6 隷属
「何だ、貴様は……何をした」
緑竜ヘルフェウスの声には、僅かな驚愕と困惑があった。
自身が放ったドラゴン・ブレス――この草原を焼きつくすほどの魔力の奔流が、謎の手段で無効化されたのだ。
彼の千年以上に渡る長い生において、このような不可思議な現象を経験したことはなかった。
しかし、彼の前に立つ美女エヴァは、彼の質問に答えることなく、ある一点へ向かっておもむろに歩き出した。
そして、大地に座り込み唖然として動かないウンクルの前に立つと、優しい声で語りかける。
「あのドラゴンを呼び出したのは、貴方かしら?」
その声を受けて我に返ったウンクルは、そこで初めて、エヴァの容貌をしっかりと認識した。
肌は雪のように白く澄み、その顔は彼が今までに見た、いかなる人間のそれよりも整っていた。
長いまつげに縁取られた双眸はそっと閉じられており、そこが彼女の儚げな美しさをさらに引き立てている。
異種族の美醜に疎いウンクルでさえも、あまりの美貌に思わず息を呑んだ。
同時に、白と黒のまだら模様を持った彼女の髪やドレスが、時間とともに流動してその模様を変える幻想的な光景にも目を奪われた。
結果、言葉を発することもできずただ呆然としていたウンクルに向けて、エヴァは穏やかな表情を浮かべ、静かに、一歩を踏みだす。
そして、片足でウンクルの下顎を猛烈に蹴り上げた。
「グゥッ!?」
ウンクルがうめきとも叫びともつかない声を上げる。
口の中が切れ、彼の口内に血の味が充満した。
突然の衝撃にウンクルが目を白黒させていると、間髪いれずに2発めの蹴撃がウンクルの顔面を襲う。
今度は側頭部をしたたかに蹴りつけられ、ウンクルは地べたに顔から飛び込むように倒れこんだ。
彼は痛みに呻きながら身体を起こそうとするが、それよりも速く、さらに追撃が見舞われる。
「よくもまあ、その無い知恵で無駄に足掻いて、ネグロ様のお手を煩わせてくれたわね。
あんな弱々しい緑トカゲを呼び出した程度で、我らがレウコン・イーリスをどうにかできるとでも思ってたの?
どれだけネグロ様に不敬を働けば気が済むんだよ、クソ犬が。なあ、おい」
執拗にウンクルの顔を蹴りつけるエヴァは、表情こそ目を伏せた穏やかなものであったが、その口調や声色は徐々に狂気じみた怒りを孕んでゆく。
繰り返し凄まじい勢いで頭を揺さぶられたウンクルの意識は既に飛んでおり、彼女の言葉に答えることもできない。
やがて、ウンクルの顔が大きく腫れ上がり、ところどころの裂傷から血が出始めたところで、エヴァはようやく脚を止めた。
ドレスの裾から覗く彼女の脚やヒールには、不思議と血の一滴すら付着していない。
「ウンクルッ!!
