1.異世界へ ~そちも悪よのう~
さんさんと注ぐ日の光に、歩くたびに頬をよぎる風、人ごみが発するざわめき、屋台で販売されている香ばしい食べ物や焼き立てのパンの香り、それらが五感全てに訴えてくる。
そして、違和感なく反応する四肢は身軽で、気分が高揚した。
おうとつのある石畳に木と石でできた建物と屋台が並び、人通りが多い。
中世ヨーロッパを土台にした活気のある街並みだ。
大きく違うのは衛生面で優れていることだ。こういったところはプレイヤーの過ごしやすいようになっているのだろうか。
「冒険者ギルド」という組織が経営する建物を出ると、賑やかな商店が並ぶ光景が見えた。
建物から伸びる三本の道のうち、ひときわ賑やかで匂いが濃く漂ってくる方を選んで歩いた。
軒先に大きな塊の肉が吊るされた肉屋が真っ先に目に飛び込んでくる。壁の上半分をくりぬいて作られたカウンターや室内の棚にも所狭しと肉が並べられている。山積みの色とりどりの果物を地面すれすれまで陳列している果物屋、香ばしい食欲を刺激する匂いで客を誘うパン屋、客が行列を作る屋台、と食料関連を扱う店が並んでいたのだ。料理人としては外せない。
と、果物屋の店先に白い動物を見かけた。犬くらいの大きさの耳がぴんと張った―――「狐?」
街中では見かけない動物だ。
姿としてはホッキョクギツネにしては耳が大きく先が尖っていて、アカギツネに似ている。
シアンの声が聞こえたのかひくりと耳を動かしたものの、ふんふんと果物屋に積まれた桃のような果物の匂いを嗅いでいる。
「駄目だよ、売り物だからね」
鼻先がくっつきそうになっており、とっさに手で遮った。
「温かい……」
白い毛並の中、黒々とした鼻は温かく湿っていた。
「きゅ」
「あ、ごめんね。触るつもりはなかったんだけど、つい」
言いつつ、すぐさま手を引っ込めた。
「きゅ?」
尻上がりに高く鳴いて小首をかしげて見せる。狐の割に、人に似た動作をする。
「可愛い」
知らず知らず笑みがこぼれるシアンに狐が尻尾を振る。その尾が二重、三重に見える。
「尻尾は一本じゃないの?」
「魔法だよ。その狐は妖狐で幻想魔法が使えるんだ」
シアンの疑問に答えが返ってきた。そちらを振り向くと、中肉中背のシアンよりも指三本分ほど身長の高い女性が立っていた。
「私はフラッシュ。彼のいたずらを止めてくれてありがとう」
「いえ。僕はシアンと言います」
「彼は私の召喚獣で九尾という」
「召喚獣」
召喚獣というのは確か、他の場所から召喚した魔獣や幻獣で、戦闘などの手助けをしてもらう存在だったはずだ。術者よりも高位の存在を呼び寄せることもあるが、厳しい条件などが課せられる。
『九尾のきゅうちゃんです!』
語尾に抑揚がついた元気な声が聞こえてくる。
「きゅうちゃん?」
シアンが思わず繰り返すと、フラッシュと狐の赤い目が揃って見開かれる。
召喚主と召喚獣ってしぐさが似てくるものなのかな、などと思っていると、さらに高めの澄んだ声が聞こえてくる。
『きゅうちゃんは可愛い狐です! ……りぴーとあふたーみー?』
ぽかんと口を開いてまじまじと狐を眺めた。
そのシアンを赤い目が見上げる。しばし、視線が絡み合う。
「きゅうちゃんは、かわいいきつねです」
にらめっこに負けた。
九尾は満足げに長い鼻づらの下に伸びる口、閉じられているため黒い筋に見えるそれの両端をきゅっと持ち上げ、頷いた。
「すまん! こら、九尾!」
慌てて止めるフラッシュにどこ吹く風の九尾だ。
『シアンちゃんは素直な良い子です』
「本当にすまん……」
シアンはとうとう耐え切れずに笑い出した。
「フラッシュさんはこのゲームを始めて長いんですか? ぼくは今日初めてプレイしたんですが。というか、ゲーム自体ほとんどしたことがなくて」
店先で話すのは邪魔になるから、とオープンテラスの喫茶店で向かい合う。
オーダーした紅茶はちゃんと味も香りもあったし、熱い。カップから立ち上る湯気が顎を湿らせる。
