16 褒章
キリの良い所まで書ききるのにまだ時間が掛かりそうなので、
生存報告がてらに、今書いている部分の前半を投稿します。
まとまった執筆時間が取れないうちは、このくらいの長さを小出しにして投稿する予定です。
「依頼達成だ」
黒髪黒瞳にして、『武神』の二つ名を冠するAランク冒険者、ネグロ。
彼がカウンターの上に置いた薬草を見て、冒険者ギルドの受付嬢は目を見張った。
「えっ……!? こ、これは……!?」
受付嬢は混乱した様子で、カウンターの上と、ネグロの顔に、視線を幾度も行き来させる。
見れば彼女は、先のフライ・ドレイク騒動でネグロを罵倒した者である。
つくづく、ネグロと縁のある女性だ。
というのも、彼女はギルドに務める職員たちによって、作為的にネグロと引き合わされたのである。
Aランク冒険者への粗相を恐れるあまり、ギルド職員らが、ネグロに対応するのを揃って敬遠してしまい、ネグロに無礼を働いたことで立場の弱くなった彼女に、半ば押し付けられる形でお鉢が回ってきたのだ。
「竜の巣に生えている薬草だ」
ネグロはそう言うと、カウンターに置かれた草の一つをつまみ取り、指でねじってクルクルと回転させた。
竜の巣、ウアラト山の山頂付近に生える薬草の採取。
それはネグロがつい数日前に受注した、Aランク依頼である。
「そんなっ……、たった数日でっ……!?」
ここ、王都カルティエから、薬草の生えているウアラト山までは、その距離が離れていることに加え、道中に強力な魔物が生息しているために、移動は困難を極める。
イルニア国は、ウアラト山のふもとに存在する原住民族、『賢狼族』の集落へと定期的に出兵し、竜の縄張りに人間の生活圏を広げようと骨身を削っているが、その行軍が時に往復で数ヶ月の時間を要することからも、かの地を踏破することの困難性がうかがえる。
しかしネグロは、それをほんの数日でやり遂げたというのだ。
単身で動いているがゆえに、集団と比べて遥かに速い行動をとれることを差し引いても、異常と言えた。
「な?」
その声に、受付嬢は恐る恐る顔を上げた。
彼女の見上げる先には、してやったりと言いたげな様相で、薄く笑みを浮かべたネグロの顔があった。
「この前、依頼を完遂できる自信があるって、言ったろう?」
「ひ……ひぃ……っ」
ネグロが悪戯めいた顔で笑うと、まるで対照的に、受付嬢が引きつった顔で怯えを見せた。
彼の表情に不快げなものはまるで含まれていなかったのだが、受付嬢にとっては、かつて彼に依頼を請けさせず、あまつさえ謂われのない罵声を浴びせた事実を詰問する、咬牙切歯の怒りの笑顔に見えたらしい。
恐怖のあまりに受付嬢がいよいよ逃げ出そうとしたその時、二人の間に割って入る男の声が飛び込んだ。
「ああ、ネグロさん。ちょうど良かった」
現れたのは、ブノアである。
王都カルティエの冒険者ギルドの副長を務める者であり、未だ無名だった頃のネグロを気遣っていた数少ない人格者でもあり。
そして、ネグロの統率する組織、レウコン・イーリスの末席に身をおいた少女、ジルの育て親でもある。
ネグロとは少なからぬ縁のある人物であり、ネグロ自身も、ブノアとはすっかり顔なじみとなっていた。
「実はネグロさんに、王城から招待がかかっておりまして」
「王城」
ブノアの言葉を、ネグロが復唱した。
王城というと、このイルニア国を治める王が居住する城のことであろう。
「なんでまた」
「フライ・ドレイク討伐の褒美を授与するためでしょう」
ブノアの言葉には、ネグロの功を、まるで自分のことのように喜ぶかのような、誇らしげな色があった。
ともすれば、イルニア国の中枢たる王都カルティエが陥落するやも知れなかった危機。
その脅威をほぼ単身で退けたネグロに、国から何らかの恩賞が与えられるのは、至極自然な流れである。
むしろ、ネグロがフライ・ドレイクを斃してしばらく、国が何のアクションも起こさなかったのは、緩慢とすら言えた。
多大な働きを見せたものには、相応の頌を。
