2冊目 ギリギリの委員会
月曜日の朝……窓から差し込む朝日が一週間の始まりを告げる。
いつもならその光でいい目覚めをするのだが、今日は全身が重くてなかなか起き上がれない。おまけにハンマーで殴られたかのようにガンガンと響く頭痛。
どうにも気持ちの良い目覚めとはいかないようだ。
熱でもあるのかと額に手を当ててみる――だめだ、頭がぼーっとして全然わからない。
結局重たい体を引きずってリビングまで行く。
リビングでは一足先に朝食を済ませたとーさんが出勤支度をしていた。
「悠理、大丈夫か?」
「大丈夫……たぶん」
心配するとーさんにとりあえず相槌を返しながら薬箱を探す。
「とーさん、薬箱どこだっけ?」
「そこの棚の上だ。もし熱があったら休めよ。じゃあ、とーさんもう行くから」
支度を終えたとーさんは薬箱がある棚を指さすと、念を押すように言って出かける。
父の言葉を背に、棚の上の薬箱を取ろうと背伸びをする。
届きそうで届かない微妙な高さに少し腹が立つ。
最初は意固地に背伸びをして取ろうとしていたけど、よく考えたら椅子を使えば早い話だ。
そう思って食卓の椅子を持って来ようとした時、ふとテーブルの上に目をやると乱雑に積まれた雑誌の間から体温計が顔を覗かせていた。
「あんのかよ」
思わず声に出してしまう。
まぁ、手間が省けていいか。
体温計のカバーを外して右脇に差し込む。
挟んだ瞬間、体温計の銀色の部分がやたら冷たく感じたので僕は熱があることを確信する。
pppp……
三十秒ほどで無機質な音が鳴り、計測が終了したことを知らせる。
引っこ抜いて確認すると、三十八度二分――うーん、まいったなぁ。
今日は新学期の第二月曜日。
学校でやることと言えば専門委員会の選出にクラス役員を決めるくらいだ。
委員会やクラス役員を進んでやりたがるほど僕は出しゃばりじゃない。
普通の高校なら枠が埋まらない委員会に休んだ生徒を無条件に押し込む……といった現象も起こりうるだろう。
しかし成風高校に限ってまずそれはありえない。
なぜなら成風高校専門委員会は所属しているだけで学校内外からの評価の対象となり、今後の進路を左右するとも言われている。そのため、ひとクラスに男女合わせて十八もあるその席を巡って毎回争奪戦が勃発するくらいだし……。
よし、休もう!
そう、入るつもりのない僕が休んだところで何ら問題は生じない。
僕は部屋に戻りながらそんなことを考えていた。
後に無理してでも学校に行けばよかったと後悔することになるとは知るよしもなく……。
* * * *
翌日、熱も下がり何食わぬ顔で登校すると机の中は配布物のプリントで溢れかえっていた。
新学期はこれだからめんどくさい。
そう思いながら大量のプリントをファイリングをしていると担任がやってきた。
「天久、ちょっといいか」
おおかた連絡事項だろうと思いつつ、先生に呼ばれるがまま廊下に出た。
「悪いけど、お前が図書委員になったから」
「は?」
予想のはるか上をいく言葉に僕は愕然とする。
それと同時に、昨日は考えもしなかったある委員会の存在を思い出した。
図書委員会――九つある委員会の中で唯一、どこのクラスも押し付け合いになる伝説級の委員会。
そして立候補者が誰も現れなければ、早く決めるためにその場にいない者に押し付けるのは人間として当然の心理だ。
どうして僕はそんな常識的なことを忘れていたんだ……今更どうしようもないことだけれど。
自らの愚行に頭を抱えたくなる。
「そんなわけで、よろしく頼むわ!」
「は、はぁ~」
先生は僕の肩を叩き、僕は肩を落とす。
「活動場所は図書館だそうだ」
そりゃそうだ。図書委員が図書館で活動しなかったらどこで活動するんだ。
「あーあ、億劫だ」
職員室に戻っていく背中を目にぼやく。
全てが思うほどうまくはいかないみたいだ。
* * * *
放課後、図書館に行くとそれなりに人はそろっていた。
けれど、どの人の顔を見てもどこか生気がない。