「そうか。私は二か月前からだな」
そう言うフラッシュはプレイヤーのように武器を所持していたり鎧やローブを着こんでおらず、軽装に白衣をひっかけている。ショートカットで切れ長の瞳と固い口調と相まって、研究者といった印象を受ける。
「じゃあ、ほとんど初期の方から?」
「ああ。シアンはゲームは初めてなのか? よくVRMMOをしようと思ったな。しかも、このゲームの製作会社は母体が医療機器メーカーだ。従来の整備されたMMOゲームほどシステム構築されていないという噂だよ」
実際プレイしてみて、それは否めない、とフラッシュが肩を竦める。
「異世界旅行に興味があったから、ですね」
「ああ、キャッチコピーの。確かにここは異世界として成り立っているな」
MMO、マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン、大規模多人数同時参加型オンライン。ロール・プレイング・オンラインゲームの一種だ。
シアンがこのダイブ型バーチャルリアリティゲームに参加したのは異世界旅行と銘打たれていたからだ。
何をするのも自由、ただし、責任や罰則も付きまとう、というキャッチコピーと、パッケージの対比が鮮やかな空の色と緑豊かな風景がいっそ牧歌的にも思え、気を惹かれた。
ろくにゲームをしたことがなく、MMOがどういったものか今一つわかっておらず、キャラクターメイキングにも手間取った。
何でも、武器や防具を身に着け、魔法やスキルという技能を使って魔獣と戦闘することもあるのだそうだ。
暴力を積極的に行いたいわけではなく、ファンタジーの世界ならではの魔法にあこがれはあるものの、説明を読む限り、複数ある種類の中から属性を選びそこから派生した魔法やスキルを育て、更には各種条件を揃えて扱えるようになるものもある、ということが煩雑に思えて、自分に使いこなせるかどうか不安があった。
中には吟遊詩人という職―――なんと補助とは言え、戦闘職だった―――まであったが選ばなかった。
かといって、生産職とカテゴライズされた職業も、一般的な会社勤めをしたことがなかったゆえの敷居の高さを感じた。
自分は『五感を通じて別世界を楽しめる』という宣伝文句に惹かれてこのゲームを始めたのだから、と除外していくとそう多くの職業は残らなかった。
その考えが一般的なMMOゲームの趣旨から逸脱していることに、キャラクターネーム「シアン」が気づくのはそう時間はかからなかった。
思うがままに体を動かしながら、本当にのんびり異世界旅行を楽しむつもりだった。
だから、街や村といった安全地帯の外には魔獣が襲ってきて、それを倒すことで特殊能力である「スキル」を成長させたり「経験値」を得てレベルを上げ、仕事を請け負ったり「倒した魔獣の部位」を売却することで金銭を得る、といったお約束の流れを知らなかった。
現実世界も異世界も、生きるためには金が必要だ。どちらの世界も共通して世知辛いのだ。
知らなかったので、シアンはメイン職業に料理人を選んだ。
鍛冶師や細工師、薬師といった職業よりは身近で分かりやすかったためだ。
サブ職業も選べるが、悩んだ挙句、何も選ばなかった。今すぐ決めずに後から選ぶことにした。
顔つきや体格は本来の自分の姿から多少変えられる程度で、後は髪や瞳の色を変えることができた。身長体格を現実のものと乖離させると感覚に齟齬が起きやすいからだという。
それほど繊細なものなのか、と思ううちに、光に包まれ、まぶしさが収まるにつれ、周囲が木と石でできた建物の中に変化し、チュートリアル開始のアナウンスが脳内に流れた。
魔獣のことやスキル成長のことを聞くうちに、どこかの厨房で皿洗いをする自分の姿が脳裏に浮かんだ。いや、それとも包丁一本で魔獣とやり合う? 牛刀など振り上げるどころか持ち運ぶことすら難しいだろう。