ああ……酷い!!」
攻撃が止み、意識を失って倒れたウンクルのもとへ、彼の妻、トゥラが駆け寄る。
彼女はウンクルの身体を大事そうにかき抱くと、涙と憤怒の浮かんだ目で、エヴァを睨み上げる。
しかし彼女は表情一つ動かさず、その場に背を向けて緑竜へと向き直った。
「……さて、ごめんなさい。待たせたわね」
ブレスが消え去る不可思議な現象、そしてエヴァの美貌と狂気的な行動を目の当たりにして、自身が抱いていた怒りも忘れ唖然としていたヘルフェウスは、彼女の声にはっとした様子を見せた。
「……貴様、そこの半人半虫どもの仲間か」
「いちいち質問が多いトカゲね」
佇まいはたおやかであったが、エヴァの言葉にはヘルフェウスへの侮蔑が満ちていた。
自身が高潔な竜であると自負する彼にとって、その言動は許しがたい。
「……死ねッ!!」
ヘルフェウスは尾をしならせ、エヴァへと向けて全力で叩きつけた。
先ほどブレスを無効化した謎の手段、そして自身に傷をつけた3人よりも高位の存在であることを匂わせる様子から、彼はエヴァに大して大きな警戒を抱いていた。
故に、彼の一撃は、今までのどんな攻撃よりも力強く、鋭いものとなる。
もしワスプ・ワーカーたちがはじめからこの攻撃を受けていたのなら、彼らはかわすことも防ぐこともできずに死んでいただろう。
だが、エヴァには通用しない。
「……ぐあああああっ!?」
ヘルフェウスは、その生涯において経験したことがないほどの痛みに、絶叫を上げた。
彼がエヴァに向けて振るった尾は、その根元から先が喪失していた。
遅れて、ズン、と音を立て、緑色の細長いものが空から落ちてくる。
失われたヘルフェウスの尾の先であった。
彼の尻尾は、いかなる手段をもってか、一瞬で根本から切断されたのだ。
「貴様ああああッ!!」
ワスプ・ワーカーに胸の鱗を貫かれた時以上の怒りがヘルフェウスを支配した。
その身に膨大な魔力をまとわせ、すさまじい風を巻き起こしながら、彼は空中高く飛び上がった。
吹きすさぶ暴風のなか、エヴァは髪やドレスすらなびかせもせず、静かに直立していた。
「消えてなくなれッ!!」
ヘルフェウスは空中からエヴァを見下ろしながら、再びドラゴン・ブレスを放つべく、自らの口に魔力を集積した。
先ほどとは違い、今度は彼が持てる全魔力を、最速で練り上げる。
その結果、先ほどのブレスの何倍もの威力を持つ、恐ろしい破壊の力が彼の口に充満した。
命乞いや逃走の時間は与えない。
彼は間を置かずして、生涯において最大の力を込めたブレスを解き放った。
「短気で、愚か。
本当に、みっともない」
エヴァは静かにつぶやくと、ドレスグローブに包まれたしなやかな右手を前につきだした。
その時、トゥラに介抱されながら、意識を取り戻したウンクルは目撃した。
ヘルフェウスのドラゴン・ブレスが、草原の覇者たる最強の竜が放つ最強の攻撃が、エヴァのかざした右手にあっけなく吸い込まれてゆくのを。
そして、ヘルフェウスがブレスを放ち終えた後には、滅びも、破壊も生じることはなく、ただいつもと変わりない大地がそこにあった。
「……何なのだ……!?
貴様は……いったい……!!」
ヘルフェウスの声色には、明確な怯えがあった。
エヴァはそれに答えることなく、伸ばした右手をゆっくりを引き戻した。
よくよく見ると、彼女の手のひらの上には、白く輝く光球があった。
まるで、先ほど放たれたブレスをより集め、再び一点に集約したかのような、光球が。
「……そして、弱い。
ネグロ様から賜った武器を使うまでもないわね」
彼女は手のひらの上に浮かぶ光球をゆっくりと持ち上げ、彫刻のように美しい顔へと近づけた。
そして。
「……これ、お返しするわ」
そう言って、さながら手の上に載せた綿毛を吹いて飛ばすかのように、光球へと優しく息を吹きかけた。
