17 姫
お久しぶりです。
安定更新できる見込みはまだありませんが、できるだけ早く次の話も投稿したいところです。
「お待ちしておりました、ネグロ様。どうぞこちらへ」
イルニアの王都カルティエ、その中央に位置するイルニア城の城郭に、ネグロは足を踏み入れていた。
防衛のため、城の周囲は水をたたえた壕で囲まれ、巨大な石造りの城壁が仰々しくそびえる。
王が遣わした使者に連れられ、壕に渡された跳ね橋から城門をくぐったネグロは、すぐさま身なりの良い使用人の男に出迎えられた。
さながら機械のように洗練されたお辞儀をよこす使用人の態度は、たしかに慇懃であった。
が、しかし、ネグロはそこに、僅かにこちらを軽侮するかのような、冷ややかな感情を見て取った。
――あまり、歓迎されていないらしい。
ぽっと出の、どこの馬の骨とも知れぬ男、それも黒髪が、国を救った英雄と持てはやされているのだ。
ネグロが実際にフライ・ドレイクを倒す瞬間を目にしていない者からすれば、納得出来ない部分があるのだろう。
それも無理からぬ事だ、と、ネグロはまるで他人ごとのように悠揚として、何も言わずに王城の景観を楽しみながら、使用人に誘導されるままに大人しく歩みを進めていった。
イルニア城の建築様式は、中世ヨーロッパのロマネスク建築に似通っていた。
城壁や楼閣は白い石レンガから成っており、所々には曲線的な造形や竜などを模した装飾を見とることができる。
魔法がある世界のくせに、大した面白みもない。
辺りをひと通り見回した後、ネグロはそう断じた。
最高権力たる王の居所である以上、その建造には、国で最高峰の技術が用いられているはずである。
それを踏まえて観察した限りでは、ネグロの予想通り、イルニアという国の国力がさして高いとは思えなかった。
この国の文明は、中世のそれで停滞している。
物理法則を歪める超常の技芸である魔法を、まるで活かせていない。
城壁を見やると、そこには、あちこちに櫓のような構造がある。
戦争では、あの高所から矢や魔法を射掛けるのだろうか。
凡庸な戦術だ。
遠距離攻撃耐性スキルを持つ者が居るだけで、打つ手がなくなってしまうではないか。
あるいは、空を飛べる相手――それこそフライ・ドレイクのような敵に対しても、この戦術は役に立たない。
外壁を取り囲む壕をよじ登ろうとする敵を、遠距離武器で押し返すのがこの戦法の要である。
言い換えれば、壕をやすやすと飛び越えられる者ならば、容易に強行突破が可能となってしまう。
城壁が魔法の障壁を発生させる機構などを備えているのであれば、また違ってくるのだろうが、そういった類のものは確認できない。
遠距離攻撃耐性を持つ者ならばまだしも、空を飛べる魔法使いなどは、いくらでも居そうなものだが――。
「大幹部……いや、局長クラスのNPCを一人送り込めば、制圧できるか……ん?」
イルニア城を如何にして落とすかという物騒な算段を講じながら歩いていたネグロの目が、その時ふと、遠方に立つ人影をとらえた。
それは、空色の髪、白いドレスの少女だった。
イルニア城の庭園を悠然と歩くその少女の姿は、鮮やかな髪色や整った容姿を持つ者が多いこの世界においても、一際に異質な美しさを持っていた。
「あれは……」
ネグロがその人物の素性に思い当たるよりも一足早く、空色の髪の少女がネグロの姿に気づいた素振りを見せた。
少女は「あっ」と、口を開けて顔をほころばせると、白く細々とした指でドレスの裾をつまみ上げ、トタトタと、どこか危なっかしい足取りでネグロに走り寄ってくる。
見れば、その少女の背後には、騎士の身なりをした男が付き従い、少女が急に走りだしたのを必死の形相でたしなめている。
騎士を付き人にしているところからして、相当の身分であろうことがうかがえた。
「あなたが、武神ネグロ様ですね?」
間もなくしてネグロのもとにたどり着いた少女は、濡れた水晶球のように丸い瞳をきらめかせ、開口一番にそう言った。
「はい。ネグロ・グレゴリオと申します。ええと……?」
「ああっ、失礼しました! 私ったら、名乗りもせずに……。
初めまして、私は――」
「イガルカ様ッ!!」
少女の言葉尻を継ぐようにして、数瞬遅れて到着した騎士が鋭い声を飛ばした。
「こやつは、武神などとは呼ばれていますが、未だ素性の知れぬ輩でございます!