シアンにとって幸運だったのは、このゲームが仲間との時間が合わないプレイヤーの為の救済措置として、ノンプレイヤーキャラクター、NPCの助力を随所にちりばめてくれていたことだ。
社会人向けのゲームだからか、この世界は現実世界とは時間のずれがある。9時間巻き戻る。現実世界の19時が異世界の10時となる。
戦闘は最大六人までのパーティという単位で行う。そのパーティ最大五組による多人数参加戦闘、レイドを組むこともできるが、これは一定の条件下による。
人数が多い方が戦闘が有利に進められるが、現実世界との折り合いにより、少人数しか集合しない、もしくは一人だけの場合、冒険者ギルドという機関で一緒に戦闘を行ってくれるNPCを紹介してくれる。
冒険者ギルドは主に、仕事の斡旋や討伐した魔獣の部位の買取りなど、名前のごとく、「冒険」に必要なもろもろのことに対処する機関でもある。
そして、このチュートリアルを受けた場所が冒険者ギルドである。
もろもろの説明を聞き終えて通りを歩いていると、九尾を見かけ、つい手を出してしまったのだ。
「どうだ、異世界は?」
「こんなにリアリティのあるものだと思いませんでした。NPCも普通の人と変わらないですし」
「そうだな。九尾もNPCだ」
フラッシュの足元に座った九尾を見やる。オーダーしてもらったケーキに夢中だ。
狐がケーキを食べてもいいのかと聞いたところ、九尾は幻獣で、好みはあるものの、何でも食べるらしい。
「これがAI……」
Artificial Intelligence、略してAI、人工知能だ。
膨大な知識やルールを持ち、なおかつ学習能力さえも備えた。ディープラーニングのおかげで一層人に近づいた。
「シアンには九尾の意味のある声が聞こえるんだな」
「ええと、きゅっきゅという鳴き声の他に、ということですよね」
鳴き声に被さってもう一つ声が聞こえる。
「他の人には聞こえないんですか?」
「ああ。私は召喚主だから当初から聞こえていたがな。召喚獣とは親密度の高低で意思疎通が取れるケースがあり、稀に九尾のように初めから何を言っているのかわかることもある」
また、親密度が増すと特定の動物形態NPCの言葉がなんとなくわかるようになると語った。
(親密度、か。親しさも数値で表されるのかな)
「会ってすぐに意思疎通ができるなんて、な」
ふと視線を感じ、九尾の方を見やると、こちらを見上げている。
何とはなし言葉は出てこなかった。九尾も無言で、しばし見つめあう形になる。
『もふっていいのよ』
「もふって?」
「ああ、撫でる、だな。毛足が長い動物の姿をもふもふといわれているんだ」
「じゃあ、遠慮なく?」
首のあたりが毛足が長い。
そこを中心に背中や耳の裏側をなでる。
『良いもふりでした』
目を細め満足げで、ほんのり頬が紅色に染まっている。
血色が良くなったというよりは恥ずかしそうに見えるのはなぜだろう。
そして、半透明な尻尾が数本増えてゆらゆら揺れている。
いつか、名のごとく九本見えるようになるのだろうか。
「じゃあ、今度機会があったら尻尾に触らせてもらおうかな」
『きゅうちゃんの魅惑の尻尾に!』
やはり尾はデリケートなのだろうかと思うシアンに、九尾はどこから出してきたのか、扇子を開いて鼻先にかざす。
『そちも悪よのう』
きゅっきゅっきゅと鳴いているが、おそらく笑っているのだろう、ずいぶん悪どい雰囲気だ。口元を隠す扇子は幻で、すぐに消えてしまった。
「幻想魔法は複合魔法で高度なんだ。いまだにプレイヤーで使えるものはいないんだが……それを町中でどうでもいい小芝居に使われても」
フラッシュが複雑な面持ちでつぶやく。
『いつもすまないねぇ、ごほごほ』
「ああ、まったくだ」
『そこは「それは言わない約束よ」でしょ!』
九尾に答えず、シアンに肩をすくめて見せる。
「私が現実世界で近代日本文化を研究しているからそっちの知識があってな。九尾はそこから派生したものを学習してしまったらしい。召喚獣はある程度、主の意思に沿うために主の思考を読み取るんだが、九尾は斜め上に学習能力が高いようだ。まあ、一言で言えば、ギャグが古い。古すぎてわからんだろう?」