すると、彼女の呼気を受けた光球は恐ろしい速度で空中に飛び立っていった。
その直後、パアン! と、何かが弾けるような乾いた音が鳴り響く。
ウンクルは、音源の方角――ヘルフェウスが飛んでいた空を見上げる。
そこには、尻尾を、そして首から上を失った、竜の身体があり。
その身体は、しばらく空に浮かんでいたかと思うと、やがて浮力を失って落下をはじめ、最後は轟音を立てて地面に激突した。
ああ。
やはり、長老の言うとおりだ。
彼らには戦いを挑むべきではなかった。
彼らは、神だ。
賢狼族などが及びもつかない高みに座する、絶対の存在だったのだ。
ウンクルの心は今度こそ、完全に折れた。
◆
「手ひどくやられたわね」
「は、はは……申し訳ありません」
苦々しい表情で笑う3番をはじめとするワスプ・ワーカーたちに、エヴァはそっと手をかざした。
彼女の手からほのかな暖色の光が生じ、彼らを照らす。
光が収まった後には、賢狼族たちと戦う以前のような、傷や汚れひとつない姿のワスプ・ワーカーたちがあった。
破れた翅や服、血が滲んでいた全身の傷などは、跡形もなく修復されている。
「貴方達のHPなら、『ヒール』で全快するはずだけど……どうかしら?」
「はい、傷は全て治ったみたいです。どうも、お手数お掛けしました」
「あ、ありがとうございます!」
「ありがとうございますぅ……」
口々に礼を言うワスプ・ワーカーたちに小さく微笑みを返し、エヴァは背後へと向き直る。
そこには、生き残った賢狼族全員が整列しており、エヴァに向けて頭を垂れていた。
「……いまさら恭順の姿勢をとられてもね……」
ワスプ・ワーカーたちとの会話とは打って変わって、エヴァの声にはまるで感情が篭っていなかった。
彼女にとって、ネグロを侮辱した賢狼族という種族は、この世のいかなるゴミよりも下賎な存在である。
エヴァ自身の感情としては、すぐさま集落ごと消滅させたい心持ちであった。
「……でも、そういうわけにも行かないのよね」
賢狼族の存命者を保護せよと指示を出したのは、他ならぬネグロである。
彼女はネグロの意思をくみ、必要の無い限り、賢狼族たちを極力殺さないよう配慮していた。
先のウンクルを蹴りつけた時も、彼女はウンクルが死なないよう細心の注意を払っていたのだ。
「……これからネグロ様に沙汰を仰ぐわ。
貴方達の処遇はあの御方の一存で決まると思いなさい」
そう言ってエヴァは、どこか宙を見つめるような姿勢でしばし静止した。
賢狼族たちからすれば意味不明な行動であろうが、ワスプ・ワーカーたちは、彼女がスキル『テレパス』によって今この時、ネグロと会話しているのだと理解した。
やがてエヴァはゆっくりと視線を賢狼族たちを見下ろす形へと戻し、厳かに告げた。
「……ネグロ様がお会いになられます。
最上の敬意をもって迎えなさい」
エヴァがそう言うやいなや、彼女の背後に、まばゆい光を放つ扉のような形を持った魔法陣が浮かび上がる。
『ゲート』。
異なる場所同士を扉で繋ぐ高位スキルだ。
ワスプ・ワーカーたちが、泡を食ってその扉に向かって平伏し、遅れてエヴァも静かに跪いて、扉に向かって頭を下げた。
賢狼族たちは、高まる緊張に身を固くしており、中には身体を震えさせている者すら居る。
やがて、門が静かに開き、そこに黒い人影が出じたかと思うと、黒いシャツの青年がゆっくりと歩み出てくる。
これが、ネグロが外界に初めて姿を見せた瞬間である。
◆
ウンクルは、エヴァに蹴りつけられて腫れ上がった瞼の奥で、大総統ネグロの姿を目にした。
そして、強い失意を感じた。
はじめ、彼をはじめとする賢狼族たちは、竜を瞬殺する力を有するエヴァこそが大総統閣下その人であると信じ込んでいた。
