1冊目 過疎図書館
開けっ放しの窓から吹き込む五月の風、閉まりっぱなしの扉の向こうから聞こえる楽しそうな笑い声。
今日も県立埼玉成風高校の図書館は静寂に包まれている。あまりの静寂にほんの些細な雑音でさえ耳を澄まさなくたって聞こえてくる。
普通の教室二個と半分くらいの広さの部屋にいるのは僕一人。
「はぁ」
僕、天久悠理はカウンターに向かって深いため息をつく。
"このご時世、図書館なんて時代錯誤の代物なのかもしれない"
そんな思考が浮かんでは頭の中で渦巻いていた。
それにしてもすこぶる退屈だ……。
別に何かしたいことがある訳じゃないんだけど、放課後にわざわざ図書館に来て座って、誰も来ない中ずっと人が来るのを待っているのはメンタル的にきつい。
静寂すぎて、時おり発狂しそうになる。
だいたい、委員会とかそういうのは一切しないと決めていなのにどうしてこんなことになったんだか――。
まぁ、どうしてこうなったって委員会決めの日に風邪をひいたのが運の尽きだったとしか言いようがないのだけど。
生徒会活動が活発である成風高校は専門委員会に立候補する人が多く、欠席した人に決まっていない委員会を押し付ける現象は発生しないものだと思っていた。しかしそれは素人の浅はかな知識でしかなく、とんだ勘違いだということを後に突きつけられることとなった。
あの時の僕は九つある専門委員会の中で、唯一立候補者の擁立が困難であろう委員会の存在を完全に忘れていたのだ。
――最近本を読まなくなった――
ニュースの街頭インタビューでそんなことを言っているオジサンがいた。
無理もない。
IT革命で情報のデジタル化が飛躍的に進んだ現代では、本なんてものが無くてもパソコンやらスマホやらでいくらでも情報を仕入れることができる。今や新聞に雑誌、漫画から文豪の名作までもが電子媒体で読むことが可能になり、書籍という概念が消滅しつつある。
その結果、ほぼすべての出版社は電子書籍化への方向転換を図り、商品を失った本屋があちらこちらで潰れ、挙句の果てには図書館までもが無くなっていく始末だ。それと比例するように公営のネットカフェが出現し、急増している。
一昨年、教育基本法の改正に伴う学校図書館法の撤廃で学校に図書館を置く義務が無くなった。その影響を真っ先に受けた東京では、年内にほぼ全ての公立学校で図書館が姿を消し、その波紋は瞬く間に関東、そして日本中へと広がっていった。
その結果、図書館を持つ学校はたった一年で三分の一以下にまで激減。辛うじて生き残っている図書館にしても、撤去に予算がかかるなどという惰性の理由でしかない。
つまり、学校図書館は絶滅危惧種なのである。
これら全ては時代の波というものだろうか?
その影響は我が成風高校でも……。
"校内図書館の昼休み利用者数0"
ひと世代前の人間が聞いたら誰しもが耳を疑うような惨状だが、今はこれがほぼ当たり前になりつつある。
決して年がら年中っていう訳じゃないけど、利用者が現れるのはテスト期間中か夏休みとかくらいで、その目的のほとんどが "エアコンの利いた快適な部屋で勉強" という元来の目的とはかけ離れたものである。したがって貸出数はほぼ皆無状態。
ちなみに去年の年間貸出数は――いや、やめておこう……惨めになるだけだ。
ただでさえ頭を抱えたくなるような現実なのだが、さらに追い打ちをかけたのがこの学校が誇る独特の制度であった。
――委員会序列制度――
各委員会の活動成果をもとに全校投票を行い、その結果で順位付けをしていくという極めて単純な制度だ。
ただ、その単純さ故に効果は絶大で、序列が高ければ高いほど予算と定例会議の発言権が増すなど優遇されるため、各委員会とも序列向上を目指して死力を尽くす。
大抵の委員会はそれなりの地盤を持っているのだが、地盤が脆弱な図書委員会は成果をあげられず、過去四年連続で最下位だ。
ざっと現状はこんなところなのだが、僕自身こんな委員会に放り込まれるなんて思ってもみなかったものだから、正直荷が重い。
それでもなってしまった以上はどうしようもないのだから、任期中の半年間はこうやって仕事をこなすしかないのだ。
「はぁ」
再び大きなため息をつくのを見計らったかのように扉が開く。
「失礼しまーす」
一週間ぶりの利用者かな――なんだ、クラスメイトの紙本か。なら利用が目的ではなさそうだ。ちょっと期待したんだけど……残念。
紙本裕二――成風高校きってのメッセンジャーであり情報屋の彼は、軽くセットした茶髪と十人と話せば十人が好印象を抱きそうな笑顔が特徴だ。
彼は本などには目もくれず、カウンターの前で立ち止まるとおもむろに手紙を取り出した。
「天久、手紙が来てるぞ」
「誰から?」
僕は受け取る前に差出人を訪ねた。
しかし彼は首を横に振る。
「知らん。差出人の名前がないんでな」
「わざわざごご苦労様」
差出人不明の手紙なんてろくなものじゃない、と思いつつも手紙を受取ろうと僕は左手を伸ばす。
「百円――」
すると彼は手紙をスッと引いて代金を請求してきた。
「高っ! それに着払いかよ!」
驚倒のあまり思わず大声を出してしまう僕。
「切手が貼られてない場合は着払いになってるんだが」
そんな僕とは対照的に紙本は封筒の左上を指しながら、冷静な声で言う。
「郵便局通してないのに何で切手がいるんだよ!」
「俺が販売してる」
憤って尋ねるも一蹴される。