御身に狼藉を働くやも知れません! さあっ! 私の後ろにッ!!」
「むっ。リーンハルト、彼は賓客として城にお招きしたのですよ。
あまり失礼なことを言ってはダメです」
騎士の男がネグロの眼前に素早く割入り、イガルカと呼ばれた少女を庇うように位置どる。
ここに至って、ネグロはこの少女の身分を察した。
イガルカ。
現イルニア国王の一人娘の名だ。
では、この少女は王族――第一王女か。
そして、イガルカの言からして、彼女に付いている騎士の名はリーンハルト。
こちらも聞き覚えがある。
イルニア王家が有する常備軍、イルニア騎士団。
その騎士団の中でも最高位に位置する6人の団長、その一人が彼――リーンハルトだ。
彼が長を務めるのは、騎士団の中でも、王家あるいはそれに近しい貴人の傍について身辺警護を担当する近衛第一騎士団。
王族たるイガルカと行動を共にしているのは、そのためか。
「貴様ッ! ネグロと言ったな!
イガルカ様の御前である! 不敬であるぞ、跪け!!」
「も、もうっ、やめなさい、リーンハルト!」
射殺すようなリーンハルトの視線を受け、ネグロは小さく苦笑いを浮かべながら、恭敬の姿勢を取るべくゆっくりと地面に膝をついた。
◆
「すみません、ネグロ様。
リーンハルトはちょっと心配性で……」
「いえ、いえ。私のような怪しい者を警戒するのが騎士の職務でしょうから」
イガルカとネグロが、イルニア城の庭園をゆっくり並び歩きながら言葉を交わす。
両者の後方には騎士リーンハルトが控え、眉根をしかめてネグロを睨めつけていた。
イガルカ曰く、イルニア国王への拝謁まで時間に幾ばくかの空きがあるらしく、ネグロに並々ならぬ興味を抱いていた彼女は、その間にネグロと交歓しようと足を運んだとのことであった。
その言葉に嘘偽りは無いようで、にこやかに話しかけてくる彼女の立ち居振る舞いに何かを企んでいる気配はなく、ネグロの見立てでは、純粋に会話を楽しみに来たように思われた。
ただし、その横合いから厭悪の感情を隠そうともしない視線をよこす騎士の男については、その限りではなかったが。
「――まあ、剣を投げたのですか!?」
「はい。はじめにフライ・ドレイクの動きを止めるために剣を投げて、前足を潰しました。
それから頭を殴って倒したので、正確には一撃で仕留めたわけではありません」
姫にせがまれ、ネグロはフライ・ドレイクと戦った当時の様子を語っていた。
彼の話の運びは淡々としていたが、それ故に分かりやすい。
それに聞き入っている姫の脳裏には、ネグロがフライ・ドレイクを沈めた瞬間の光景が、常ならぬスケールで描かれていた。
「……デタラメだ」
目を輝かせるイガルカをよそに、リーンハルトが、常人には聞き取れない声量で漏らす。
常人以上の聴力でそれを耳にしたネグロは、無理もない、と小さく笑った。
どうやら、ネグロに褒章を与えるという決定はなされたものの、彼がフライ・ドレイクを一人で倒したという事実については、あまり認められていないようだった。
現に、ネグロが城に入ってから出会った使用人や、イガルカお付きの騎士リーンハルトも、彼に対して良い感情は抱いていないように見える。
何らかの卑怯な手を使って、フライ・ドレイクを討伐した英雄の名をせしめたとでも思っているのだろう。
だが、それで良い。
今はまだ、侮られている方が好都合だ。
仮に、ネグロが単身でフライ・ドレイクに敵するほどの――否、それ以上の戦闘力を持っていることを王城の者たちが認識すれば、彼らはネグロを恐れ、警戒し、首輪をつけようと動いただろう。
いわんや、こうして第一王女のイガルカ姫をおめおめとネグロに近づけるような愚も犯さなかったはずである。
油断だ。
彼らは、イルニアの腹中に、国どころか世界を滅ぼしかねない化け物を含めてしまったという事実に、まだ気づいていない。
フライ・ドレイク討伐の仔細を語りつつ、ネグロは黒い瞳を動かし、傍に立つイガルカの全身を見澄ました。
碧色をたたえた髪を揺らし、彼の言葉に耳を傾けるその姿には、ゆらぎ一つ無い水面のように静謐で、神秘的な美しさがある。
普通人であれば誰もが瞬きすら忘れて見惚れかねないその容姿はしかし、ネグロの心を揺らすことはない。
姫を見つめる彼の双眸には、人ならざる冷然とした鋭さのみがあった。
『オムニスキエンティア』。