だが、エヴァは副総統であり、彼女の上に位置する人物こそが真の大総統であるという。
エヴァを上回る力と権力を有する人物。
賢狼族たちは、その姿を想像することすらできなかった。
しかし、実際の大総統は、どうだ。
その外見は平凡な人間そのもの。
それも、まだ若い、子どもではないか。
服の仕立てや顔立ちは悪くないのだろうが、それも彼の横に並ぶエヴァと比べれば霞んでしまう。
この世から隔絶したような雰囲気をまとい、竜をも斃す力を有するエヴァの上に立つものが、こんな、凡夫で。
そして賢狼族は、その凡夫に負けたのか。
怒りや悔しさを抱く気力すらとうに失っていたウンクルは、その事実を目にして、ただただ、無力感に支配された。
「やあ、賢狼族の諸君。俺がネグロだ。
君たちの集落を落とせ、と命令したのは、この俺だ」
その言葉には、どこか軽薄な響きがあった。
賢狼族の集落を壊滅させたことに、何の感慨も抱いていないように思える。
「君たちは、集落へ話し合いに訪れた3人のワスプ・ワーカーに対し、武器と性行為を要求する恐喝を行った。
彼らはそれに対し正当な反撃を行い、その結果、君たちは敗北した。
……とまあ、これが便宜的な経緯となるわけだ。
何か、申し聞きはあるかな?」
「……ござい、ません」
ネグロの言葉に、賢狼族の長老が答えた。
その言葉には、無数の感情が押し殺されているのが聞き取れた。
「……よろしい。
さて、君たちの今後の処遇であるが、当初は皆殺しを予定していた」
その言葉を聞いて、賢狼族たちは平伏したまま、ビクッと身を縮こませた。
皆殺し。
彼らはそれを実際に、容易に実行できるほどの武力を持っていることを、賢狼族たちは嫌というほど知らしめられていたためだ。
「これは、ワスプ・ワーカーと君たちの実力が拮抗しており、君たちを全滅させなければ逆にこちらが負けると考えていたためだ。
だが、あまりにこちらが一方的すぎたため、途中で予定を変更し、君たちを我々の捕虜とすることにした」
「……寛大な措置、感謝いたします」
言外に、賢狼族が弱すぎたのだと言われるも、それに憤慨を抱く者は、もはや居なかった。
彼らからすれば事実、賢狼族、果ては竜ですら、弱者となる。
強者が弱者を弱いと言って、何が悪いというのだ。
賢狼族たちも、今まで散々に人間たちを弱い、弱いと罵っていたではないか。
「捕虜となった君たちには、我々の――レウコン・イーリスの下に付く下位組織となってもらおうと考えている。
とはいえ、奴隷のように働かせるつもりはない。
この集落には引き続き住んでも良いし、命令のない時は今までのように自由に過ごしても良い。
それに、良い働きを見せた場合は、報酬を渡すことも考えている」
賢狼族たちの間に、にわかに驚きが広がってゆく。
あまりにも待遇が良すぎたためである。
彼らは、大総統閣下に楯突いた愚か者として、拷問にかけられた末に殺されることすら覚悟していたのだ。
「……あ、ありがとう、ございます」
長老がそう告げるも、その言葉には未だに驚愕が多分に含まれていた。
まだ、気持ちの整理がついていないのだ。
本当に助かったのか、あるいはぬか喜びさせるための詭弁なのか、長老をはじめとする賢狼族たちにはまだ、判断がついていなかった。
「……で、話は変わるが、君たちの集落から、死者はどれほど出た?」
ネグロが、不穏な問いを投げかける。
一時は安堵を覚えかけていた賢狼族たちの間に、再び緊迫がはりつめた。
「はっ……さ、30人ほどで……ございます」
死者は全て、ワスプ・ワーカーと戦った戦士たちである。
この村のおよそ半分を占めていた30人以上の戦士は、今やその数を一桁に減らしていた。
もう当分は、まともに狩りも行えないだろう。
「……3番」
「はっ!!」
「指示通り、死体は一箇所に集めているよな?
