険者たちのリーダーを務める男だ。サブリーダーのユアンが話してくれたところ、相当の実力者のようだ。金払いが良いことや六人というフルパーティをいくつも形成できる集団のトップというところが良い。
狙うならそこそこ勢いのある集団のトップだ。これが老舗や最大の集団、というのであれば付き合いやしがらみで入り込む余地はない。冒険者という流民である点をマイナスポイントとして捉える者がまだ多い中、競争相手が減ってやりやすい。そして、トップであれば、分け前を多く占めることが多々ある。旨味は十分だ。
「ところで、貴方が所属している結社とかいうもののことなんだけれど」
「あ、サンドラ、入る気になった?」
話題を変えるつもりで結社のことを口にすると、友人は表情を変える。
ひとまず、出口のない会話とは離れることができたようだ。
「何だっけ、自己実現を目的とした集団だったっけ? アイデンティティの拠り所?」
「そうよ、最近エディスでも入る人が増えているんだから!」
都市として成長しつつあるエディスは物質的に豊かになると、精神的拠り所を必要とし始め、それぞれの目的に応じて結社という集団を作りそこに所属する者が増加する傾向にあった。
浮気性の恋人に悩まされる目の前の友人が自己実現を叶えているとは思えない。それが表情に出ていたのか、友人が慌てる。
「か、彼のことは、そう、まだこれからよ。私だってもっとしっかりしなくちゃって思って……」
「はいはい。そうね、同じ目的を持つ人との関わり合いで色々知っていくこともあるでしょうし」
「そう、そうなのよ!」
勢い込んで話し始める。
やれやれと思わないでもないが、恋人の話を蒸し返されるよりは良い。
サンドラは飲み物を追加注文しようか迷いながらも、友人との休日を満喫するのだった。
四方の壁、天井、絨毯でさえも黒い部屋だった。
松明の灯りと中央の燭台に灯された蝋燭が集まった黒いローブを着た者たちを照らす。濃い陰影がわだかまる。
中央の丸テーブルの奥に立つ男もまた、頭から黒い布に覆われ、鼻先から下しか見えない。
「こたびのゼナイド王室の失態は誠に遺憾である。天帝宮からの沙汰いかんによっては別の血筋が国王に立つやもしれぬ」
彼が話すのは今最もエディスの街で注目されている事象だ。
中央の男と対峙する黒ローブ集団から、一歩前へ出た男が拳を逆側の肩に手を当てて口を開く。
「その件ですが、城に放った手の者より、非人型異類が関与していたという報告が上がっております」
静粛を掲げる彼らにあるまじき、ざわめきが起きる。中央奥に立つ男がす、と白い手袋をはめた手を持ち上げる。潮が引くように静まる。
「知能の有無はどうだ。その非人型異類が主犯格として扱われ得るのか?」
「そこまでは……」
「では、調べを進めよ」
追及されて口ごもる黒ローブに、腕を薙ぐ。
「はっ」
一礼して後ろへ下がる。途端に黒ローブ集団に飲み込まれ、誰が誰だか判別がつかなくなる。
「他にはないか」
促す言葉に別の者が一足歩みを進める。
「はっ。冒険者が例年になく大挙してやって来た模様」
「じかに見ずとも分かるわ、騒々しい」
口調に苦々しいものが混じる。
他の者が前へ出た。
「冒険者の中には大きな集団の者もおりますようで」
「徒党を組むことでしか、依頼を全うすることができぬ者もおろうな」
鼻を鳴らし、見下した言葉を言い捨てる。
「仰る通り、物慣れぬ風情の者が寄り集まっております。ですが、中には世情に長けた得体のしれぬ団体もおりました」
初めて興味を示した風で顎を少し上げて先を促す。
「その者らが件の一件やその他街の様々なことを嗅ぎまわっている様子」
「ふむ、何者だ?」
「いえ、まだそれは分かっておりません」
「佞悪粛清を掣肘されることがあってはならぬ。引き続き調べるように」
「はっ」
一礼して後ろへ下がる。先に前に出ていた者も一緒に下がる。
中央の男は黒ローブを右から左へ眺め渡す。他に報告が上がらない様子を見て取り、おもむろに口を開く。
「次に翼の冒険者のことだが」
黒ローブの集団の端で息をひそめていたアリゼは思わず身を縮める。
「同志四十五番、前へ」
自分の番号を呼ばれ、思わず声を上げそうになって指を噛んでやり過ごす。
あたふたと前へ出ると、周囲にいた同僚たちは避けるどころか、煩わしそうにする。
拳を肩に当てる礼を取る。
「同志四十五番、薬草の知識があったな」
「はっ」
跳ねる心臓を宥めながら、なるべく落ち着いた声を出すように心がける。
アリゼが同志である黒ローブたちに罵られるのは、偏にこれが原因だ。
アリゼは物心ついた頃からエディス近郊の森にある小屋で祖母と暮らしていた。両親はなく、ひたすらに薬草を摘み、抽出して薬をつくることが当たり前の日々だった。その祖母を亡くし、取引先の一つだったこの黒ローブの集団に共に働かないかと声を掛けられたのだ。にもかかわらず、声を掛けてくれたのとは別の黒ローブたちはそんなアリゼを魔女だ、はみ出し者だ、と口汚く罵った。森の中の薬師は往々にして魔女と呼ばれる。世の理からはみ出たものを蔑んだ。
そして、そんな末端の者の些末な事情も、男はよく記憶していた。そういった些事を粗略にしないからこそ、今この場所に立っていられるのだと自負してもいた。
「では、その知識を以て件の翼の冒険者と接触せよ」
「何故……」
掠れた声音でそれだけ言うのが精いっぱいだった。
「かの者が薬に興味を抱いて聞いて回っているからだ」
シアンが薬に興味を持ったと知り、アリゼは唇の端が吊り上がるのを堪える。
「はっ」
あまり注目されていたくはない。早々に後ろへ下がるアリゼは同志の指示によりシアンとの接触が持てることを喜んだ。先日、佞悪粛清を邪魔したシアンのことを、同志たちは快く思っていない。だから、街中でも声を掛けるのを憚られていたのだ。これで、大手を振って会いに行ける。
次々と部屋を出ていく黒ローブを纏った同僚たちに心無い冷たい言葉を浴びせかけられても、耐えることができた。