それは、王をはじめとする支配者層たちが掲げる矜持であり、イルニア国の臣民が、国への忠誠を失わないようにするための制度でもあった。
「近いうちに、城からの使者がネグロさんのもとを訪れると思います。
詳しい段取りは――」
そうしてブノアが言葉を続けようとした矢先、一人の男がネグロの肩に手を回し、がなり立てるような、しかし親しげな声色をもって話しかけてきた。
「おう、英雄さんっ! 王サマからお呼びがかかったって?」
「そうらしい」
男の顔に、ネグロは覚えがなかった。
しかし身なりを見るに、冒険者であろうことは容易に察せられる。
ネグロが"武神"の二つ名を持って以来、しばらくは彼をどこか遠巻きにしていた冒険者たちであるが、やがてネグロの気質が存外に穏やかなものであると知れ渡り、今やこうして親しげに声をかけてくるものも珍しくなくなった。
行く先々で、やれ英雄、やれ武神と呼ばれ、ネグロはもはや、そうして自身に絡んでくるものの顔や名前をいちいち記憶することを諦めていた。
「あんだけの活躍をしたんだ。
名誉騎士に任命されても、おかしくはねえ!」
「そいつぁ、めでてえ! 名誉騎士ってえと、お貴族様になるわけかい。
黒髪の貴族なんぞ、イルニア始まって以来の快挙だっ!」
「おい、ロドルッ!
おめえ、いつだったか、この英雄様がAランクの依頼を達成したら、奢ってやるだとか言ってたよな!
ちょうどいい機会だぜ。祝い酒も兼ねて宴会といこうや!!」
男の言葉を皮切りに、冒険者たちは口々にネグロをはやし立て始める。
沸き立つ歓声に飲まれるネグロを見て、ブノアは困ったように小さく笑った。
◆
イルニア国が王城に常駐し、王の御許にてその身を守護する役目を担う、近衛騎士団。
その近衛騎士団が擁する部隊の一つ、近衛第一騎士団の長を務める男、リーンハルトは、ひどく苛立っていた。
王都の窮地を救った英雄と讃称される、黒髪の青年――武神ネグロ。
そのネグロを王城に招き入れ、褒美をとらせると聞き及んだためである。
リーンハルトは、古手の大貴族たるブルダン家の生まれである。
その性格は謹厳実直。
生まれながらに武と勉学の双方に高い才覚を示し、それに加えて、努力を怠らないという、貴族の中でもまれに見る高潔な性格の持ち主であった。
年若くありながら、近衛騎士の一団で長を任されているのは、ひとえに彼の実力ゆえである。
しかし、その輝かしい経歴は、彼が貴族社会でつちかった選民思想と、生まれながらの負けん気を増長させる結果へとつながった。
卑しき黒髪の血を持つものが、我らがイルニアの騎士団を差し置いて、救世主ともてはやされている。
ネグロを称える盛名を、リーンハルトはそのように捉えていたのだ。
「リーンハルト」
そんな彼を思索から呼び戻すかのように、背後から声がかかった。
そよ風のように優しく、ひそやかな、少女の声色だ。
聞き違えようはずもない。
声の主は、リーンハルトが君主イルニア国王に次いで敬愛を捧ぐ者、その人である。
「これは……イガルカ様」
振り向いたリーンハルトは、彼の名を呼んだ人物の姿を認めると、すぐさま自らの左胸に手を添えて、深々と頭を垂れた。
イルニア国王、ヴィクトール12世の長女――第一王女、イガルカ。
今は亡き第一王妃ヴァレリアの残した一人娘であるがゆえに、国王から最も深い寵愛を受ける少女である。
「顔を上げてください、リーンハルト。
……難しい顔をしていたけれど、何かあったのですか?」
王女から許しを得たリーンハルトは、粛々とした態度を崩さぬまま、衣擦れの音も立てずに頭を上げた。
視線を上げた彼女の目に、王女イガルカの美貌が映える。
冴え冴えと澄み渡った空色の髪。
くすみ一つ見いだせない、雪花石のように白い肌。
奇跡的なまでに美しい比率で並んだ目鼻は、どこか彫刻のような人間離れした印象を抱かせる。
しかし、そこに浮かぶ生き生きとした表情が、冷然とした彼女の容貌に、歳相応の少女らしいぬくもりを与えていた。
感嘆の息すら出ないほどに、お美しい。