そこへ案内しろ」
「了解しました!!」
ネグロは、傍らでじっと跪いていた3番に声をかけ、死体――賢狼族の戦士たちの亡骸があるところへと歩き出していった。
他のワスプ・ワーカーたちやエヴァが、静かに彼に付き従う。
「……せっかくだ。お前たちも来い、賢狼族」
ネグロの言葉を受けて、賢狼族達は慌てて立ち上がり、ひどく怯えながら彼らの後を追った。
◆
そこは、集落の一角。
建物も何も存在しない広場であった。
かつては子どもたちの遊び場などに利用されていたそこには、無残な賢狼族たちの死体が、何列にもわたって並べられていた。
彼らは皆、黒々とした血にまみれた毛皮をさらして、仰向けに置かれている。
「うっ……」
「ううぅ……」
それを目にした賢狼族たちの中から、嗚咽とも、えずきともつかない苦しげな声が上がった。
「ふむ。綺麗に並んでるな。
これなら、面倒がなくて済む」
ネグロはそう言って、片手をゆっくりと持ち上げ、人差し指を死体へと向けた。
賢狼族たちが動揺を見せる。
何をする。
まさか、戦士たちを、死してなお辱めようというのか。
幾人かの賢狼族が、耐えかねた様子でネグロへと歩み寄ろうとする。
彼らは、敗残者として自らが虐げられるのはまだ耐えることができたが、死者を冒涜されるのは許せなかったのだ。
しかし、彼らが行動を起こすより先に、ネグロが口を開いた。
「『広域化・リザレクション』」
瞬間、光り輝く巨大な魔法陣が地面に広がり、整然と並んだ死体を包み込んだ。
その光量に目が眩んだ賢狼族たちが次に目を開けると、そこには変わらず地面に横たわる戦士たちの屍が――。
「……あ、あれ……?」
幾人かが違和感に気づく。
横たわる戦士たちの身体に、槍で突かれ、斬られ、全身に凄惨な傷があったのが、消えてなくなっている。
中には欠損した手足すら元に戻っているものもあり、彼らは生前の姿を完全に取り戻していた。
「いったい、何を――」
「ねえっ! あれっ……!!」
賢狼族の一人が、何をしたのかをネグロに尋ねようとした時、それを遮って声が上がった。
見れば、地面に横たえられていた賢狼族の亡骸が、一人、また一人と、まるで眠りから覚めるかのように半身を起こしているではないか。
「……まさか」
ウンクルが、震える声で小さく呟いた。
彼の視線の先では、賢狼族の亡骸が次々と身動ぎしては、生者のように動き出している。
そして、身を起こした死んだはずの戦士の一人が、まどろんだように目を擦り、あたりを不思議そうにキョロキョロと見回した後、ウンクルを見つけて。
「……あれ? ウンクルさん?
俺、なんでこんな所で、寝てるんですか……?」
不思議そうにそう言って、昼寝を咎められたかのように、恥ずかしそうに笑った。
そんな。
彼は。
彼らは、生きている。
ウンクルは、既に枯れたはずの涙が、再び溢れ出すのを感じた。
その瞬間、せきを切ったかのように、賢狼族の生存者たちが、蘇った死者たちのもとへと殺到する。
彼らは皆、父の、夫の、戦友の、息子の名前を、泣きながら叫んでいる。
死んだはずの戦士たちは、ある者は不思議そうに、ある者は困惑を浮かべて、しかし優しくそれを受け入れていた。
彼は――大総統ネグロは、死者を、蘇らせたのだ。
ウンクルは、全身を戦慄と高揚が駆け抜けるのを感じた。
「俺は……つくづく、見る目がないな」
そう言って、ウンクルは苦笑いを浮かべた。
何が、凡夫だ。
彼もまた、エヴァと同じく超常の存在であったのだ。
偉大なる者、至高の御方、絶対者――。
ウンクルは、ネグロの部下が彼を讃える台詞を幾度も口にしているのを見ている。
それはあくまで、ネグロの持つ金や権力に媚びるおべっかだと思い込んでいた。
しかし、あの言葉が持つ真の意味を、ネグロの真なる偉大さを、彼はこの瞬間、初めて理解した。
死者蘇生という奇跡の御業を、こうも簡単に実現してしまうのだ。
彼はきっと、この世のものではない。
神――否、それ以上の何かが、この世に顕現した姿なのだ。
「お見事です、ネグロ様」
「……ああ。
蘇生スキルを試すいい機会だと思ってやってみたが、大成功だな」
エヴァとネグロの主従が会話しているところへ、ウンクルはフラフラと歩み寄り、そしてネグロへ向かって跪いた。
もはや彼は、ネグロへ平伏することに何の抵抗もない。
ネグロという人物が、最大限の敬意を示すべき偉大なる者であると理解したためである。
ウンクルに続いて、賢狼族たちが次々とネグロに向かって頭を垂れてゆく。
蘇った戦士たちも、僅かながらに困惑を残しつつ、自身に何があったのかを悟り、同様の姿勢をとった。
「……偉大なる御方。
我ら賢狼族、力無き身ではありますが、どうか我らを存分にお使いください」
「ん? ……ああ、まあ、がんばってくれ」
ネグロはそれを一瞥すると、ごく軽い調子で返した。
それから何かに気づいた様子を見せると、彼はゆっくりと賢狼族へ歩み寄ってゆく。
「……お前」
「!?」
頭を下げていたウンクルは、ネグロの声が存外に近くで響いたため、飛び上がるほどに驚愕した。
恐る恐る顔を持ち上げると、ネグロがこちらを覗きこむように見下ろしているのが見えた。
何か、不敬があったのだろうか。
ウンクルは恐怖で、全身から血の気が引いてゆく。
「……顔、えらく腫れてるな。
他の奴らも結構怪我が多いようだし。
……腕や脚は自然治癒では生えてこないよな?