ゲーム中で最も強力な鑑定スキルを密かに発動させ、ネグロはイガルカをくまなく分析していたのだ。
身体的ステータスは凡庸。
知力および精神系のステータスがやや高いが、反して筋力や体力は極めて低い。
身に付ける装飾品には、護身のためのマジックアイテムがいくつか見当たるが、総じて強力なものではない。
王族特有のスキルや体質らしきものも持っていないと見える。
容易に殺せる。
数瞬で分析を終えたネグロは、興が冷めたかのように彼女を視界から追いやると、そのまま何事もなかったかのように振る舞う。
彼の横に立つイガルカや背後に立つリーンハルトが、彼の内に渦巻く奥意に気づくことは無かった。
◆
「……と、これがフライ・ドレイクを倒した一部始終です」
「ありがとうございます。とても面白いお話でしたわ」
フライ・ドレイク討伐の講話に一段落つけ、ネグロはそう言って言葉を締めた。
胸躍るネグロの英雄譚に未だに興奮冷めやらぬ彼女は、人形のように整った相好を崩し、愉快げな声色でそれに応える。
「……ふん」
一方のリーンハルトは、先にもまして怪訝そうな表情で、吐き捨てるように鼻を鳴らすのみであった。
ネグロの語った戦闘の記憶を何の抵抗もなく信じきっているイガルカとは対照的に、彼はネグロに対する猜疑心をより増大させていた。
フライ・ドレイク討伐譚を嘘偽であると端から思いなしているリーンハルトの目には、証拠も見せず口のみで語るネグロの姿が、先の何倍にも増して胡散臭く映ったのである。
「にわかには信じられんな。
体つきは軟弱。ましてや、貴様は魔法も使えない黒髪だ。
どんな手を使った。魔道具か?」
リーンハルトが問いかける。
彼をはじめとする王城の者たち、その大半は、ネグロが純粋な身体能力でフライ・ドレイクを倒しえたとは微塵も考えていない。
金で冒険者たちから勇名を買ったか。
あるいは、何か特殊な道具――例えば魔道具を使ったか。
いずれにせよ、尋常な手段ではあるまいというのが、城内における一般的な談である。
そして、仮にネグロのとった手段が卑劣なもの――イルニアに害を及ぼす類のものであったなら、この黒髪の詐欺師は何としても裁かれねばならない。
後顧の憂いを断つべく、リーンハルトはネグロがいかなるカラクリを用いたのか、それを暴くつもりであった。
「さあ……。ご想像にお任せします」
しかしネグロはそう言って、意味ありげに笑みを浮かべるのみ。
リーンハルトの問いに正直に答えなければならない道理など無い。
彼は問罪を受けるためにこの城を訪れたのではないのだから。
現時点では、どれだけ胡散臭かろうと、あくまでネグロは国を救った英雄なのだ。
故に今回のフライ・ドレイク討伐の武功を快く思っていない貴族たちも、今はネグロの素性を調べ回るに留めており、彼の尻尾を掴むまでは派手な行動を控えていた。
だが、リーンハルトは良くも悪くも直情的である。
はぐらかすようなネグロの返答を受けたリーンハルトは、全身の血が逆流するような怒りを覚えた。
「隠し立てする気か、貴様ッ!!」
「リーンハルト。慎みなさい」
激昂し、今まさにネグロへと掴みかからんとしていたリーンハルトを、イガルカの流麗にして冷淡な声がぴしりと窘めた。
「……ッ、姫様」
瞬間、リーンハルトは動きを止めた。
怒りで赤らんだ彼の顔からサッと血の気が失せ、つい先程までの猛りは見る影もなくなる。
見れば姫は、先程の談笑していたいたいけな姿からはまるで想像もつかない、氷のような無表情を浮かべていた。
石のように凝った面持ちと人間離れした美貌が相乗し、えも言われぬ迫力を持っている。
そこには確かに、常人とはどこか一線を画する異常な気配――王としてのカリスマがあった。
「先程からの貴方の振る舞いは、さすがに目に余ります。
此処はネグロ様をもてなすための場です。
確かな証拠もなく言いがかりをつけるのは、よしなさい」
「……申し訳ございません」
リーンハルトは、ほんの一瞬だけ何かを言いたげな気色を見せるも、すぐさま表情を殺して頭を下げる。
イガルカはそのまま何も言わずにネグロへと向き直ると、小さく笑みを浮かべた。
愛嬌も人間味もない、能面のような笑顔であった。
「ネグロ様……不快な思いをさせてしまいましたね。
我が騎士には後ほどきつく言い聞かせますので、この場はお許し頂けませんか?」
「いえ。許しだなんて、とんでもない。