リーンハルトは眼前の少女に見とれ、しばしの間呼吸を止めた。
男女のことごとくを虜にする、完璧な玉容。
未だ成人していない身であるにもかかわらず、既に数多くの詩や絵画のモチーフとなり、イルニアの臣民らから「美姫」と賛美されるのも頷ける。
女神像を連想させる容貌を目にした人々は皆、色欲や嫉妬といった類の俗気すら抱くことなく、信仰に近い尊崇を向ける。
リーンハルトもまた、その一人であった。
「……いえ。件の、武神と呼ばれている冒険者のことを考えておりました」
「まあ! 彼のことなら、私も聞き及んでいますわ。
ええっと。武神……ネグロ様、でしたね」
イガルカは、楽しげに目をまたたき、子どものように純朴な笑顔を見せた。
「王都のすぐ近くに現れた竜を、武器も使わずに倒したと、そのように聞きましたわ。
いったい、どうやって倒したのかしら。想像もつきませんわ」
イガルカはそう言うと、「やっ! とおっ!」と、徒手武術のまね事をはじめた。
姫の言う"竜"というのは、件のフライ・ドレイクのことであろう。
正確に言えば、ドレイクという魔物は竜の亜種――亜竜に属し、魔物学上では明確に区別されているのだが、とりわけ指摘するほどの誤りでもない。
リーンハルトは何も言わず、その美しい手足を動かし、流水を泳ぐ白魚のように伸びやかに舞うイガルカを、愛おしげに見守った。
「――やあっ!
……それにしても、そんなすごい冒険者の方が、お城にいらっしゃるなんて。
私、ぜひお話をしてみたいですわ!」
つたない演舞を止めて、そう口にするイガルカの表情に、黒髪の冒険者――ネグロに対する嘲りや猜疑は、一切見受けられず。
そこには、強大な魔物をいともたやすく討伐したネグロを敬する、純粋な好意のみがあった。
「……」
忌々しい。
黒髪のペテン師に、姫様は御心を惑わされておられる。
イガルカの愛らしいしぐさに和らいでいたリーンハルトの心が、ネグロを褒めそやす言葉を耳にした途端、たちどころに暗く、冷たく淀む。
彼は口を固く結び、歯噛みの表情に歪みそうになる顔を、必死に取り繕った。
フライ・ドレイク――凶暴な気質と強靭な躰、そして巨体を持ちながら前足の翼膜で宙すら舞う、恐るべき魔物。
イルニアの精鋭兵が束になってかかり、ようやく相手になる怪物を相手に、武神ネグロとやらは、いかなる手段で勝利を得たのか。
聞けば、鎧も、どころか武器の一つすらまとわず、拳の一撃で決着をつけたという。
あまりに馬鹿げた話だ。
いくら阿呆でも、もう少しマシな武勇を騙るだろう。
事実、王城にこの情報が舞い込んだ当初は、この話を信じるものは、一人として出なかった。
だが、ことの裏付けをとるにつれ、このふざけたホラ話は、徐々に現実味を帯び始める。
というのも、フライ・ドレイク討伐の現場に居合わせた者が皆、口をそろえて言うのだ。
「フライ・ドレイクは、ネグロという冒険者が、一撃で殴り殺した」
と。
結果、王城の者は調査と審議の末に、これを事実と認めざるを得なくなり、それを成した冒険者、ネグロへ恩賞を出すことを決めたのだ。
フライ・ドレイク騒動の終結から、ネグロへの恩賞が与えられるまでに随分と間が開いたのは、このためである。
だが、リーンハルトはこの決定に、まるで合点がいっていなかった。
彼は、忠に厚く信念を曲げない性格であると同時、自身の目で認めない限りは、物事を容易に信じようとしない狷介さがあった。
故に、フライ・ドレイクを殴り殺したなどという荒唐無稽な話も、リーンハルトはすぐさま虚言であると断じたのだ。
ネグロとやらは、金や権力で冒険者たちを抱き込み、ありもしない武神ネグロの勇名を流布させている。
そんな、半ば確信に近い疑心が、今日に至るまで、リーンハルトの中にはずっと燻っているのだった。
「ネグロ……貴様の化けの皮、私が暴いてやる」
リーンハルトの瞳が、まるで射通すかのような炯々たる鋭さを宿す。
イガルカに聞こえぬよう、低い声で呟いた彼の声色には、妄執めいた決意が宿っていた。
◆