『生とは』
私は電車を利用して毎日会社へ通勤する。今日もまた、そんな平凡な365日の内の1日である。
本日の仕事も漸く終わりを迎えた。新卒ということで、ガミガミと先輩に叱咤されながらも、愛想笑いを振りまきその場をしのぐ、そんな1日の終わりである。1日の終わり、即ち、本当の自分の顔を作る時間の始まりである。
どんな顔をしているのであろうか。疲弊しきったその形相はおそらく仏の「無」をも超越しているのではないだろうかとさえ思わせる。
そんな、己の象徴としてならざるを得ない面を所有しながら、駅までの15分を歩み進む。這い蹲るようにして「普通」に歩く。「普通」とは何かという疑問はここでは考えないこととする。暗黙の了解というやつであろう。
駅に着くと、右ポケット内で眠るようにダランとしている回数券を手に取り出し、眼で見て確認することなく、サッと改札口に滑り込ませる。すると、皮肉なことに、一仕事を終えた私の様な立ち振る舞いと風格で、改札口から回数券がダランと出てくる。しかし、哀愁漂うその容姿に私は「美」を感じ嫌いになれなかった。
そして漸く電車に乗り込み、4人がけの空いている一席に申し訳なさそうに「そーろっと」周りに軽く会釈をしながら座る。
私の疲弊しきった面が席に座ることにより少し緩んだ。柔んだ面に「あっ」と恥ずかしくなり、また「無」の表情を世に振る舞う。しかし、もう遅かった。目の前には2人の子を連れた母親が私の顔を微笑みながらしれっと見ている。そこで次は、恥ずかしくなって、顔を「無」に戻した事に恥ずかしさが湧き溢れてきて、顔面が赤らんだ。母親を挟んで前方、左側に位置する弟、右側に位置する姉もまた、生物学的対象物を見るかの様に私の顔を凝視していた。弟は混沌とした世をまったく感じたことがなく、全てが「新しい」という様な、煌びやかな眼差しで私を見ていた。姉は世の厳しさを学び始めた中での疑いの眼、畏れを抱く様な眼差しで私を見ていた。
私は、赤らめた顔を維持しながら、ニコッと彼らに微笑んだ。即ち、恥ずかしさを挽回しようと試みたのである。すると、弟と目があって弟もニコッと微笑んだ。コミュニケーションの成立である。言葉を超えた究極のコミュニケーションである。人はこれをシンパシーと呼ぶ。すなわち、魂の共鳴とでも表現できようか。すると、弟は初めての魂の共鳴に気持ちが高揚し始めたのか、脚を上下にバタつかせながら母親の顔を屈託のない笑顔でみる。母親は、「んもう、はは、すいません」と言わんばかりにこちらを見て軽く会釈した。これもまた心と心の結びであろうか。
ふと、弟に目をやると、弟の口が「パクパク」と動いている。何かを話しているのだろうかとすぐさま察知し、つけていたイヤフォーンを外し、口パクの先の真理を求めた。すると、屈託のない笑顔をこちらに向けて「こんにちは」と言っているではないか。疲労困憊の身体に浸透する「何か」が私の体を癒しの楽園へと向かわせた。「至極の悦びとは、この事なのか」と、つい心の中で感情が文字化された。しかし、この「何か」は一体なんなのか。イメージでいう「涙」、子供の頃に感じた「ディズニーランド」の存在の様なそれは、神聖なものの様にも思えてならない。仕事による疲労困憊は一瞬にして相反する至極の楽園へとテレポーテーションした。
楽園へ向かう最中、ふと姉に目がいった。すると、不安そうな顔を返す姉。しかし、その不安をも包み込む聖母の様な母親の笑み。
気がつくと、時間は経っていた。私たちの座っていた4人がけの席は、そこだけ、隔離された空間の様であった。
私より、1つ早い駅で前方に座る家族は下車をした。儚さと切なさが込み上げるその別れは、幼馴染の引越しを見送る少年の情景を思い浮かばせる。数十分の間に交わした言葉は、「こんにちは」の唯1つ。しかし、眼で私たちは何百、何千も語り合っていた。
「いってしまった」と車内の窓から外を見ると、母親の手の中に包まれて私にめがけて手を振る弟と不安そうに母親の手を握る姉の姿があった。バイバイの口パクは視覚を通さず直接私の脳へ語りかけたような気がした。そこで、私は、「何か」の存在に漸く気がつくことができた。その「何か」は、私の「生きる意味」を意味していた。
しかし、次の駅で私は、「無」を極めた面で下車して家に帰っていった。