どうやら望んで図書委員になった者はほとんどいなさそうだ。
2—Bと書かれた札が置いてある机の前に座って委員会が始まるのを待つ。
待っている間、どんよりとした空気が広い図書館内を包んでいた。
カウンターに置いてあるデジタル時計が五時になった頃、司書室から委員長らしき人が現れた。
透き通るような白い肌に肩のあたりで軽くまとめられた髪――一言で言って美人だ。
「私が図書委員長の聖澤早苗です。今年こそは序列向上に向けて皆さんのお力添えを……」
「御託なんざ聞きたくねーんだよ!」
委員長が挨拶をしているさなか一人が罵声を浴びせた。
「いまさら序列向上とか無理だから!」
「活動する意味あんの?」
それに続くようにして次から次へとヤジが飛ぶ。
とんでもない委員会だ。
少なくともほかの委員会では委員長が話しているときにヤジを飛ばすなど言語道断もいいところ。
しかしこの委員会に限ってはそれが普通らしい。
結局、話し合いはおろか委員長以外の役職を決めることもできないまま、委員長の挨拶だけで定期委員会は終了する。
委員会が終わった後、入口に殺到する人ごみが消えるのを僕は待っていた。
中々消えない雑踏にいら立ちを覚え始めた頃、委員長がこちらを向いて手招きをしているのが視界に入る。
「君、クラス札と机を戻すのを手伝ってもらってもいいかしら?」
あれだけ罵声を浴びたにも関わらず委員長は笑顔だった。
「ごめんなさいね。最初なのにみっともない委員会になっちゃって。本当は私がもっと頑張らなきゃいけないんだけど」
片づけを手伝っていると委員長が謝ってきた。
「はぁ……でも悪いのは委員長じゃないでしょう」
「ありがとう。君はずいぶん優しいのね」
委員長は僕が気を使ったと思っただろうか?
けど僕からすればそれが本音だ。
別に正義感ぶって罵声を飛ばすのが悪いとかそんなんじゃなく。
すでに時代錯誤とも言える図書館を運営するための委員会――いくら伝統ある委員会といっても土台がメチャクチャだ。
それなのに委員長を責めるのは少し筋違いな気がする。
「僕は優しくなんかないです。ただ――」
僕はそれを言おうと思った。
けれど言えなかった。
「ただ……どうしたの?」
「あ、いえ、なんでもないんです」
訊き返す委員長に僕は慌てて笑顔でふるまう。
「……」
しばらくの間、沈黙が続いた。
別に無理して話す必要はないだろうけど、何だか気まずい。
そんな僕に気を遣ってくれたのか委員長はこう切り出した。
「もしよかったらまた図書館に来てみて。委員会関係なくね」
「えっ?」
「この学校の図書館はカウンセリング室でもあるのよ。まぁ、こんなことを知ってるのはごく一部の人なんだけどね」
「そうですか……」
唐突にカウンセリングとか言われても……。
僕はあいまいな相槌しか返せなかった。
「君……何となく辛そうな顔をしてたからさ」
さらにそう付け加えるものだから、ますます返事に困ってしまう。
どう答えたらいいものか。
「よし、これで終わりっと」
僕が返事に困っている間に作業はほとんど終わっていた。
委員長はカウンターの引き出しにクラス札をしまうと、僕の方を向いて笑顔でこう言った。
「無理にとは言わないからさ。気が向いたら顔を出してくれたら嬉しいかなって」
カウンセリングのことといい、この人は僕の内心に気づいているのだろうか――いや、そんな訳ないか。
「さて、君のおかげで早く片付けも済んだことだし、帰りますか。今日はありがとね天久くん」
委員長はそう言って図書館をあとにした。
委員長……僕の名前、覚えてくれてたんだ。
三学年あわせて四十八人全員の名前をたった一日で覚えるなんて、そうそうできることじゃない。
あの人は人格者かもしれない。
だとしたら……あれ? 自宅の鍵だろうか、クマのキーホルダーの付いた鍵を堂々と忘れてる。
意外とおっちょこちょいなところもあるみたいだ。
仕方ない、届けに行こう。
僕は急いで委員長を追いかけた。