つまりは何かしらの元ネタがあるのだろう。
『ファッションも懐古される! 過去のギャグをよみがえらせて何が悪い!』
「意味が通じんところだな」
驚愕の表情で、九尾はフラッシュとシアンを交互に見た。
「えっと、ちょっと何を言っているのかわからないこともある、かな?」
遠慮がちなシアンの言葉に、きゅう、という甲高い悲痛な声が上がる。
もっとも、「がぁん」という声が重なっており、悲哀さよりもコミカルさを伝えてくる。
よろよろと数歩歩き、ちらりとシアンを見上げ、くるりと丸まって自分の腹に顔をうずめるようにして横たわってしまった。
「ごめんね、きゅうちゃん」
『と、ここまでがお約束です!』
がばっと勢いよく立ち直った。いや、立ち上がった。
赤い目が輝いている。
『シアンちゃんは素直な良い子です! 本日二度目の「良い子」発言、いただきました!』
「ああ、本気で相手にしなくてもいいぞ。こいつはいつもこんな感じだから」
フラッシュは疲れた顔でぞんざいに言った。
愉快な召喚獣とその主と別れた後、シアンはすぐにゲームの世界からログアウトした。
こういった仮想世界のゲームをしたのが初めてならばゲーム内で普通に会話をするのも初体験だ。初対面の人間と話すこと自体が久々で、楽しくはあったが、非常に疲労を感じていた。
薄暗い部屋の専用ベッドに横たわったまま、しばらく動けずにいた。
定期的に寄せては引く波のような痛みが、全身くまなく覆う倦怠感を強める。深呼吸することに意識を集中させ、痛みをやり過ごした。
VR用の機械を装着したまま、眠ってしまおうかとも思ったが、横になっていても痛みは引かない。眠気は時折やって来るが、痛覚が刺激され眠れない。
切り開かれているみたいな鋭い痛みに、時々びくっと体が跳ねそうになる。
続く痛みと眠れなさに苛々する。
患部が熱を持っている。
いつまでもこのままかと暗澹とした気持ちになる。
重い腕で上半身を支えてようよう起き上がらせ、VR用の機械を眺める。
(あれが人工知能。作られたものなんて……。だって、あんなにおかしなことばかり言っていたんだよ?)
白い狐が突拍子もないことを言っていたことを思い出して思わず噴き出した。
途端に、自在に動いてくれない体のあちこちが悲鳴を上げる。
ログアウトしたばかりなのに、不自由なく行動することができたゲームでの世界が恋しくなる。
人の脳の信号を読み取り、VRの世界に溶け込ませる装置が開発された。
二十世紀半ばにVRのヘッドマウントディスプレイが出現して以来、実に一世紀以上もの時を経て、ヘッドギアタイプのVR機が作り出された。
主に医療や宇宙、軍事分野での技術向上が期待されたが、均一的な量産が可能になった後、教育や広告、そしてゲームなどのエンターテインメント業界にも爆発的に広がった。
現在では、脳や蝸牛だけではなく、延髄などの他の神経をも網羅するために体の一部を覆う機器が開発されている。
VR機の性能向上によって、仮想空間でプレイヤーの意志行動を代理するアバターの実現性が大幅に改善された。ゲームの世界に自分自身を送り込めるようになったのだ。その上でカスタマイズするのが主流となった。
現実世界とそん色のない自身の体が、スキルといったゲームシステムの補佐を得て、物語の登場人物のような働きをすることができる。
ストレスの多い現代社会での憂さを晴らすようにVRMMOは広まった。
旅行会社の参入もあり、市場は膨れ上がった。
また、ゲームシステムの秀逸さがそれを支えた。
AIは作られた世界の中でNPCとして多様な個体を動かす。また、プレイヤーの脳の反応を読み取り、 ゲームの世界に反映させる。電脳世界でAIはまさしく神と等しい存在だった。
実際に個性的なNPC九尾と出会い、科学の進歩にシアンはただただ感心するしかなかった。