コイツにこれ以上何を言っても無駄だ。
切手代を払うまで帰ってはくれないだろう。
「いい根性してるよ、まったく」
「毎度ありぃ~」
渋々百円を渡すと、彼は満面の笑みで帰っていった。
あつかましい奴だ。せっかく来たんだから本の一冊くらい借りてくれてもいいのに。
まぁ、なにはともあれ、百円もはたいて買った手紙だ。どうせ次に利用者が来るのは来週以降だろうし、今のうちに手紙でも見ようか。
そう思いながら封筒を開けようとすると、
「天久くーん!」
カウンター後ろの書庫へと通じる階段の方から呼ぶ声がした。
「どうしたんですか?」
振り向くと声の主はもう階段を昇ってきていた。
漆黒の髪色に二つ括りのおさげ、優しい瞳におしとやかな表情。一見、現代の小野小町とか大和撫子といったところだろうか。
彼女こそ、我らが図書委員長、聖澤早苗先輩だ。
美人に間違いない早苗先輩なのだが、その容姿は内面まで語ってくれない。
なんせ先輩は図書委員長に自ら立候補した変わり者なのだ。
「誰か来たの?」
「いいえ誰も」
わざわざ隠すほどのことでもないが、かといって話す義務がある訳でもない。
「そう? さっき声がしたけど」
一瞬でバレた。聞こえてたんなら隠す必要もなかったな。
「地獄耳ですね。でもさっき来たのは利用者じゃなくて新手の詐欺師です」
「あら紙本くんね。いくらふっかけられたの?」
ふっかけられた? 先輩は笑っているけど先輩も被害者なのかな……いや、根本を言えば詐欺師で通じるところがおかしい。
「百円です」
「……切手でも貼ってなかったのかしら?」
金額を言うと早苗先輩は少し考えてから思い当たる節を口にした。
よくもまぁ、そんなピンポイントで思いつくものだ。
「ずいぶんと詳しいですね」
「ときどき利用してるからね。で、そんなうっかりさんは誰かしら」
なるほど。それなら新手の詐欺師で通じるのも納得できる。
でも、意図せず名前を書き忘れる人はそうそういないだろう。
「さぁ、差出人の名前がないんです。どうせ嫌がらせでしょう」
「あらら……」
そう言って僕は手紙をゴミ箱へ向かって投げる。中身は読んでないけど、まぁいいか。
あ、そうだ。せっかく先輩も来たことだし、企画のことでも訊こうかな。
「ところで先輩、今月はどんな企画をしますか?」
ちなみに先月は古本市をやったのだが、もう笑いたくなるほど見事な空振りだった。
古本の収集は好調だったのだが、買い手が全く見つからず大赤字——引き取りという形をとったから金銭面で赤字が出た訳ではないが、古市を開催するまでの労力と、誰も来ないレジで閉店まで延々と待ち続けた精神的苦痛を考えれば大赤字と言っても差し支えないだろう。
企画をするということは、当然のことながらそれなりのリスクが伴う。
常に結果を求められる専門委員会であっても、本来なら毎月企画を実施しなくとも通常活動だけで十二分に結果が残せるようになっている。あくまでも企画はプラスアルファ程度のもので、毎月実行するようなものではない。
ただ、それは基盤がしっかりしていてのことであって、通常活動の成果の大半を占める月間平均利用者数と月間平均貸出数が小数点になるような図書委員にとって、通常活動だけで他の委員会と同じ水準に達するのは不可能な状況だ。
それ故に採算性があると思われる企画を立てては実行するしかないのだ——この学校の鉄の掟から図書委員を守るためには……。
「インターハイ予選や甲子園予選のトーナメントを張り出すのはどうかしら」
「そのこころは?」
「安い・早い・簡単」
A4の紙とサインペンを手にニコニコしている早苗先輩。
先輩、無理です。そんな安っぽい企画で全校生徒の心を揺さぶることなんて絶対に出来ません! っていうかそれはどう見ても企画じゃないでしょ。
「激安スーパーの売り文句ですかそれ。採算性が全く見込めれないですし、それって掲示っていうんじゃないですか?」
「もう~、天久くんは細かいんだから」
「細かく決めておかなかったから先月みたいなことになったんでしょう!」
「あはは……あれは――そう、あれは古本市に失敗したんじゃなくて、新しく本を仕入れる予算の削減に成功したのよ」
なんてポジティブなんだこの人は。
でも明らかに苦しい言い訳だ。
そんなことを言ってしまえば他の委員会の成果が恐ろしいことになってしまう上に、成績不振で少林寺拳法部が廃部になることはなかったでしょうに。
「ほとんどお蔵入りでしたけどね」
「いい、天久くん。成果は一つ一つ、コツコツ貯めていくものよ」
なんでこんな説教をされなきゃいけないんだ。
僕は思わず頭を抱える。
「そのまま成果という名の蔵書が増えれば俺の仕事スペースがなくなるんだが」
「えっ!?」
誰もいないはずの司書室から声がした。
驚きつつもガラス張りの司書室の方に目をやると、いつの間にか司書兼社会科教諭の藤原文信先生が椅子に座ってくつろいでいた。
「先生、いつから来てたんですか?」
先輩と声がハモった。
司書室に入るにはカウンター前の扉を通らないといけないから気づかないはずがない。
この人はマジシャンか何かか?
「ついさっきだぞ。 "新手の詐欺師です" ってところからだ」
「いや最初からじゃないですか!」
本当にこんな調子で大丈夫なのか?
でも最初の委員会に比べたらまだましな方か。
その話は一ヶ月くらい前にさかのぼる――。