『広域化・ヒール』」
そう言ってネグロが手をかざすと、そこから生じた暖色の光が賢狼族たちを照らした。
先ほど、エヴァがワスプ・ワーカーたちを回復させていたものと同じ光である。
「……こんなものか。
というか、欠損部位も『ヒール』で生えてくるんだな。
便利なものだ」
そう言ってネグロは、賢狼族たちに背を向けて歩き去っていった。
ウンクルは、自分の顔にそっと触れてみる。
腫れ上がった顔は、エヴァに蹴られた痕跡一つ残さず元に戻っており、さらには2番の槍に刺された腹部の痛みも消えている。
「あ、あああ! う、腕がっ!! 俺の腕が戻ったっ!!」
「……はは、ははははっ!! 目が見えるっ!!」
「ありがとうございますっ!! ありがとうございますっ……!!」
後ろに目を向ければ、負傷した戦士たちが、治療のために身体に巻かれた布を脱ぎ去って狂喜しているのが見えた。
どころか、数年前の事故で視力を失った者や、老衰で片足が動かなくなっていた者に至るまで、戦いの以前から身体に不調を抱えていた者すら治癒している。
「……さて、1番、2番、3番。
これから、月光殿から作業員を呼び出し、この集落の復興作業を行う。
お前たちは、それに加われ。
それから、賢狼族も参加させろ。
あいつらの男手のダメージは全て回復させておいたから、問題なく使えるはずだ。
エヴァは、俺と共にドラゴンの死体の所へ行くぞ。
あいつも蘇生させる」
狂喜乱舞する賢狼族たちにまるで構う様子を見せず、部下に指示を飛ばしながら、ネグロは空中に向かって手をかざした。
すると瞬く間に、天空に、巨大な扉――ネグロが現れたものと同じ、スキル『ゲート』の魔法陣が構築される。
しかし、それは先ほどとは段違いに巨大であった。
間をおかず、空中に浮かんだ、まるで城門のような扉が、ゆっくりと開いてゆく。
扉の奥から、無数の小さな影が現れた。
それはまるで羽虫のように群れ、空中を縦横無尽に飛び回りながら、徐々にこちらへと近づいてくる。
ウンクルたちが目を凝らすと、その正体が判明した。
1番、2番、3番と似たデザインの黄色と黒のジャケットを着こみ、背中に虫の翅をそなえた、人間に似た生物。
ただし、彼らの身体能力や身につけている装備品は、賢狼族の集落を制圧した3人と比べると、段違いに強力である。
ノーブル・ワスプ・ワーカー。
ワスプ・ワーカーの上位種が、数百体もの群れをなしているのだ。
「は、はは、はははは……」
ウンクルの口から、乾いた笑いが漏れた。
我々は、こんなにも偉大な軍勢に戦いを挑もうとしていたのか。
とんだ、大馬鹿者だ。
◆
第一部完。
この後、おまけ的な短い話も書いたので、それを投稿して一区切りとします。
続きを書く気力は十分あるので、まだエタりません。
第二部完まで書き上げられる確証ができれば投稿を再開したいと思います。




