タヌキとこおり
タヌキの八兵衛は、夏の暑さにうんざりしていました。
「あー、暑い、暑い」
里山は、蝉しぐれ。水場は干上がり、木も枯れて、涼む場所さえありません。
「暑い。暑くて、鍋で茹でられているみたいだ。なんとかしたいなぁ」
困り果てた八兵衛は、山にある古いお堂へ行きました。ここはたまに仙人様であったり、天狗であったり、偉い方々が遊びに来ていて、八兵衛のような困ったタヌキに知恵を貸してくれるのです。
「おや、これは珍しい」
床下からお堂へ潜り込んで、八兵衛は目を丸くしました。
お堂の中は、氷の世界。仏像も、蝋燭も、何もかもが凍り付いて、ぶるぶると身震いしています。八兵衛が吐く息も、まるで冬みたいに白く色づいているのです。
「おお、八兵衛か」
お堂の中には、仙人様がいました。仙人様はふさふさの髭を撫でて、かか、と笑います。
「今年は特に暑いからな。雪女を呼んでみた」
「ゆきおんな」
「そうだ。どうだ、涼しいだろう」
見ると、部屋の奥に美しい女性が座っていました。彼女が息を吐くと、ぱらぱらと雪が舞っていきます。
どうやら、この雪女がお堂を冷やしているようです。
「これだ」
外の暑さに困っていた八兵衛です。すぐに、仙人様に頼みました。
「仙人様、お願いがございます」
「ほう。なんだい」
「実は、暑くて困っております。私達タヌキの巣穴にも、この人を呼んでくださいませんか」
「いや、しかしなぁ」
仙人様は、嫌がります。
タヌキが油断ならない相手だということを、仙人様はよく知っていました。下手に力を貸すと、すぐに味を占めて、悪巧みをするところがあります。
「お前たちタヌキは、すぐに悪さをするからのう」
悪巧みをしたタヌキを天狗や仙人が追い回すのは、山ではよくある景色でした。タヌキは化けて姿を変えられるので、悪いタヌキはとことん悪いのです。その化ける力も、元々は仙人様がくれた力でした。
「それに、この暑い中を雪女に歩かせては、ちとかわいそうだ」
「では、これはいかがでしょう」
雪女が優しく言いました。彼女はどこからか、壺を取り出します。
「飴が入っています」
「飴ですか」
「はい。この飴を舐めながら、息を吐くと」
八兵衛が言われた通りにすると、なんと冷たい息が出て、雪が舞うのです。
「この通り、氷が出ます。これで涼むといいでしょう」
ただし、と雪女は言いました。
「すぐに溶けてしまうから、気を付けて」
確かにその通り。八兵衛の口の中で、冷たい飴玉は氷みたいにあっさり溶けて、なくなってしまいました。
「よかったな八兵衛。里のタヌキと分けるのだぞ」
「はい! みんなと分けましょう!」
八兵衛は頷いて、お礼を言って、お堂を去っていきました。
ただし八兵衛の決意は、少しすると、氷のようにあっさり溶けてしまいました。
◆
八兵衛は、まず巣穴で飴玉を舐めてみました。巣穴の中に氷を作っておくと、夜も涼しくて、簡単に眠ることができます。
「こりゃいい」
八兵衛は、思いました。
「この飴玉は、大事にしないとな。すぐに溶けてしまうし、みんなには隠しておこう」
そんなことを思っていたので、
「おい、八兵衛。この氷はどうしたんだ」
「秘密さ」
仲間のタヌキに聞かれても、八兵衛は黙っていました。八兵衛は、ちょっとずる賢い、まさにタヌキの中のタヌキでした。
ある日、道を歩いていた八兵衛は、お地蔵様の前で倒れている女の子を見つけます。どうやら、あまりの暑さに倒れてしまったようなのです。
「うう。暑い、暑いよう」
八兵衛は最初、関わらないようにしました。人と関わると、タヌキにはろくなことがないからです。
「ふん。あいつら鉄砲を持って、襲ってきたりするからな」
けれど、どうしても気になります。その時、雪女からもらった飴玉を思いつきました。
八兵衛はぽこぽこ急いで女の子の元に取って返し、飴玉を舐めて、そうっと息を吐いてみました。
すると、
「涼しい……」
だんだんと、楽になっていくようです。
タヌキが人間に見つかると大変なので、八兵衛は人間の大人に化けました。そして、女の子を木陰に運び込んであげました。
「よくなっているようだぞ」
八兵衛はもう一度飴玉を舐めて氷を作ると、女の子の額に乗せてやりました。ちょっと冷たすぎるかと思いましたが、飴玉で作った氷は、特別な氷です。氷は女の子の額の上で、いたわるように、優しく溶けていきました。
「おじさん」
やがて、女の子は目を覚ましました。
「ありがとう。これ、氷?」
八兵衛は頷きます。人間に化けているので、女の子には親切な大人に見えているでしょう。
「あ、ありがとう。氷って高いのに」
「へぇ? 高いのかい? 氷が?」
八兵衛にとって、氷は冬にタダ同然で手に入るものでした。