私がいたずらに疑われるような真似をしたのが悪いのです」
ネグロは凪いだようにゆるがない微笑を浮かべたまま、姫の謝罪に応えた。
第一王女イガルカ。
ただの温室育ちのお嬢様では無いらしい。
しかるべき時に部下を叱責できる判断力と厳格さを持っている。
この世界の人間にしては高い知力と精神力のステータスに違わず、見かけ以上に強かで、頭の良い少女だ。
先の彼女の言い草からすると恐らく、ネグロがフライ・ドレイクを自身の肉体能力のみで倒したという話も、全面的に信じているわけではあるまい。
「ありがとうございます、ネグロ様。
……と、結構な時間、話し込んでしまいましたね。
式典の時間も近いことですし、私達はそろそろ失礼しますね?」
「ああ、左様ですか。
姫さまとお話出来たこと、光栄に思います」
「いえ。私こそ、ありがとうございました。
英雄ネグロ様とお話出来たことをとても嬉しく思いますわ」
イガルカが場を締める言葉を口にする。
途端に、ふっ、と場に満ちていた厳かな雰囲気が霧散した。
形式めいたやり取りを演じつつ、ネグロは内心でイガルカ姫をイルニア国王と並んで警戒すべき者に位置づけた。
彼女は権力と聡明さを兼ね備えており、裏をかいた行動をしてくる可能性がある。
もしかすると、こうして歓談の場を設けたのも、こちらの本性を探るためかもしれない。
加えてリーンハルトが食って掛かってきたのも姫の命令によるものだとしたら、姫と同じく彼の騎士も油断ならない。
思考を巡らせるネグロのもとへ、そのリーンハルトが静かに歩み寄ってきた。
イガルカと共にこの場を去る前に、何やら用向きがある様子である。
彼はネグロの耳元に口を近づけると、底冷えするかのような、低く小さな声でささやいた。
「……国に対する偽言は極刑に値する大罪だ。
王の前で嘘を申してみろ。私が貴様を殺してやる」
「ええ……肝に銘じます」
言いたいことを言い終え、踵を返して早足に歩き去ってゆくリーンハルトを眺めながら、ネグロは愉快そうに、苦笑いを浮かべた。
訂正しよう。
警戒すべきはイガルカ姫のみ。
ネグロの観察眼の限りでは、リーンハルトは素で行動している。
「偽言か。あながち間違いでもないが」
明確に嘘はついていないものの、彼はいくつかの事実を隠している。
レウコン・イーリスのこと。
自身の身体能力の由来。
そして、フライ・ドレイクがイルニアに襲来した遠因が、ネグロ自身にあること。
フライ・ドレイクの生息地は、イルニアの北西。
正確には、そこに位置するウアラト山という山岳に列なる連峰である。
そこは、かつてネグロの軍勢と賢狼族、そして緑竜との闘いが発生した地点にほど近い場所でもある。
通常、フライ・ドレイクは切り立った岩壁に住処を作り、平地にはほとんど降りないという。
そんな生物が山を下り、遠く離れたイルニアまでやって来た理由。
それは他ならぬ、ネグロの軍勢と緑竜との闘いの余波によるものだ。
普段はウアラト山の頂から動かない強大な緑竜ヘルフェウスが、異変を察知して山から飛び立ったこと。
そして、レウコン・イーリスの者へ向けて、辺り一帯を焦土と化すほどの強力なブレスを放とうとしたこと。
これらが付近の生物に混乱をきたした。
件のネグロが倒したフライ・ドレイクは、怒れる竜から逃れようとして住処をはぐれた結果、餌場を求めてイルニアに行き着いたのだ。
「まあ、仮に正直に言ったとしても、絶対に信じてもらえないだろうが。
……さて」
意識を切り替える。
これから間もなくに控える、ネグロへの恩賞を授与する式典。
彼はそこで行動を起こすつもりであった。
ネグロに失敗への恐れや不安は無い。
成功する自信があるのではない。
失敗しても構わないと考えているのだ。
彼がこうして、まだるっこしい国のしきたりに従っている理由は、ひとえに現状でイルニアから敵対されると面倒ごとが増えるためである。
イガルカ姫のような切れ者が何かを仕掛けてこようと、リーンハルトのようなネグロを疎むものから罪状をふっかけられようと、彼の計画に支障は生じない。
ただ、この地を征服するための工程がいくつか増えるだけだ。
「今は、合法的な手段で、どこまで出世できるか……だな」
イルニアが如何なる手段を講じようと、武力でねじ伏せることができるという確信が、ネグロにはあった。
今は、戯れの時だ。
やがて戯れが終わったその時、イルニアの終焉は始まる。
◆