「おじさん知らないの? 氷は、氷屋さんが売りに来るよ。冬の間に溜めておいて、夏に売りに来る人がいるの」
「へぇー」
女の子は何度もお礼を言って、帰っていきました。
八兵衛は思いました。
ちょっと涼ませてあげただけで、あの女の子はとても感謝していたのです。この氷で、ちょっと人間からお金を稼いでみるのは、いかにも面白そうでした。
◆
「さぁ、冷たい冷たい氷だよっ!」
人間に化けた八兵衛は、声を張り上げて氷を売り歩きました。夏の暑いさなかです。氷はどんどん売れて、八兵衛はお金を沢山稼ぎました。
八兵衛が通ると、村の家から人が出てきます。
「野菜を冷やすから、沢山おくれ」
「はいはい!」
「大名様に、かき氷を出すんだ」
「はいはい!」
氷はどんどん売れていきます。飴玉は段々少なくなっていきましたが、氷の値段を段々高くしたので、飴玉を節約しても儲かります。八兵衛は毎日荷車をお金でいっぱいにして、山へ帰っていきました。
「なぁ八兵衛。人間に氷を売るんじゃなくて、俺達タヌキにも分けてくれたっていいだろう」
八兵衛は、彼らに氷をあげませんでした。雪女からもらったということも、教えませんでした。なぜなら、他のタヌキに真似されると、八兵衛だけがいい目をみられないからです。
「いやぁ、氷屋さんが来てくれるようになって、大助かりだ」
人間はそう言って、八兵衛を褒めてくれました。けれどある日、八兵衛は偉い人のお屋敷に招かれます。
「氷屋。聞きたいことがあるのだが」
偉い人は言いました。
「お前が山から出てくるのを、見たというものがいる」
村人の何人かが、八兵衛の前に出てきました。何人かは、タヌキが化けた人間でした。どうやら八兵衛は、タヌキの仲間に水を差されたようです。
でも、中に女の子がいるのを見て、八兵衛はもう一度びっくりしました。それはあの日、八兵衛が助けた女の子だったからです。
女の子は、八兵衛を見つめます。なんだか申し訳なさそうです。
八兵衛は、ちょっと嫌な予感がしました。
彼女は、八兵衛がタヌキの姿で冷たい息を吹きかけた時、実は起きていたのではないでしょうか。
「お前、タヌキであろう」
八兵衛がタヌキであることが、ばれてしまいました。
八兵衛は急いで山に逃げ帰り、以降、氷を売ることはありませんでした。これに懲りた八兵衛は、余った飴をタヌキ仲間と分けて、涼しい夏を過ごしました。
でも、八兵衛は巣穴の中にため込んだお金を見て、ため息を吐きます。
「ああ、こんなに溜めたのに、もう人里には降りられない。氷がとけるみたいに、なにもかもがなくなっちまったよ」
季節は廻り、冬がやってきます。夏にあんなに欲しかった氷が、今や雪となって、どこにでもあるようになりました。
◆
その年の冬は、とても厳しいものでした。雪が深く、寒さは身を切りつけるようです。八兵衛は寒さに震えながら、雪の積もった道を歩きました。
「あのう」
八兵衛に、声をかける人がいました。振り返ると、どこかで見た女の子です。
八兵衛はすっかり人間に関わる気が失せていたので、四つ足でさっさと逃げていきました。
けれど、しばらくしてから戻ってきた八兵衛は、びっくりします。さっき女の子がいたところに、笠と蓑が落ちていました。笠は八兵衛の頭にぴったりと納まり、蓑は八兵衛の体をくるりと包み、ほかほかと温かくしてくれます。
「これはいいね」
夏の氷は全て溶けてしまったけれど、八兵衛には冬を温かく過ごす道具が残ったようでした。
笠と蓑には、手紙もついていました。
女の子は、やっぱり最初から八兵衛がタヌキであることに気づいていました。他のタヌキに頼まれて、手を貸したようです。暑さで苦しむタヌキの頼みを、女の子は聞いてあげたのでしょうか。
「ごめんなさい。でも、お友達のタヌキが暑いままで、かわいそうだと思ったの」
そんな言葉が書かれた手紙を見て、八兵衛は貰った笠と蓑を見つめます。
「まぁ、そう言われちゃあな」
その冬。八兵衛は笠と蓑のことを仲間のタヌキに教え、遠くへ用事があるタヌキには快く貸してあげました。不思議なことに、暖かそうなタヌキを見ると、八兵衛の心も温かくなりました。
なお、八兵衛の巣穴には、里で稼いだお金が残っています。これといって使い道がないので、八兵衛はそれをお地蔵様の前に置いてしまいました。すると、来年の夏から、どういうわけか、お地蔵様の前に氷が置かれるようになりました。
氷は丁度、八兵衛の氷を売ったお金がなくなるくらいまで、置かれ続けていたということです。
お地蔵様がご褒美をくれたのか。
それとも、他の誰かがお金を見つけて、八兵衛に氷を買ってくれたのか。
それは誰にも分かりません。
いずれにせよ、八兵衛がものを独り占めすることは、ついぞなくなったということです。